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カリロボ  作者: 広瀬ジョージ
学園祭編
29/95

29.舞台上の王子

 金曜日の朝

 HRホームルーム開始前。


 葵は樹の横の席に躊躇なく腰かけた。

 自分の席がわからないからとりあえず座ったという訳ではなく、そこが正式に葵の席なのだ。


 朝に職員室に寄ったら、ここが彼女の席なのだという事が担任から知らされた。

 樹はクラスの人々がざわつくのを感じた。


 それは無理もない。


 彼らは4年以上も葵と同級生だというのに、誰一人として葵を見たことがないのだから。

 樹自身も彼女と知り合いになったのはつい昨日の事だ。


 何故そんな状況に陥っているのか、樹にはわからない。

 気にならない訳ではないのだが、昨日の夜も今日の朝も、樹がなにを質問しても納得のいく答えが返ってこないのだ。

 葵なりに精いっぱい答えているつもりなのだろうが、かえって樹を混乱させるだけだった。


 今日の朝、担任の口から何か聞けるのではないかと期待していたが、担任は『おお、来たか』と言うだけだった。

 その短過ぎるやり取りがかえって何かある裏付けとなったがその何かが樹にはわららない。


 帰ったら葵の兄である山下に聞いてみようとも思ったがそれもできない。

 山下の場合は事情を話してくれないだろう。


 彼に話すとなると、高確率で一緒にいる桜も話を聞いてしまう事になる。

 樹の場合、話したくない相手から無理に聞き出すことはしないが、桜の場合はそうもいかない。


 『また山ちゃんなんか隠してる!白状しなさい!』となり、横暴な桜に山下が反発することは目に見える。

 二人の間に亀裂が出来ると家の居心地が悪くなるのでそれはなんとしてでも避けたい。

 それにもし山下が白状した場合父の話も出てきてしまうだろう。


 そうなった時、自分達姉弟は山下兄妹とうまくやっていけるのか?

 段階を経てちょっとずつ知っていくしかない。

 気長だし、謎が解明されるかもわからない。

 樹はうつむき気味でため息をついた。


 肝心の葵はぽむぽむと椅子の上で跳ねて椅子の感触を確かめていた。

 おそらくは学校の椅子に座った事がないのだろう。

 視線に気づくとへへへっ樹に向かって笑った。


 悪い子じゃなさそうなんだよな……


 樹と葵の間を小さな影が横切った。

「誰これ。」

 横に立った永久が訝しげに葵を見つめていた。


 この時間帯、本来ならば葵の席は永久が座っている筈だ。

「あぁ、おはよう永久。」


 いつも朝は待ち合わせている訳でもなく自然に合流するのだが、今日の朝は葵が道草するので出来なかった。

 永久は一瞬樹の方を向きボソリと『おはよ』と呟き再び葵に対峙した。


 くりくりの団栗眼なので迫力はないが、威嚇するような面持ちだ。

 一方葵は不思議そうに見つめ返していた。

 後に葵が首を傾げて沈黙が破られた。


「小学生……?」

 永久は一瞬殴られたような悲しい顔になって、鬼の形相で葵に詰め寄った。


「なんだと?!」

 詰め寄られた葵はムッとした。


「そんなに怒らないでもいいでしょ!」

 会って数秒も経たないうちに喧嘩しだした。


 樹は周りの視線も気になり始めてソロソロと仲裁に入った。

「まぁ、仲良くしてよ……二人とも、もう高2でしょ……?」

 葵は不服そうにしながらも頷いたが、永久はすました顔だ。


「小学生だからいーもん。」

 永久は自虐的に言って葵を睨んだ。

 折角収まったと思ったのに……

 樹はガックリと肩を落とした。


「アオ知ってる!『開き直り』って言うんだよ!」

 再び永久が葵を睨んだ。

 また余計な事を……


「もう知らない……」

 机に突っ伏せた樹の頭上を悪口が往復していく。


「嫌いだ!」

「安心して。アオもだもーん。」

「変シャツ。」

「おチビ!」

「止めて。朝から心が荒む……」


 それから醜い言葉が頭上を2往復程して、チャイムが鳴った事により解放された。

 これからの生活が思いやられる。






 結果を言えば樹の心配は杞憂であった。

 授業も無事に済んで、特に大きな問題も起こらなかった。


 葵は家に帰って山下や桜に学校の報告をしたそうだったが、一人で帰る事が出来ないので樹が帰るまで待っていることになった。


「学園祭?!」

 葵は目を輝かせて体の前で作った拳をぶんぶんと振った。

 樹は苦笑いで葵を制した。


「アオも行けるの?」

「うん。」

 葵は目をピカピカさせた。


「もしかして初めて?」

「うん。」

 樹は桜に連れられて、入学する前からこの学校の学園祭に顔を出している。

 山下も一緒に三人で回った記憶もある。


 山下は葵に学園祭がある事を教えなかったのだろうか?

 

「そうなんだ。」

 樹は小さく呟いた。


 葵は自分も学園祭に参加できるという事に陶酔していた。


「今から劇の練習だから。その間待っててね。」

「うん、わかった!」

 いい子にしてないと連れて行ってもらえないと思っているのだろうか。

 いい返事が返ってきた。


「何やるの?」

「白雪姫だよ。」

「ガラスの靴???」

 葵は自信なさ気に首を傾げた。


「リンゴのほうのやつ……」

 樹は葵風に抽象的に答えた。


「なるほど!」

「樹は何役?」

「……王子役。」

「ほうほう。永久も出るの?」

 葵は永久に顔を向けた。

 朝の事はすっかり忘却の彼方へ行ったようだ。

 永久の方は忘れていないようだったが、葵の敵意が目に見えてなくなっていたので警戒を解いたようだ。


「うん。」

「何役?」

「リス。」

「ふーん。」


 校舎から講堂に抜ける薄暗い廊下を通って、舞台裏に向かった。

 舞台裏の入り口の横には門番のように和馬が壁によっかかっていた。


 暗い中でもキラキラ光るチェーンや、赤い髪はよく目立っている。

 和馬は樹達に気が付くと、スマホから顔を上げて、壁を軽く蹴ってクルリと樹達の方に向いた。

 いつものように軽薄そうな笑みを浮かべている。


「おや?王子、今日はお早いご出勤だね。」

「王子って呼び方止めてよ……」

 樹の抗議空しく、和馬の意識は完全に葵の方に向いていた。

 身長の高い彼は少し腰を曲げて葵と同じ視線の高さになった。

 葵は彼からにじみ出る胡散臭いオーラに身構えた。


 和馬は彼の体系に見合った全体的に細長い大きな手を葵に差し出した。

「こんにちは。同じクラスの松田和馬だよ!よろしく。」

 このように自然と自己紹介と握手が出来るあたりに、彼の育ちの良さが感じさせられる。

 今朝の永久とは違い友好的な和馬に喜んで、葵はその手を掴んで上下させた。


「葵ちゃん特等席で見せてあげるよ。」

「ホント?!」

 葵は目を輝かせて喜んだ。


「いいよねー、王子?」

 急に顔を向けられたので樹はあたふたする。

「あ、うん……!」

 葵を舞台裏まで連れて行こうか、客席で待っていてもらおうか迷っていたから丁度良かった。

 しかし、葵をニヤケ顔で見下ろす彼を見て少し心配になった。

 樹の今までの経験上、不吉な予感しかしない。

 和馬は樹と永久にニッコリすると、葵と二階席に向かう扉の向こうに消えていった。


「大丈夫かな?」

 彼に対する恐怖心がそのままセリフに現れた。

「ヘタレが身に染み入ってるな。」

 永久は飽きれたように言うと舞台裏に続く扉を重そうに開いた。

 樹も手伝うと扉は案外軽くて、目一杯力を加えていた永久は少しよろけた。

 永久は余計な事を。と樹を睨むと、すまして中に入った。


「ゴメンって……」

 樹はその後に扉をくぐった。

 既に集まり始めた役者達は読み合わせしたり、殺陣をしたり、雑談したりと思い思いの活動をしていた。

 狭い場所なのでかなり賑わっている。


 樹と永久は、前に来ていた人がそうしていたように、鞄を隅の床に置いた。

 永久は衣装係に呼ばれていたらしく、ステージの裏へ向かった。


 樹は柱によっかかって頭の中でセリフを唱える事にした。

 頭の中では詰まったりすることのない完璧なイメージが出来上がっている。

 問題はそれを本番にちゃんと出来るかどうかだ。


 頭の中でセリフをそらんじていると樹は視界の端に真華の姿を見つけた。

 彼女も樹の存在に気付いたようで、樹の方へ歩いてきた。


 すぐに振り向くと、あまりにも彼女の事を待っていたようなので直前まで前を向いておくことにした。


 今は偶然にも誰もいない。

 二人で話す機会なんて滅多にないので、挨拶の言葉や違和感のない会話をシュミレーションした。

 ついに樹の横に来て、無視できないぐらいの距離になった。


 樹は今なら自然だと思う絶妙なタイミングで振り返ったが、端から見ると勢いが良すぎて違和感だらけだ。

 樹が口を開く前に、さらに真華が距離を縮めた。


 小さな顔が樹の顔の側まで迫って来た。

「ヒィ…!」

 気のせいだろうか顔は笑っているのに怖い。


 そして近い。

 緊張と嬉しさでよくわからない気持ちになる。


「ねぇ、朝一緒にいたあの子って誰?」

 あ。とか、え。とか、関係ない音をいくつか発した後でようやく答えることが出来た。


「葵のこと……?」

 良い反応なのか、悪い反応なのか彼女はウフフと手で口元を抑えて笑った。


「葵ちゃんって言うんだぁ。呼び捨てなんだ。どういう関係?」

 悪い反応だったと樹は直感した。

 悪い事した訳ではないが嫌な汗が噴き出す。


 樹はいつも女子の名前は苗字呼びだが、葵は兄の山下と被るので例外だ。

 決して特別扱いとかそういう訳ではない事をなんとか伝えようとする。


「どういうってっ。アネキの、友達の、妹……なんだ。」

「……へぇ、友達になろっと!」

 真華はならいいのよ。と言わんばかりに笑って、スキップ交じりで去って行った。

 彼女が離れた事でやっと緊張から解放された。


 入れ違いに永久が樹の方へ歩いてきた。

「怖いね、女は。」

 真華とのすれ違い様に永久が身震いした。


「可愛いの間違いでしょ?」

 真華は永久に微笑み、何事もなかったかのように雑談していた女子に混ざった。


 永久は柱に寄りかかり一息ついている樹の方に来た。

「おかえり。なんかあった?」

 樹はまだ本調子じゃない心臓を抑えながら永久に問いかけた。


「寸法測られた。」

 永久は頭の周りを手でクルリと一周させた。


「へー。俺一回も測られてないんだけど大丈夫かな……?」

「もう出来てるらしいよ?」

「うそう!」

「さぁ、監督が用意したって。」

「松田君?悪い予感しかしない……。」


 あんまり恥ずかしい衣装は勘弁していただきたい。

 そう言えば和馬に預けた葵はどうしているだろう。


 樹は柱から離れて舞台の横から顔を出して様子を窺った。

 二階席の二列目に葵の姿がある。

 その隣に和馬、その斜め前には愛希が座っていた。


 和馬が丁度いつものメガホンにスイッチを入れるところだった。

「そろそろ始めるよ!」

 その合図で樹は舞台袖に引っ込んだ。




 劇は順調に進んだ。

 今日は和馬、愛希だけでなく葵も見ていたので気恥ずかしかったが、目立ったミスもなかった。


 演じているうちに葵の表情を盗み見する余裕もできた。

 葵が楽しんでいるのがここからでもわかった。


 そして劇は中盤に差し掛かった。

 このシーンは樹と姫である真華が、初めて面と向かって言葉を交わすシーンでもある。

 樹はこの時に、妙に感情が籠って葵に冷やかされないか心配していた。


 葵にそんなことは分かる筈はないが、好きな人にその事を悟られるより、違う人に冷やかされる方が恥ずかしいからだ。


 そんな事を考えながら演じていたので、和馬がメガホンのスイッチを入れた時には飛び上がりそうになった。


「井上さん!昨日も間違えた!そこ左手!」

 そう言えば昨日もここで突っかかった。

 はじめの講堂練習でも同じところだったので、そういう物なのだと思い、そのまま手を取っていたが本来なら左手だった。


 自分の手の上に細長い指を持つ小さな手がのっていた。

 樹が握ったらスッポリと収まってしまいそうだ。


「ゴメン!」

 真華が樹の手からさっと手を離し、片手で合掌して謝った。

「あ!うん?!」

 樹もふと我に返って立ち上がり平静を装った。


「そこからやり直し!」




「なんで左手じゃなきゃいけないの?」

 葵は早く続きが見たいがために、文句を漏らした。

 和馬の代わりに、前に座っていた愛希が後ろを振り返り応えた。


「あーすると角度的に王野君の顔が見えにくくなるの。」

「ふーん……専門的。」

 それ以降大人しくなったので愛希は再び前を向いた。


 葵が黙ったにしても静かすぎる。

 中々劇が再会しない。


 葵は和馬に聞くより早いように思ったのか、前の背もたれを掴んで横着に跨いで愛希の隣に移動した。


「なんで始まらないの?」

「さあ……」

 こればかりは愛希にも分らない。




 今舞台上には、真華、樹、家来兼馬車を動かす大道具の男子生徒が二人いる。

 樹は自分がミスをしたと思い込んでソワソワしだした。


 大道具の二人は「どこから」「井上からっしょ」とヒソヒソ話した。

 和馬は再びメガホンで指示を出した。


「左手だよ!王子が姫を引き留めました!…ハイ!」

 樹は自分のミスじゃなっかた事に少し安堵して、膝をついたまま真華を見上げた。


 真華は樹を見るわけでなく、迷いがあるように視線をさまよわせていた。

 しびれを切らした和馬が再びメガホンをとる。


「どうしたの?!」


 一番近くで見ていた樹は彼女の表情がいつもと明らかに違うのが分かった。

 いつも余裕、と言うよりもプレッシャー、人の目など意識したことの無さそうな彼女の顔に、焦りがクッキリと浮かんでいた。


「なんでもない!」

 なんでもない筈はない。


 舞台裏もざわつき始めた。

 樹の最も苦手とする空気だった。


 居心地の悪さを感じて樹は目を泳がせたが、原因を作っている彼女は更に居心地の悪い思いをしているに違いない。

 樹は彼女の表情が目に入る前に、彼女の手が目にはいった。


 彼女の右手は悔しさか恥ずかしさからかギュッと握りしめて震えていた。

 それなのに対照的に左手はだらりと力なく違和感がある。


 雰囲気に耐えられなくなったのか、真華が口を開いた。

「実は動かないの……!たまに!本当に、たまに!」


 一層ざわめきが大きくなる。

 樹は目を丸くして彼女の顔と左手を交互に見た。


 この前もおそらく、間違えて右手を差し出したのでなく、動かない左手の代わりに差し出したのだろう。

 そんな素振り見せなかったのに、樹は全く気が付けなかった。

 彼女のミスをカバー出来たと思い込んでいた自分が情けない。


「うーん……困ったなぁ……」

 和馬はメガホンを下ろして呟いた。

 和馬が席を立ち、一度出入り口から姿を消した。


 おそらく和馬はここに来る。

 メガホンで話す事の出来ない事を語るために。


「井上さん大丈夫?」

「どうするの?」

「今ごろ代役?」

 舞台裏のざわつきは一層大きくなる。


 しかし彼女は強かった。

 樹ならば俯いているところを、彼女は顔を上げて待っていた。

 それどころか、不安げに彼女を見上げている樹に気が付くと微笑んだ。


「なんかゴメンね。」

 樹は声が出ず、首を振って否定するだけだった。


 メガホンを担いだ和馬が舞台に一番近い出入り口から姿を現した。

 真直ぐに舞台下まで来ると、ステップを上がって、真華のいる舞台中央まで来た。


 樹は立ち上がって一歩引いて見守る事にした。

 ざわめきは皆が声を潜めた事で収まった。

 皆聞き耳を立てているのだ。


「左手が必要なのはここだけ。他のシーンは誤魔化せてる。僕としてはこのワンシーンが出来なくなるってだけで配役は変えたくないんだけど。動かないのは左手だけかい?」

「今のところは……」

 真華は自信なさ気に返した。


 和馬は皆が気になっていた、動かなくなる理由については聞かなかった。

 それは彼女に対する配慮だろうか。


「……誰か白雪姫のセリフ全部言える人いる?」

 そのセリフは真華の降板を意味する。

 小さな声で言ったそのセリフは再びざわめきを生んだ。


「え、いいの……?」

 樹は思わず真華に駆け寄った。

 嫌だ、駄目だと言ってほしかった。


 この役が彼女以外なら今樹がこの舞台に立っている意味がなくなってしまう。

 ここで役を止めても、誰も彼女をとがめる事は無いだろう。

 同時に彼女が続けると言っても誰も文句は言えなかったと思う。

 つまり彼女の気持ち次第なのだ。


 しかし、彼女はきゅっと下唇を噛んだ。

「みんなに、迷惑だし、仕方がないかな……?」


 真華は自分に言い聞かせるように一言一言区切って言った。

 無理やり笑ったのが樹にもわかって痛々しい。

 彼女が本当は続けたいのだと確信した。


「じゃあ、ここはこうすればいいんじゃない?!」

 樹はかしずき、苦し紛れに真華の手を自ら掴みにいった。

 こうすれば真華も手を差し出す必要がなくなる。


 真華はあっけにとられて樹の顔を凝視していた。

 視線が注がれて顔から火が出そうで俯いた。


 恐る恐る監督の様子を窺うと、口元はにやけていたが片眉を吊り上げて難しい顔をしていた。

 樹はその視線に耐えられなくなって手を離しそうになった。


「やっぱ駄目だよね……ごめんなさい。」

 引き下がろうとしたら、舞台裏から前橋唯が加勢した。


「そっちのが、カッコイイ!」

 それを聞いた和馬は難しい顔を止めた。


「まぁ、女性陣が言うならそうなんだろうね。」

 ありがとう!と樹は心の中でお礼を言った。


「野性味あふれて良いと思います。」

「臨場感あふれて良いと思います。」

 舞台上にいた中山、杉田が主張した。


「男性陣が言うならそうなんだろうね!」

 和馬はリズミカルな口調で言った。


「他の皆はどうもう?」

 和馬は左向け左、回れ右で両サイドにいる出演者達に意見を求めた。

 誰も異論を唱えない。


 和馬は再び左向け左で樹と真華の方を向いた。

「もし、左手だけじゃなくなったら?」

 その言葉は真華でなく、樹の方へ向けられていた。


「その時は……また……」

 樹は脚本を作った彼に対して失礼でその先が言えない。


「変えればって?」

「ごめんなさい……!」

 和馬は満足そうにニヤリと笑った。


「いいさ別に。演出やセリフにさほど執着はないからね。」

 樹が困惑と安堵の微妙な顔をしていると、長い指を樹の鼻先に突き立てた。


「ただ。……人気投票一番とってよ?」

 樹は何度も頷いた。

 和馬はその反応以外許さないと言う態度だった。

 和馬は満足そうに笑うと、担いでいたメガホンのスイッチを入れた。


「はーい。もとに戻って!我々には時間がなーい!」

 劇は一点の変更を経て無事再開した。




「……無理させてない?」

 劇が終わり、樹は帰り支度を始めた真華の背に問いかけた。

 意識して見ると彼女の動き方は不自然で、左手は違和感の無いようポケットに入れていたが、左の物を取ろうとすると右手を使うため体を捻っていた。

 そんな状態の彼女に演技を続けるよう強要するのは普通に考えて非常識だ。


 樹は後になって顔を青くさせてオロオロした。

「させてないし、してないよ。」

 力強い微笑みと共に返されて樹は少し安心する。


「大丈夫なの?」

「樹が助けてくれるんじゃなかったの?」

 真華はスクールバックを右肩に下げた。


「そりゃもちろんだけど……」

「なら大丈夫でしょ?」

「うん。」

 演技の事じゃなくて、井上自身の事なんだけど……


「それに、他の人にお姫様役やらせたくないし。」

 その言葉には可愛い顔に似合わぬ独占欲がこもっていた。


「おっ…」

 裏返った上に喉に絡まる。


「どうしたの?」

「……いやなんでも!」

 本当は『俺も』って言おうとしていた。

 さりげなく、当たり前のように。


 しかし焦って出てきたのはカエルのような声だった。

 慣れないことはするもんじゃない。


 今日のように大声で意見することは『慣れないこと』にあたるが、彼女が喜んでくれたなら問題はなかった。


「じゃあね!ありがとう。」

 樹は彼女が後ろを向いた後でも手を振り続けていた。

 葵が背中に飛びついて来なかったら、馬鹿みたいに振り続けていたと思う。


「樹!帰ろ帰ろ!お腹すいた!」

 葵は愛希の案内で舞台裏まで来ると、樹の腕を振って急かした。

「わかった、わかった……!」

 

 樹はスポーツバックを拾い上げる唯を見つけた。

 葵にちょっと待っててと声を掛けて唯の横に立った。


「前橋さん。さっきはありがとう!」

 唯は役に入っているのか、本来からそうなのかよくわからない引き笑いをした。


「感動したんだよ。あの王野君が勇気を出して主張したことにさぁ……」

 エへへ…

 樹は照れ隠しに笑った。


「それは、相手が井上さんだから?」

 樹の表情が凍りつく。

 頭が真っ白になってるところに助太刀してくれた中山、杉田が荷物を取りに来た。


「やっぱり。」

「ですよねー」

 二人は樹に大打撃を加えた事は気付かず各自の荷物を拾い上げた。

 樹が思考停止状態に陥っていると愛希と永久の会話が耳に入った。


「あれで隠してるつもりだったんだよ。樹は。」

「そうだったの……?」

 愛希の気の毒そうな声色が樹に突き刺さった。


「な、なんで、皆知ってるのっ?!」

 樹がやっとそれだけ言うとかえって驚かれた。


「ゴメン!隠してたの?」

 唯の表情は申し訳ないと言うよりも驚きの方が大半を占めていた。


「そ、そんなにバレバレ……?」

 恐る恐る尋ねると中山、杉田は頷いた。


「急に劇やるとか言い出したのも井上いたからだろ?」

 図星。

「なんて言うかな…表情と言うより態度に出てる?」

 樹は力が抜けたように柱に倒れ掛かった。


「あぁあ…!!!」

 樹は悲痛な叫び声を上げて柱に縋り付いた。

 周りに人もいたがそんな事気にしていられなかった。

 穴があったら入りたいと言う言葉はなるほど樹の心情を的確に言い表していた。


「どうしたの樹?!」

 状況を読めていない葵だけが樹の肩を掴んでぐらぐらと揺らす。


「打たれ弱いんだからあんま苛めないでやってよ。」

 永久が傷つけているのかよくわからないフォローをいれた。


「王野すまんって。」

「そんなにガラスのハートだって知らなかったんだって。」

「おい樹、なに涙目になってんだよ。」

「長居君追い打ちかけてどうすんの?」

「ほら、王野君。ここ閉められちゃうわよ。早く準備しなさい。」

「樹ぃ、お腹すいた。」

 樹を総出で講堂から引っ張り出した。


 皆バラバラと解散すると同じ方向に向かうのは樹、永久、葵の三人だけとなった。

「樹いつまでしょげてるんだ。」

 樹は溜め息で返事を返した。


 葵は不思議そうに首を傾げた。

 そして思い出したように永久に問いかけた。


「ねえ、お姫様の子って誰?」

「井上だよ。どうかしたの?」

 樹の横でそれがどうした?と首を傾げる。


「なんか会ったことあるかも……」

 葵はうーんと唸って探偵ポーズをとった。


「あるんじゃないの?」

 永久は興味がなさそうに返した。


「ないと思うけどな……初めて見たもん。」

「どっちだよ。」

「だって、気がしただけだもん。」

「変な奴……」


 葵と永久に引っ張られながら樹は帰路についた。



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