28.幸
時間は少し遡り、早朝。
松の湯屋から山の裾にあるロケ地へ向かう途中。
サービスエリアの駐車場にて。
「うむうむ!旨いなコレ!」
幸は買い与えた蒸し鶏温サラダ青じそドレッシング添えを食べている。
それは桜が忙しい朝に決まって購入するコンビニ食だ。
やはり味覚は桜そのもの。
山下はカレーパンを咀嚼しながらその様子を運転席から眺めていた。
現在車はサービスエリアに駐車され、車内で朝食を取っている最中だ。
山下は食事を終えると事務所から支給されたカメラを構えた。
「おーい。コッチ」
そう声を掛けただけで、食べるのに使っていたフォークを顔の横に構えた。
視線はあえてこちらを向いていない。
すかさずシャッターを切って撮れた写真を確認する。
ポーズを考える時間は僅かにも関わらず完璧な写真映りだ。
「やっぱ安藤だろ?」
幸は咀嚼しているものを飲み込むとキッと睨みつけてきた。
「何度も言っておろうが!我が名は幸だ。無礼者」
「ドッキリシアターだろ?」
山下は最近桜を陥れたドッキリ番組の名前を口にしながら車内を見回した。
前回変わり種でいつもは仕掛け人の筈のマネージャーが逆に引っ掛けられる企画が思いの外反響があった。
二番煎じという可能性もある。
番組の名前が出れば企画終了のはずだが目の前の桜は依然として幸のままで顔色ひとつ変えない。
「ドッキリ?」
幸は首を傾げる。
「なんでドッキリはわからない設定なのに、車に乗ったらシートベルトとかはわかるんだ?」
山下は苛立ちを押し込めて、放送を意識した営業スマイルを貼り付けた。
幸は駐車場に着くなり数ある車の中から山下の車の横まで真っ直ぐ歩き、迷わず助手席に乗り込んだ。
ご丁寧にシートベルトまで付けた。
主張を信じて彼女が幸だと言うのなら、これらの行動は明らかにおかしい。
「何を言っておる!訳の分からんことを!」
山下は顔が疲れるので真顔に戻ると、ハンドルにつっ伏せた。
ドッキリの線が完全に絶たれて途方に暮れる。
冷静に考えれば一晩同じ部屋で過ごしたり、明け方襲いかかったり、テレビで放送出来るはずないので分かりそうな事だが、その可能性にすがりたくなるぐらい山下は追い詰められていた。
「そういえばお主。名はなんと言う?」
「知らずについてきてたのか……?山下圭だ」
山下は桜に対して約10年ぶりに自己紹介をして、うんざりした気分に陥る。
「ほお、山の下の圭とな!では山の下」
「力士見たいに呼ぶなよ」
「ではなんといえばよい?!」
「山ちゃん……?」
「山ちゃん」
桜が舞い戻ってきたかのような錯覚を起こす。
「ほう、いつも桜にそう呼ばせておるな?」
幸はニヤニヤと冷やかすような笑みを浮かべた。
「呼ばせてるんじゃない。勝手にそう呼び始めたんだ」
桜が山下を『山ちゃん』と呼び始めたのは事務所の中津の影響だった。
はじめのうちは止めるように言っていたが、もう今では定着してしまい、弟の樹にまでそう呼ばれるようになった。
そう呼ばれないと逆に違和感を感じるようになっている。
幸はふーんと気の無い返事をした後、何か悪巧みを思いついたように口角をあげた。
「ケイ」
幸は挑発的に囁くように言う。
鼻にかかるような言い方で背筋がゾクリとする。
「やめろその言い方!」
状況反射で声をあげると幸はピクリと驚いたように肩を震わせた。
桜の姿で名前を呼ばれているのに、何故こんなに厭な感じがするのか。
あぁ、そうだ。
この呼び方、仁科に似てるからだ。
「いきなり怒鳴って悪かった」
幸はゴニョゴニョと口ごもってそっぽ向いた。
からかおうと思ったら相手が思いの外怒ったので、萎縮したようだ。
その姿を見て大人気ない行為を反省する。
なんと言って機嫌を取ろうか考えていたら幸がジッと目を見ていることに気がついた。
「山ちゃん」
あどけなさを残した甘い響きは桜が山下を呼ぶ時そのものだった。
「なんだよ」
「よろしい。家臣の役目しっかり果たすのだぞ」
「誰が家臣だ」
幸は大げさによろしいよろしい!と言いながらサラダを口に運び始めた。
気まずくなった時に空気を変えるのが上手いのも桜のようだった。
やはり幸と桜は全くの別人物という訳では無いように思う。
山下は先程撮った写真を安藤姫乃の公式サイトに投稿した。
投稿したそばからコメントやヨイネ!ボタンが押され始めた。
増えていく数字を眺めていると急に画面が切り替わり樹の名前が表示された。
これは着信がきたことを知らせる合図である。
時刻は6時。
電話をかけるには早すぎる時間と言える。
一体なんの用事だろう。
幸にチラリと目をやったがサラダを食べることに夢中だった。
山下が車を降りても無反応だった。
通話ボタンを押し耳もとに運ぶ。
「もしもし?」
「あぁよかった山ちゃん?!」
いきなり雪崩かかるように話す樹に面食らう。
「ねぇ、アネキってそこいる?大丈夫?」
樹の言うアネキとは当然桜のことだ。
まさかこの状況をどうにかして知ってしまったのだろうか。
「今いる……」
観念して返事をしたが、予想に反して樹の声は弾んだ。
「良かったぁ!あのね!あのねっ!山ちゃん落ち着いて聞いてよ!」
お前が落ち着けと言う山下の言うことも聴かず樹は話し続けた。
「さっき、というか昨晩?三内丸山さん達に誘拐されかけたんだけど……」
あまりにもカジュアルに誘拐という言葉を使うので一瞬聞き違いのように思えた。
「大丈夫だったのかお前?」
誘拐されかけたのにも関わらず敬称まで付けているあたり緊張感がないし、樹のお人好しが滲み出ている。
「うん、まあ。皆と一緒だし。それで!なんでか俺とアネキが狙われてるらしいから、気を付けて!」
「わかった。わかったが樹。なんでそんなことに?」
「……なんか父さんが関係してるとか?山ちゃんの方がよく知ってると思ってた」
微妙に険のある台詞に口を噤んだ。
その気配を察した樹は言い訳するように話しだした。
「だって!アレから山ちゃん距離置いてくるから!なんも無いなら、帰ったらまた御飯食べに来てよ?」
「わかった約束する」
受話器の向こうで樹がよかったぁと漏らした。
「約束だよ。じゃあアネキをよろしくね」
「お前も気を付けろよ。絶対一人になるなよ?葵を警護につけろ」
樹はへへへ……と笑った。
「大丈夫だよ。人通り多いところ歩くし。……あ、それとね。」
「ん?」
「山ちゃん『池の水』ってどこにあるか知ってる?」
中津といい、樹といい、池の水伝説はそこまで有名な話なんだろうか?
桜の台本には目を通したので池の水伝説の内容は知っていたが、幸が身を投げたという池の水の場所については一切知らない。
「いいや、知らない。そもそも本当にあるのか?伝説なら知ってる。この辺の言い伝えだろ?」
「うん。それなんだけど。場所は知らないよね……アネキいるんだよね?ちょっと聞いてみてくれる?」
山下はチラリと車内の幸をみた。
「すまんが今準備中で代われないんだ」
山下は準備中は嘘では無いと言い聞かせて返事をした。
桜は周囲がひく程のブラコンだが、樹もかなりのシスコンだ。
今の桜の様子を知るのは樹を心配させるだけだし、桜を人格が変わるほど追い込んだと知れたら信用問題になる。
山下の思惑はいざ知らず、樹は受話器の向こうで息を呑んだ。
「あ!もう始まってた?!ゴメン!お仕事頑張ってね!……じゃあ、また」
樹の健気な様子に少し胸が傷んだが、こちらもじゃあ、また。と返事をして通話を切った。
通話を終えた後、屈託のない樹の言葉に安堵している自分に気づく。
自分から王野家と距離を置いていたのに、それが予想以上に自分の重みに感じていたようだった。
エリア11に帰ったら、また今まで通りに王野家に通おう。
肩の荷が一つ降りた思いで運転席に戻ると藍色の瞳がこちらを見ていた。
「遅かったな。また長からの伝令か?」
そうだった。
その前に片付けるべき問題があった。
「人の顔を見て無言でため息をつくでない!」
幸はを頰を膨らませて怒っている。
山下はハイハイと受け流した。
山下は幸が登場人物として出てくる池の水伝説について思いかえす。
「幸。お前の目的はなんだ?」
「決まっておろう!与平に会いに行くのじゃ!」
山下はその返答に眉をひそめた。
「与平に会ったらどうするつもりだ?もし危害を加えるようなら、現場じゃなくてこのまま病院に行くぞ」
「それはダメ!!!」
桜の面影が見えたのは一瞬のことで、すぐに幸に戻り、ツンとすました顔をしてみせた。
「なぜ恋人に会うだけで妨害を受けねばならぬのだ!」
桜の姿を借りているので、与平を想う姿に胸が騒ついた。
その与平は山下が敵対視している新田慎吾なので尚更だ。
まさか、新田を想う姿こそが桜の本心なのだろうか。
だとしたら、自分は二人の中を邪魔している事になる。
今朝の新田の小憎らしい顔を思い出し、ふと思うことがあった。
「幸、お前の言う与平って誰だ?」
「決まっておろうが……っ!……?」
幸は急に覇気を無くし、真顔になってしまった。
山下は新田慎吾で画像検索をかけ、出て来た宣材写真を幸に見せた。
「コイツか……?」
「知らぬ。誰じゃ?」
「今日の共演者だよ」
ホッと息をついてしまうところが、我ながら器が小さい。
自分が忘れ去られ、新田だけが忘れられていないのならば、二人は恋仲になる可能性があったが、どうやら違うようだ。
「与平、与平……?」
幸は眉間にしわを寄せ俯いている。
そしてこめかみを抑えて低く唸った。
「おい?大丈夫か?」
幸の蹲る背中をさすると手を払いのけられた。
「気安く触るでない!わらわは帝の娘であるぞ!」
山下は怒りを通り越して呆れた。
「それだけ元気なら平気か」
「なんたる無礼な言い草!無礼を詫びよ!」
「はいはい。すいませんでした」
幸は謝罪を引き出したが満足でないらしく、ギリギリと歯を鳴らした。
「なんという男!今回は足がないから側に置いてやるが、現地に着いたら下がっているがよい!」
「何勝手なこと言ってんだ?」
幸は山下の視線に怯んだが負けじと睨み返した。
「と、当然じゃ!家臣のくせにベタベタと!身の危険を感じるわ!」
「そう思うのは自由だが、付きまとうからな」
幸は強がってフンと鼻を鳴らしたが明らかに怯えていた。
付きまとうとは少し言葉が悪かった。
しかし三内丸山が動いているようなので一人にするわけにはいかない。
「行きたい場所には連れてってやるから、目の届かないところには行くな」
「……」
幸が勘ぐるように目を細めたので、付け加えるように宣言した。
「もうこれ以上は触れないし、近づかないと約束する」
「破ったら?」
「それはお前が決めろ」
幸は人差し指を顎に当てながら考える。
やはり幸は桜なのだとその仕草をみて思う。
やがて幸はニヤリと笑った。
「そこまで言うのなら信じてやろう」
「そりゃどーも」
山下の返事に幸は満足そうにして仰々しく腕を組んだ。
「中々の忠誠心じゃの山ちゃん!気に入ったぞ!でも勘違いするな!幸には与平という恋人がおるのじゃ」
「わかってる」
山下は口先で返事をしながら池の水伝説を思い出していた。
幸は与平と自身に起きる最期を知らないようだ。
それもその筈、最期を知ることができるのは二人が死んでから。
目の前の幸は与平と愛し合っていた頃の幸のなのだ。
新田慎吾がその愛し合っている与平でないとするならば、桜が目に入れても痛くないほど溺愛している人物がいる。
おそらく与平は樹のことではないか。
「与平と会ったらなっ!」
幸は桜の顔と体で自慢気にデートプランを話し始めた。
顔を赤らめながら話す姿は恋する乙女そのものだ。
普段樹を愛でるのとはまた違うベクトルのような気がする。
「山ちゃん聴いておるのか?」
「きいてる」
幸は一人聴衆ができたのを確認すると話を続けた。
「与平と会ったらな。今夜も帝に見つからぬよう、月を見に行くのじゃ。今宵は満月!でな、山ちゃん!」
幸は近づくなと言ったくせに身を寄せて内緒話をするように耳元で囁いた。
「今宵の月なんと飲めるのじゃ!」
「月が?」
山下が聞き返すと幸は得意げに頷いた。
「そう!鏡のような池の水は月を綺麗に映し出すのじゃ。それをこうすくってな!」
幸は手でお椀を作ってうっとりとしている。
「ほう。」
山下は相槌を打ちながら先ほどの樹の言っていた池の水を思い出した。
飲めるということは、幸の言う鏡のような池は実在するのだろう。
樹もおそらくその池を探している。
「あまり関心が無さそうだな」
山下の関心がそれた事を察して幸はむくれていた。
「で、それが与平と一緒に飲めたら成仏するのか?」
「成仏……?人を怨念のように扱いよって!」
「だってそうだろう。」
なんせ幸はその池で溺れ死んだのだから。
「そんな口聞いてもいいのか?桜に会いたくないのか?」
「どう言う意味だ?」
止せばいいのに、幸は虚勢を張って偉そうに踏ん反りかえった。
「そ、そんなに怖い顔をするな!今朝も見たろう?私が、と言うよりも私の体がお前の自害を止めたのを。それは私ではなく桜の仕業じゃ。今はこうして心の内に留めておるが、たまに無理に出てくるのじゃ」
「いよいよ悪霊じみてきたな……」
「なんだと?一生このままにしても良いのだぞ?」
幸の存在が桜の現実逃避的なものの結果ならば、幸が満足しない限り、桜には会えない。
山下は反論せず、言葉を飲み込んだ。
「せいぜい桜のために頑張るが良い!」
幸の高笑いが車内に響いた。




