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カリロボ  作者: 広瀬ジョージ
学園祭編
39/95

39.里帰り

 深夜零時過ぎ、山下は俗に言われる高級住宅の一角に佇んでいた。


 彼の現在の住まいからすると無縁な場所だ。

 山下はその中でも一目見て豪邸とわかる家の前に立っていた。

 高い塀に囲まれ、入り口も大きい。

 門は人ひとり通るために、開けるのをためらうぐらいの大きさだ。


 ここは山下の実家だ。


 距離からすると、いつもの生活区域からさほど離れていないが十年近く帰ってきていない。

 十年前は入るのに躊躇う事も無かったが、今は状況が違う。


 こんな馬鹿でかい門は無かったし、表札も変わっていた。

 第一こんなに広い敷地はなかった。


 山下が住んでいたころには、後ろは空き地で兄妹の遊び場になっていた。 

 両隣は民家が軒を連ねていたが、今は跡形もなく塀の中に浸食されていた。

 にこやかに挨拶してくれたあの住民達はどこに行ったか知る由もない。


「行くか。」

 山下は自らを奮い立たせるように呟き、呼び鈴を押した。

 インターホンの音まで変えられたようだ。


 山下を待ちわびていたような早いタイミングでドアが開く。


 露出度の高い女が出てきて、門の前にいる山下を見つけると駆け寄ってきた。

 近づいてきた瞬間きつい香水の匂いで鼻を傷める。

 嫌悪感から吐き気すらしてきた。


「あら?!どこぞの家出少年かと思ったら圭じゃない!」

 仁科は門を開けるなり、白々しいセリフで山下を出迎えた。

 山下は顔をしかめて抗議した。


 確かに大きな荷物を背負い、山下の童顔も手伝って家を飛び出したように見えなくもない。

 偶然にも十年前この家を出た本物の家出少年と同じ格好をしていた。


「やだぁ、久しぶりに返ってきたんだからそんな怖い顔しないで!」

 仁科は山下に抱き着こうとして手を伸ばしたが、山下はその手を叩き落とした。


「気安く触るな。」

「こういうのなんて言うんだっけ『ツンデレ』?」

 仁科の惚けた顔に殺意を覚える。


「そこをどけ。荷物を取りに来た。」

「あら?あなたの荷物なんてないじゃない。」


 その通り。

 ここには彼の私物は一切置いていない。

 当時の服はそれこそ今持っているボストンバッグに入れて十年前に持ち出した。

 それ以外持ち運び困難なものは、嫌がらせとして仁科の部屋の壁に文字通りめり込ませておいた。


 山下はあえて答えず仁科に質問した。

「部屋。まだそのままか?」

 仁科は不敵に笑った。


「当たり前じゃない。いつでも可愛い息子と暮らせるようにね!」

「一生戻らんがな。」

 山下は許可なく仁科をよけて奥へ進み、仁科はそれを咎める事なく後ろをついて来た。


 小型マーライオンが水を吐き出す噴水を尻目に、玄関までの小道を通り過ぎる。

 庭のいたるところに和風なのか洋風なのかよく分らない趣味の悪い石造が点在していて山下が暮らしていた時の面影は皆無だった。

 精神的ダメージを蓄積していきながらやっと玄関にたどり着いた。


 このドアだけは当時と変わらずに懐かしく思う。

 しかしドアを開けた瞬間懐かしさは消し飛び、異様なロボットが山下を出迎えた。


「「「おかえりなさいませ。」」」

 

 それぞれ単体で聞けばそれほど悪くない筈の声も不協和音のように耳に入ってくる。

 山下はその悪趣味さ加減に言葉が出なかった。


 左右合わせて6体いたロボットは、全て多種多様な美男子の形をしていたのだ。

 形は人に近いが、どれも人とは程遠い。

 人間特有の温かみや匂いが存在しない不気味なものだ。


 危うく桜のようにロボット嫌いに目覚めるところだった。


 仁科は立ち尽くす山下の横をすり抜け、一番手短にいた中性的な顔立ちのロボットと手を組んだ。


「どう?試作品よ。」

 ロボットなので表情という言い方もおかしいが、ピクリとも顔が変わらなかった。


「でもどれも冷たいのよね。死体みたい。」

 仁科はロボットの頬に自らの頬を押し付けた。

 山下はそんな事知るかと言わんばかりに靴を脱ぎ始めた。


 仁科はその様子を上から下まで舐めるように見る。

 義理とはいえ本来息子に向けてはいけない視線だ。


「ねぇ、たまには温かい人間と触合いたいんだけど……!」

 山下がしばらくその場にとどまっているのをいい事に、仁科は身を寄せ、山下に触れようと動く。

 触れるか触れないかという位置に近づいた時、ボストンバッグが仁科に直撃する。


「あんっ!」

 仁科は玄関に尻餅をついて倒れた。

 ボストンバックは仁科の横に転がり制止する。


 悶絶する仁科を山下は涼しい顔で眺めていた。

「モノで殴ることないじゃない!」

 仁科がボストンバックを拾おうとしたので、山下はその前にバックを拾い上げた。


「俺の物にも気安く触るな。」

「あなたが投げてきたんじゃない!」

「……」

 本当を言うと山下が投げた訳ではないのだが、ここで大っぴらに否定する訳にもいかないので黙っておいた。


 仁科が体勢を整えている間に山下はそそくさと家に上がった。

 内装も大分変っていて、山下が幼少期を過ごしていた面影は薄い。


 壁は黒く塗られ、家というよりもどこかのクラブのようで仁科にはお似合いだった。

 山下にはそれがなんというか分らないが、床にはホワイトタイガーがアジの干物のように開かれた、平べったい剥製のようなものもある。

 微かに獣の匂いがするので本物のようだ。

 毎度仁科に踏みつけられているかと思うと哀れでならない。


 家の中は間取りが同じだから進むべき道が辛うじて分かる程度だった。

 二階にある部屋を目指そうとする。


 居間を通り過ぎて二階に続く廊下に足を踏み入れた瞬間、目の前に鉄格子が降っていく手を阻んだ。

 本来家の中にあるべきでない、動物園の猛獣を入れておくような頑丈なものだ。


 振り返ってみると、仁科がリモコンらしきモノを握りしめていた。

 どうやら悪趣味に改造されたのは外見だけではないらしい。


 仁科は勝ち誇ったような顔でリモコンをチラつかせた。

「圭?その前にママとお茶しましょう。」

 仁科を邪険に扱い過ぎたようだ。


 壊せない格子じゃなかったが、これからも邪魔され続ける事を考えると付き合う方が近道になりそうだ。


「大丈夫か?」

 山下はボストンバックに向かってボソリと呟いた。

 返事はない。


「どうする圭?」

 仁科は少し優位に立ったような余裕の表情だった。


「わかった、いいだろう。そのかわり後で一人にさせてくれ。」

「いいわよぅ。さぁ早くきなさい。」

 仁科は圭を居間に招待した。

 居間も玄関と同じようなテイストでまとめられていた。


 サバンナに生息する動物の剥製やら色々あって、山下が座らされたソファはゼブラ模様だった。

 昔は葵が窓の光の当たる場所を陣取ってお昼寝していたが、このようなケバケバしい絨毯ではダニだらけになりそうだ。

 はたして、サイボーグはダニに喰われるのだろうか。


 仁科は山下の前にティーカップを置いて、その横に座った。

 山下はそれ以上近づくなと言わんばかりに、仁科と自らの間にバッグを降ろした。


 段々と距離を縮めようという魂胆を見透かされた仁科は、仕方がなく自分のお茶に手を付けた。

「あらの飲まないの?」

 仁科はカップに手を付けない山下に視線を送った。


「お前の淹れた茶なんて飲めるか。」

 突っぱねると仁科は含み笑いをする。


「一緒にお茶するって条件だったでしょ?今日はなんも入ってないわよ。」

 山下はまず匂いを嗅いで、仁科を見た。

 仁科はポーカーフェイスだった。


 仕方がなく紅茶を口に含んだ。

 その様子を仁科はウットリと眺めていた。


「見るな、気色悪い。」

 仁科は罵倒されたのにもかかわらず笑顔だった。


「私苛めるのも好きだけど、苛められるのも嫌いじゃないのよ。」

「救いようのない変態だな。」

 山下がお茶を口にするたび、仁科は笑いを押し殺したような表情を見せる。

 やはり何か入っていたのだろうか。


「そういえば葵はどうしてるのかしら?」

 山下の横に置いたボストンバックがびくりと揺れた。


 仁科は十七歳の少女が家でしたというのに探す事すらしていないようだ。

 葵が山下と再会したという情報も掴んでいないらしい。


「さぁな……」

「もう、冷たいわねぇ!仲良くしなさい!」

 仁科は山下を苛立たせる天才のようだ。


 山下は何とか眉間の皺を深くするだけに留まった。

「誰のせいで離れて暮らしていると思っているんだ?」

「あら?あなたを追い出したつもりなんてないわ。むしろ優遇したつもりよ!」

「お前にとっての優遇は部屋に閉じ込めておくことか?」

 山下は皮肉を込めて言ったが、仁科は自分を蔑む視線すら楽しみながら見つめ返すと、心外だというように弁解した。


「年取らないようにしてあげようかって言ったのに。あなたが逃げ出すから。」

 あきれてものも言えない山下を見て仁科は更に言葉を加えた。


「もしかして今日戻って来たのって考えが変わったから?」

 見当違いもいいとこだ。

「馬鹿か。」

「あら、違うの?」


 仁科は特に傷つく様子もなくまたお茶を口に運んだ。

「ホントにいいの?いくら童顔だからって可愛くいられる時間って結構短いのよ?」

 仁科は手を伸ばし山下の頬を撫でた。

 途端にぞわぞわと鳥肌が立ち、山下はすぐさま払い落とした。


「余計な世話だ。」

 仁科は自分がそうしたように、人を若い姿のまま保存しておきたいらしい。

 義理の息子だからというのもあるが、仁科は山下に執着を見せている。

 仁科は払い落とされた手を摩りながら、言葉を続けた。


「それに一番は体力。あなたがどんなに強くて頑丈でも老いには勝てないわ。その力、保存しておかないと勿体ないわよ?」

 保存することは体の細胞も保存する行為であるため、その細胞に宿る能力をも保存する。

 山下兄妹は生まれつき高い身体能力を有しているので、それを保存したいというのも、仁科が山下にこだわる大きな理由だ。


「お前まさか、それで葵を加工しようとしたんじゃないだろうな?」

 だから急に家を飛び出して来たのではないかと山下は思った。

 

 仁科は首を振る。

「女の子はあまり興味ないもの。でも圭がどうしてもって言うのなら一緒にしてあげない事も無いわ。」

 自分以外の女は長く生きられるようにする必要はないという訳だ。


 その後も仁科は山下の神経をすり減らすような話題を振ってきた。


「そういえば安藤君の娘ちゃんとはどう?私としては息子くんの方が気になってるんだけど!今度連れてきなさいよ!そうしたらフレンチご馳走してあげるわよ。あなたの安月給じゃ中々いかないでしょ?」

 山下はこれから先、仁科の話には耳を傾けないようにしたが、聞き捨てならない事を言ってきた。


「ねぇ?パパって欲しいかしら?」

「パパ?」

 思わず聞き返す。


「いい雰囲気の男の子がいるのよ!」


 未成年保護の云々で、戸籍上仕方がなく山下兄妹の母は仁科という事になっていた。

 山下が成人した後もその関係は続行されている。

 つまり仁科の夫は形式上『パパ』となる。


「物好きがいるんだな。」

「哲原牧男君っていうの。」

 聞き覚えのありすぎる名前だ。


 一体どういうつもりなのだろう。

 彼なりに考えがあるのかもしれないので山下は表情は変えないでおいた。


 聞いてもいないのに仁科は最近熱を上げている彼の事を語り始めた。


「でも哲原君ガード堅いのよ!彼から言い寄って来たのに。どう思う圭?」

 仁科は山下の方へ体を傾けた。


「どうも思わん。しいて言うなら全てお前の勘違いだ。」

「もう、なんでそんなに冷たいの?ママはそんな風に育てた覚えはないわ!」

「育てられてないからな。」

「少なくとも葵は育てたわよ?」

 RPAに十年籠っていた少女を放っておいて、それは育てたうちに入るのか。

 山下は無言で睨みを利かせた。

 仁科はその視線には気が付かず、あっ!と声を上げた。


「そういえば……葵のヤツ私の宝物燃やしてったのよ!酷いと思わない?!」

 仁科のお宝とは古今東西の男達が被写体になった悪趣味な写真ファイルだ。


「自業自得だな。」

「あなたの写真も燃やされたのよ?!」

「よくやったと褒めてやりたい。」

「そうだ!大人になった圭をまだ撮ってないわ!さぁママに見せて……!」

 言い終わる前に山下は空になったコップを机の上に置いて立ち上がった。


 苛立ちも忍耐の限界も頂点に達していた。

 それでも唯一の荷物であるボストンバッグは丁重に肩にかけた。


「もういいだろ。」

 まだ駄目だと言いたげな仁科はリモコンに手を伸ばした。

 しかし、そこにはもうリモコンは無い。

 山下がリモコンをいじっていた。


「借りるぞ。」

「コラ!待ちなさい。」

 仁科が追いかけてくるので山下はそそくさと部屋を出た。

 仁科も追いかけて部屋を出たが、ガシャンと目の前に鉄格子が降ってくる。

 山下は格子越しに仁王立ちで佇んでいた。


「返しなさい!」

 山下は仁科が手を伸ばしてもギリギリ届かないところに立ち、仁科の手が山下の前で空ぶる。


「気分がいいな。」

 初めてそれが便利だと思った。

 山下はリモコンをわざわざ手の届きそうなところに放置して二階に上がった。

 地面に這いつくばって手を伸ばせば届きそうだが仁科は果たしてそうするだろか。

 リモコンにもしもの時のために急いで二階へ向かう階段に向かった。


「コラ待ちなさい!!!」


 階段まで仁科色に染められていた。

 仁科が部屋はそのままにしてあると言ったが、期待通りではない気がしてきた。


 もしかしたらとんだ無駄足に終わるかもしれない。


 山下の部屋は西側の一番日当たりのいい部屋だが、山下はその向かいの部屋のドアノブに手を掛けた。

 ここは葵の部屋だ。


 山下は部屋を開けるなり、ボストンバッグを地面に降ろした。

 ファスナーがひとりでに開き、目にも止まらぬ速さで黒い塊が飛び出した。


「狭かった!!!」

「デカい声出すと見つかるぞ。」


 葵はハーイと手を上げる動作をして、部屋を散策し始めた。

 タンスの中を探して葵はあっと声を上げた。


「あったよ圭兄!」

 葵は帝都学園の指定ジャージを手に小躍りした。

 タンスの中にはジャージと一緒に、本来着るはずだった制服も糊が付いたまま仕舞われている。


 今日、気のりしない仁科の家に来たのは葵の制服を取りに来たからだ。

 制服というものは高いため、家計に大きな打撃を与える。


 精神とお金を天秤にかけたらお金の方に傾いた。


 葵の大きさは入学当時からあまり変わっていないので問題無さそうだ。


「チビのままだなお前……制服はいいのか?」

 葵はうんと大きく頷いた。


「ジャージも制服になるんだって!」

 確かに指定の物は制服のうちに入る。


「折角だから一回ぐらい着てみろよ。」

 折角あるのに一度も袖を通さないのは勿体ない。

 葵はジャージを手にしながら首を傾げた。


「圭兄は制服萌えする人だったの?」

「断じて違う。どこで覚えた?」

「唯が教えてくれた。」

「女か?ロクなこと教えんな……」

 葵が自分の入っていたバックに荷物を詰め始めた。


 山下はしばらく暇で佇んでいたが、ドアの外に人の気配を感じた。


「誰だ?」

 ドアの向こうにいる人物は驚いたようでドアの前で躊躇していた。

 仁科なら躊躇するなんてことはない筈だ。


 葵もその事に気が付いたのか、ドアの向こうをジッと眺めていた。


「入ってこい。」

 山下が命令するとドアが静かに開いた。


 葵が素早く反応する。

「アンドウ!」

 葵は飛びつきそうな勢いだった。


「止めろ。」

 山下の制止を無視して葵は実際飛びかかった。


 葵の速度と怪力が合わされば、田邊を抜刀せずとも頭蓋骨を割るぐらいの事は出来る。

 幸いな事に葵は田邊を背負っていなかった。


 葵も背中に手を伸ばして、田邊がない事を思い出したようだ。

 その事で葵の勢いが弱まった。


「大人しくしてろ。」

 山下の一言で葵は完全に大人しくなった。


「樹に感謝するといいよ。」

 葵は吐き捨てるように言うと山下の後ろまで後退した。


 今現在、安藤の息子である樹が本来葵の背にあるはずの田邊を持っている。

 葵の一言で安藤は目を開けた。


 それまでは、葵がとびかかって来る条件反射でギュッと目を閉じていたが、不思議と安藤は逃げなかったし、手を前に出して防ごうともしなかった。

 それは意図的にそうしたようで、手が離れないように衣服をしっかりつかんでいた。

 その恰好はどうぞ切ってくださいと言わんばかりだった。


「ありがとう樹。」

 安藤は呟きながら、控えめに一歩踏み出してドアを閉めた。


 山下は自分が思う以上に安堵している事に気が付いた。


 それは葵が暴力を振るわなくて安堵したのか、それとも単純に安藤が助かったからなのか自分でもわからない。


 安藤は田邊が手元にあったら殺していたと申告されていたのに、臆している様子は見られなかった。

 肝が据わっているというより、度の超えた天然で臆することを忘れているようにも思える。


「仁科はどうした?」

 山下が訪ねると安藤はうーんと考えた。


「『なんで廊下で寝てるの?下着見えてるよ』って言ったらどっか行っちゃった。」

 リモコンを取ろうと柵越しに必死に手を伸ばした仁科の状景が頭に浮かんだ。

 結局仁科は這いつくばり、運の悪い事に安藤にその姿を晒したらしい。


 山下は心の中で嘲笑った。

 安藤に無様な姿を見られた仁科は逃げるように姿を消したに違いない。


「ところでお前はどうやってそれを取ったんだ?」

「ゴルフクラブで。」

 不気味な人形達の脇には確かそんなものが置いてあった。

 安藤は地面に這いつくばることなく比較的優雅にリモコンを取れたらしい。


「お前は何しに来たんだ?」

 安藤は急に思い出したという感じにポケットの中に手を突っ込み、カラフルな紙のようなものを摘まみ上げた。

 ポケットに入っていたのでまさかとは思ったがそれは蝶だった。


「ゴメン狭かったね。」

 蝶に向かって呟いたかと思えば葵に向き直る。


「コレ、樹にプレゼント。」

 安藤が手を離すとそれはフワフワと葵の方へ飛んで行った。

 葵は安藤がそうしたように薄い羽を破いてしまわないよう、そっと羽を掴んでそれを捕まえた。


 掌の上に乗せると大人しく羽を動かしていた。

 その蝶からは微弱だが機械音がした。


「これロボットだ!」

 葵は興奮して騒いだ後、きまり悪そうにして安藤を睨み付けた。


「樹は今もロボット好き?」

 葵は不服そうに頷いた。


「よかった。」

 安藤は次に山下の方を向いた。

 

 山下はこの男が大の苦手だ。

 恨んでいるからというのも勿論あるが、彼の独特の思考回路から織りなされる会話が苦手なのだ。


「桜は元気?」

 長い間一緒にいなかった事を考えると真っ当な問いかけだった。


「さぁ。」

 ちゃんと答えてやる義理なんてない。

 山下が意地悪い返事をすると安藤は狼狽し、その表情が恐ろしく樹に似ている。


「桜と喧嘩したの?」

 安藤は恐る恐る山下に聴いてきた。

「違う。」

 本気で心配しているような表情が無性に腹が立ち、つい山下は正直に答えてしまった。

 そもそも普段は仲良く暮らしていると思っている危機感のなさが腹立たしい。


「よかった。」

 山下は結果的に安藤を安心させてしまった。


 安藤はこれ以上ないような笑顔を見せる。

 山下は早速安藤にペースを乱されている事に気が付いて、きまり悪そうに顔を顰めた。


「なにがよかったんだ?」

 安藤は知識をひけらかす子供のような、無邪気な笑顔になる。

 山下は墓穴を掘ったと後悔した。


「桜、喧嘩するとすぐ泣くでしょ?」

 安藤は同意を求めるように、山下に視線を投げかけた。

 

 確かに。

 桜本人に悪気はないのだろうが、相手が罪悪感を覚えるくらい泣く。

 どちらが悪かったのか忘れる程に。


 気が付けば安藤はいつの間に笑うのを止めて眉を潜めていた。

 今度はどうしたというのだろう。

 山下はうんざりしながら溜め息を押し殺した。


 自分で同意を求めたくせに、安藤は山下を咎めているようだった。


「泣かせたことあるんだね?」

 桜を泣かせたときの苦い表情が顔に出ていたらしい。


「悪いか?」

 山下は安藤の不安を煽るように平然と答えた。

 葵は珍しく空気を呼んで静かにしていて、安藤の答えを待っていた。

 しばらく考え安藤は首を振る。


「大抵は桜の勘違いの事が多いから。悪くないんじゃないかな?」

 それもその通りだった。


 いつも桜が勝手に勘違いするので山下は何がいけなかったのか分らない事が多々ある。


「でも。」

 安藤は声のトーンを落とした。

「意味もなく桜を泣かせないで。約束。」

 安藤は小指を出すと、一方的に指切りの動作をして見せた。

 安藤の中ではこれで約束が成立した事になるようだ。


「どうだろな。」

 そんなつもりは毛頭なかったが、安藤に不安を与えるつもりで言った。


「危ない事とか悪い事はしないでよ。桜は君が大事だ。」

 またしても安藤は一方的に指切りするように手を上下させた。


 それも確かな事だった。

 山下や葵に何かあったら桜は自分の事のように悲しむ。


 安藤は離れて暮らしているのにも関わらず、子供達の事を正確に理解していた。

 そして葵に斬られる覚悟までして、プレゼントを託しにくるぐらい子供を愛している。


 山下の中で疑問が膨れ上がる。


「なら、お前の事はどうなんだ。」


 顎に指を当て、首を傾げる安藤。

 この動作は桜にしっかり受け継がれている。


「人には傷つけるなと言っておきながら、お前が一番アイツらを傷つけたんじゃないのか?」


 こんなにも子供達を思っているなら、父親である自分が離れた時、子供達がどうなるかぐらいは分かった筈だ。


「傷ついてる?」

 安藤は山下のセリフを繰り返した。


「聞かれなくったて分かるだろ。」

「分かんないよ。」

「あいつが未だに『安藤』って名前で活動しているのも知っているだろ?」

 安藤は耳を塞ぐというわかりやすい逃避スタイルを取った。


「聞きたくないと思ってるのが、分かってる証拠だろ。」

 安藤は顔を上げて微笑んだ。


「桜のことよろしく。」

 安藤は葵にも微笑んだ。

「もちろん樹のことも。」


 勝手に話を終わらせて切り替える事にしたようだ。


「はぐらかすな。」

 へへへ。


 このごまかし笑いも遺伝するようで、樹がするものによく似ていた。


「僕に会った事、桜には内緒だよ。怒るから。」

 試した事はないがそれもおそらく正しい。


「樹には?」

 葵が口を挟んだ。


 安藤はんー……と考えた。


「樹は僕のこと覚えてないかもしれない。僕といない時間の方が長くなっちゃった。」

「でもアオは父さんのこと覚えてるもん。」

 葵もまた父親と過ごした時間の方が人生の内で短かった。


「樹もそうだと、いいのかな?」

 安藤は寂しそうな笑顔を見せたが山下兄妹にはかける言葉が無い。


「用事はすんだ?仁科が部屋に閉じこもってるうちに君達も早く出た方がいいよ。」

 安藤に追い出されるような形で部屋を出た。


「「「行ってらっしゃいませ。」」」


 三人が玄関を通過すると左右からロボットがお辞儀をした。


「調子は良さそうだね。」

 安藤は6体一つ一つに視線を注いで言葉をかけた。


 返事が返ってくるわけでもないのに、安藤はあたかも彼らが生きているように接した。


「妙だな。」

 耳には入っていただろうに安藤はまるで聞こえていないかのように振る舞った。


「バイバイ。」

 安藤はお別れだというように手を振った。


 山下と葵は家路につく。

 しばらくして振り返ると安藤はまだその場に立っていた。


 こちらの視線に気が付くと大きく手を振った。

 なぜか立てた小指を少し曲げている。

 それは誰かと指切りをしているように見えた。


 無言で『約束だよ』と言っているようだった。



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