31.脚本家の憂鬱2
旅館に缶詰になり一晩明けてしまった。
魔の五分間の方向性は決まったものの、どのようにしてハッピーエンドに持ち込むかが決まらない。
脚本家の尾崎は今日撮影現場の見学に来ていた。
撮影現場はエリア2を二分する山脈の麓にある古い旅館だ。
この周辺はエリア2の他の場所と比べ目立つ観光名所が少ないがこの国の四季が色濃く感じられる、通好みの場所である。
この撮影のために建物全体を貸し切っていて、客間は役者の控室として使われている。
その中庭にある池を伝説の中の池の水として撮影を行っている他、広い縁側を持つ外観を部分的に使う事になっていた。
早朝の寒空を背景として撮影を行うため、朝から錚々《そうそう》たる顔ぶれが集まった。
まず主役の汗水刑事を演じる俳優、更に幸の父親を演じる大御所俳優、与平を演じる若手俳優、幸を演じる人気モデル。
時代に合わせた着物が必要なお陰で、制作に関わるスタッフも多いように思われた。
陰でひっそりしていた方が性に合うのだが、大御所がいるところでコソコソ隠れているわけにもいかず監督の横に従者のようについて回り、役者や関係者と言葉を交わした。
人との会話中にぼうっとする癖があるため、一言一言聞き漏らさないよう神経を使い、朝からどっと疲れた。
尾崎には話しておきたい人物がいたため、監督と別れた後も、いつも丸めている猫背を伸ばしその人物を探した。
演者には控え室代わりにロケ地の旅館の一室が割り当てられていた。
その近くをうろついていれば会えるだろうかと思っていると、想定通りの人物に出くわした。
その人物は折りたたんだ紙を手に、辺りをキョロキョロ見回していたが、尾崎を見つけると見えない尻尾をブンブンと振りながら近づいてきた。
「尾崎先輩お久しぶりっす!」
ぶんぶんと腕を振り回しながら現れたのは今を時めく若手俳優、新田慎吾だった。
彼は有名になった後でも態度を変えず、尾崎を先輩先輩と呼び慕ってくれる。
新田慎吾は大学の演劇サークルの後輩で、尾崎はその時から劇の脚本を書いていた。
「久しぶり、大学卒業以来だね。見たよ月9。宣言通りでみんなびっくりしてたよ」
「有言実行は俺のモットーですから!先輩こそ脚本家じゃないっすか!」
新田はニヤリと笑い肘で突いてきた。
新田はサークルに入会してきたときから『いつか月9で主役張る』と公言して、その僅か3年後、宣言通りに月9の主役の座を手に入れた。
入会当初は彼のいじられやすいキャラもあってか鼻で笑う者がほとんどだったが、彼を笑う者は今一人もいない。
尾崎は新田のように宣言していたわけではないが、サークル内で書いていた脚本を活かせる職につけた。
「ヨウコ先輩は元気っすか?」
「ハハ……卒業して少ししてから別れたよ」
「え?!マジっすか?!」
新田は目を丸くさせて口を押えた。
『ヨウコ先輩』は新田の先輩で、尾崎の同級生。
同じ演劇サークルのメンバーで、尾崎の大学での恋人だった。
大学での、というけどそれ以外に恋人がいたためしはない。
彼女と別れたのは大学を卒業した後なので、新田が知らなくても無理はないことだ。
「絶対結婚すると思ってた……」
「僕もそう思ってたよ。」
尾崎は苦笑いで誤魔化した。
彼女とは久しぶりにあった仲間に開口二言目ぐらいに様子を尋ねられるぐらいに親しい関係だった。
「今は何してんですかね?」
「さぁ、今はどこで何してるかもわからないよ」
明るく面倒見のいい彼女は演劇サークルみんなのアネキ的存在だった。
そんな彼女の行方を知りたがる後輩は後を絶たない。
新田以外にも、彼女の連絡先を教えてほしいという問い合わせが何件か来たが、ご希望には添えなかった。
きっと彼女の事だからどこにいても、誰かの世話を焼きながら明るく過ごしている事だろう。
久しぶりに後輩に会ったのにしんみりする必要もないと思い、尾崎はそそくさと話題を変えることにした。
「新田君、今忙しい?なんか探してたっぽいけど?」
演技に集中するため忙しいのかと思いきやそうでもないようで、新田はグフフと悪い顔をしてほくそ笑んだ。
そしてガバリと持っていた紙を広げて見せてきた。
そこにはやたら画数の多い漢字が3つ並べられていた。
「先輩、読めますか?」
新田の表情に鬼気迫るものを感じて、言われた通り読んでみた。
「ヒナ……カン?アワ……?」
すると新田はニンマリと笑みを浮かべた。
「そうっすよね?!そうですよね!!!」
「うん……?」
新田はよっしゃ!と喝を入れるように声をあげると、紙を畳んでポケットにしまい込んだ。
「何か良いことあった?」
やけに嬉しそうなので聞いて見ると、新田は表情再び悪い顔になった。
「ライバルに勝てる必勝法を思いついたんっすよ!」
「それが今の漢字?」
「そう。体力で負けるんなら頭で勝負。これで連敗に終止符を打ちます。これは俺がクイズ番組で唯一読めなかった漢字なんです……!」
常用漢字ではないだろうし、読めたところで何ら得な事はないだろうに……
「で。相手が読めたら新田君の負け、読めなかったら新田君の勝ちってことか……」
「そうです!」
新田は勝ち誇ったように鼻の穴を膨らませた。
尾崎は得意そうな新田に対して、率直に意見した。
「んー。それじゃフェアじゃないよ」
「え?!というと……?」
「新田君は絶対に読めないであろうものを提示してるんでしょ?初見では新田君も読めなかった。それを相手が読めなかったら勝ちってするのはちょっとね。僕だったら相手が読めたら新田君の負け、読めなかったら引き分け。相手にも出題してもらってそれを新田君が読めた時にだけ勝利ってことにするよ」
「さ、さすが先輩……!参考にさせてもらいます!」
新田は尊敬の眼差しで尾崎を見ている。
「いや、大したことじゃ……というか相変わらずだね。勝手に勝負始めるの」
やめた方がいいよなどとは言わない。
なぜなら彼のこの精神こそがスターダムには欠かせないモノだから。
「相変わらずは先輩もですよ。そんな風に助言してくれるの先輩ぐらいっすもん」
確かに。
他のサークルメンバーはふーん頑張って!で済ませていたような気がする。
真面目に相手にしたのは尾崎ぐらいだった。
意味がないと思いながらも、真面目に付き合う尾崎も似たような価値観を持っているのかもしれない。
「ところでそれを誰に?」
先程キョロキョロしていたところを見ると近くにその人物がいるようだ。
相手はまさか大御所の汗水刑事か?だとしたら流石に止めようと思ったが新田は意外な人物の名を口にした。
「安藤姫乃のマネージャー、山下です。ヤツは姫乃ちゃんを送り届けるため、今日もここにいる筈です!」
てっきり同じ役者陣かと思っていたので、へぇと相槌を打った。
学生の頃の新田が勝負を挑むのは決まって同じ土俵に立つものだったので、今回もそうかと思ったがどうやら違うようだ。
「何でまたその人と争ってるの?」
新田は周りに誰もいないか確認し、声を潜めて耳うちするように言った。
「先輩!タレントとマネージャーが付き合うのってありだと思いますか?!」
「事務所によりけりじゃない?」
尾崎の答えが新田の予想とは違った様で新田は肩を落とした。
恋愛は個人の自由で他人がとやかく言うものではない。
しかし、恋愛の事実が著しく芸能活動に影響する場合は制限を設けられることがある。
安藤姫乃の肩書きはモデルだが、活動はそれだけに止まらないし、男性と付き合っていることがマイナスにもなり得る。
新田が声を潜めてたのも、周りに聞こえないよう配慮してのことだろう。
待てよ?
ということは新田のライバルであるマネージャーは安藤姫乃と恋仲なはずだ。
世間に隠すべき関係はまさに現在の与平とお幸ではないか!
思わぬ収穫だ。
新田には悪いが尾崎が見たいのは人気若手俳優と人気モデルの恋愛ではなく、立場の違う二人の恋愛なのだ。
タレントとマネージャーの関係は多種多様でひょっとすると尾崎が期待するような与平とお幸のモデルにできる可能性がある。
新田が勝負を挑んだ理由が今わかった。
同じ女性を好きという共通点からのようで、勝負により優劣をつけようとしているようだ。
「セーンパイ!!!まぁた意識飛んでませんか?」
「あぁ、うん。」
「相変わらずですね。止めないと何時間でもボーとしてましたもんね」
「おかげで今脚本家なんて名乗れるんだよ」
確かにこうしてボーとして頭の中だけ騒がしくしている時間は年々増えている。
今は誰も止めてくれないから。
『トォル』
思い出すのは彼女の笑い混じりの声。
新田の勝負に関心を持っていたのが尾崎だけだったように、尾崎のボーっとしているように見える考えごとに付き合ってくれたのはヨウコだけだった。
遠い昔に名前を呼ばれたことを思い出して鼻白んでいると、新田の呆れ顔がまた何か言いそうだったので慌てて表情を引き締めた。
「で、その人に勝負をするわけか。勝てるといいね」
新田は力強く頷いた。
もう勝負は見えているだろうけど。
結果は最終的に新田の粘り勝ちになるだろう。
漢字バトルにせよなんにせよ、新田はその道のプロになるまで続けるだろうから。
勝負した相手が妬みを通り越して、尊敬、そして呆れに変わるまで。
新田はその人が得意とする分野で勝負を挑むことが多く、その人を追い抜いて行くが、誰よりも真摯に取り組むため勝負を挑んだ相手とも禍根を残さない。
尾崎が新田に勝負を挑まれた時は自らが得意とするオセロだった。
新田に始めて負けた時は確かに悔しかったが、新田が夜な夜なオセロの攻略本を熟読していたのは知っていたので、負けても仕方がないなと思ったのだ。
その次はルービックキューブだったがこれも同じ。
その内相手にできなくなって、新田は新たな目標を見つけ同じように挑んだ。
結果新田は雲の上の存在になった。
それからはただの見物人として新田と関わっている。
「これで奴とは61戦目……今度こそは勝つ……」
「61かぁ……それで全敗なのか」
「なぜか勝てないんですよねぇ!」
新田はそう言いつつも折れてはいなかった。
本人は気がついていないが、新田は勝負に勝った時よりも挑んでいる時の方が活き活きしている。
おそらく新田にとってここまで相手になる人物は今までいなかったはずだ。
「良かったじゃない。対等に渡り会える人が見つかって」
「60回負けてどこが対等ですか?!」
「新田君勝つまで続けるし、その持久戦についてこれるってだけで尊敬に値するよ。僕がその人なら途中で手抜いてわざと負けるね。負けるまで終わらないゲームしてる方も勝つまで終わらないゲームしてるのも表裏一体。同レベルだと思うけどね」
新田はしばしポカンとしていて、その間に尾崎はまたよくわからない持論で人を困らせてしまったなと反省する。
今の話忘れていいよと言う前に、新田の目が輝きだした。
「相手にしてるってことは同レベル……!俺が何度負けようが同レベル……!」
「うん……?」
「流石先輩!ありがとうございます!」
「いやぁ、別に感謝されるほどのことは……」
新田は鼻息を荒くして拳を握った。
「ヨシ。では、同レベルでいるためにまた仕掛けてきます!」
「同行させてもらうよ」
勝負の様子が気になるのも勿論だが、今後の池の水の展開の参考になればと言う思惑もあった。
「見ててもつまんないと思いますよ?」
「影から見るだけだから!」
「どうせなら堂々見てくださいよ」
新田に連れられ安藤姫乃に割り振られている控え室にやってきた。
新田が勇んで戸を叩こうとした瞬間、中からの声が聞こえた。
「おい、誰か来るぞ?」
「いいもん。」
中のお二人は本当に誰か来たことに気づいていないようだ。
「こんなとこで止めろよ、誰か来るぞ?」
「ふふふ……」
まんざらでもなさそうな男性の声はおそらく山下のもので、聞くだけでくすぐったいような女性の声は間違いなく安藤姫乃のものだ。
悪いと思いつつ悪癖でチラリと新田を盗み見た。
まさにイナズマに貫かれたような顔をしていた。
その表情を見たところで何か創作の糧となるような閃きは降ってこなかった。
さっきは同レベルだよ。と言ったが一人の女性を奪い合う試合において、これは明らかに同レベルとは言い難かった。
「新田君。漢の勝負に水を差しちゃ悪いから僕は帰るね」
尾崎は新田の返事を待たずにそそくさと退散した。
新田は尾崎が退場したことも気が付かぬほど、戸の向こうに意識が飛んでいた。
尾崎は一連の出来事と距離を置きホッと息をついた。
他人の恋愛にどうこう言うつもりはないのだが……
なんか思ってたのと違う。
意外と安藤姫乃とそのマネージャーの間に障壁的なものが見いだせなかったのである。
あの二人の間に世間の目などというものは無いようで、どこまでも二人だけの世界を貫いているように見えた。
まぁ、世間の目なんてものは尾崎含めた外野が勝手に騒ぎ立てているだけで、二人にはなんら関係の無いものなのだけれども。
誰もがあの二人のようになれるわけではない。
尾崎はその度胸を発揮すべき時に発揮できなかったために、現在は一人である。
自身の行いを正当化するつもりはないが、二人の関係はモデルにするにはあまりに清々し過ぎる。
そういえば昨日の、幸子と浮世そして青年はどうなったのだろう?
今朝の松の湯屋はもう一週間近く滞在しているが、いつもと変わった様子もなく、青年が働いている厨房から出て来た料理は相変わらず美味しかった。
幸子の母親である若女将の笑顔も晴れやかだ。
とても娘が怪しい男と朝帰りした様子はなかった。
いつもと違ったのは宿の近くの駐車場で設備が壊されていたことが少し話題になっていたことぐらいだ。
このご時世、行方不明者がいれば監視システムを利用すれば簡単にその人物を見つけられるので、おそらく幸子と浮世は捜索届けを出される前に直ぐに戻ってきたのだろう。
幸子は青年とあのあと会うことができたのだろうか?
二人が自分と同じ道を辿っていないことを願いながら、そしてその結末を運良く見届けられるよう祈りながら、尾崎はネタ収集のためロケ地を後にした。




