12.ユーセンの湯
桜が隣の宿の温泉に行く準備をはじめた頃。
エリア2左都にて。
三内と丸山は繁華街から少し離れた旅館宿の並ぶ通りで夜光虫のように自販機の周りにたむろしていた。
ちょっとお金を出せば美味い郷土料理が食べられる店は多くあるが、2人は自販機で買った缶コーヒーとコーンスープで暖を取っていた。
「なんでこんなとこまで来てこんなことしてるんすかねぇ……」
「隙あらば誘拐するためだろうが」
三内は丸山の問いに飄々と答えた。
最近気づいた。
行動の意義を問う丸山に同調してしまうとより悲壮感が増すことに。
それならば淡々と目的確認してやり過ごすのが一番だ。
ここ数日安藤夜の娘、王野桜を尾行していて分かったのは、中々一人になる時がないということだ。
仕事中にはスタッフや共演者に囲まれているし、移動中はマネージャーの山下がいる。
何の因果か、去年ようやく願わぬ再開を果たした少年の仕事は芸能マネージャーだった。
去年の秋頃、もう関わることは無いだろうと考えていたが再び関わらざるを得なくなった。
山下がいるときには迂闊に近づけないし、尾行することも難しい。
山下を避けるため家で待ち伏せしていても、彼は抜かりなく彼女を玄関まで見送るので付け入る隙も無い。
家の中にしても大抵弟の樹が先に帰っていて、ほぼ一人ということはあり得ない。
ならば桜より先に家の中にいる樹を誘拐しようかとも考えたが、こっちがさらに厄介で、葵が家の子同然で王野家に出入りしている。
山下兄妹と王野姉弟は家族ぐるみの付き合いになっているようだった。
つまりどっちを誘拐しようにも必ず山下兄妹が傍にいるのだ。
虎穴に入らざれば虎子を得ず。というが、山下兄妹の存在は正直親虎よりも怖い。
しかしそんな状況に三内は内心ホッとしていた。
いくら三内でも何の非もない王野姉弟を誘拐するのには抵抗があった。
誘拐を妨げる山下兄妹の存在のおかげで、成功した時の罪悪感よりも達成感の方が大きく感じられるはずだ。
これで心置きなく悪い事が出来るのだから感謝せねばならない。
「にしても。わざわざ遠征中に襲わなくてもよくないっすか?」
「遠征中の方が一人になりやすいだろうが」
三内は遠征すると家族や友人などを普段の生活圏に置いていくため、一人行動が自然と多くなる筈だと踏んだのだ。
しかし現実は違っていた。
「そうっすか?さっきからいつも以上に圭と姫乃ちゃんくっついてるように見えるんっすけど……?」
三内はスパンと丸山の頭を殴った。
「言うな!わかっとるわ、そんな事!」
今回の遠征尾行で三内の山下への認識は、障害物から抹殺対象にグレードアップしていた。
山下はあろうことかターゲットの桜といつも以上に距離を縮めて行動していた。
樹や葵の目がないのをいいことに、エリア2の街並みを桜と腕組みながら闊歩しているのだ。
その姿を目撃してから三内の仕事に対する意欲は今までにない以上に高まった。
しかも旅館の部屋も隣同士でとって、さらにはお互いのカードキーの予備を交換し合い、互いの部屋は行き来し放題の状態だ。
仕事上の関係でここまでするのか?
仕事上の関係だからこそなのか?
どちらにしろ、三内の頭には血が上った。
頭を三内にひっぱたかれた丸山は、はたかれたところを摩りながらまぁ、まぁと三内を宥めた。
「そんな二人でも一緒に入れない場所があるじゃないっすか!」
「どこだよ?」
「お風呂っすよ!」
三内は鼻で笑った。
当たり前だ。
そんなの一緒に入っているのを知った日にはとても正気じゃいられない。
「ただのお風呂じゃないっすよ。ココ!大きい特別な旅館のお風呂っす!」
丸山は桜が宿泊している松の湯屋を指差した。
「それがどうした?」
「芸能人が他の人と一緒の時間に入ったりすると思います?俺が宿の女将なら日頃の疲れをとってもらうために特別な時間に使ってもらうようにするとか配慮すると思うんっすよね!」
丸山は妙なところでおもてなし精神を見せつつ説明を続けた。
「すると姫乃ちゃんは女将の好意を受け取って一人で温泉に入るわけで!」
丸山はなにを想像したのか締まりのない笑みを浮かべている。
「その間に誘拐するわけか」
三内は湯煙をまとった桜を想像し、自分が締まりのない笑みを浮かべていることに気付いた。
丸山と同じ想像をしていたようだ。
丸山は笑みを称えながら三内に耳打ちするように言った。
「姫乃ちゃんって細くてスレンダーなイメージがあるんですけど脱ぐと意外と……!」
丸山は想像を掻き立てるように最後まで言わず、締まりないのを通り越し、下卑な笑みを浮かべていた。
「お、おい丸山っ……!なんでお前そんな事……!」
三内も笑みをこらえきれず、ところどころ詰まらせながら言った。
「姫乃ちゃんの専属雑誌ミッテ7月号!真夏のビーチコーデ水着編っすよ!いやぁ、眼福眼福!永久保存版っす!恥を忍んで買った甲斐がありました!」
「なるほどな」
三内はしみじみと頷いた。
「エロ過ぎもせず健康的で、白い肌と水着のコントラスト……イヤラシ過ぎないからずっと見ていたくなるというか……っ!」
「語ってねーで、見に行くぞ」
「アニキ……っ!俺一生ついていくっス!」
有言実行。
二人が松の湯屋に乗り込んだその時。
温泉セットを抱えた桜が隣の旅館へ向かった。
三内丸山は桜の泊まっている旅館『松の湯屋』に忍び込んだ。
と言っても人目につくように侵入するほど間抜けではない。
三内達は配管から中に忍び込み階と階の間のごくごく狭い空間を四つん這い、時には匍匐前進で移動した。
今までの大胆すぎるお粗末な侵入方法と比べるとこの任務にいかに腰を入れているかがよくわかる。
そしてついに二人は二階と三階の間にたどり着いた。
この旅館の温泉は天井が高い作りなので温泉の上に出ようと思うとここに来るしかない。
そこから地上に道具無しで無傷で降りる事は不可能だがそれでも構わない。
なんせ目的は接触ではなく観察、覗きのみだからだ。
三内丸山は何とか下の様子が見られる場所を探した。
そして見つけたのが電気配線を行うために取り付けられた小窓。
三内はすぐさま持ってきた工具でねじを緩め退かした。
下から光と蒸気が漏れる。
三内丸山は宝物を見つけたように目を輝かせた。
二人にとっては宝同然だった。
下から楽しそうな笑い声が聞こえた。
あぁ、一人じゃなさそうだ。
でもそれでも構うもんか。
二人は湯煙の向こうに目を凝らす。
「いい湯だなぁ!!!」
優太が湯船に浸かりながら伸びをするとデフォルメされたナマズの絵が目に入る。
湯煙越しによく見ると『電気風呂』の文字が見える。
「電気風呂だ!イツキ、行こう!」
「え、俺?」
樹も仕方がなく付き合って、二人分だけある電気風呂スペースにそれぞれ入る。
「ウワっ!こしょばい!」
「スゲェ!手がプルプルする。うわー」
しばらくしたら興味をひかれた和馬と永久も近くまで来た。
ここは立ち湯で足のつかない永久はすいすいと泳いでいる。
学年主任の後藤が一般の人もいるから騒がないようにとは言っていたが周りには誰も見当たらず、咎める人はいない。
「面白そうだね、代わって代わって!」
優太と場所を交代した和馬もうわぁと声を上げた。
「永久もやってみなよ!」
湯煙の向こうに見えたのは丸みを帯びた曲線ではなく、硬そうな見慣れた直線。
二人の眼下にははしゃぐ男子高生達。
「……」
「……」
「ヤローじゃねーか!!!」
「そこはせめてJKが良かったっす!!!」
そういえば入り口に帝都学園御一行様と書かれたウェルカムボードが立てかけられていた。
三内は八つ当たりに丸山のニット帽を力任せにひっぱたく。
その拍子にここまでの道しるべとなったペンライトが小窓から落ちた。
丸山は身を乗り出して慌てて掴んだが、その拍子に胸ポケットに入れていたものが落ちた。
その事にすぐに気が付いたが、自分を支える左手、ペンライトを掴んだ右手、もう掴めるものは残っておらずただ目で追うしかできなかった。
樹が永久に電気風呂の場所を開けようとしたとき。
ポチャン……
樹の後ろで小さな水飛沫が上がった。
ビリ。
突如樹の表情が消え、低く呻いた。
ふと目に入る『心臓の弱い方はご遠慮ください。』の文字。
ただならぬ様子に三人はしんと静まり返る。
「どっどうした?」
樹は優太に返事を返すことなく、目が閉じられるとそのまま前のめりになって沈んでいった。
「イツキ!?!」
いち早く動いたのは永久だった。
懸命に助け起こそうとするが足がつかないので当然の如く一緒に沈む。
ブクブク……
二人共倒れになったところで、和馬が珍しく焦った様子で二人の腕を掴み引き上げた。
「何やってるのさ?!」
引き上げられた永久はゴホゴホむせながら自力で壁まで泳いで張り付いた。
「おーい。王野君?大丈夫かい?!おーい」
和馬は呼びかけながらペチペチと樹の頬を叩いた。
「後藤呼んでくる!」
今にも走って学年主任を行きそうな優太を和馬が呼び止めた。
「気が付いたよ!」
優太が見ると確かに目はあいていた。
藍色の瞳が和馬を捉える。
「およ……?ボンじゃねーか!」
「……王野君?」
再び沈黙が訪れ、浴場内にはカポーンと風流な音が木霊した。
それは異様な光景だった。
タオル一枚腰に巻いた男子高生が鏡の中の自分を食い入るように見ている。
「おいらってカックイイのかも……!」
そう言っているのは正真正銘の美男子だから全くの冗談にも聞こえない。
永久は露骨に顔をしかめる。
「なにあのナルシスト……」
「イツキあんなキャラだっけ?」
樹は一度気を失って目覚めた時におかしなことを口走っていたので、取りあえず溺れないように優太と永久によって脱衣所まで引率された。
優太と永久は水分をふき取るのはそこそこに、衣服を身に付け、少し離れたところから樹を見守っている。
「ジュニアのヤツ、宝の持ち腐れだぜ」
樹は鏡の中の自分に向けて挑発的な表情を見せている。
「じゅ、ジュニア……?」
優太と永久ははてなマークを浮かべるばかりである。
「あの、樹?そろそろ服着たら?」
今樹が腰に巻いているタオルだって優太が無理やり押し付けたものだ。
優太の呼びかけにはまるで反応しないで鏡の中の自分に見とれている。
少し遅れて浴場から和馬が出てきた。
「遅い。何してたんだよ?」
永久が責めると和馬はごめん、ごめんと言いながら浴衣を着て、ふーと息をついて樹に呼び掛ける。
「ユーセンくん」
永久と優太が首を傾げて見守る中、樹は呼び掛けに反応して嬉々と振り返った。
「ボン見ろよ!」
樹は父親譲りの白い肌を見せつけるように仁王立ちになって鼻を鳴らす。
「うん、わかった……えっと、服着たら?」
和馬の助言は無視して樹は一方的に話を進める。
「ボンがいるってことはここエリア2だな?おいらこれフリルに見せて来る!!!」
「公然猥褻だよ、ユーセンくん」
「抑えてキバ!」
走り出そうとする樹を見て永久がすかさず指示を出す。
「いえっさ!」
指示を受けた優太が樹に飛び掛かり樹を押さえつけ、その隙に和馬はハイハイ左手前だよと浴衣を着せた。
「ハナセ!ジュニアの体よっわ!!!」
樹は抵抗している間、何度も手を後ろに回し何かを掴む仕草をしていた。
おそらく掴みたかったのはチェーンソーではないだろうか。
永久によって帯が締められ、樹は拗ねたように三人を睨み付けた。
「さっき王野君がおぼれたところで見つけたんだ。見てよコレ」
和馬が手にもっていたのはびしょ濡れになったUSBだった。
小さなデジタル文字で『U‐1000』と書かれていた。
「なんでこれがココにあるのか知らないけど、コレうちの人気商品だよ。しかもオリジナル」
これは本来松田カンパニー本社の資材室にある筈のものだ。
今、全国にいるユーセン約一万匹のうちの最初の一体。
「どういうこと?」
永久が問うと偉そうに洗面台に腰を掛けていた樹が鼻を鳴らした。
「しらねーよ。気づいたらここにいたんだ!」
「まぁいいよ。うちの優秀な社員たちもエリア2にいるから聞いてみるよ」
和馬はスマホを耳に当てハロハロ?と軽い挨拶を交わしながら廊下に出た。
「ねぇ、樹はどこに行ったの?」
永久が聞くと樹もといユーセンは首を傾げた。
「樹?あぁジュニアの事か!しーらね!」
ユーセンはクルリと一回転するとスキップして和馬が出ていった方へ歩き始めた。
「どこ行くんだよ?!」
「せっかくだから散歩だよ散歩!」
ユーセンはしっしと優太をあしらった。
「勝手に出歩くな!」
「命令するんじゃねーよ!チービ!」
ユーセンはお尻を振ってペンペンと叩いて見せた。
永久が掴みかかろうとするとヒラリと避け、長い脚をひょいと出し永久の足をすくった。
その結果永久は顔面から地面に叩きつけられた。
「なっかなか便利じゃんジュニアの体!じゃーなチービ!」
ユーセンは浴場から飛び出て廊下をかけた。
「え?あれ?王野君……?!あ、今ユーセン君か!」
スマホを持ちながら呑気に笑っている和馬を通り越してユーセンは走る。
ユーセンにとっては夢にまで見た画面の外だ。
捕まってたまるものか。
そう思った矢先、すばしっこい人影が目の前に飛び出してきた。
その時、人間の体はすぐには止まれないのだと気が付いた。
体格から言えば吹っ飛ぶのは人影の筈だったが、吹っ飛んだのはユーセンの方だった。
おかしいぞ?!
ジーンとしたものが体に走る。
これが痛みというものか。
ユーセンは投げ出された姿勢のまま天井の明かりを見ていた。
突如ぬっと人影が光を遮る。
「ごめん樹!大丈夫?!」
顔が陰になっているせいで良く見えない。
身体を起こすと画面越しに見ていた時のようにしっかり顔が見えた。
「アオ!」
「そうだよ!」
ユーセンが立ち上がると葵の顔はずっと遠いところにあった。
「お前、背はこんな感じなんだな!」
ユーセンは手を頭の上でヒラヒラさせた。
今までデスクトップから見上げてきた葵を今は見下ろせた。
「どうしたの急に?」
葵はキョトンと首を傾げている。
新しい身体を自慢しようとした時、ユーセンはふと殺気を感じた。
振り返ったその先にはさっき転んだせいで鼻を強打した永久が立っていた。
「葵。そいつ抑えて」
呆気に取られていた葵だったが、樹が永久の前から逃げ出そうとしているのを見受けると、素早く身柄を抑えた。
目にも止まらぬ速さで追い越され、今度はユーセンが足をすくわれた。
「ごめん樹!なんだか知らないけど!」
葵は容赦なくユーセンをひねり上げ、ユーセンはその衝撃にギャー!!!と悲鳴を上げた。




