07.笑う月の下
リゴレ・ルーン。意味はフランス語で笑う月。
この会社では日々研究員達が世のため人のため、新しいゲームを開発している。
2代目の美人社長仁科に代替わりしてから業績はぐんと伸び、現在最も働きたい企業ナンバー1だ。
待遇も収入もよく、常に新しいものを生み続けることはロボットには代えられないため、職を失う心配もないし安全な職業といえる。
この会社の一番のヒット商品は十年前に開発解禁されたロールプレイング型アクションソーシャルゲーム、RPAである。
RPAではGという通貨が使われていて、円やドルなどの現存する通貨をGに変える事ができる。
その逆のGを現存通貨に代えられないのがミソである。
一般ユーザーの課金だけではなく、他企業がRPA内にコロニーやアバターを作ることで得られる広告収入で発生する金がこの会社の財源だ。
誰もが羨むこの会社。
しかしそれは表の顔に過ぎない。
この会社には裏の顔があった。
裏の顔は、裏の顔らしく、笑月の本社の深い地下に存在した。
その顔を知るものは社員のうちでも限られた一部の上層の人間だけで、多くの社員は知らずに働いている。
笑月地下二十階。
そこには地下なので窓もなく、当然太陽の光も入ってこない。
消えかけの蛍光灯が高い天井で頼りなさげに光っている。
そこはひっそりとしていて、ただただ広い。
そんな部屋の中央に堅苦しい棺が置いてあった。
人を葬るための華美な物ではなく、人が入れる大きな箱という感じで、中に入るものの居心地の良さとは無縁の代物だ。
その棺の前にはひざまずく男がいた。
年齢不詳。
国籍不明。
あまりに整っているその顔は蝋人形のようで生気がなく、異様な雰囲気をかもし出している。
棺の中には埃がたまり、主が長年戻って来ていない事がわかる。
「もうすぐ残量がつきる……」
誰に言う訳でも無く、安藤夜は一人言のように呟いた。
安藤はこの空の棺を見るたび、自分のした事が本当に正しかったのか不安になる。
日をます事にこの不安は強くなり、確実になっていく。
「一回燃料切れるともう動かなくなっちゃうのに本当にバカよね。」
暗闇に紛れていた仁科が安藤の横に姿を表した。
自慢のプロポーションを最大限にいかした、露出度の高い派手な服。
わずかな光も反射させるラメ入りの化粧。
これでも仁科は大手企業の社長だ。
「あの子が決めた事だから」
安藤は自信なさげに答えた。
本当は良いか悪いか分からない。
そして安藤は仁科に一つだけ嘘をついている。
あの子が決めた事と言いつつも、それを誘導したのは安藤で、彼女はただ安藤が用意した提案に頷いたに過ぎない。
他に選択肢を提示することはしなかったので、安藤がそう決めたと言っても過言ではない。
「ふーん。」
仁科はさも興味なさそうに返事して安藤に詰め寄った。
「ねぇ!それより一緒に遊びに行きましょう!久しぶりに戻ってきたんだから!」
安藤は週末海外出張から帰ったばかりだ。
仁科はすぐにでも安藤を外に連れまわしたかったが、安藤がここに来て様子を見たいというので仕方がなく付き合っていた。
その予定が形式的に済んだので、仁科はすぐさま安藤を連れて出掛けたい。
「デート?」
首を傾げる安藤に仁科は目を潤ませた。
「そう!わかってるじゃない!」
話が早い、と彼の腕を引く仁科を安藤は丁寧にあしらった。
「デートは妃としかしない事にしてるから。」
妃というのは安藤の元妻の名前だ。
仁科はその発言に唖然として、次にぷくっとふくれた。
「あんなチンチクリン!どこがいいわけ?!」
仁科が古い言葉で罵った。
「チンチクリン?」
耳慣れない言葉にまた首を傾げた。
「チビっていう意味よ!」
安藤は愛する人を貶されているにも関わらず、とくに傷付いた様子も見せず静かに笑った。
「あぁ、たしかに!」
愛しい人がどう言われようがお構いなしだ。
チンチクリンは小さくて可愛いというぐらいにしか受け取っていないのだろう。
安藤は棺についた埃を手で払いのけた。
Mac‐A。
これがこの棺の主の名だ。
諜報活動を目的として作られた、自我を持つ見目麗しい人間型ロボット。
安藤が棺を手で触れた途端に文字が青白い色で輝きはじめた。
その光は伝染するように幾何学模様を描き広がっていき、棺から床へ、やがて部屋全体を青白くした。
はじめて見る者は息を呑むような光景だが見慣れている安藤は特に心を動かされることなく、どこか光っていないところはないか確認した。
この空間は全て巨大な機械で出来ている。
ここは一台のロボットを充電するためだけにある。
青白く光っているものは燃料で、この施設内を特別な工程を経ながら循環している。
その燃料を補充できるのがこの棺型の充電器だ。
ここに戻ってこれば、動かなくなるなんて事はないのだ。
「バカよねぇ。ここに来るだけで死なずにすむのに!」
と仁科は嘲笑った。
ここに戻ってさえこればMac‐Aは人間よりも長く生きる事も出来るだろう。
ロボットなので老いることもなく、姿を変えずに存在することが出来る。
現に体をロボットに改造している仁科は六十年間姿を変えずに生きていた。
体が半分ロボットで出来ている彼女は、これから先も年をとる事はないだろう。
仁科は二十代の時に整形手術に加え、体のロボット化させる手術を受けている。
永遠の命を手に入れた仁科からするとMac‐Aの行動は自殺を意味し、愚かに見えることだろう。
「でも、ここにいても彼女は死んでいた。」
安藤が仁科の目を真っ直ぐ見ていることに気が付いて、仁科は目を逸らしてチッと舌打ちした。
安藤は仁科がMac‐Aの廃棄処分を決めた事に気が付き、ひっそりとここからの脱出の手伝いをした。
それからもう4年が経っていた。
もういつ燃料切れになってもおかしくない。
彼女がいつでも戻って来ていいように、こうして定期点検をおこなっているのだ。
本当に彼女をここから逃がしたのが彼女にとって一番良かったのか?
充電なしで彼女を生きながらえさせる方法が他にもあったのではないか?
しばらくは自分が仁科の言いなりになることで、彼女をここに留めておくことも出来たのではないか?
安藤は溜息をつき思考を停止させるとスッと立ち上がり、部屋を後にする。
「ちょっと!どこ行くの!」
仁科は安藤の後を追った。
「仕事あるから。」
安藤はつかみ所のない愛想笑いでそう言って、ピンヒールを履いた仁科が追いつけないような早足で仁科をまいた。
「ちょっと!……もう!」
その場で仁科は地団駄を踏んで、部屋にコーンと言う音がこだました。
「あの~」
影から二人の男が出てきた。
今まで黙って、そこにいたらしい。
「あら、いたの?」
「あんたが呼び出したんだろうが!」
ドレッドヘアのいかにも悪そうで屈強な男が言った。
「ひどいっす!」
ドレッドの男の後ろにいかにも、下っ端風の男が兄貴の後に続いた。
仁科は首を傾げた。
「そうだったかしら?」
二人はガックリと肩を落とす。
ドレッドヘアの男三内と、その下っ端の丸山は、リゴレ・ルーンの裏の顔を知る数少ない人間だ。
その役割は雑用兼用心棒で、仁科から邪険に扱われている。
「用がないなら帰るぞ……!」
「あっ!思い出した!」
たらたらと帰りかけていた二人は、そのままの足取りでUターンしてきた。
仁科は懐から、一枚の写真を取り出した。
しぶしぶ三内がそれを受け取ると、面倒臭そうな視線を向けて、丸山に写真を押し付け渡した。
丸山が写真を見るとそこには女子高生らしい美少女が写っていた。
「かわいいっすね!」
何も知らない丸山は写真の中の美少女を見て、だらしなくにやける。
「Mac‐Aよ。」
仁科の口から淡々と事実が伝えられる。
「えぇ!うそう?!さっきの話の?!」
丸山の素っ頓狂な声が部屋中に木霊した。
写真の中の少女は長いツインテールを揺らしながら、無邪気に微笑んでいる。
盗撮したものなのだろうか、視線は全くこっちを向いていない。
肌の質感、髪のなびき方、どこからどう見ても人間にしか見えなかった。
「うそ……ロボット?!もっとゴツッ……えぇ?!」
丸山パニックになったようで、写真に穴が開くほど見た。
「で、俺らにどうしろと?」
慣れた感じで、三内が用件を聞く。
写真を渡されたからには、Mac‐Aはろくな目に合わないだろう。
今までの仕事の経験から三内にはなんとなくそれが理解できた。
「それをここに持ってきて頂戴。」
少女の姿はしているがMac‐Aはロボットだ。
『それ』と呼ぶのは国語的には正しいが、三内丸山の耳には抵抗がある。
「安藤はいい顔しないと思うぜ?」
仁科はあら見ていたの?と不適に微笑んだ。
「わかってるわ。上からの命令だもの。逆らえないわ。それに、勝手にMac‐Aを逃したの安藤君なんだから、上に黙っていてあげたの、感謝してほしいぐらいよ。」
「……なんで黙ってんだよ!!!」
その結果、あとで自分たちの仕事が増えるのに納得がいかない。
「だってぇ、安藤君が上の人から虐められるの、可哀想なんだもの!」
三内はそんな理由で使われる俺たちの方がよっぽど可哀想だ!と思ったが、口に出さずにおいた。
あきれかえる二人をよそに、仁科は大げさな身振り手振りでペラペラ語りだした。
「Mac‐Aなんて旧式で、無駄にお金かかるのよ!ここの設備費なんてばかにならないんだから!もうそれに一度充電切れになるだけでもう使えない!」
それからもブツブツと話続ける仁科にストップをかけた。
「おい、連れてきたらどうするんだよ?」
仁科は動きを止めてさも当たり前のように答えた。
「充電切れになる前に壊して、必要な部分だけ再利用。」
「えっ……Mac‐Aには自我があるって言ってたじゃないっすか?!」
「そうよ、それがどうかしたの?」
仁科はしれっと答えた。
「でもそれって殺人……!やっぱ、なんでもないっす……」
仁科の有無を言わせない態度と何を言っても無駄という諦めで、丸山は押し黙った。
その姿勢に満足した仁科は声の調子を変えて、明るく手を振った。
「じゃあ、後は頼んだわ。私は久しぶりに可愛い息子に会いに行ってくるから!」
仁科は上機嫌でヒールをカツカツいわせながら部屋を出た。
部屋には二人だけが残された。
「兄貴ぃ。いつまでこんな事しなきゃいけないんすかねぇ……」
「言うな!俺が一番よく分かってる!まあ、やるっきゃないだろ。」
三内は仕方なさそうに写真をしまった。