36.演目
「樹!和馬達戻ってきたよ!」
葵が肩を叩き意識が戻ってきた。
外と違い暖かい空調が効いている室内は気を抜くとすぐに寝てしまいそうである。
昨夜は一睡もしていないのだから無理もない。
橙、黒、深緑の幕はまだ下がったまま。
月華楼の中は日本風で、ステージは渋い木目調、会場を照らす光は提灯型、柱までも木造で洋を感じるところは一切ない。
日本の伝統芸能をしっかり見たことがない樹は、歌舞伎っぽいと口に出さず思っていた。
だがこれから始まる催しはそれらとはちょっとテイストの違うものらしい。
観客席の賑わいはちょっと微睡んでいた間に増したように思われる。
樹は目を瞬かせて重くなりかけていた瞼を動かし、無理やり眠気を飛ばした。
葵がおーいと手を振ると、和馬達も気がついて客席に向かって歩いてきた。
「ようジュニア!」
すっかり永久の肩の上が定位置になったユーセンが腕をヒョイっとあげた。
その姿を見るのは朝ぶりだ。
「勝手にいなくなったらダメでしょ、ユーセン君」
いつの間にフードの中からいなくなっていた時は焦ったが、水族館を見にいくため永久と和馬についていったらしい。
「ちゃんと見ててよ……」
急遽ユーセンの世話をお世話を押し付けられた永久は不服そうだ。
「えへへ……ゴメン」
樹が手を伸ばすとユーセンは永久の肩から樹の手のひらに飛び移った。
「楽しかった?」
「まぁまぁダゼ!」
ユーセンは生意気にも腕を組んで仁王立ちした。
そのマシュマロのような顔には楽しかったと書いてある。
「王野君、そっちはどうだった?」
和馬が永久を挟んで二つ隣の席に座りながら訪ねた。
「こっちも最高だったよ!全部。全部あった……」
樹達は郷土資料館とエリア2を分断する山脈の麓にある寛善寺に行っていた。
郷土資料館にはエリア2に関係するロボット資料が数多く展示されていた。
景観を守るために開発された動物型監視ロボが年代順に並んだ様は壮観だったが、それを伝える語彙力がないことが悔やまれる。
「あのね、進化してるんだよ。意匠面の表現だけじゃなくってね。その動物に近づけるためのね、関節とか可動域とかが同じ数で出来てて。あ、全部ではないよ!ロボの方の可動域が行き過ぎるとわざわざ抑えるように制御したりされててたんだ。ビックリしたのは動きを近づける為に敢えて関節の数を現物より増やした猫型……」
長くなりそうだと判断した和馬は如何にもよく聴いているように相槌をうち強制終了させると、次の話題に移った。
「うんうん。だいぶ楽しめたみたいで何よりだよ。本題の池の水の方はどうだった?」
「寛善寺には、はじめに聞いた幸せな方の池の水伝説のもとみたいなのがあったよ。」
かつてその寛善寺には水が湧き出る泉があったようで、その水を飲むと健康になるという伝説があった。
おそらく池の水を飲むと願いが叶うというのはそこから派生したものだろう。
「でもやっぱりそこの泉はもうなかった。」
泉のあとのようなものは残っていたが、水はなく苔むしていた。
苔の具合から見ると、公害問題が起こるよりもずっと以前になくなったようだった。
「で、資料館の方にはエリア2で起きた公害問題に関する展示があったよ。そこにも池の水がどこかっていう情報はなかった」
強いて言うならこの地域全体に被害が出たようだがそれでは場所の特定にまで至らない。
「なるほど。そこにはそんな情報があったのか。僕らもエリア2公害についての情報をゲットしたよ」
ユーセンが膝の上に飛び降りて和馬の代わりに語り出した。
「公害で被害があったのは人間だけじゃないぜ。汚染された水は川辺環境にまで染み出したんだ。それでエリア2固有種、ハンテンドジョウが絶滅の危機に瀕してたが、今は募金と地元のボランティアの活躍で水質が改善されて生態系は戻りつつあるんだぜ!」
「そうなんだ。よかったね!」
葵が笑う横で樹もへぇと相槌を打った。
「それはとても喜ばしいんだけど。肝心な池の水はやっぱり『飲めない』っていう結論になりそうだよね」
「いや、それがそういう訳でもなさそうで……」
たしかに、廉造から教えられた通りの場所、行動を取れば『昔は綺麗な池の水があったが、公害で汚れ今は改善の最中』と言うことがわかる。
しかし、樹はエリア2出身だと言う中津から得た別ルートの情報がある。
その内容を話すことは、本来得られる答えと異なる結果になってしまう可能性があるので樹は言い淀んだ。
ちょっと違うかもしれないけど……と前置きしたところで、葵が横で再び大きく手を振った。
和馬と永久もつられて後ろを振り返り、和馬はヒョイっと手を挙げ、永久は何事もなかったかのように前を向いた。
こちらに気がついた優太と愛希はやや急ぎ足でこちらに向かってきた。
観客席はほぼ埋まっている。
二人は今にも舞台が始まらないか気にしているようで、軽く身を屈めていた。
「まぁ、その別解はキバ達との答え合せの後にしようか」
「それもそうだね。」
優太と愛希は葵の横に座ってふぅっと息をついた。
「セーフ!!!」
「間に合った」
ドタバタと上着や防寒具をときはじめる二人を見て樹はゴメンと呟いた。
「まぁ、見たかったからいいんだけど!樹が強く意見するの珍しいし!」
「ハハ……まあね」
優太の言う通り、月華楼で舞台を見たいと提案したのは樹で、自分の行きたい場所を主張するのは珍しいことだ。
今日散々楽しんだ資料館だって本来であれば、仲間の行きたい場所に合わせて断念していただろう。
特に舞台が物凄く見たかったというわけじゃないのだけれども。
理由を言うことは優太や和馬の前では憚られた。
その理由とは二階席にいる姉、桜のことだ。
桜は洋子さんに連れられ、特別席である二階に案内されていた。
姉はいつものように、外出用の地味な服と目深に帽子を被っていた。
そのせいか桜に気が付いている人はいない。
気づかれていないわけはもう一つある。
今日の桜は見るからに覇気がない。
いつもは変装していても、言動や立ち振る舞いで安藤姫乃だとバレバレだ。
なのに今日は話しかけるのを躊躇うような静けさが彼女の周りで渦巻いている。
野暮ったくした外見と相まって、まるで別人のようだ。
樹がチラリと彼女の方を見てもピクリとも反応しない。
軽く手を振ったり目配せするのが桜の常だ。
そもそも同じ空間にいて、樹を全く気に留めていないということすら桜にとっては異常だ。
桜がこうなった原因は十中八九、山下が関係しているのだろう。
『そんなに信じられないなら、証拠をみせてやる』
寛善寺で樹が喧嘩中の二人と鉢合わせた時、山下はそう言って桜の腕を引いた。
『ちょっと待ってよ?!どこ行くの?!』
樹が止めてなければ二人だけでどこかに行っていたかもしれない。
山下は弟分達のことはまるで眼中に無かったようで、面倒そうに『月華楼』と答えた。
意味がわからない。
またしても二人で消えようとするので、樹達は『ちょうど行きたかったから連れて!』ってと半ば強引に、一緒に山下の車に乗り込んだのだ。
移動中、桜は一言も発することはなかった。
この場所に着いてもそれは同じだった。
『圭!姫乃さん、いらっしゃい。待ってたよ!』
月華楼裏の駐車場に着くなり二人は待ち構えていた洋子により熱い歓迎を受けていた。
『一緒に入れますか?』
山下は桜を指差して言った。
『もちろん!一番いいとこ用意してるから』
桜は洋子が微笑みかけても能面のような表情のままだ。
『お願いします。』
『私が案内するから。先入ってな』
山下は桜の様子を伺うように顔を覗き込んだが、桜は目を逸らした。
それをうけて、山下は諦めるように後でなと呟いて桜を置いて先に建物に入った。
洋子はご機嫌斜めな桜を気遣い、明るい声で話しかけた。
『まぁ直ぐ会えるよ!私達も行こうか』
事の成り行きを見守るために息を潜めていたが、置いていかれまいと樹は声を上げた。
『スミマセーン!!!!イッ、一緒に見てもいいですか?!』
急に目の前に飛び出したので、洋子のみならず葵もピクリとカラダを震わせた。
その間桜は無反応を貫いている。
『あぁユーセン君。どうしよう。困ったねぇ、一緒の席は用意してあげられないんだ……』
『席はどちらでも構いません!』
『そう?一階席なら空きがあると思うから……』
どうやら特別席というのは二階にあるようだが、一階でもどうにかなるだろうか。
そう考えていると葵が二の腕を突いてきた。
『イツキィ。愛希達とはどう会うの?』
『考えてなかった……』
洋子は吹き出すように笑うと、大丈夫。と宣言した。
『今日朝来てた他の4人のことでしょう?そのくらいならまとめて取れるよ』
『あ、ありがとうございます!!!』
『一緒においで。』
そうして、樹達が今いる席まで案内された。
移動の間、話さない桜の代わりに洋子は樹と葵に向けて話しかけた。
ユーセンくんっていうのは渾名なの?それとも苗字?
安藤姫乃とはキョウダイ?そんな気はしてたよ!
そっちの子は?……葵?もしかして圭の妹?!
圭から聴いてるよ!
エリア2はどこを回った?
あぁ、また父ちゃんが……!悪いことしたね。
今回は月華楼にご招待ってことで勘弁してね。
損はしないよ。
いいよお代は!
迷惑料を考えたらお釣りを出さなきゃいけなくなる!
洋子はお淑やかな着物の似合う美人だが、その正体はかなりの話好きらしく、樹は曖昧な相槌を打つのがやっとだった。
『開演まではケイタイも自由に使えるよ。お友達に洋子の客って伝えれば入れるって教えてあげて』
洋子はそういうと桜と一緒に二階席に向かった。
今、一階席にも二階席に洋子の姿はない。
洋子と山下の関係は分からず仕舞いだ。
圭と親しげに呼んでいたので、念のため葵にも聴くと知らないと返事がきた。
山下が葵にも言っていない関係。
下の名前で呼び合う関係。
山下は以前にも女性関係で桜と揉めていた。
そう考えるとあっさり真相にたどり着いてしまいそうだが、そうであれば桜の憂いは晴れないだろう。
「僕らはまあこんな感じ。そっちはどんな収穫があった?」
和馬が優太に尋ねる声で樹は我に返った。
和馬は樹が別の事を考えている間に、大体のことを要約して二人に話しておいてくれたらしい。
樹は姉のことはしばらくおいて、和馬と一緒に聞き耳を立てた。
「あぁ、俺たちは幸代さんが病気になった理由とかが分かった」
「ちょっと待って!幸代さんって誰?池の水の話じゃ無いの?」
「あれ?!ホントだ池の水どこいった?!」
「こっちのセリフだよ」
愛希は狼狽える相方を見かねて身を乗り出した。
「私たちも言われた通りの場所に行ったわ。なんで池の水が飲めなくなったか探るために。あわよくば、池の水の場所を知るために。でも私たちが知れたことはこの地の有力者娘幸代さんの話。彼女は昔から病弱で、何か悪い事が起きると直ぐに身体を壊してしまう繊細な人だったみたい。」
樹は品の良さそうな薄幸の女性を頭の中に思い浮かべた。
「そして彼女の決定打になってしまったのが、彼女の家が融資してた企業が起こした公害問題。多くの人が傷ついたことを知って寝込みがちになっていったみたい」
ここで幸代とエリア2公害が結びついた。
樹は中津から聞いた話を思い出していた。
公害を引き起こした企業に融資していたのが幸代の家で、彼女は自分の家が事件に関与していることを知って大きなショックを受けた。
「その幸代さんが池の水伝説とどう関係があるの?飲めなくなった真相だけなら僕らが行った三箇所で完結しそうだけど」
永久はわざわざ五箇所も行かされたことを不服に思っているらしい。
優太は考えることを愛希に丸投げしたようで、答えを求めるように愛希を見た。
「強いて言うなら。あの怖い方の池の水伝説のモデルらしきものを見たわ。幸代さんは家に仕えてた庭師の人と恋仲だったみたい」
怖い方の池の水伝説。
それはお幸が足のつく池で溺れ死に、与平は明日を切られて力尽きる、身分違いの恋が招いたバッドエンドだ。
さらにその後与平が来ないまま死んだ幸は悪霊になる。
流石に幸代さんの恋人は足を切られてないと信じたいが、実際のところは不明だ。
「もしかしたらそっちの与平さんは手切れ金貰ってどっか行っちゃったのかもね。帝の台詞にあったでしょ?一番の美女と財をくれてやる的な。」
「えーヤダー」
和馬がサラリと述べた意見に葵が顔をしかめた。
「まぁ、それなら悪霊になるのも納得だけど」
永久も和馬の意見にに概ね同意しているようだった。
「悲しいなぁ……」
優太がしみじみと呟いた時、会場アナウンスが開演を伝えた。
開演と同時に、樹の興味は池の水から舞台へ移った。
昔いたかもしれない男女よりも、今を生きる男女の今後の方が樹にとっては重要なのである。
山下はここで何を桜に見せようとしているのか。
結果、それは分からないまま終焉を迎えた。
会場には割れんばかりの拍手と歓声が残っていた。
樹は終わった時にようやく月華楼に来た本来の目的を思い出した。
舞台の内容に入り込み過ぎていて、何をしに来たかうっかり忘れていたのである。
スケッチブックに描いたものが出てくるマジックや、会場中を縦横無尽に飛び回る軽業師達。
やっていることはそれぞれ違うのに流れるように次の演目に移る一体感。
はじめは舞台上だけに留まっていたのに、そこから飛び出た会場全体を使った演出は、観客も舞台の上にいるかのような高揚感を覚えさせた。
樹は自然に湧き出ていた拍手の間に我に返り、同じく隣で拍手をしている葵を揺らした。
「葵っ!結局山ちゃんは?!」
すると葵は、樹そんなこともわからないの?と言いたげな顔で指を立てた。
はじめは何を意味しているかわからなかったが、葵は微妙にその指を上下させている。
「ホラ、あそこ!圭兄!」
「え?!」
葵が指差す先には観客の頭上に作られた櫓《
やぐら》がある。
そこには先程命綱無しで飛び移った軽業師の男達が観客に向かって手を降っていた。
そういえば一人高身長で細身な男が混じっていたような気もしなくはない。
その軽業師の男は一階席ではなく、櫓と距離の近い二階席に向かって手を振っていて、軽業師達のリーダーがのしかかり、下にも手を振らせるまで続けていた。
下、つまり樹達の方向を向かされた時、その軽業師はわざとらしく目線を逸らしたので、彼が山下だと確証した。
軽業師五人はみんな派手な舞台メイクが施されていたので全く気がつかなかった。
「なんで?!」
樹の言葉は葵に無視されてしまった。
今葵は舞台中に色が変わる、不思議な着物のお姉さんに手を振るのに必死だった。
樹は今度は二階席に目を向けた。
二階席の人は手を伸ばせば手が届きそうな櫓に手を伸ばしたり、一階の出演者に向かって手を振ったりするため席を立っている人が多い。
桜も席におらず立ち上がっていた。
一階にではなく近い櫓に向かって手を振る桜の姿が見えた。
その顔は実に晴れやかで、いつも通りの桜だ。
二人の間で何か解決できたのなら。
「まぁいいか」
樹も葵と一緒に出演者に向かって手を振り返した。
前回予告していた通り、金曜19時以外の投稿です。




