02.エリア2出張
時間は5週間ほど前に遡る。
エリア11某所。
桜は専属雑誌の撮影が終わり、足早に行動していた。
春の服から今の季節に合わせたニットに着替え、寒いのは一瞬だけであることを想定して上着は手に持っていくことにした。
同じ待機所を使っているユウはスマホから目を逸らし、冷やかすように笑った。
「旦那のお迎え?」
冷やかしはただの退屈しのぎだということはわかっているので、いちいち否定したりしない。
ただニッコリとして受け流す。
「じゃあお先に!」
「またねぇ」
ユウがヒラヒラと手を振るのを見届けた後、桜はすれ違う関係者達に挨拶をしながらスタジオを後にした。
エレベーターで地下にある駐車場へ向かう。
ガラス張りのドアを押し開けて外に出るとそこは極寒だ。
桜は山下がいつも車を停めているところまでコートを抱きしめながら小走りした。
山下は桜に気が付くと車のロックを解除した。
「ただいま」
「お疲れさん」
短いやり取りをしながら桜は助手席に乗り込んだ。
車内は程よく暖房が効いていて桜はホッと息をついた。
車の持ち主である山下は営業用のスーツを着ていて、いかにも仕事が出来そうな風貌をした若い男だ。
ただ今は本日の仕事はすべて終えたようでネクタイは外して車のサイドポケットに突っこんであった。
見た目からは几帳面そうな印象を受けるが、実際にはそんなことはなく、サイドポケットにネクタイが突っこんであるのが分かるような雑な入れかたをするような男だ。
営業中は爽やかに振舞っているが意外とだらしないのだ。
なので彼の部屋を桜が掃除しに行くこともある。
そのせいでユウやオリから旦那やら通い妻だと揶揄されるのかもしれない。
ネクタイ皺になるよと注意しようと思ったが、桜が車に乗り込むなり山下はA4サイズの茶封筒を桜に手渡した。
「姫乃、喜べ。」
珍しく山下が上機嫌なので桜も思わずニヤニヤしてしまう。
ひとまずネクタイは保留だ。
茶封筒は見慣れたもので、いつも桜の仕事はドラマやバラエティ出演関係なくこの封筒に包まれてやってくる。
「なになに?」
桜はそれを受取ると誕生日プレゼントをもらった子供の様な表情になった。
大抵それには分かりやすいように仕事の見出しが印刷されているのだ。
「前に着物で仕事したいって言ってただろ?」
「着物?取ってきてくれたの?!」
山下は頷いた。
事務所の商品である『安藤姫乃』を売り込むために仕事を取ってくるのは、マネージャーである山下の仕事である。
桜は中身を確認するため丁寧に封筒の上部を破いた。
前々から着物を着てみたかった。
去年の大晦日に事務所の先輩である東雲が着ているのを見て『私も着てみたい』と彼にボヤいていたのだ。
そのことを覚えていて山下は仕事をとってきたらしい。
「夏の特番?」
「そうだ。しかも汗水刑事シリーズの特番だ。お前が着たがってたのも着られると思うぞ。」
「ホント?!ありがとう山ちゃん!」
桜が声を弾ませると山下もニヤリとした。
「実際その土地にある伝説をもとにしているらしい。お前の役所は帝の娘サチ。」
「それ知ってる。エリア2の池の水伝説でしょ?」
「よく知ってるな。」
山下が感心したように言うので桜は呆れた。
「当たり前。山ちゃんも仮にも帝都学園卒業生でしょ?池の水伝説、修学旅行の時に聞かなかった?」
桜と山下が在籍していた帝都学園は、学園生活の最後の最後にエリア2へ修学旅行をするのが習わしである。
山下ももちろん参加していた筈なのだが……
山下は首を傾げる代わりに眉を顰めた。
「そんな話あったか?」
「あったよ……」
桜は再び資料に目を落とした。
山下の周りへの無関心ぶりの他にも桜には気になる点が一つあった。
「ロケ地はエリア2で1月21日から3週間……」
「そうだがどうした?」
「その日って樹達も行くって言ってた!」
凄い偶然!と桜ははしゃぐ。
「達?」
山下はイマイチ状況を理解していないようだ。
「葵ちゃんから聞いてない?ロケ日の間に二泊三日の修学旅行があるんだけど……」
桜のもとには数日前、樹経由で保護者宛てのお知らせが届いていた。
王野家は母が長期海外出張により家を空けることが多いので、このような手紙に目を通すのは桜の役目である。
山下は先ほどとは打って変わって不機嫌そうに顔を顰めた。
「聞いてない。またアイツ紙出してないな……金がいるんじゃないか?」
山下のことだから頭の中で家のお金の残高を計算しはじめているのだろう。
山下家も王野家同様、山下とその妹葵の二人だけなので、このような保護者通知は山下が見なくてはならないし、お金の工面も彼の役目である。
「大丈夫だよ山ちゃん!学園からの御褒美だから無料なんだって。」
「そうか……」
山下はほっと息をついた。
「エリア2に行ってる間に自由時間ってあるかな?」
「多少はあるだろう。」
「もしかしたら現地で会えたりするかなぁ?」
山下は水を差すように呟いた。
「可能性はあるが、会えたとしてもあまり絡むなよ。樹は隠しておきたいみたいだしな」
「わかってるよ!でもなんで樹隠したがるんだろう?」
桜はしょんぼりとしながら頬を膨らませた。
「そりゃ、授業参観に母ちゃんが来るのが恥ずかしいのと同じ感覚だろう」
「そういうもの……?」
山下はうんうんと頷いた。
「でも、気になっちゃうんだもん。……この前の劇で樹見たとき泣きそうになっちゃった」
「大袈裟な」
「だって樹がさ!あんな立派に演じきって……!」
「分かった、分かった。」
桜は山下が辟易しているのを見てムッとした。
「樹ね、あれから変わったんだよ!あんまり学校のこと話してくれなかったんだけど、話してくれるようになったし。学校の話で永久君以外の名前も出てくるようになったし。」
それにねと桜は山下に耳打ちするように言った。
「女の子の名前も出てくるようになったんだよ。」
山下はあまり興味がなさそうに、ほうと相槌を打った。
「あんまり興味なさそうだね。」
図星だったのだろう。
山下はピクリと眉を動かした。
特に気にせず、桜は話しを続けた。
「部屋割もね、優太君、和馬君、永久君と一緒になったんだって。山ちゃんは誰と一緒の部屋だったか覚えてる?」
山下はうーんと唸った。
遠い日の修学旅行の記憶を引っ張り出しているようだった。
「誰だったかな。学級委員の」
「あぁ!渡辺くん!」
「面倒見のいい奴だった……」
「なら名前覚えててあげてよ。」
そうだなと山下は鼻で笑った。
桜はこの時、山下に内緒で、ある計画を思いついた。
「ねぇ、山ちゃん。撮影行くとき山ちゃんも一緒に行く?」
「現地でも移動があるだろうからそのつもりでいる」
「やったぁ!!!」
山下は訝し気にチラリと桜を見た。
「何を企んでる?」
「ヒミツ!」
桜はご機嫌でウフフと笑みを浮かべた。
「楽しみだなぁ」
桜は再び手渡された資料に目を落とした。
「ねぇ山ちゃん。この与平役って誰?」
この資料によると与平というのはサチの恋人らしい。
桜の問いに山下はあぁ、と歯切れの悪い返事をした。
「若手俳優の新田慎吾になるみたいだ。」
「新田君!今そこで会ったよ!」
新田慎吾はユウとオリと同じ事務所に所属している俳優で、彼女達の後輩にあたる人物だ。
後輩と言っても年が近い上、事務所に入った時期もそう変わらないのでお互いに先輩後輩らしく振舞っているところは見たことがない。
戦隊物の主人公から人気に火が付き、今もっとも勢いのある俳優と言っても良い。
その明るいキャラクターでバラエティにもよく顔を出している。
今回は桜の専属雑誌で彼の出演するドラマの特集を組むために呼ばれたようだ。
「あぁ、そうか。」
山下は通常人には無関心だが、新田の名前が出てくると微妙に眉間に皺を寄せた。
新田と今日どんな話をしたか報告する代わりに桜は山下に踏み込んだ。
「新田君がどうかしたの?」
桜が聞くと特にはと言って肩をすくめた。
「いや。ただ何かと性に合わん。」
桜はそれを聞いて小さく吹き出した。
「確かに、性格真逆だもんね!」
年齢の割に落ち着いた山下に対し、新田は同い年からも年下扱いされる事が多い。
それに飲み会では角でチビチビ飲む山下に対し、新田は部屋のど真ん中で一気飲み。
何から何まで正反対なのだ。
「いや……性格の話じゃなくて。アイツ何かと喧嘩売るような真似してくるんだ……」
それは初耳だ。
桜の知らないところで陰湿な嫌がらせが起きているのだろうか?
山下が嫌がらせに屈するような人物ではないことは重々承知だが心配は心配だ。
桜は神妙な顔つきで尋ねた。
「例えば?」
「フリースロー対決やら、足の早さやらだ。……まあ全て勝っているがな。」
山下は得意げに鼻で笑った。
「なんだ、仲良しじゃん!」
そう言うと山下はムッと不機嫌そうに眉間のシワをより濃くした。
「仲良しな訳あるもんか。いちいち突っかかってきていい迷惑だ。」
「いちいち相手してあげるんだ。」
そう指摘すると山下は怒る気も失せたようだ。
「そりゃな。無視は流石に感じ悪いし、どこから変な噂が立つか」
山下は営業時には爽やかな営業スマイルを貼り付け、普段の生活とはほぼ別の人格を形成し人に接している。
それ故、化けの皮を剥がされないために人の頼みやお誘いは無下にできないのだ。
決して親しい間柄と言うわけではない新田も営業用の顔で接している。
「いつもどんな風に勝負してるの?」
「止せばいいのに、『山下君も一緒にどう?』とか『やってみてよ』とかなんだかんだ言ってくる。」
その様子があまりにも容易く脳内再生出来たので桜は再び吹き出してしまった。
「新田君負けず嫌いっぽいもんね。」
「あぁ、だからそれは見てて楽しい。いつだったかゲームセンターでよりによって力試し系のゲームを挑んできた」
「無謀だね」
山下は生まれつき人よりも体が人並み以上に頑丈に出来ており力も強い。
いわゆるチート級の力を所持している。
そのせいで幼少期は苦労したようだが、そのタイプのゲームでは負けたことはない。
案の定、結果は山下が全国最高得点を出し、新田の惨敗に終わったらしい。
「そしたらアイツ……本当はよほど自信があったんだろうな。ひきつった顔で褒めてきたときにはさすがに笑うところだった。」
『やるじゃないかっ!山下君!』
引きつった新田の顔がありありと想像できる。
「性格悪いな山ちゃん……」
「そうか?無邪気なフリして喧嘩ふっかけてくる方がよほど悪質だと思うぞ。」
そう言いながらせせら笑う山下はどこに出しても恥ずかしくない性悪だが、長年生活を共にしている桜は大して軽蔑はしなかった。
むしろいつもより活き活きして見えて和んでしまうぐらいだ。
「ホントは勝負抜きで普通に遊んでもらいたかったんじゃないの?」
「そうか?」
桜がからかうと山下は迷惑そうに顔を顰めた。
山下の車は王野家の駐車場、桜の愛車の横に停められた。
「ありがと、山ちゃん。上がってく?」
桜が家に着くともう日が落ちていた。
山下は桜の問いに首を振る。
「いいや、今日はいい。明日また迎えにくる。」
今日はいいって最近そればかりだ。
「わかった、また明日ね。」
でもそれも仕方がない事だ。
桜は車から降りて窓越しに手を振り、そこから玄関までの短い距離を一人で歩いた。
家に入る前に振り返り、再び手を振って山下を見送る。
山下の車が見えなくなってから桜は戸を閉め、家の中に向かって叫んだ。
「ただいま」
「おかえり」
キッチンの方から樹が優しく叫び返した。
足元に目を落とすと樹のローファーしか置いていなかった。
いつもならその横に二回り小さいスニーカーが置かれているはずだが今日は見当たらない。
今日は葵もいないらしい。
部屋に入ると樹はキッチンで夕飯の支度をしている最中だった。
楽に着崩した制服の上から桜が買い与えたエプロンを巻き、料理している姿に目頭が熱くなる。
それに何やら良い匂いも漂っている。
「夕飯作ってくれたの?!ありがと樹!」
樹の背後に回り込んでぎゅーっと抱きしめて一日の疲れを取る。
「おかえり。苦しいんだけど……」
樹は嫌がりながらも振り払ったりはしない。
それをいいことに背中に頬を埋める。
「ごめん、ごめん。葵ちゃんもいると思ったんだけど今日はいないの?」
桜が抱きしめたまま聞くと樹は頷いた。
「うん。何か用事があるみたいだよ。」
「ふーん。だから山ちゃんも早く帰っちゃったのかなぁ?」
「あ、山ちゃん来てたの?」
「そうだよ。すぐ帰っちゃったけど。」
「ふーん……」
桜は背後から樹の顔を覗き込んだ。
「何か話したい事でもあった?」
「いや、そういう訳ではないんだけど……」
樹は煮え切らない返事をした。
「そう?」
樹は可愛いけど男の子だし。
姉の桜にではなく、男の人に相談したい事があるのかもしれない。
そう思い桜は詮索を避けた。
「何か手伝おうか?」
「いいよ。座って待ってて。」
樹は戸棚から大皿を取り出しながら、目で桜を誘導した。
本当によくできた弟だ。
「いいの?じゃあ私着替えてくるね。」
名残惜しいが樹から離れ自室に戻り、桜が部屋着に着替えて戻ってくる頃には食卓に二人分のご飯が並べられていた。
今日のメインは麻婆豆腐だ。
桜が席に着くと二人一緒に手を合わせた。
「ねぇ、ねぇ樹!実は山ちゃんがいい仕事持ってきてくれたんだ!」
桜が今日山下の持ってきた仕事を話すと樹は目を丸くした。
「エリア2?!一緒の日に?!」
「そうだよ!私の方が先に行って、後に帰ると思うけど。その間、葵ちゃんのご飯出してあげてね。」
「うん。それはいいけど……」
樹は何か言いたそうに口をゴニョゴニョさせていた。
「わかってるよ!会っても声かけないから」
「ホントに……?!」
「なんでそんな嬉しそうにするの……?」
「いやっ?!そんなことはないけどっ!いつもならどこかで会おうって言い出すから!」
桜はふふんと得意げに笑った。
「自由時間は山ちゃんと一緒にエリア2巡りするの!」
「へぇ……。」
いまいち樹の反応が良くない。
友達との時間を邪魔されないのだし、樹ならもっと喜ぶかと思っていた。
「どうしたの樹?」
「いやっ……!山ちゃんといつも一緒にいるのに、エリア2は何か特別なの?」
「実はね、修学旅行の時に一緒に回れなかったから。」
樹は相槌をうったのち疑問を口にした。
「高3の時からいたのに、一緒に行ったわけではなかったの?」
「そうなの。ちょっと色々あってね……」
桜は今から5年前の修学旅行を思い返す。
桜は高校3年生で山下も同じく高校3年生だった。
その時桜はまだ樹と同じ黒髪で、今ほど仕事はなく、学業を率先して行っていた。
町を歩いても声をかけられることもなく、ごく普通の女子高生だった。
山下の方はスーツから制服に着替えたぐらいの違いで今と全く変わらない。
桜のマネージャーに就任する前の少し前だ。
容姿も変わっていなければ内面も今のままで、当時の山下は一匹狼だった。
当時は現在の営業中の外面の良さも発揮することはなく、とことん無愛想だった。
そして何より問題だったのは山下が起こした暴力事件だ。
先輩に目をつけられ、後に返り討ちにしたのだ。
山下とは中学からの知り合いで、理由もなく暴力をふるうことはないと知っていたし、その先輩が以前から山下にちょっかいを出していたことも桜は知っていた。
なので怖がることはなかったが、彼の周りから人はいなくなった。
暴力に対して山下は弁解もしなかった。
その事件から時が経つにつれ、だんだんと彼に接する人は増えたが、根っこの部分ではあんまり変わっていなかった。
そんな時に修学旅行の季節がやってきた。
本当はつい昨日まで一緒に行くつもりでいた。
しかし修学旅行前日。
『ねえ桜は山下君とまわるの?』
『うん、そのつもり。』
『いいなぁカレカノは……』
『えっ?別に付き合ってるわけじゃないけど。』
平然と言い放つ桜に驚きの声が上がった。
『えっ?!そうなの?』
それ以上の驚きの声が仲間うちから上がった。
話によるといつも一緒に帰っているからそうだと思っていたらしい。
一緒に帰っていたのは同じ目的地(事務所)にいく必要があったからだった 。
さらに聞き捨てならないのは学年中にそう思われていたことだ。
『じゃあ、現地で……?』
ニヤニヤと笑いながら冷やかされる。
『そういうわけでもない!』
『えぇ!頑張りなよ!』
皆やたらとくっつけたがった。
イベント前にカップルが急増するのはこの雰囲気のせいだ。
一緒にまわるなんて言ったら、無理矢理変な方向にもっていかれる。
あれから5年も経った今ならからかわれても受け流せる忍耐は持っているが、当時はそうじゃない。
『お前はどうするんだ?』
いつもの帰り道、山ちゃんが聞いてきた。
正直このセリフを待ちわびていた。
昨日だったらこの言葉をきっかけに一緒に計画を立てたりする予定だった。
言ってくれるのを待ってたのに。
ちょっとばかり遅かった。
桜は山下に言った。
『友達とまわるんだ!』
そう言えば山下はきっと一緒に行こうなんて言わない。
分かっていて言ったのは本当に狡いと思う。
彼は自分から誘うことは決してしないので、ちゃんと約束はしていなかった。
『そうか。』
彼は拍子抜けする程あっさりと引き下がった。
素気ない態度とも言えた。
もしかしたら桜の思い上がりで、彼はそれほど一緒に行きたいと思っていないのかもしれない。
山下には桜の知る限り、他に一緒に回る人もいなかった。
山下の中で、修学旅行が一緒の部屋が誰だったか思い出せないような薄い思い出となってしまったのならそれは悲しい。
「だから、今度一緒に回るの!」
「うん!頑張って。」
何やら姉が硬く決意をしたように見えたので樹はエールを送った。
第1章と違い最後まで完成しておらず、これから毎日更新することは出来ないかもしれません……できる限り更新していきますので、今後ともよろしくお願いします。




