37.脚本家の後悔
良いもの見たなぁ。
尾崎は久々の高揚感に酔いしれていた。
脚本家の尾崎透はエリア2の街を浮き立つ足でゆらゆらと歩いていた。
尾崎はたった今、月華楼で行われた舞台を見た帰りである。
正直、観光地でふらりと立ち寄った舞台にそれほど期待はしていなかった。
しかし、舞台は尾崎の思っている以上に素晴らしく、楽しむことができた。
なぜ急に見る予定のなかった舞台を見ることになったかと言うと昼頃まで遡る。
尾崎が寛善寺の日本庭園を眺めながら、昼食はどこで食べようかと考えていた時だった。
この場所に似つかわしくない、男女の言い争う声が聞こえた。
これはまたドラマの予感だ。
そろそろ出ようかと思っていたこともあり、チラリと見ていくことにした。
順路通りに進み出口に向かう途中、背の高い男女がいて、片方はよく知る人物だった。
変装するように目深に帽子を被っているが、その美貌は容易に隠しきれるものではない。
安藤姫乃だ。
つい悪癖で観察してしまう。
おそらく一緒にいるのは午前中安藤姫乃と楽屋にいたマネージャーの山下。
長身の安藤姫乃よりも更に背が高い、痩躯の持ち主だ。
笑顔であれば爽やかな印象を受けそうだが、今は眉間に刻みこまれたような深いシワが寄っている。
全男子の憧れ、安藤姫乃を前にそのような表情ができるとはかなり親しい間柄のように見えた。
朝の様子も鑑みると実際そうなのだろう。
不機嫌に振る舞えるのは相手に嫌われないという自信があるか、嫌われても良いと考えてるかどちらかだ。
一瞬目があったような気がしてどきりとしたが、そのまま建物を出るように装ってなんとかしのいだ。
午前中安藤姫乃の楽屋前で盗み聞きしていた負い目もある。
これ以上の詮索は法に触れそうだ。
断じてつけていたわけでもないし、先回りしていたわけではないぞ。
後ろ髪惹かれるが、このまま建物を出ることにした。
それにしても、一体何があったというのだろう?
午前中まではとても仲が良さそうに見えていたのに、今の二人は険悪だった。
見たところ安藤姫乃が山下に対して不満を抱いていて、山下は安藤姫乃の不満に対して不満に思っているようであった。
気になるが戻るのはあまりにも不自然過ぎた。
一般人になるか不審者になるか迷っていたところ、新たな状況が加わり後者を選んだ。
尾崎の隣を安藤姫乃によく似た男子と背の低い女子が早足ですれ違っていった。
あれは浮世くん!
実に昨夜ぶりの再会である。
もっとも、向こうは尾崎のことなど認識していないのだが。
今日の浮世はしっかりと防寒対策が施されていて、しっかり現世を生きているようだった。
こうして普通の格好をしていると、高校生ぐらいに見える。
ただ尾崎が高校生の時と比べると格段にオシャレだ。
専属のスタイリストでもいるのかと思うほどだった。
そして今日は幸とは違う女の子を連れている。
小柄で髪の長い女の子で、浮世と同い年かそれ以下に見える。
浮世と少女は二人に近づいて行き、少女の方が先に安藤姫乃と山下の前に飛び出した。
『圭兄!喧嘩ダメだよ』
『山ちゃん、アネキ何してるの?』
『お前ら来てたのか?』
『圭兄、また桜を泣かせるの?』
『山ちゃん、またってどう言う事?』
意外な関係性の発覚。
そういえば安藤姫乃と浮世君はなんで気が付かなかったのだろうと言うぐらいよく似ている。
一方、山下兄妹の方はあまり似ていない。
尾崎は例の如く勝手に素性を設定した。
おそらく山下はそれなりにモテるタイプで、過去にも女性関係で安藤姫乃と揉めた事がある。
弟の浮世としては姉を大事にして欲しい。
山下妹は兄の浮気癖を申し訳なく思っているし、安藤姫乃との関係を切って欲しくないのだろう。
山下は妹と弟の登場でバツが悪そうだ。
そりゃ自分の妹や交際相手の家族に喧嘩の現場を押さえられたらあんな顔にもなる。
一方、安藤姫乃は笑顔だった。
弟や妹分に心配をかけないようにするためか、実に健気だ。
だが、取り繕うための笑顔は痛々しい。
無理をしているとふとした瞬間に大爆発して二度と修復は不可能だ。
しかも残念な事に、男はその瞬間が来るまで自分達の関係は永遠と続いて行くものだと思っている。
尾崎はなんとなく見ていたくなくなって目を逸らす。
『おい、姫乃……桜』
真摯に呼びかける声に尾崎は再び前を向く。
桜と言うのはおそらく安藤姫乃の本名なのだろう。
山下は両手で安藤姫乃の頰を包み込むようにして、見つめ合っていた。
『作り笑いするな。そんなに信じられないなら証拠を見せてやる』
山下が安藤姫乃に迫ったので、弟や妹が慌てていた。
完全に浮世と少女は蚊帳の外である。
山下は自分の保身よりも、安藤姫乃と向き合うことを選んだ。
山下が安藤姫乃の手を掴み出口に向かってきて、尾崎は慌てて体の向きを変えた。
『ちょっと待ってよ?!どこ行くの?!』
『げっかろう』
浮世のファインプレーで行先を知る事が出来た。
山下の言葉がパンフレットでチラリと見かけた『月華楼』と一致した。
二人の行く末を見届けなければならないと思った。
そして二人はあの舞台の間に確実に理解をし合い、打ち解けた。
しかも山下本人が舞台に出てくるという衝撃的な方法で。
現実は小説よりも奇なり。
おそらく、山下の浮気相手と思われる人物も出演していて、舞台上の関係であった事が証明できたのだろう。
相手は手品師の女性か、ダンサーのお姉さん達か定かではないが、もうしがらみは無いのだと安藤姫乃の晴れやかな笑顔が物語っていた。
自分の事ではないのに、ホッと胸を撫でおろした。
尾崎は二人の行く末を見届けるとフラフラと海を漂うクラゲのように外に出た。
冬至は過ぎたがまだまだ日が短いので、もう既に外は暗くなりはじめていた。
店の提灯には温かみのある光が灯る。
ふと冷静になると、我ながら恐ろしい執着だ。
後をつけてまで人の恋路を見届けたいと思ってたのは、行き詰った脚本のせいだけではなかった。
きっと、後悔しても仕切れない、過去の自分への模範解答を探しているからだ。
正解が分かったところでやり直しが効かない事は分かっていたが、考えずにはいられないのだ。
何をしていれば、今もヨーコと一緒にいられたかを。
ヨーコとは大学を出たらしばらくして結婚するんだと思っていた。
それは決して尾崎の思い上がりだけではなかった。
就職のことや家の事、そこに向かって二人で動いていた。
ヨーコに唯一の家族である母を紹介した時、ヨーコは持ち前の明るさと気さくさを持って接した。
以前から母にはヨーコがどんな人物か少しずつ話していた。
もちろん大抵の世の男性がそうであるように、自分の彼女のことを何でもかんでも話すというような真似はせず、聞かれたら答える程度だ。
だが、今まで好きな女の子の事を話したことはなかったので、ヨーコが特別な存在であることは、母に十分に伝わっていた。
初対面は終始和やかな雰囲気で母もヨーコもお互いが気に入っていると思っていた。
その日、ヨーコを駅まで送る途中、彼女はふーと息を漏らした。
初対面の人でも壁を作らずサラリと懐に入ってしまうヨーコでも恋人の親との対面は緊張したらしい。
『緊張したぁ。やっぱりお母さんビックリしてたね』
『わざわざ言う必要ないのに』
『だって。言わないのってフェアじゃない』
ヨーコがどこから生まれてもヨーコがヨーコであることには変わらないのに……
彼女にその事を負い目に感じないでいて欲しかった。
ヨーコは放棄地区の出身だった。
『母さんは気にしてないよ』
『ホントにぃ?』
その事を告げた時、確かに母は驚いていたが、それが純粋な驚きで他意はないと思っていたがそうではなかった。
常日頃から同じような視線を向けられていたヨーコにはそれが分かってしまったようだ。
『じゃあねトオル』
彼女は改札を抜けてからヨーコはくるりとこちらを向き、手を振った。
これがヨーコの姿を見た最後になった。
ヨーコを駅まで送り届け家に帰ると、母は出したお茶や菓子を片付けているところだった。
母は息子の帰宅に気がつくとこちらから尋ねるまでもなく、ヨーコの印象を口にした。
今思えば、母は早く伝えなければならないと準備していたようにも思えた。
『いい子ねヨーコさん。でも、もうちょっとイイコいるんじゃない?』
母がこんなことを言うなんて思ってもみなかった。
母が差別意識を持っていたなんて知らなかったし、その意識は他でもないヨーコに向けられている。
息子が選んだ女を無条件で受け入れてくれると思っていた。
同級生からも優しいお母さんとよく言われていた母にも、違う出身地をよく思わない心があったのだ。
いい子って母さんも言った。
それが何よりじゃないか。
イイコってなんだよ。
ハッキリ言ってくれ。
放棄地区。
その一点だけが気に入らないんだろう?
『ヨーコ以上にイイコはいない』
『そんなことないわよ』
『そんなことある。絶対にそうだから。母さんも楽しそうに話してたように見えたけど?』
『だってそれは……』
母相手に声を荒げるような事はしなかった。
争いは事を厄介にするだけだ。
その時は時が解決してくれるのだと思っていたし、いずれは母もヨーコの良さに気付いてくれると思っていた。
『別れよう』
電話でそう告げられたのは一週間後の事だった。
彼女が何を言っているのか理解出来なかった。
色々な事を考えて冷静になる間をヨーコは与えてくれた。
ヨーコはいつも尾崎が考えごとをしている時邪魔をせず隣で待ってくれていた。
『どうして?』
その間が十分な筈もなく、馬鹿みたいに思ったことが口から出る。
『決まってるでしょ?この前の顔合わせの事』
『何かあった?』
『大有り。本気で何もなかったと思ってる?』
『ごめん。母さんが失礼な態度だったのは予想外だった。』
『いいの。お母さんは悪くない。私が耐えられなかっただけ……』
『ヨーコ今どこにいる?』
彼女の声は震えてた。
一人にさせてはいけない声だと思った。
ヨーコの息づかいが聞こえる。
大きく深呼吸したようだ。
そしてヨーコは話し始めた。
声の震えは治まっていた。
『覚悟してたよ。受け入れてもらえないかもって。それでも大丈夫だと思ってた。でも実際に会って接してみると、やっぱりダメだった』
ヨーコは揺るぎなくしっかりと主張した。
『これから変わってくよ。いや、変えてみせるから……!』
ヨーコに離れていって欲しくなくて、まとまりきっていない言葉で返事をする。
『説得とかそう言う事じゃないの。変わらないよ人は』
『そんな事ない』
『無理なの。私も変われない。私が放棄地区出身だって言った時の、あの顔。今まで笑ってくれてた人が急によそよそしくなる。慣れるなんて無理』
『言わなければ……!』
致命的な失言だったと気がついた。
ヨーコはなぜかふふっと笑った。
『ほら。トオルも。隠さなきゃって思ってる』
『違うそう言う意味じゃ……』
出身地を隠してほしいなんて思っていない。
口に出して辛くなるような事を、わざわざ向き合わなくてもいいと言いたかった。
『じゃあね』
『ヨーコ?!』
ヨーコは通話を切ってしまった。
慌てて掛け直すが繋がらない。
3回目には呼び出し音ではなく、着信拒否を告げるアナウンスが流れた。
なぜこんなことになったんだと問いかける。
母に強く主張しなかったから?
上手くヨーコを慰められなかったから?
言わなければいいなんて言ってしまったから?
考えれば考えるほど不甲斐ない。
それでも諦めたくなくて、ヨーコの借りているアパートにも行ったが既に解約済みだった。
おそらく一週間のタイムラグは引越しの準備のためだったのだろう。
彼女はあの日にもう別れを決断していたようだ。
その間何度か電話したのに異変に気がつくことは出来なかった。
次にヨーコの友人を頼った。
すると逆に最近繋がんないから聞きに行こうと思っていたと言われてしまった。
最終手段として管理局にも行った。
管理局では監視システムを利用した家出人の捜索可能だ。
本来家族しか使えないが、二人で一緒に住もうとしたアパートの契約書などの近しい者であると証明ができれば内縁の者として捜索が出来る。
結果は惨敗だった。
『尾崎様では捜索申請を出すことは出来ません』
それが意味することは、ヨーコが尾崎を名指しで捜索申請拒否を出したと言うことだ。
元交際相手によるストーキング対策で施行される手段だった。
ヨーコはもう探す事すら許してはくれない。
完全なる拒絶だった。
『そうなの』
ヨーコと完全に他人、もしくはそれ以下の関係になったことを告げた時、母は少し安心しているようだった。
程なくして母と離れて暮らすようになったが、電話で度々恋人の有無を尋ねてくる。
母は息子の事を、世間的に見て悪くないと信じているようで、なんで彼女を作らないか不思議に思っているようである。
『ねぇ、もしかしてあの子のこと忘れられないの?ずっと彼女作らないのってもしかしてお母さんのせい?』
母はどうしてもと言うのならまた付き合ってもいいと言いだした。
ヨーコ。
君の人を見る目は正しい。
僕にもヨーコと母さんが一緒に暮らしてるとこ想像出来ない。
『付き合ってもいいとか。もうそう言う次元じゃないよ。僕がヨーコを振ったんじゃない。僕らがヨーコに振られたんだ。母さん、美保子おばさんに孫が生まれたから焦ってるんだろ?』
美保子おばさんというのは母の妹だ。
図星だったのか母が息を呑んだ。
『別にそんなことないわ!あなたのためを思って……!』
『うん。わかってるよ。ありがとう。今仕事めちゃくちゃ楽しいし、毎日充実してる。ドラマのエンドロールよく見て。僕の名前流れてくるから。』
『ちょっと透?!』
そんなこんなで母とは少しギクシャクしているが、今は楽しく仕事している。
でももし、あの改札を抜ける前、ヨーコの手を掴んでいたら……
尾崎は誰も居ない先に手を伸ばしている滑稽な自分に気がついて慌てて腕を元の位置に戻した。
いつのまにゆっくりになっていた歩調を誤魔化すように早めてその場を離れる。
意外と人は通行人に気を止めないということは分かっているのにコレは恥ずかしい。
このように考え事の内容が動作として外に出てしまうことがたまにあるのだ。
いつか街中で踊りだしたりしないか自分でもヒヤヒヤしている。
ヨーコのことは常に頭の片隅にあるが、別れた直後ほど思い出すことも減ってきていた。
今はまだ恋人を作る気も、作れる気もしていないが、もしかしたら、もう少し時間が経てばそれも変わるのかもしれない。
エリア2はヨーコと回った思い出の場所でもあった。
そこに一人で訪れられているのも変わっていった証拠だろう。
ふと見上げると赤い建物。
先ほどまで舞台を見ていた月華楼だ。
気づけば界隈を一周してきたようだった。
安藤姫乃とそのマネージャーの追っかけをしていたせいで、今更うっかり昼食を食べ損ねていたことに気が付いた。
今から旅館に戻っても夕食の予約は取れるだろうか?
空腹を意識してしまうともう我慢できない。
そこらへんで何か食べていこう。
そして今日はお酒を飲みたい気分だ。
一人で入れる居酒屋を見つけるという明確な目標を見つけて歩き出したとき、月華楼から野生動物を思わせる影が飛び出た。
それを見た人の悲鳴が聞こえた。
それは通りを信じられない跳躍力で飛び越え、酒屋の屋根の上に着地した。
何人かはスマホを構えその姿をおさめようとしている。
カーカーとカラスを模した監視ロボが警戒音を発する。
カーカーカー。
警戒音の大合唱だ。
人のようなものはゆらりと屋根の上に立ち上がった。
次の瞬間、カラスが砂埃と共に蹴散らされた。
人のようなものが動いた風圧で吹き飛ばされたのだ。
人のようなものはカラスを蹴散らし、信じられない速さで屋根の上をかけていく。
踏みつけられた屋根の下から人が次々と顔を出して、わらわらと集まった。
なんだなんだ?と顔を見合わせるが一向に結論は出ない。
「あれは……?」
さっき見た舞台で同じような衣装を見た。
ドロドロに溶けかけてはいたが顔を覆うメイクの色合いも似ていた気がした。
ふと顔をあげると月華楼の窓辺に誰か立っているのが見える。
安藤姫乃が人のようなものが消えていった方向を青ざめた顔で見ていた。
読んでいただきありがとうございます。
もうしばらく続きます。




