33.回復?
エリア2を二分する山脈の麓。
とある高級旅館。
その旅館は池の水伝説の舞台として使われるだけあり、客室も渋く趣がある。
そこにいるだけで宿泊客に特別な時を過ごさせてくれる。
この部屋に数時間という短い間滞在しているだけの山下と桜に対しても同様である。
山下には扉一枚で隔てられた外の喧騒が耳に入っていたが、それも遠くのことのように感じられた。
部屋の中では桜と二人っきり。
山下が身じろぎすると、その気配を感じとった桜が顔を上げて目を合わせた。
その間桜は無言で、桜は何かを欲するようにじっと目で訴えかけていた。
桜の藍色の瞳には、困惑とも照れているとも言える、情けない顔をした山下の顔が映っている。
山下が目をそらすと、桜は根負けした山下をおちょくるように、うふふとくすぐったそうに笑った。
二人だけの空気感に耐えきれず山下は疑問を口にした。
「ホントにもう大丈夫なのか?」
「うん!……ごめんね。なんか調子悪い時色々してたみたいで」
桜は申し訳なさそうに目を伏せた。
別に責めるつもりはないので、山下は特に気に留めていないような軽い口調を心がけ否定した。
「あぁ、それはいい。もうなんともないのか?」
今朝の桜は自分が『幸』だと公言したり、やけに時代がかった口調で喋ったり、常軌を逸した行動を取っていた。
「この通り!ドラマのオファー想像以上にプレッシャーになってたみたい」
桜はへへへといつものようにごまかし笑いした。
桜がそう言ったものの山下の不安は拭えなかった。
桜がまた無理をするんじゃないかということはもちろんだが、他にも心配ごとはある。
それは今の桜との距離だ。
以前から桜のパーソナルスペースの狭さは見ていてヒヤヒヤするところがあったが、今日は異常だ。
山下は現在、桜に控室代わりに与えられた旅館の一室にいる。
普段は一人にさせて山下は近くで待機していることが多いのだが、今日は朝から様子がおかしいので控室を訪れた。
すると桜は山下を中に呼び寄せて、ガッチリと腕を掴むと、山下を返さなかった。
広い旅館の一室を与えられているにもかかわらず、桜は部屋の隅にいる山下に寄りかかっているので、部屋ががらんと広く見えた。
桜の甘い香りが山下の鼻腔をくすぐる。
悪い気はしないので指摘出来ぬままダラダラと過ごしてしまった。
「姫乃……」
「なぁに?」
待ちわびていたように、大きな藍色の瞳がキラリと輝いた。
桜は仕事中、全くと言っていいほど山下と一緒に過ごすことはない。
普段は共演者とコミュニケーションをとったりしていることが多い。
仕事は仕事と明確に線引きしていて、それが彼女の仕事に対するポリシーなのだと思っていたし、信頼の置ける点でもある。
「近くないか?」
意を決して言ってみると桜は俯いた。
「ごめん、嫌?」
「そういうわけではない」
「ならよかった」
今日の桜はなんとなく扱いにくい。
離れてほしいが惜しいような気もする。
「なんか体調あんまり良くないし、ちょっと不安なの。一緒にいてね?」
桜は額を山下の二の腕に埋めた。
これでノーと答えられる男はいない。
山下は一度頷いた。
山下が頷いた気配を感じると、桜は顔を上げた。
「ねぇ、山ちゃん。この後、一緒に街まわろ」
「病院とか行った方がいいんじゃないか?」
桜は首を振った。
「ううん。気分転換した方がいいもん。楽しみにしてたし」
「そうか?」
桜に言われると、無理やり病院に連れて行くのも悪い気がする。
その時控室の戸がノックされた。
「安藤さんお時間でーす!」
スタッフの声が聞こえて、山下は一緒にいるところを見られまいとそわそわした。
「はーい!!!」
桜は山下を他所に明るい声で返事をする。
桜はやっと腕を離して、その手で山下の手の甲に触れた。
その動作は別れを惜しむ様でもある。
山下が呆気にとられていると、桜はニコリと微笑んだ。
「早く行けよ」
山下は見惚れていたことを悟られまいと、早く行くよう促した。
いつもならわかってるよと小さく膨れるのに、今日は余裕たっぷりに笑みを浮かべている。
「じゃあ、またね」
桜はささやくように言うと、急いで部屋を出ていった。
それを見てホッと肩を撫で下ろした。
まだぬくもりが残る腕を擦り、なんとなく顔をあげると、閉まりかけの扉の向こうにチラリと鬼の形相の新田慎吾が見えた。
無視しても良かったが眼力でドアに穴を開けそうだったので仕方がなく立ち上がり表に出た。
「おい山下!!!収録中に何してくれてるんだ?」
新田はチンピラのようにお?お?とメンチを切った。
「ホントに何してるんだろうな」
今日ばかりは新田に言い返せる言葉がなかった。
真剣に仕事と向き合っている新田からすれば、ふざけた行為に映るだろう。
「調子狂うだろ。どうしたんだよ?」
山下が素直に非を認めたので、喧嘩腰だった新田が日和る。
「なんだか姫乃の様子がおかしい……」
「いつもの可愛い姫乃ちゃんだろうが」
「いや、違う。やけに近いというかなんというか……」
「惚気か。爆ぜろ」
「誤解だ。そういう意味じゃない」
少し声が大きくなり過ぎたようで新田と山下は共にクールダウンした。
「ふー……山下。ついにお前に勝てそうな勝負を思いついた」
「暇人め。今度相手してやるから」
「いーや。今回一瞬で終わる」
新田は握っていたノートの切れ端を手渡した。
折りたたまれていたそれを広げると『雛罌粟』の文字が出てきた。
それは山下のアパートと同じ名前で、教えたことあったか?と山下は首を傾げる。
「体力じゃ負けるなら頭だよ!」
新田は得意げに頭を突いた。
「読めるか?ネットで調べたらダメだぞ!まぁ読めなくても無理ないが、その時はお前が出題して俺が書けなければ引き分け。お前の出題が書けたら俺の勝ちだ!」
新田が相当考え温め抜いた勝負なのだろうが、運が悪過ぎた。
よりによってこの花の名を選んでしまうとは……
「本当にこの漢字でいいのか?」
「いいさ。俺がクイズ王者に挑むために勉強した中で、唯一書けなかった漢字だからな!」
誰も旬なイケメン俳優にそこまでクイズでの活躍は期待はしていなかっただろうに。
新田はかなりの努力家のようだ。
「そうか。……ヒナゲシ」
「え?」
「だからヒナゲシだ」
新田は目を見開いた。
「なん、だと……?」
自信満々な態度からあまりの落差に山下は笑いを隠せず吹き出した。
いつもなら最後まで笑いを隠し通したが、被っていた皮が剥がれた今、隠す必要などない。
「笑い過ぎだ!!!」
「いつもは我慢してただけだ」
「なんだと?!」
せっかく勉強したのに可哀想なのでネタばらししてやることにした。
「お前運が悪すぎる。俺の住んでるアパートの名前知ってるか?」
「ん?」
「『ヒナゲシ荘』なんだ」
「マジか?!」
「マジだ。」
今年の正月にアパートの前で撮った写真を見せてやった。
大家が設置した門松の横で葵がピースサインをしていて、背後の建物の錆びた看板には『雛罌粟荘』の文字。
「ホンットだ!!!え、ココすんでんの?」
新田が驚くのも無理はない。
「築50年ボロアパートだ。廊下なんか球体置いたら転がるぞ」
自分の住んでいるアパートの惨状など話す機会そうそう無いので熱が入る。
「なんだそれ超見てぇ!!!」
「酷いのはそれだけじゃないぞ。ベランダは洗濯竿が床貫通してるからな」
「どういう状況だよ?!」
「竿から手滑らせたら床に刺さったんだよ」
新田は脇腹を叩いて笑っている。
「危なくね?直そーぜ」
「なんか触るだけで壊れそうだしな」
「お前馬鹿力だもんな。せめて竿は抜こうぜ」
「無理だ。絶対ベランダごと抜く自信がある。」
「絶対大丈夫だって!イヤ待てよ?いっそ綺麗にしてから新しくつけたほうが早くね?貫通した時点でもう敷金もクソもないし」
「面倒……」
「リフォームするなら手伝ってやっから!」
次の言葉を発そうとしたときに、新田さーんとスタッフが新田を呼びに来た。
「ヤバッ!またな」
新田がじゃあなと手を上げる。
「おー」
新田につられてヒョイと手を上げた。
数拍後我にかえる。
手元に残ったのはヒナゲシと書いた紙のみで新田は風の如く消えていた。
人の家のベランダを直してくれるとは意外と良いやつなのかもしれない。
山下は少しだけ新田に対して認識を改めた。
昼前、収録終わり。
普段着に戻った桜はたったっと山下に向かってかけて来た。
にこやかにこちらに手を振っているが、目の前まで来た時に顔をしかめた。
「おい、山下」
その口調を聞いて山下は目の前の桜が客室での桜でないことを悟った。
桜の姿を借りた幸はどうも桜が無理して行儀悪く喋っているように見える。
「出たな。……また戻った」
「なんだと?!」
山下は不平を漏らしつつも、扱いやすい幸に少し安堵していた。
プライベートならいざ知らず、仕事の場面では必要以上にベタベタしない幸ぐらいの距離感がちょうどイイのだ。
山下は周りにこのおかしな口調の桜を見る人物がいないかどうか確認した。
「また戻ったと言ったな?山下」
「ん?」
「気づかぬなら良いのじゃ」
幸は面白くなさそうにフンと鼻を鳴らした。
前言撤回。
幸は桜と同じで、大切なことは口に出さずに察しろと言うあたり大変扱いにくい。
別人格になってもそれは変わらないらしい。
「山下。私を与平のもとへ連れて行け!」
また何か言い始めた。
「連れて行けったってどこに行けばいいんだ?」
「そんなこと自分で考えろ!」
桜と街を歩く時も山下が行き先を決めることが多いのだが、同じことをしても催促のされ方次第でこんなにも差がつくのかと思い知る。
しばらく思いを巡らせて、幸が行き先を限定しなかったことは好都合だと山下は思った。
幸には秘密裏に、この近くの寛善寺に事務所の所長である中津を呼び寄せておいたのだ。
「わかった。じゃあ近くに庭が有名な寺があるから、そこに連れて行ってやる」
「ほう!与平はそこにいるのか?」
「……多分?」
「なんと頼りない!……まぁよい。なんとしても探し出すのじゃぞ」
「はいはい」
与平に会うと呼び出せば幸も付いてくるはずだし、所長と幸が接触することさえできれば、打開策を思いつくだろう。
その時丁度中津から連絡が入った。
もうそろそろ着いた頃だろう。
スマホを取り出し確認してみると、一言目が『飯行ってくる』だった。
なんと呑気に店の行列が長すぎるなどとのたまっていた。
『こりゃ食べられるのは昼過ぎだなwww』
『テキトーに時間潰してくれ!』
とのこと。
山下は怒りに任せて電話を入れようとしたが、幸がなんじゃ?と画面を覗こうとしたのでそれは未遂に終わった。
「まぁいい。行くぞ。」
「うん!」
桜は笑うと山下の手に自らの指を絡めるようにして、しっかりと手をつないだ。
「おい……!」
思わず山下は手を振り払いそうになったが、誰も見ていないか確認するだけにとどめた。
桜は山下がなぜそんなことをするのか分からないというように首を傾げた。
誰もこちらを見ている人がいないので、山下はホッと息をつき、荷物を持ってやるという口実を使い腕を組めないように桜を拒み、逃げるように現場を後にした。
桜は気を悪くするかと思えば、『ありがと山ちゃん』と言いながらご機嫌であとに続く。
山下は違和感をぬぐえないまま、中津早く来いと強く念じた。




