37.完全復活?
水曜日の放課後。
優太は真華を抱え、人目につかない道を選び行動していた。
特別な理由がない限り使用が禁止されているエレベーターを使い、地下にある廊下を渡り、一階へ上がった。
文化祭準備期間でどの学年の廊下も人目についてしまうからだ。
人が見えなくなったところで、真華をお姫様抱っこから運びやすい様に片腕持ちに変えた。
こういうと優太がとても力持ちに見えるが、そういう訳ではない。
真華は優太が片腕で持ち上げられる程軽くなっていたのだ。
優太は改めて真華が人間ではないという事を再確認させられた。
『最近体がすごく軽い』と言っていた真華を思い出した。
優太も一度見た事がある、あの血に似た液体燃料がなくなっているせいだ。
片手が空いた事で保健室の戸をあける事は容易だった。
真華には人間の処置は効かない事は分かっていたがここぐらいしか連れて行く場所が思い当らなかったのだ。
先生がいない事は電気が付いていない事で確認済。
ズカズカと保健室内を横断しパイプベッドの上にとりあえず真華を降ろした。
指先は一切力が入っていないようで、投げ出された姿勢のまま動かない。
この状態が長く続けば続くほど、普段の真華が戻ってこないように感じられる。
「どうする?どうする俺???」
優太は自分を追い込むように言って頭を抱えた。
追い込む事で名案が浮かぶかもしれないと考えたのだ。
「落ち着け俺!冷静に……」
冷静になったところでここにいると、いずれ先生がここに来てしまうという事に気付いてしまいより焦りが増す。
ここから移動するべきだ。
学校の裏に隠した原付に乗って、牧さんのいるスタジオまで行くか……
そう決断を下して真華を抱えようとした。
それよりも先に保健室前の廊下に人の気配がして背筋が凍る。
優太は動きだけでなく息を止めて足音が遠ざかるのを待った。
足音が聞こえなくなった。
保健室の扉が開いた時には死ぬほど驚いた。
おそかったか……!
一応カーテンは引いてあるので姿は見られていないが、足音が近づいてくる。
男の足音のようで、保健の先生ではないようだ。
生徒ならば無言で入ってくる事も無い。
体育教師か、クラスの担任の顔が思い浮かんだ。
誰かが連絡したのだろうが、どちらにしてもいけない。
優太がどこからどう説明しようか考え始めた時、カーテンの向こうにいる人物がこちらに向かって話しかけた。
「木林森。いるんだろ?」
カーテンの向こう側の人物は他の誰かに聴かれるのを避けるように、息を潜めて話しかけてきた。
前からいい声だと思っていたが今日ほどよく聞こえたのは初めてだった。
「牧さん?!」
カーテンをかき分けたら牧原が目の前に現れた。
ただし、優太のよく知る牧原とは様子が違っていた。
いつもの私服で職業不詳の印象はなく、スーツ姿で見るからに会社勤めの男になっていた。
優太の目には変装しているように映った。
いつもしている眼帯もなく、頬の傷もガーゼで隠してある。
牧原は口に手を当てて静かにするよう念を押した。
優太は自分も口に手を当てて、何度も頷いて見せた。
牧原は黙って真華の腕を取って、点検し始めた。
その動作は人間の脈を図る時の動作によく似ている。
「牧さん!なんでここにいんの?」
優太は声を潜めて牧原に尋ねた。
「燃料切れみたい。説明すると長くなるから全部終わったら話す!時間がないから急いで!」
牧原は静かに、しかし切羽詰まった様子で返した。
牧原は手早く鞄から小瓶を取り出し蓋を取ると、優太にそれを握らせた。
それには薬局でよく見る栄養剤のラベルが貼られている。
こんなもので直るとは思えないが、今は牧原を信用するしかなさそうだ。
牧原は細い管を出し、先を小瓶に入れ、もう一方の先を真華の腕の部分に差し込む。
パーツを外し、管を差し込むところまで淡々と行い、優太に執刀医を彷彿とさせた。
そのため何となくパーツを外した中身や牧原の手元はまじまじと見られなかった。
「木林森これ下げないで持ってて。いい?」
「あ、はい!」
返事して間もなく透明の管の中を小瓶の液体が流れ始めた。
優太は理科の実験でこんなのやったなと思いながら、吸い上げられていく液体を眺めていた。
ラベルは栄養剤だが中身は別物らしかった。
「この分量だと一週間から十日そこらしか持たない。起きたら彼女に伝えてあげて。」
優太は頷いた。
告げられたのは文化祭ギリギリのタイムリミットだった。
牧原はスーツを整えて、少ない荷物を持ち直した。
「えっ?!牧さん行っちゃうんですか?!」
牧原は頷いた。
「あと、しばらくDJは休むから。」
「でぇ?!」
「新曲出来てた?ゴメン、いつか特番組んであげるから!」
「やった!マジで?!ちょっと待ってっ!」
優太はボトルを高い位置で掲げたまま動けない。
そのうちに牧原はカーテンの向こうに消えていった。
そのあとすぐカツカツと高いヒールで歩くような音が聞こえた。
優太は騒がず息を殺した。
「見つけた!どこ行ってたのっ!勝手に歩き回らないで頂戴!」
その声は本気で怒っている訳ではなく若干の甘さが含まれていた。
「申し訳ありません社長。」
大して牧原の声はこんな話し方するんだと思うほど冷めている。
「もぅ、二人でいる時は美由って呼んでって言ってるでしょ?」
カツカツというヒールの音はだんだん遠ざかっていく。
カーテン越しに聞こえる牧原の声は冷徹で近寄りがたい印象だった。
大声を出して呼止めるのは憚られた。
「どうするんだよコレ……?」
優太は理科の実験を思い出して最後の一滴まで吸い上げるように小瓶を傾けたりして調整した。
二つの足跡が遠ざかって数分が経った。
優太は茫然と立っていたが、真華の手の指がピクリと動いた。
「起きた?!」
真華はゆっくりと目を開けながら体を起こした。
「保健室?」
真華はかすれた声で言って、優太は肯定するように頷く。
小瓶の中は空になっていたので優太は腕を降ろした。
真華は自分で管を大胆に腕から引き抜いた。
「どうするこれ?」
優太はぼうっと空の小瓶と管を突き出した。
「これは私が持っとく。ビンはいらない。」
真華は素早く管だけ抜き取って巻いて、ポケットにしまった。
さっき倒れたとは思えぬ機敏さを見せている。
「大丈夫かお前?」
真華はピョンと跳ねるようにしてパイプベッドから降りた。
「大丈夫!むしろ前よりスッキリ!体も適度に重いし、フワフワしない!しかも左手も動く。」
真華はそう言いながら左手をグー、チョキ、パーにしてみせた。
優太は急に緊張が解け、膝から崩れてパイプベットに腰かけた。
「お前……!昨日の今日で倒れんなよ!俺先に帰ってたらどうするつもりだったんだよ……!」
「ごめんって!!!助かったよキバ!」
「そんな元気なら、さっさと戻ろうぜ」
優太はゆるりと立ち上がると真華を急かした。
皆心配している筈だ。
「待ってキバ。」
真華は優太を呼び止めた。
「そういえば私、倒れた?」
「おう。」
優太はさも当たり前のように頷いた。
「みんなの前で?」
「おう。」
再び優太は頷いた。
「どうやって……?!」
「ガシャン。周りキャー!みたいな。」
「……」
真華は顔を蒼くしない代わりに、目を泳がせていた。
「で、俺が運んでここに。」
優太はチョイチョイと地面を指差した。
「……ちなみにどう運んだ?」
優太は褒めてもいいんだぜと言う表情になって、胸を張った。
「安心しろ!担いでないから。人間みたいにこうやって……」
優太は体の前に二本の腕を突き出した。
「樹の前で?」
樹は真華が倒れた時近くにいた。
「うん。」
「バカあああぁぁ!!!」
てっきり頭を地面に擦り付ける程感謝されると思っていた優太はひっくり返りそうになった。
まさか馬鹿と罵られるとは思っていなかった。
「はいぃっっ?!」
「樹の前で?前で?!あいつらデキてんの?って思われたらどうしてくれるの?!」
「助けたのに!命の恩人に向かってそれですか?!」
「感謝はしてますぅ……」
「絶対してない。絶対してないっ!」
「どうしよう……誤解された……」
「いや!お姫様ぐらいするって!俺以外でも!樹だってしようとしてたし!」
頭を抱えていた真華が顔を上げた。
「樹が?!なんで邪魔したの!」
優太は口を尖らせた。
「だってさ、ロボットだってバレるとマズイかなぁって俺なりに考えてたんですけど……」
正直、樹が真華を抱き上げなくって良かったと思っている。
どんなに痩せた人間だろうと真華の軽さは異常だった。
それに真華には言っていないが、樹が極度のロボットオタクという事を優太は知っていた。
直接手に触れたら分かってしまう恐れがあった。
「……そうだよね、ありがとう。」
今になってやっと真華の口から感謝の言葉が出てきた。
「いえいえ。もう戻ろうぜ。」
「そうだね。」
真華は優太の手も借りず自分の足でスタスタと戻っていった。
そして忘れる前に真華に伝えねばならないことがある。
「今牧さんが来て、もって一週間から十日だって」
優太はチラリと真華の様子を伺った。
真華は特に悲しんでいる風ではなかったが眉を顰めた。
「牧さんが?なんでここに?」
「さぁ、見えなかったけど女の人と一緒だったような……?」
「会わないつもりだったのに……まぁ、いいや。私、貧血で倒れたの。最近ダイエットしてて。これでいく。覚えた?」
「おーらい。」
優太は若干のやる気のなさと力強さを感じさせる返事で応えた。
「練習続けてと言われても、主役持って行かれちゃねぇ……」
和馬はハハハと中身のない笑いをした。
それに学年全体が真華の心配か、二人の冷やかしでまとまりが無くなり始めていた。
「それにしても二人いつの間にあんな関係に?」
「私も知らなかったわ……」
唯と愛希はうーんと探偵ポーズで唸っていた。
そんな中二人が返ってきた。
「真華、大丈夫?!」
真華の周りに彼女を気遣って女子が集まった。
戻ってきた真華は元気そうだった。
「うん!全然、大丈夫!ゴメンね!ちょっと貧血で……!」
「嘘っ急に?怖いねぇ……ホントに大丈夫?」
「最近、ダイエットしてて……フラっと来ちゃった」
「嫌味にしか聞こえない!むしろ食べろお前は!」
「ゴメンって!」
心配したじゃん!とか大丈夫?とかの声に真華はしばらく揉まれていた。
樹は声を掛けられずにいて、遠くから永久と並んでみていた。
「行かないの?」
「行けないんだ……」
彼女が危機的な状況にあったのに、純粋な心配だけで話しかけられない気がしたからだ。
その予感はおそらく現実になる。
それくらいなら彼女のもとへ行かない方がいいし、できないのなら近づいてはいけない。
「ヘタレ。」
永久はそれ以上何も言わなかった。
優太の方は戻ってくるなりド突きまわされている。
「なんだよお前!!」
「なんだよお前!」
「なんだよお前。」
「なんだよお前……」
「おい、ジョニー!トーンがマジだってッ!」
樹は優太の周りの人だかりにも混じることが出来なかった。
ジョニーの二の舞になる可能性があるし、違和感なく優太をド突いたところで、その時の自分の心境は穏やかでないだろう。
優太は力一杯叩かれる。
でも、それだけだった。
皆が認めていた、あるいは納得していたからだ。
優太はいいヤツで人気者だから、学校一の美少女と付き合う事になっても祝福される。
あれが仮に自分だったらと樹は考えた。
祝福なんてされるだろうか?
彼女と話した時、妬ましそうに、羨ましそうに見られたことがある。
その視線に少しとはいえ優越感を覚えた自分はやはり祝福されない人間だろう。
遠くに見える真華がキョロキョロと辺りを見回していた。
目が合ってしまい、彼女の顔が華やぐ。
昨日までの樹だったら、見えない尻尾を振って自分から駆け寄っていく筈だった。
周りの人に少し声を掛けて、彼女は軽い足どりで真直ぐに向かってきた。
樹ははじめて、こっちに来ないでくれと思った。
そう思ってしまった自分はなんて器の小さい男なのだろう。
なんで彼女が無事に戻ってきたのに素直に喜べないんだろうか。
「イツキ!」
樹の目の前に来るほんの三歩前、真華は弾むような声で名前を呼んだ。
「大丈夫だった?!本当にビックリした……!もう大丈夫なの?」
樹はかえっていつもより饒舌だった。
意外と話したら楽だったことに安堵した。
「大丈夫だよ、もう全然!」
「よかったぁ」
樹が笑うと真華もゴメンねと言って笑った。
「お前、劇はちゃんと出来るの?」
永久は訝しげな視線を真華に向けた。
「出来るよ!当たり前じゃん!」
真華は力一杯に肯定した。
「ホントに?無理させてない?」
樹は恐る恐る聞くと真華は眉を釣りあげた。
「当たり前じゃん!」
「なら良いんだけど……」
真華はふぅと息をついた。
何か大切な事を言う前によく見られるそれだった。
「イツキ、木林森君のことだけど……」
案の定の言葉で、言い淀んでいることで確信になった。
真華は優太を『キバ』と呼ぶ。
自分でも気持ち悪いと思う程に真華を見ていた樹には分かる。
わざわざ丁重に『木林森君』と呼んだところに嫌な予感がした。
以前、彼女に好きな人には気持ちを伝えるべきだと言った。
真華はその結果を伝えに来たに違いないと樹は直感した。
一緒に帰ってきたのがその結果だと思う。
「うん。わかってる。」
さすがに良かったね、と言えるほど物分りよくはなかった。
「ほ、ほんとに?!」
嬉しそうな顔に再び傷つくが、なんとかグッとこらえた。
「うん。」
絞り出すような感じになった。
彼女を直視できない。
だが彼女は樹の顔を覗き込むようにする。
「ホントにわかってる?!イツキ?!」
「うん。」
「じゃあ、言ってみてよ!」
真華は樹にとって残酷な言葉を吐かせようとしている。
彼女の視線に耐えられない。
誰か助けてくれ。
その時樹の腕が強めの力で引かれた。
「イツキ、帰ろ。」
人の会話中に強引に入ってくるのはマナー違反だが、今回永久には感謝してもしきれない。
「そ、そうだね、もう、帰ろっか!」
樹はフラフラと永久について行こうとした。
「永久、黙って!」
真華は永久を頭の上から怒鳴った。
永久は心底機嫌の悪そうな顔で真華を睨み返した。
「もう、下校時間なんだよ……」
「今、お話してるでしょ?分かんないかな?」
真華の顔には筋が浮かびそうだ。
なんで今日に限って帰らせてくれないんだ……
樹は小さな永久の後ろに隠れるようにじりじりと距離を置いた。
そんな樹を、絶対に帰さないとでも言うように真華は樹を視線で串刺しにした。
樹は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。
樹の前で真華と永久の睨み合い勃発した。
動くことも出来ずオロオロしていると、樹は視線の端で葵が何かを探してキョロキョロしているのが見えた。
こっちこっち!と樹が念じると葵は樹を見つけて走ってきた。
「イツキ、帰ろ!」
葵が横から引っ張った事で再び動けるようになった。
真華もそれは目に止めたが、女の子の葵に向かって『黙って』とは言わなかった。
「はいはい……」
樹はあたかも葵が言うから仕方がなくというのを装って返事した。
「ちょっと待って……!」
彼女が自分にくれた言葉は一言も聞き逃したことは無いが、今日は聞き流した。
樹は正直ホッとしていた。
好きな子に現実を突きつけられる状態を回避できた。
今RPA風に自身のHPを測定したら残量は1か2くらいしか残っていない。
例え石ころに躓いただけだとしてもジ・エンドだ。
真華の声を聞こえなかったフリして笑顔を見せた。
「えっと……気を付けて帰ってねッ!」
「樹、帰ろ!」
葵が丁度いい具合に樹の腕を引いた。
「姫、バイバイ!」
葵も一緒に手を振った。
葵が屈託のない笑顔で手を振るので真華が言葉を飲み込んだ。
「……うん!またね!」
葵が樹の荷物も全て引っ掴んできたので、教室でもたもたとして鉢合わせることもなかった。
永久を置き去りにしているが今日だけは許してほしい。
葵が手を引いていたが、途中で樹が追い越して葵の手を引いた。
ここまで来れば追いつかれる事も無いだろう。
一階の廊下で歩調を緩めた。
葵がトボトボと歩く樹の横に並んで歩いた。
葵は樹の周りをくるくると回り、樹の表情を覗き込んでいた。
酷い顔しているだろうから見られたくはなかったが、止めてという気力もない。
葵だけでなくすれ違う生徒達ももの珍しそうに樹を見ていた。
最終的にはどうとでもなれ。と、気にする事すらやめた。
葵が前に立ちふさがって樹は足を止めた。
葵はおどけて首を傾げる。
「樹、王子様みたいだね!」
王子役をすることになってよく言われるようになったセリフだが葵から言われたのは初めてだった。
そう言えばさっきから妙にすれ違う生徒に見られている気がする。
視線を落とすと金色のボタンの人物と目が合った。
あぁ……
だからさっきすれ違った子、二度見してたんだ……
そりゃこの格好で練り歩いてたら二度見ぐらいするよね。
衣装のまま着替えてくるの忘れてた。
とても恥かしい。
今残りのHPが消えて、感情は無言でこぼれ落ちた。
「い、樹?!どうしたの?!なんで泣いてるの?!」
その日はどうやって家にたどり着いたか覚えていない。
ただ葵に大きな借りが出来た事は間違いない。




