50.彼と博士の世界
「初めまして。僕は君の器を作った安藤。」
その男は今までに見たどの男よりも美しい顔をしていた。
不信感や違和感を払しょくさせるには十分な美しさだった。
圧倒的な美しさはしばし人の思考力を麻痺させる。
そして美しかったのは博士だけではなく、鏡に映る自分自身の姿までも美しかった。
よく顎の下にできる吹き出物もないし、腰まで伸びる髪は癖一つつかなかった。
この姿なら毎回鏡の前に立つのも楽しいし、服を合わせるのも楽しい。
どれもこれも、ノコギリ山に帰るという発想を忘れさせた。
といってももといた場所に返してくれと主張しても聞き入れられるかは微妙なところだった。
博士の話によると私はMac‐Aを作るために、RPAの中から無作為に選ばれ連れてこられた『人工知能』というものらしい。
連れ去りに関して、博士は関与していないようだったが、ゴメンねと何度も謝られた。
はじめは何を言っているかサッパリ訳が分からなかったが、前から圭と青が別の世界を行ったり来たり出来る特別な存在だということは認識していたので、二人の行ける別の世界に連れてこられたというのはなんとか理解した。
驚いたことに、私のいた世界は圭と青の父親が一人で作り上げたようだった。
「じゃあなに?あたしたちは作りものなわけ?」
受け入れがたい真実を知り博士に詰め寄る。
だって自分たちが絵本の主人公みたいに、作り手の思い通りに動かせられているものなのだとしたら。
ムカつく。
博士はたいして詰め寄る私を恐れた様子もなく、分からないと言った。
「『『あたしたち』?君が言ってるのはノコギリ山の人々なんだろうけど。僕も含む『わたしたち』にもそれはわからない。」
「ゴメン、何言ってるかわからないよ博士……」
「よく言われる。悪い癖みたい……説明不足っていうのかな?説明下手?」
どっちだろうと博士は首を傾げた。
「まぁ、いいよ。博士に分からないことがあたしに分かるはずないもん。」
「君が納得してるなら僕もそれでいい。」
それからしばらくは会社の地下でひっそりと暮らした。
たまに地上に出ると、すれ違う人が皆振り返って面白かった。
それだけ私は可愛かったのだ。
それに博士は聞いたことにはなんでも答えてくれたし、退屈することはなかった。
たまに見かけるおドジなコンビ、三内丸山にこっそりイタズラを仕掛けるのも面白かった。
隙あらば博士にべたべたする仁科はどうしても好きになれなかったけど、この容姿と博士がいればそれでよかった。
「僕には桜と樹って言う子供がいるんだ。会いたいな……」
ある日博士に恋人の有無を尋ねたらそんなことを言った。
博士が所帯持ちだったことはショックだったが、それと同時に私と同じ年頃の息子がいることを知った。
でも会うことはないだろう。
だって私は博士の研究所から出ることはないんだから。
そう思っていたがしばらく経ってから私は研究所を追い出されることになった。
私の博士への態度が仁科の反感をかったらしい。
自分だってベタベタしてるくせに……
仁科は上司に『RPAから抽出した人工知能は制御が出来ず扱いづらい』と報告したが、それは要するに私が気に入らないということだった。
仁科の上司から下った処分は『廃棄』だった。
そして私は会社から少し離れた倉庫街に匿われた。
「ごめんね。君を助けるためには出ていってもらうしかないんだ」
博士はゴメンねと手を合わせた。
「嫌だよ。博士も一緒に住もうよ!」
博士は首を振った。
「僕は無理だ。君を逃がすだけで精一杯だ」
「出られないの?」
博士はその問いに答えることはなかったけど、代わりにパッと顔を輝かせた。
博士の表情はノコギリ山の天気より変わりやすい。
「そうだ!もしよければ樹の学校に行くといいよ!」
唐突に何を言い出すのかと思えば……
口調は『提案』だが、その顔は『命令』だった。
博士のあの笑顔を見たら誰だって断ろうとは思わないはずだ。
むしろ率先して実行するだろう。
だから研究所を出た後は帝都学園に通うことを決めた。
博士曰く、樹は博士にそっくりだという。
博士はどんなに好きって言っても『妃がいるから』って相手にしてくれなかった。
樹なら相手にしてくれるかもと期待もした。
博士は仁科に内緒で会社が資金援助しているコネを駆使して動いた。
「やった!クラスもおんなじにできたよ!」
この時の博士の顔は大きな商談が決まったときよりも嬉しそうだった。
こうして私は転校生として帝都学園に入ることになった。
同じ年頃の男女がゴロゴロいるところにはじめて行くことになったが、怖くはない。
だって博士の作ってくれたこの顔があるから。
やはりというべきか、教室に入った途端一斉に注目を浴びた。
「かわいい!」
そりゃそうでしょ?
だって美しい博士が作ったんだもん。
私はその時、教室の隅に輝く藍色の瞳がこちらを見ているのに気付いた。
確かにそっくりで、名前を聞かなくても一目でわかった。
あれが樹だ。
「元気だった?」
人並みには。
「友達は?」
一人だけ小さい男の子がいる。
「何が好き?」
ごめん、知らない。
口癖は『ヒィッ!』と『大丈夫』
博士はそれだけ聞くと満足そうに頬を緩めた。
博士に似ていてカッコいい筈なのに、樹は自信なさそうに背中を丸めて過ごしていた。
期待していた分落胆が大きかった。
学校にいるなら女の子からはもてはやされ、男子からは羨望されていると思っていた。
なのに、樹はモテるどころか周りに人がいなかった。
こんな奴ならこっちから願い下げだ。
博士は『出られない』と言っていただけあって、いつも樹の話だけ聞いてすぐに研究所に戻ってしまう。
私ともしばらく会っていないんだから私の話も聞いてくれたっていいのに。
しかし博士はそんな気遣いは出来ない。
博士は無邪気な子供のようで、自分の欲望に忠実だ。
「仲良くしてくれると嬉しいな。」
私が樹にヤキモチ妬いているのも知らずそんなお願いまでしてきた。
断ることは出来なくて、博士のために遠目で樹の観察を行った。
博士には言えないが樹はビビりで、団体行動が苦手で、その上情けない性格であることが分かった。
後ろから突かれただけで悲鳴を上げるし、班行動では常に余るし、自分の悪口を言われても言い返さない。
あまりの情けなさに腹が立った。
見ていると何度ももどかしい場面に遭遇した。
そしてついに堪忍袋の緒が切れた。
それは転校した年の学園祭のこと。
放課後教室に戻ると樹が一人だけで段ボールに向かい合っていた。
「あれ?皆は?」
私が後ろから話しかけると樹はピクリと肩を震わせた。
「い、井上さっ……!皆、ジュース買いに……」
ここに来る途中、クラスメイトが自販機の前にたむろっているのを見た。
座り込んで談笑していて動く気配はなさそうだった。
樹は体よく出し抜かれたわけだ。
「呼び戻してこようか?自販機前でたむろってたよ?」
「いいよ!大丈夫」
出たよ。
『大丈夫』
きっとそうやって軽いいじめを気が付かないフリしているんだ。
「だっておかしいでしょ。一人だけ働いてて?」
樹は困ったような顔をしてしばらく考えた。
「好きで、やってるから、……いいんだよ!」
「フーン……」
情けないなぁ。
樹は私の様子をうかがうのはやめて作業に戻り始めた。
定規で図りながら設計図をもとに線を描いているようだ。
左手で抑えて、右手に鉛筆で下書きをする。
手際は良かったがやりにくそうに何度も鉛筆を置いたり持ち直したりする。
「手伝うよ。ここ押さえてればいいの?」
「え?いいの?ありがとう!」
私は突っ立っているだけなんだからちょっと手伝ってと言えばいいのに。
樹はそれだけで頬が紅潮するぐらい嬉しそうな顔をした。
「ありがとう!」
一通り下書きを終えると樹は再び感謝の言葉を述べた。
「ほとんどやってたの樹でしょ?」
なんてことのない言葉だった筈だが樹は目を丸くした。
「なに?」
「いや、……俺の、名前……」
しまった。
普通、あまり親しくない異性は苗字呼びだ。
つい博士につられてしまった。
言いなおそうとしたがその前に樹が口を開いた。
「覚えられてるんだと思って……」
「はぁ?」
樹はヒィッと小さく悲鳴を上げた。
「いやッ!静かだしッ!影、薄いからッ!」
樹はぼーっとしていることが多いけど、やっぱり周りからどういう風に見られているか気が付いていないようだった。
目立ってるよ。
黙っていても人目につくから。
この頃には樹が周りに構われていないというよりも、周りが樹を遠巻きに見ていることに気が付いていた。
『あ、王野君髪切ってる!』
『私前の方が好き。』
『王野君はブレザーよりカーディガンがいいのに……』
そんなの本人の勝手だろうに。
耳に入っても樹が何か言う事は絶対になかった。
作業が終わるころになってやっとサボっていたクラスメイト達が帰ってきた。
「スゴイ!できてる!」
「王野君ごめんね!サボっててもよかったのに……」
文句の一言でも言ってやろうかと思ったが、樹があまりにも嬉しそうな顔しているから言葉を飲み込んだ。
樹はこうやって一言の感謝の言葉があるだけで何されても許してしまう。
でもそれって褒められるためだけにやっているようなもんじゃない?
樹はいいのそれで?
その次の日のこと、教室のすべての机を校舎の裏側まで運び出すことになった。
それぞれ自分の席を運ばなければならなかった。
教室には一つ空席があって、一番早い人が机を置いて戻ってきても、空席は放置されていた。
樹は戻ってくるなりその席を掴んで運んでった。
誰に頼まれたというわけでもないし、誰に注目されるわけでも、評価される訳でもないのに。
「お、誰か運んどいてくれた?サンキュー」
担任が戻って来たときに空席が運ばれていることに気づいて感謝の言葉を述べた。
「誰が運んだの?」
静まり返る教室。
「え、誰?」
私はちらりと樹を見たがソワソワしているだけで名乗り出ようとしない。
褒められるのが好きだったらさっさと手を上げればよかったのに、樹はガヤガヤし始めたので縮こまってしまった。
「王野君が運んでました!」
私が声を上げると樹自身が一番驚いたように顔を上げた。
「さっすが!」
「イケメン!」
樹は恥ずかしそうにうつむいた。
学級委員だった女の子が樹に『ありがとう』というと樹はまた本当に嬉しそうに笑った。
樹が笑うと大抵の女の子は悪い気分にはならない。
あまりその顔他には見せてほしくないと思いはじめたのはその時だ。
それ以来観察という名目抜きに目で追っていた。
そのうちクラスも離れてしまった。
時たま声を掛けると嬉しそうな笑みを浮かべてくれる樹が好きになった。
優しいから樹はよく感謝される。
すると樹はよく笑う。
そのたびに笑顔を向けられる相手が自分じゃないのでこっちはモヤモヤした。
雪が降る頃には博士に抱いていた物とは明らかに違う感情を樹に抱いている事に気が付いた。
雪が解ける頃には博士への思いは憧れだったという事に気付いた。
それなのに幼稚に好き、好き好き言っていた自分が恥ずかしかった。
だから樹には好きという言葉を乱用しないようにした。
あーあ。
こんなことになるくらいならもっと乱用すればよかったな。
樹がはにかむのを通り越してあきれるぐらいに。
そうすれば状況は違っていたかもしれないのに。
キバが言った通り、待たなければよかった。
ここには何もない。
暗いし、匂いもないし、何かに触れている感触もない。
正直『死』という物をなめていた。
博士が作ったこの体が乱雑に扱われたりするたび、痛いとか、狭いとか感じると思っていたのに。
苦痛を期待していたわけじゃないけど。
自分がどこにいるかもわからなくなるなんて思ってなかった。
三内にスイッチを切られてから何時間経ったか、ひょっとしたらもう何年も経ったのか何もわからない。
キバは最後まで助けてくれようとしてたけど怪我してないかな?
これぐらいなら痛みだとしても、何かを感じていられる方がマシだ。
もし何年もたっていて、樹がおじいさんになっていたらどうしよう。
いや、まだいてくれるだけありがたいかも。
何もかもが悪い方向へと考えてしまう。
感覚もないはずの胸が詰まりそうだ。
こんな時には妄想に更けるしかない。
そうでもしないと狂ってしまいそうだ。
起きたら『リリ起きなさい!バーパーの世話をしなきゃ!』って怒鳴られる。
カッコいい博士も、騒がしい友人も、しゃべるウィルスバスターも全部夢。
私はノコギリ山麓の農家、田舎娘リリ。
でも夢と片付けてしまうには樹の存在はあまりにも勿体なかった。
どうせ妄想なのだからこの中でくらい自由にさせてもらおう。
私は普通の……いや、ちょっとかわいい女子高生。
そしてモチロン、樹は私の自慢の彼氏。
帰り道はいつも手をつないで、休日には二人でどこかに遊びに行く。
私服姿の樹を独り占めして遊園地にでも出かけたい。
それなのに私は樹の私服も好きな場所も知らない。
唯一知っているのは手の感触。
それを知ったのは劇の中でたまたま機会があったというだけだ。
そういえば劇どうなっちゃうんだろう。
樹がせっかく私の王子様なのに!
誰かにも盗られたくないのに!
劇の中みたいに樹が起こしてくれたらなぁ。
あまりにも強く思ったから樹の声が聞こえてきてしまった。
なんで声を聴くだけでこんなに温かくなるんだろう。
偶然樹が真華を起こす時に、樹の指が電源に触れた。
電源が入り意識が戻り始める。
「井上!……大丈夫?」
博士も唇とかもうちょっとロマンチックな場所にスイッチつけてくれれば良かったのに。
ちょっと待てば気を利かせて樹はキスしてくれるだろうか?
樹の顔が目の前にあって、ずっと寝たふりなんて事は出来なかった。
「うん。おはよう樹。」
「良かったぁ……」
泣き虫な樹はすぐに目に涙をためた。
真華は自分がどうやら車のトランクの中にいたことが分かった。
あがった扉がこじ開けたみたいに変な形に曲がっていた。
葵か圭がやったのかな?
しかしすぐそばに錆びついたバールが落ちているのに気が付いた。
そういえばさっきから鉄くさいような。
真華は樹の助けなしに自分の力で起き上がると樹の手を掴んだ。
「あっ、ごめん……汚れた?」
その手には赤錆がベットリついていた。
「ううん。嬉しいありがとう。」
勢いをつけて樹に飛びつこうと思ったが、樹以外にも真華を囲んでいることに気が付いた。
真華は一歩退いたところで佇んでいる山下に目を止めた。
「バレちゃいましたか?」
「そいつから何となく事情はきいた。今すぐに連れ戻そうとは思ってない。」
「と言うよりもリリ。まだリリを戻す方法が見つかってないんだよ……」
その隣にいた葵はしょぼんと俯いた。
「よかった。」
「何がいいんだ?」
山下は怪訝そうに眉を顰めた。
「だってしばらく一緒にいられるでしょ?」
真華が樹を見上げると樹はへへへとはにかんだ。
「急がないと遅れるよ?」
真華はあっと声を上げた。
「今日って文化祭?」
「そうだよ。あと二時間弱で始まる!」
「よかったぁ……まだ終わってなかった!」
真華は安堵の溜息を洩らした。
「学校、行こ」
「うん!」
恥ずかしいから言わないけど、一緒に登校する妄想もしていた。
妄想と同じように手をつなぐ。
本当は樹には照れずにもっと堂々としていて欲しかったけどこれで十分だ。




