32.池の水探索
優太と愛希はエリアの文化財に指定されている旧家、浅見邸に来ていた。
左都の繁華街で三手に別れた中の最も出発地に近い場所にあり、徒歩で約15分かかる。
約150年前に建てられたこの建物は、当時西洋から入った新しい素材であったレンガや石に加え、この国の伝統の木材建築が融合した独特の様式で造られていた。
愛希は入口と地図を交互に見て、確認が済むと優太に行きましょと目で合図した。
門から建物までは20メートル程あり、手入れの行き届いた植え込みの緑が冬にも関わらず鮮やかである。
建物までのアプローチは日本風というよりも洋風だ。
建物の外観を眺めながら、開け放たれたままの扉から中に入った。
そこにはビジュアルバンド風のアルバイトが待っていて、暇そうに宙を眺めていたが、二人の姿を見つけると、口元に笑みを浮かべた。
「ようこそ!入場料、学生は300円でーす!」
言われた通り入場料を払い、引き換えに建物の外観の写真がついたチケットを手渡され、中にあがった。
外観は和洋折衷であったが、中には日本風よりも洋風の家具が入れられているように思われる。
西洋化が始まった頃の部屋をそのまま残して展示しているようで、靴も脱いで上がる必要がなかった。
歴史に関わらず実技科目以外全て苦手科目の優太は真面目な歴史資料に興味を持てるか不安だったが、珍しい物も多く意外に楽しめた。
楽しく感じるのは珍しい資料のおかげだけではない。
優太は少し前を歩く愛希のポニーテールを眺めていた。
飾りっ気のない茶色のヘアゴムで結われていて、髪が滝のようにストンと首の後ろまで流れている。
愛希は生まれつき髪の色が少しだけ明るい。
校則で髪染めが禁止されているわけではないのだが、真面目な彼女は髪を染めることはなく、優しい風合いの髪色のままでいる。
この建物には中にある備品とこの建物に住んでいたと言う浅見家の歴史などがパネルで記されていて、愛希は熱心に文字を追っていた。
そのため優太がじっと見ていることを気にも止めなかった。
優太は愛希の横顔を眺め、どんな場所でも一緒にいる人次第でいくらでも素敵スポットになりうるとしみじみ思う。
これはデートなのではないか……?
優太は心の中でガッツポーズを取り、ここにいない樹、葵、和馬、永久にありがとうと念を送った。
三手に分かれると言った時には、てっきり葵と愛希が一緒になるのかと思っていたが、葵が樹と行くことになったので、愛希と一緒に回るチャンスが巡ってきた。
すかさず立候補したら、残りの二人はアッサリ譲ってくれた。
ありがとう友よ!
和馬はともかく、永久は遠くに行くのムチャクチャ嫌そうだったな……!
後でお礼はするから!
「優太」
出入り口にいる男の気配も感じなくなった頃、静かに行動していた愛希が口を開いた。
「ハイ、なんでしょう?」
完全に余所事を考えていた優太は悟られないように姿勢を正したが、愛希はそんな事気に留めないぐらいに上機嫌で、得意そうな顔をしていた。
分かりやすくて非常に可愛いと思う。
「ねぇ、コレ……!池の水に関係あると思わない?」
池の水。
舞い上がっててすっかり忘れそうだった。
優太は愛希の見ていたキャプションを覗き込んだ。
それは浅見家の年表で、愛希は年表の最後に近いところを指差しながら話した。
「ここ。この年。この家の一人娘、幸代さん使用人の男と駆け落ちしてるわ」
「ホントだ」
『幸』という名前も、良家のお嬢様と使用人という立場も多くの共通点が見られる。
「で、そのあと二人はどうなったんだ?」
二人して年表の端まで目を通したが、二人がどうなったかは書かれていなかった。
「そりゃそうよね。駆け落ちして家から離れたのよね。これは浅見家の年表だもの」
愛希は口では残念そうに言ったが、愉快そうに次行きましょうと促した。
前を歩く愛希の足取りはいつもより早い気がした。
「愛希楽しそうじゃん」
「だって、謎解き系のゲーム好きだもの。自分で情報集めるのソレっぽいでしょ?」
ついでに言うとロマンス系とか、アンティーク雑貨とか好きだよな。
愛希は学校では男前キャラで通っているが、意外と可愛いものが好きだ。
指摘するとそう?と首を傾げるだろうけれども。
愛希が応接間にある年季の入ったガラスランプを笑みを浮かべながら見ている姿を見て、優太はここはアタリだったなと噛み締めた。
二人は真紅の絨毯が敷かれた階段を通り二階へ上がった。
「そういえばさ、樹のお爺さんちもこんな感じの建物なんだよ」
「行ったことあるの?」
「そ、たまたま仕事で行ったら樹がいてさ。部屋もいっぱいあって城みたいだった」
「私も見たかった」
何気ない会話もポイぞ。
とてもデートっぽい。
優太が笑みを噛み殺しながら行き着いたのは、浅見家の一人娘だったという幸代の部屋だった。
「可愛い」
愛希は素直な感想を述べた。
建物の雰囲気に合わせられた木製の家具は長い年月が経ち飴色の光沢を放っていた。
それだけならば渋いとか高級そうという印象だが、女性的な小花柄の小物が置かれていて、全体として可愛らしい印象になっている。
本棚は手を触れることを禁じられていたが、中には当時の雑誌や本などがそのまま並べられていた。
本棚の中で一番よく見える雑誌の年号は今から七十年近く前だ。
ということはこの部屋の主もそれくらい昔の人。
優太が顔を上げて部屋を見渡すと、愛希はベットの横に佇んでいた。
優太が横に立ったタイミングで愛希はベットの上に置いてあるキャプションを読み上げた。
「『ベットからは将来伴侶となる男の姿が見えたのでした』」
優太は腰を落としてベッド越しに窓の外を眺めた。
「ここ二階だしなぁ」
優太のいる角度からは庭に植えられている松の木の頭が少し見えるだけだった。
幸代はベッドの上から身を乗り出して庭にいる誰かと会っていたのかもしれない。
「幸代さんご病気だったのかしら?」
愛希の視線の先にはベットの横にある小さな猫足テーブルだった。
その上にはレトロな陶製の水指と色あせた紙袋、錆びついたオブラート缶、薬さじ、薬包紙が置いてあり、優太は理科実験をボンヤリ思い出した。
そういえばこの時代にはギラギラ光るアルミに包まれた、異様に潔癖な感じのする錠剤やカプセルはまだ登場していない筈だ。
薬さじや薬包紙と言うからには、本当に薬を飲むためにあるのだろう。
幸代という人物に気を配っていなければ見落としてしまいそうな慎ましい展示だった。
池の水伝説の最後に、お幸は足のつく池で溺れ死ぬという結末だったが、幸代は別の結末を迎えたのかもしれない。
もしかすると、恋人だったという使用人がここに来た時に、病気だった幸代はもう……
嫌な想像だが足のつく池で溺れ死ぬよりももっと現実的な気がした。
怖い方の池の水伝説では、約束を破った与平を恨み、お幸は化けて出るようになった。
もし幸代がそれに準ずる最期を迎えたとすると、幸代も同じように、恋人だった使用人を恨みながら亡くなっていったのかもしれない。
怖い方の池の水伝説では与平もお幸に、会いたいと思っていたが、亡くなっている。
しかもお幸の後を追うような形で。
これももし本当だったら救いようのないバッドエンドだ。
「幸代さん、駆け落ちしたんじゃなかったの……?」
愛希は優太に意見を求めるようにチラリと見た。
「さぁ……?」
優太は頼りなく首を傾げるしかできなかった。
愛希は別にグッドエンディングにこだわっている訳でもないし、慰めを求めている訳でもないのは分かっているからだ。
ただ悲しくとも真実を知りたいのだ。
「次のところ行けば分かるかしら?」
愛希は独り言のように呟いて踵を返した。
愛希はただでさえキリっとして見える顔をさらに凛々しくさせていた。
さっきまでのデート感は消え失せ、女刑事と部下という雰囲気で優太は愛希の後に続いた。
それからも愛希は、凛々しい表情で手がかりを探したが、浅見家にそれらしいものは見当たらない。
優太はそんな愛希を眺めながら、キャプションを斜め読みした。
まずい。
ちょっと好きな子と一緒に行く感じの場所ではなかったか?
最後の部屋を見終わっても、結果は振るわなかった。
幸代の情報も使用人の男の情報も見当たらず、結局、幸代の部屋で見たものを無理やり池の水とつなげればギリギリそう見えなくもないという微妙な収穫だった。
「ありがとうございましたー」
入館料を払った男に見送られ、二人は浅見家を後にし、通りに出ると愛希は印のつけられたパンフレットを再び広げた。
「次に行く場所、どんなとこかしら?」
次に行くことになっている安生寺まではネットに頼る必要はないぐらい単調な道のりだった。
目印となる大手コンビニチェーン店で左に曲がり、見えてきた坂を真っ直ぐに上がる。
するともうこの通りにあるようだった。
「ねぇ、優太」
傾斜が強めの坂道を上がりながら愛希が呼びかけた。
「手の傷まだ残ってる?」
「なぜ唐突に?」
質問に質問で返すと、愛希はスタスタと前を歩いていたが一瞬立ち止まり優太の横にきた。
近い距離で顔を覗かれると、話の内容が飛びそうになるぐらいに胸が高鳴った。
「昨日見たって情報を得たからよ。まだあるの?」
愛希は手の平を垂直になぞってみせた。
それは自分の手相と同じ形をしている。
「あるわけないじゃん!何年前の話よ?!」
優太は高らかに笑い飛ばして、ジャケットに突っ込んであった手を出してヒラヒラと振ってみせた。
その後、寒っと呟いて再び元に戻した。
短いとはいえシッカリ見せたのだから、愛希は不服そうに、ならいいけどと返事した。
愛希がまた一歩先を歩き始めて、残念と思うと同時に肩をなでおろした。
愛希は小さい時に遊んで出来た傷の事をまだ気にしているようだった。
小川で遊んでいた時、愛希の乗ったボートが岸から離れてしまい、優太はとっさにボートから伸びる綱を掴んだ。
想像以上に水の力は強くって引きずられたし、綱は柔らかい手の平に食い込んだが、絶対に綱は離さなかった。
離したら愛希が死ぬとその時は本気で思ったし、愛希がいなくなることが一番怖かった。
二人で必死に叫び続けて大人が助けに来て、ようやく愛希が引っ張り上げられて事なきを得た。
直後はよく頑張ったと父親達に褒められたが、その後二人揃ってド叱られたのは言うまでもない。
傷なんてとっくに塞がったが、手の平に痕は手相として残っていた。
気にするような痕ではないが、愛希には手は見せられなかった。
再び優太の前を歩き始めた愛希に見えないように、ポケットからそっと手を引き出した。
特徴的な手相よりもさらに見られたくない傷が指先に無数に出来ていた。
硬くなった皮膚が何度も割れて分厚くなっていて中指が再びパックリと割れそうになっている。
これはギターの弦を押さえた時に出来る傷だった。
自己流だからなのか、こまめに保湿しないズボラな性格せいか、夜な夜な違法電波で自作曲を発信するようになってからはずっと治らない。
ギターを弾いていることは家族にも言っていないので、不審に思われる可能性があった。
昨日、同級生達の綺麗な手の平を見比べた時に、自分の手の先がとても特徴的なものになっていると気がつき、隠した方がいいと感じたのだ。
愛希が覆面シンガーがカッコいいと言ったのではじめたことだったが、いつのまに打ち明けるのには大き過ぎる秘密になってしまっていた。
きっと打ち明けたところで簡単に信じてもらえないだろう。
ついさっき使った口実が現実のものになったので、優太はポケットに手を突っ込み、少しだけ空いた愛希との距離を詰めて歩いた。
坂道を登る間会話は特になかったが、手持ち無沙汰にスマホを弄ったり、ネットで安生寺の前情報を掴んでおくなんてこともしなかった。
前情報はなんとなくプラスに働かないような気がしていたし、持っていたところで行くより他ないのだから。
案の定というべきか、次に指定された安生寺は観光地とはかけ離れた印象の場所だった。
字面から安産祈願などほっこりとした雰囲気が漂っても良さそうな場所にもかかわらず、そこは新しい生命の気配など微塵も感じさせない場所である。
愛希が立ち止まらなければそこが目的地だと気がつかなかったし、立ち止まった愛希自身もそこがその場所だと半信半疑のようだった。
ここまでに歩いてきた道中も感じていたことだが、だんだんと人のいない方へ進んでいくし、静かな場所になっていく。
道中で新しい住宅を見かけたり、買い物に出かける老婦人とすれ違ったりしなければ、怪しい場所と認定して引き返すところだった。
お寺は無人のようで、入場料を取るところもなければ、人の気配もなかった。
さらに左手に見える低い塀の向こうは墓地のようで、シーンと聞こえてきそうな程の静けさである。
墓地の方が傾斜に沿って高い場所にあることで、墓石に見下ろされているような気分になる。
「ここでいいの?」
「場所も名前もここで合ってるけど……」
この場所に立つ優太と愛希は明らかに部外者だった。
寺の柱に書かれている『安生寺』なのでかろうじてここが目的の場所だとわかる。
この場所は横手の墓地の持ち主ものではないかと思えてきた。
だとしたらこの寺とこの場所自体誰かの私有地なのだろう。
私有地に足を踏み入れるのもいただけないが、さらにそれが墓地である場合、面白半分で立ち寄っていい場所ではない。
居心地の悪さから優太は一刻も早く立ち去りたい気分だった。
「入っていい場所なのかしら?」
愛希も優太同様居心地の悪さを感じているようだった。
愛希が不安そうに呟いた時に、建物の中心に小さな賽銭箱が付いていることに気がついた。
「お賽銭だけ入れて戻ろ」
「そうね」
なにもせずに帰ったら却って悪いような気がしたので、丁度いいだろう。
ただの冷やかしと一線を置くために、お参りだけして帰ることにした。
財布の中から小銭を出すため荷物に腕を突っ込み探りながら、優太はチラリと墓地に目をやった。
「もしかして、幸か与平か。幸代さんの墓があったりする?」
「可能性はあるけど、確証もないのに足を踏み入れるべきじゃないわ」
「ですよね」
一個一個墓石を確認せずすみそうで優太はホッと息をついた。
荷物の整理が出来ている愛希は、すでにお賽銭を手に持っていた。
優太はカバンの中に適当に入れた財布が見つからず、カバンを下ろして中を覗き込んだ時、ねぇ。と後ろから声をかけられた。
咎めるような鋭い声に悪い事もしていないのに縮みあがる。
慌てて振り返るとそこにはこの場所に似つかわしくない若い女性が立っていた。
似つかわしくないと思ったのは、短い眉が特徴的な華やかなメイクのせいだ。
そしてその化粧の仕方はつい最近見たことがあるような気がした。
「ごめんね驚かせて!この時間に人がいるの珍しからさ」
若い女性は振り返った優太達が年下と分かるやいなやフランクに対応した。
「何しにここへ?この時間帯だし肝試し?ではないか……観光できるような場所ではないと思うんだけど」
口調と表情こそ穏やかだが、冷やかしなら立ち去れという気迫がヒシヒシと伝わってくる。
優太はブンブンと首を振った。
「いえいえ!違います!ここは何をする場所なんですか?!」
なにをしにきたとたずねる彼女に、何をすればいいんだとたずねたので、彼女は首を傾げて訝しそうに眉をひそめる。
しどろもどろになっている優太に代わり愛希は簡潔にここへ来た目的理由を述べた。
「私達、池の水を探していて、廉造さんという人に言われてここに来たんです。」
『廉造』と名前を聞いて女性の顔から険が消えた。
「ナルホドね。こんなところに来させるの廉造さんぐらいだしね。とすると、他には資料館とかに行かされることになってるでしょ?」
「そうです!!!」
優太が目を輝かせると、彼女はなーんだと拍子抜けしたように呟いた。
「賽銭箱の前でゴソゴソしてるから賽銭泥棒かと思ったよ!話しかけてもいなくならないから変だと思った。ココ、こんな場所だけど結構入ってるんだよ?」
この賽銭箱の中身を知る彼女はここの人なのか否か。
ニヒルに笑う彼女に対してどう反応していいか分からず、優太は曖昧に笑い返した。
彼女は自らを蘭子と名乗り、二人から名前を聞き出すと、それぞれ優太君、愛希ちゃんと呼び、寺の背後に招いた。
「教えてあげる。ココで昔何があったのか。なんで池の水は飲めなくなったか。」
思わぬ収穫に愛希と優太は目を見合わせて、蘭子の背中を追った。
二人はそうして池の水の歴史を知ることになった。
それが遠い昔のことではなく、割と最近の出来事で、目の前の彼女も当事者であることも。




