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カリロボ  作者: 広瀬ジョージ
エリア2編
71/95

17.美幸とユーセン

 松の湯屋の一人娘、松永美幸は橋の上で佇んでいた。

 月明かりが眼下を流れる川を照らしていた。


 そう言えば明日は満月になるらしい。


 今夜はよく冷えていて、頬がチリチリする。

 それでも美幸は家である旅館に帰ろうとは思わなかった。


 観光地の店じまいは早い。

 飲食店や居酒屋はまだ営業しているだろうが、今から一人で行く気にもなれなかった。

 今から時間を潰せそうな場所なんてない。


 ふと拠り所として月華楼が浮かんだが、こんな時間にどうしたの?と心配されるのは目に見えていた。

 月華楼の洋子さんなら温かく迎えてくれるだろうが、相談に乗ってもらってばかりだ。

 これ以上迷惑かけるわけにはいかない。

 やはり大人しく家に帰るべきか。

 そう思ったが足は動かない。


 今戻ったら高確率で与多(よた)と顔を合わせることになるだろう。

 与多とは松の湯屋の厨房で働いている美幸の恋人だ。


 『ゴメン。今日やっぱり無理そう』


 そう連絡が来てからもう結構時間が経っているが、美幸はまだ待ち合わせ場所である橋の上にいた。


 準備に気をとられて連絡に気づくのが遅れたのは私が悪いのだけど……

 早めにこの場所についてスマホを起動させてから初めてそのメッセージに気づいた。


 同じ屋根の下に暮らしているのだから会える時に会おう。というのが二人の間の取り決めだった。

 いつでも会えるという事実はかえって二人を引き離している。

 ドタキャンはショックだったが、正直やっぱりという気もしていた。


 『そっか。気にしないで!』


 そう返信してからもなんとなくここで待っている。


 一応自分も旅館の娘だから厨房の忙しさを知っている。

 特に今日は遠方から修学旅行で来た団体のお客様がいて、朝から準備に追われていた。

 それに加え、特別な配慮を要する芸能人が数日前から二組泊まっていた。


 本来ならば私も手伝うべきだったのだが、今は学生の身で、卒業するまで実家の手伝いはしなくてよいと言い渡されている。


 実家は何代も続く松の湯屋だが両親は無理して継がなくても良いと美幸に言っている。

 ちょっと前まで経営難だったこの旅館を、娘に継がせるのは忍びないと感じているのだろう。


 経営難だった松の湯屋を救ったのは、この国が誇る大企業、松田カンパニーだった。

 松田カンパニーは観光事業に力を入れているらしく、その一環として旅館に資金援助を行っているようだった。

 企業の介入があってフロントも煌びやかに改装され、旧式だった宿泊予約システムも改善された。

 その結果、訪れる人は倍増し、客足も安定している。


 経営難を逃れた現在も両親は自分の好きなように生きよという姿勢は崩さなかった。


 という訳で美幸は家業を教え込まれるということもなく、気楽な大学生として過ごしている。

 そんな美幸が今日現場に入り即戦力になれるとも思わなかった。

 経営難の時期から、己の料理の腕を磨き働いている与多や他の従業員と同じ場所に立つなんて出来ない。


 今こうして、与多にプレッシャーを与えている事も本来望ましいことではない。

 

 この前のデートの約束も、急な来客でなくなってしまった。

 大変なのはよく分かるので強くは言わないが、これからもこれが続くとなると辛いものがある。


「もう無理かなぁ……」


 弱気になって呟いたその時『ヨウ!』と後ろから声をかけられた。


 来てくれたの?


 心が踊ったが、振り返るとそこには見慣れない男がいた。

 男と言っても年下で、男の子と言ってもよいぐらいだった。

 肌が驚くほど白く、顔は今まで見たどの人よりも整っている。


 芸能人でいうと異性だが安藤姫乃に似ていた。


 冷静になると声も全く似ていないのに、なぜ期待してしまったのだろうか。

 美幸は心が踊ったのを悟られないように努めて自然な表情を心がけた。


 松の湯屋の浴衣を着た彼は、紫色の唇を震わせながら笑っている。


「こんばんは……?」

「オウオウ!俺だよ!忘れたのか?」


 こんな人見たのならなかなか忘れない筈。

 でも確かに見たことがある様な気がするのも事実。


 そこでピンと来た。

 

 今日の団体客。

 百人単位の大きな規模の予約、しかも前々から決まっていたデートをドタキャンせざる得ないぐらい急な日程の。

 そんなことが許される立場にいるのは。


「あなたもしかして、松田カンパニーの……?」


 彼は大きく頷いた。


「そうそう!おいら、ユーセン」


 ユーセン。

 どういう字を書くのかは分からなかったが彼はそう名乗った。


 今日の夕方から来ている修学旅行の団体客、その中に松田カンパニーの御曹司がいるらしい。

 そのコネを利用して旅館の客室を2階分丸々貸し切ったと聞いている。

 まばらに入っていたお客を無料でグレードアップするという形で他の階に追いやり、かかった差額は全てポケットマネーから支払うという羽振りの良さで無理くり実現させたようだ。


 お客のうちにいたならチラリと見たことも見られたこともあるかもしれない。


 それでもなぜ修学旅行生がこんな時間に出歩いているのだろう?


「あなた、寒くないの?」

「めちゃくちゃ寒いぜ……」


 彼の唇は真紫だ。


「何してるの。羽織物持ってきたら?」

「生憎、宿には戻れないんだぜ。」

 ユーセンは震えながら白い歯を見せて笑った。

 綺麗な顔が歪むのも気にしない満面の笑みだ。


「私も」

 物理的には可能だけど、精神的には戻れないし、戻りたくない。

 ユーセンは親近感を覚えたのか、馴れ馴れしくすり寄ってきた。


「なーなー!なんかあったかい物くれよ!死にそうだぜ!」

「そんなこと言われても……」


 怪しい高校生の言うことなど聞きたくはなかったが、白い肌はいよいよ青白くなっているように見えた。

 このままでは彼は本当に凍えてしまうかもしれない。


「あなた、旅館に泊まってる高校生でしょ?流石に逃げ出すのは良くないんじゃない?」

「ちぇ、なんだよ!つまんねーの!じゃーな」

 ユーセンはひょいと手をあげると旅館とは逆方向に歩き出した。


「え、ちょっと?!風邪ひいちゃうよ?!」

「何だよ美幸、結局ついてくんのかよ?」

 ユーセンはしゃーねーなと言いながらも嬉しそうだ。


「あれ?私、名前教えたっけ?」

「いーや。でもオイラなんでも知ってんだぜ?」

「どうして?!」


 ユーセンは美幸の手を取った。


「きゃ?!」

 その手は氷のように冷たくて思わず悲鳴を上げた。


 普通の男だったら即座に振り払っていただろうが、どことなく不思議な雰囲気を持つユーセンの手を振り払うことは出来なかった。


「いいものゲットするぜ!」

 無邪気に拳を突き上げるユーセンに美幸は引きずられていった。


 あまり良くない言葉使い。

 旅館からの抜け出し。

 彼は見た目によらず不良の問題児なのかもしれない。


 ユーセンは目的があるように真っ直ぐ歩いた。

 歩きなれた街並みを旅行客に引っ張られるのはおかしな気分だった。


 ユーセンが美幸を引きずって訪れたのは老夫婦が営業する駄菓子屋さんだった。

 ここは見た目も可愛らしい和菓子が揃えられているので、若い観光客に人気のお店だ。


「あれ?閉まってんぞ!」

 ユーセンは駄菓子のガラス戸に張り付いている。

 ガラス戸は鍵がかかっていて開くことはない。


「ユーセン君!おじさんおばさん多分もう寝てるから大きい音出さないで!」

 この駄菓子屋を経営している老夫婦は朝起きるのが早い分、寝入るのも早い。


「金平糖見えてんのに……」

「金平糖?」


 確かにユーセンの視線の先にはレトロなガラスびんに詰められたカラフルな金平糖があった。

 べつに珍しいものでもないがユーセンは食い入るように見ている。


「これじゃ何も変わらないぜ……」

 突如ユーセンが目を潤ませたので美幸はギョッとした。

「そんなに好きなの?!」


 ならば食べさせてあげたいところだが、もう9時過ぎで金平糖を売っていそうなお土産屋はもう閉まっている。

 

 どうしたものかと美幸が悩んでいたら、背後で誰かが脚を止めた。

 振り返るとそこには恵比須顔の老人が立っていた。

 美幸が良く知る僧侶、慈英だった。


「こんばんは」

 慈英は美幸の顔を見るとにっこりと微笑んだ。

「あ!こんばんは!」

 美幸はぺこりと頭を下げた。


「酔ってる人も多いし、一人歩きは危ないよ」

「ハハ、一応一人ではないので……」


 美幸はチラリとガラス戸に張り付いているユーセンに視線を送った。

 一人でいるよりもこの得体の知れない修学旅行生と一緒にいる方が危ないのかも知れない。

 慈英はユーセンの姿を見て、ならいいねと微笑んだ。


 ガラス戸に張り付いていたユーセンは視線を感じて振り返った。

 潤んでいた瞳からすっと涙が引いた。


「あ!昼間の良いじいさんじゃねぇか!」

「君は昼間の。私が良いじいさんならアイツは悪いじいさんかな?」

「そー言う事だぜ!」


 良いじいさん、悪いじいさん?

 耳慣れない言葉に美幸はしばし思考を巡らせた。


 悪いじいさんって聞いて連想するのはホント失礼なんだけども。


「もしかして廉造さんのこと……?」


 慈英はため息を吐きながら頷いた。


「ヤツはまた修学旅行生の池の水を売りつけようとしてたんだよ」

「懲りないなぁ……」

 廉造は手相占いと池の水伝説グッズ販売を生業とする老人である。


「親族としてホントにやめてもらいたいんだけどねぇ……」

 慈英と廉造はそれぞれ息子と娘がいて、二人が結婚しているため二人は親族なのである。


「洋子さんがどれだけ言っても無駄でしたもんね……なんとか別の形で池の水復活させられたら良いんですけど」

 廉造の娘は月華楼を切り盛りする洋子である。

 実の娘である洋子がどれだけ廉造にやめろと言っても池の水販売をやめないので、ほとんど皆諦めはじめている。


「はぁ、うちのも洋子ちゃんには迷惑かけっぱなしで……どうしたもんかねぇ」


 うちのと言うのは慈英の息子のことだ。

 美幸は息子のことを知らないので、それだけ長く家にいないようだ。


「なーなー」

 ユーセンが美幸の方に身を寄せた。

 さっきから感じていたことだがユーセンはパーソナルスペースがかなり狭い。

 

「美幸ぃ。デコが変な感じしてきたぜぇ」

 よく聞くとカチカチ音と歯が音をたてている。

 

「え?!ちょっと歯が鳴ってるじゃない!もう帰るよユーセン君!」

「イヤだ!だったらおいら一人で行くもーんだ!」

 ユーセンは歯をカチカチ言わせながらそっぽ向いた。


「おいおい君、そんな薄着で!風邪をひいてしまうよ。美幸ちゃん彼に上着を……」

 

 ユーセンに帰ろうと促した美幸だったが帰りたくはなかった。


 その時初めてユーセンについて来た理由が分かった。

 私は一人で松の湯屋に帰りたくないのだ。

 一人で家を出て、一人で帰ってきた自分を誰かに見られたくないし、認めたくないのだ。


 ユーセンの上着は美幸が取って帰ってこればそれで解決する。

 そんな簡単な事が今日の美幸には出来なかった。

 いつもの美幸なら慈英が催促するまでもない事だった。

 家業を手伝わなくてもいいと言われても、来たお客さんには快適に過ごしもらいたいし、また来たいと思ってもらいたいから、できるかぎりのおもてなしは欠かさない。


 その事に慈英も気付いたようで、別の提案を口に出した。

「家までは遠いから、また洋子ちゃんに世話になろうか」

「ごめんなさい……」


 薄着で出てきたのはユーセンの筈なのに、彼は謝る美幸を怪訝そうに見て、やがて首を傾げた。


こんばんは。活動報告にて時たま宣伝をしているのですが、『ご覧ください』をなぜか『ご飯ください』にして投稿しそうになりました。投稿前に気が付いてよかったです。見直し大事。

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