51.開始前
王野家にピンポーンとチャイムの音が鳴り響いた。
瞬時にインターホンと連動した小さな画面に外の様子が映し出される。
一番画面に近かったユウが立ち上がり覗きに行く。
この時点で桜は既にリビングから飛び出していた。
画面上には早くドアが開かないかうずうずしている若い男が映る。
そして口パクで『あ・け・ろ』と言っている。
「山ちゃんだ!」
ユウは嬉々と部屋に残っていたオリに告げた。
ユウとオリは顔を見合わせて微笑んでゆっくりとした足取りで玄関へ向かった。
結局、帰ってこられたのは文化祭当日の朝だった。
そのせいで樹本人を連れてくることはできなかったので山下ひとりだ。
樹を連れてこなかったから落胆させてしまうかと思ってヒヤヒヤしていたが、それもボタンを押してからのほんの数秒の間の事だった。
ベルの余韻が消えて間もなく桜が飛び出してきた。
全てもう解決しているというのに桜はこの世の終わりのような顔をしている。
それが可笑しくて山下は口角を少し上げて笑った。
ことの顛末をメールでもしてやれば良かったと同時に少し反省した。
でもメールを打つより来た方が早そうだったのだ。
文字を入力する時間さえも惜しい。
桜は山下が笑ったのを見て状況を察した。
桜の泣きはらした顔がパッと華やいで、裸足のまま飛び出してきた。
「山ちゃん!!!」
山下は飛び込んできた桜をしっかりと抱きとめる。
「見つかったぞ。学校に届けてきた。」
「うんっ!」
桜は少し窮屈そうに頷いた。
「俺達も行くぞ。迎えに来た。」
「うんっ!……ありがとうっ!」
桜も数日ぶりに出会った彼にしっかりと抱き着いた。
山下は頬にあたる桜の髪の感触などを久しぶりに感じていた。
「あぁ、ここは外国なのかもぉ……」
「お前ら結局なんなんだよ……」
ユウとオリがジト目で玄関扉から顔を出していた。
「いたのか」
山下は同じ姿勢を保ったままユウとオリを桜越しに見下ろしていた。
「少しは恥ずかしがれよ!」
「あたし達が夜通し姫乃と一緒に居てあげたんだよ!」
「それはご苦労……ありがとう。」
山下がボソボソと礼を言ったので、オリはフンと鼻を鳴らし、ユウは誇らしそうに微笑んだ。
「山ちゃん、入ろ。」
山下は王野家に温かく招き入れられた。
数日来ていなかっただけで大分久しぶりに感じられた。
こうして以前の王野家にいつもの平穏が戻ってきた。
同じころ松田カンパニーの一室。
「おまえら朝からさわがしいな!」
画面上ではユーセンが金平糖にかじりついていた。
その背後には昨夜の仕事の報酬として受け取った金平糖が山のように積みあがっている。
寛いでいるユーセンとは違い、BONの面々は画面の外では慌ただしく動き回っている。
「カメラ出来とる?!」
「えっ?!カメラはイズミンじゃないの?!」
「抜かりなしであります!」
和泉は家庭用にしてはやたら高品質なカメラを片手に微笑んだ。
「それよりお弁当は?」
「学園祭なら出店であります!」
「そっかぁ!」
「しまった、前売り券買うの忘れとったわ!」
「僕が持ってるよ、5千円分。」
食事のことにかけては抜かりのない山城は、扇状にした前売り券をヒラヒラさせている。
「「でかした!!!」」
牧原は動きを止めて、丁寧にウィルス・バスターの相手をした。
「ボンの初監督舞台だからね。」
ユーセンは黄色い触角をぴくぴくと動かす反応を見せた。
「『初』って。次はない事を祈っていますがねっ!」
ライフルをカメラに持ち替えた和泉は夕べと同じように肩にかけて構えた。
「ホントにそうだよ!ボンがこき使うせいで僕5キロも痩せたよ!」
山城は大きな腹を擦った。
「それを思うと八作目ぐらいには標準体重になるんやない?」
その横でキャシーがカラカラと笑うと、またその横でリーコがむくれた。
「さっきからボンの事しか言ってないけど、私の英国風スノーホワイトコレクションのお目見えでもあるんだからね!」
ユーセンは金平糖の最後の一かけらを飲み込むとチョンと立ち上がった。
「おいらもみにいきたいぞ!」
「ゴメンね、ケータイも電源切らなきゃいけないから。後で見せてあげるよ。」
牧原はトントンと左目の下を突いた。
「お!なんか変わったな!」
ユーセンは画面越しに牧原の目を覗きこんだ。
「さすがユーセン君!やっと戻ってきたんだよ。」
牧原は遠くのものを見るような顔つきになった。
仁科から先生の形見といえる目を取り戻したものの、付け替える暇さえなくバタバタしていたが十数年ぶりにようやく牧原の目に戻ってきた。
「やっぱり自分で作ったのよりこっちの方がしっくりくる。」
「おう!瞬きするんじゃねえぞ!しっかり見てくるんだぞ!」
「わかってるよ。成功するといいねぇ……」
「だな!」
高二学年劇、開始前。
どんなに忙しくても、暇がなくとも、噂は流れるものだ。
「安藤姫乃、来てるらしいよ」
「ここの卒業生らしいし!」
「嘘っ?!どこどこ?」
「見た人いる?!」
どこからか情報が漏れたのか学園は朝からその話題で持ち切りだった。
「イツキ、どこにいるって?」
葵は舞台袖でちょんちょんと樹をつついた。
「えっと。メールで一階席の左上のブロックって……」
樹が見つけるよりも先に葵が見つけて声を上げた。
「居た!」
その声を聴いて、優太と樹が葵の指が示す方向に目を凝らした。
桜は大きな男物のパーカーに大きなメガネという出で立ちだった。
髪はウィッグをかぶっているようでボーイッシュな黒髪ショートになっている。
そういえば目立たないように変装していくねとメールが来ていた。
「あの隣にいるのって?」
「山ちゃんだよ。」
桜は人目もはばからず山下の肩に寄り添った。
コソコソと耳元で何か囁き合っていて、ただならぬ関係なのが見てとれる。
「あ、そういう関係なのね……」
優太はカーテンの隙間から遠い目をしながら眺めていた。
「樹があの時、すんなり美人な姉ちゃん見せてくれればこんな事には……!」
「だって……!誰だって気付くと思ったんだよ!」
樹の言うとおり、不満そうに膨れる顔は雑誌やテレビで見る顔によく似ている。
「あーゴメンね鈍くて……」
ふてくされた優太の肩を愛希がポンと叩いた。
「そろそろ客席に行きましょ。」
「アオ、真ん中で見たい!」
「はいはい!頑張れよ、樹!」
「うん!」
三人は席を確保すべく足早に舞台裏を後にした。
一人になった途端緊張が押し寄せる。
樹はふーっと息をつき手を強く握ってほどく動作を二回繰り返す。
そしてもう一度息をつこうとしたとき、ポンと肩を叩かれた。
「ヒィッ!」
「ごめん、ごめん驚いた?」
和馬は全く悪びれていないような笑みを浮かべていた。
「いやぁ、ホントに間に合ってよかったよ!君の代わりは流石に用意してないからね。」
樹は和馬の隣に松田家の若い使用人リンがいることに気が付いた。
彼女はもしもの時のために姫のセリフを一字一句正確に記憶していたのだ。
「あ、えっと……!」
リンにありがとうと伝えるべきか、もう大丈夫と伝えるべきか迷っていたらリンの方が先に口を開いた。
「私は正直ほっとしています。王野先輩、劇は客席から見るほうが私は好きです。」
「今日はこの後、リンと回るんだ!じゃあ、僕らも今日は客席から見てるよ!」
和馬はリンの肩を抱いてヒラヒラと手を振った。
リンが少し顔を顰めていたが、樹はつられて手を振った。
「なんだろアイツ。見せつけに来たのかな?」
下の方から憎まれ口が聞こえてきた。
ふわふわとして温かそうな格好をした永久がいつの間に横に立っていた。
耳付のカチューシャは本番ギリギリまで付けないつもりらしく手で持っていた。
「永久!どうしよう緊張してきたっ……!」
他の人には強がって余裕ぶって見せていたけどもう限界だ。
永久はハァっと溜息をついた。
「手繋いで勇んで帰ってきたと思えば、何にも変わっちゃいないんだね。」
「だって……」
「何がなんでも三十分後には劇はもう終わっている。緊張してても、してなくても、同じなら緊張するだけ無駄だよ。」
永久は可愛らしい見た目に反して悟りきった目をして、嫌々カチューシャを頭にのせ耳を生やした。
「そうだけど……」
「それに、最後になるかもしれないんだから、ちょっとぐらいいいところ見せてやったら?」
永久が視線で示した先には純白のドレスに身を包んだ真華が立っていた。
「じゃあ、僕位置につくから。」
永久は緞帳の下がった舞台の上へテクテク歩いて行った。
真華がこちらに向かって歩いてくる。
それだけで自然に背筋が伸びたような気がした。
『ゴメンだけど、あと少ししか持たないかも…』
ここへ来る途中彼女が樹に言った。
『大丈夫なの?』
真華は小さく頷いた。
『劇、終わるぐらいは持つよ。感覚で分かる。』
彼女はなぜだかその場でピョンピョンと飛んで見せた。
『だんだん充電も効かなくなってきてるし、今度切れたら……最後かも。』
ずっと幸せに暮らしましたとさとはいかないらしい。
『いいの?それなのに、出てくれるの?』
『くどいなぁ樹は。そのために私起きてきたんだよ!』
こうして彼女はここにいる。
樹は衣装に身を包んでいた。
真華も最初の衣装に着替えている。
「似合うね」
「井上もね」
樹は恥ずかしそうにボソボソと言った。
お互いがしっかりと衣装を着て面と向かうのは初めてだった。
真華がクルリと回って微笑んだ。
何だか出来そうな気がしてきた。
天の声が学年紹介をはじめる。
「それでは高校二年の『白雪姫』です!」
緞帳があがりきれば劇の始まりだ。
明日で最終回です。




