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カリロボ  作者: 広瀬ジョージ
学園祭編
27/95

27.監視デート

 木曜日の朝。


 葵は部屋にある小さな卓袱台に突っ伏せて、狭い部屋を行ったり来たりする兄を見ていた。

 葵は数日前、兄の住む雛罌粟荘にやってきた。

 兄と会うのは、彼が家を出てからなので十年ぶりだ。


 気付けば生きているうちで一緒にいない時間の方が長くなっていた。

 だが兄と涙の再会を果たしたと言う感じでもない。


 十年ぶりに見ると言っても、RPAの中では一週間ほど前にも会っていたし、RPAはユーザーの姿形をゲームで使うことが出来て、その上話す言葉もユーザーの勝手だ。

 つまり、RPAで見た彼がそっくりそのままこちらの世界にいる。


 RPAの中にいれば互いの、声や匂い、体温まで感じることが出来る。

 ここまで互いの存在を認識できるのに、それを会っていないとするのは難しい。


 そうはいっても、こちらの世界に来て兄を見つけた時は少なからず驚いた事は確かだ。

 RPAで見る兄は、いつもノコギリ村の民族衣装を身につけているが、こっちの世界では見慣れないスーツ姿だ。

 最後に見た兄はまだ学生服を着ていた。


 それに変わったのは兄だけでなかった。

 外を見渡すと、葵の見た事のない摩訶不思議な物体が街に溢れていた。

 それはこっちの世界で言われる『ロボット』と言われるものだ。


 葵も幼い頃にロボットを見ているのだが、日々進化を遂げているので、それが同じものだという事は気が付かなかった。

 葵は近々兄をガイドにして散策しに行こうと考えていて、兄が早くその気になるように部屋で大人しくしている。


 それなのに兄は葵には目もくれず、一人でせかせかと身支度をし始めていた。

 放っておかれる葵としては面白くない。


 部屋着兼寝巻きから着替えた山下は私服姿だった。

 私服姿も昔見た兄とはだいぶ異なっていた。

 昔は葵とおそろいのプリントシャツを着ていたが、今はあっさりとした平凡な服を着ている。


「圭兄どこ行くの?」

「仕事だ。」

 山下は葵にぶっきらぼうに答える。

 

「嘘付け!」

 葵は試しに言ってみた。

 彼の反応は予想外のものだった。


「なぜわかった?」

 山下はアッサリと仕事でない事を認めた。


「やっぱりそう?!」

 少し拍子抜けしたものの、葵はすぐに嘘を見破った優越感に浸る。


「鎌を掛けたな?」

 葵は兄に挑戦的に顔を上げてニシシと笑って見せた。

 何か言ってくると思ったが、山下はそれ以上何も言ってこなかった。


 いつもなら『詮索するな』とか『うるさい』とか一言何か言うところだ。

 葵は相手にされないので口を尖らせブーブー鳴いてみた。

 しかしそれに目もくれなかった。


 葵はちょっと意地悪な質問をする事にした。

「いつマキに会いに行くのー?」

 このセリフにさすがの山下も葵に視線を向けた。

 兄は申し訳無さそうに顔を歪めた。


「すまん。今日は絶対に外せない用事なんだ。」

 珍しい事もあるもんだ。

 素直に兄が非を認めた。

 あの圭兄がアオに謝った?!

 なんか不気味だ。

 葵はウーンと考えた。


「大事、外せない……?」

 葵は探偵のように呟き、パチンと指を鳴らした。


「わかった!『でーと』だな?」

 癇に障るドヤ顔で指を指された山下は顔をしかめた。

 眉間の皺がさらに濃くなる。


「ズボシか!」

 葵はニヤニヤと笑いながら兄に擦り寄った。


「ケーニーも隅に置けないねぇ!」

「勘違いしているようだが……」

 葵はそれ以上言うなといった感じにヒラヒラと手を振った。


「いいって照れなくて!わかってるよ!アオだってオットナだもーん。邪魔しないし!」

 それに対して山下は鬱陶しそうな、そして哀れむような微妙な表情になった。


「まぁ……邪魔しないならいいが。」

 葵はデートと聞いて快く見送ることにした。

 兄をカッコよくして送り出すべく、葵はがさごそとタンスをあさって、シャツを引っ張り出す。


「カッコいいTシャツあるよ?」

 葵は無地の白シャツにデカデカ『ド根性』とプリントされたものを掲げた。


「あいつなぜか『文字系はダメ』らしい。悪くわないが……」

「ふーん。可愛いのにね。」

 こうやってどんどん彼女好みになるんだね。葵は口に出さず思った。

 そういえば父も母と一緒に出掛ける時は、母の用意したものを言われた通りに着て出掛けていた。


「遺伝だね!」 

 山下は首を傾げたが、腕時計を見てこれ以上話していられないと判断したらしい。


「夕飯には焼そばを食え。味付けはお湯の後だぞ。」

 前科があるからな。と付け加えた。


「わかってる!二度も同じ過ちはおかさないもん!」

 葵は勢いよく親指を突き出した。


「念のため。ソースは冷蔵庫の中だ。」

「あいあい!今度会わせてよ『お義姉さん』!」

 アッサリと兄を見送る代わりに、ヘイヘイと冷やかしを入れる。


「気が早いなお前……さっきから言っているがそういうモノじゃないぞ?」

「じゃあ、なんなの?」

 葵は片眉を吊り上げて腕を組んだ。


「さあ?」

 山下は葵と同じように首を傾げた。

「なにそれ?」

 葵が不服そうに顔を歪めたときに、コンコンとドアを叩く音がした。


 この部屋にはインターホンなんて洒落たものはついていないので、数少ない訪問者はこうして扉を直接叩く事になる。


「山ちゃーん!」

 薄いドアの向こうで安藤姫乃が彼を呼んでいた。

 憧れの彼女の声はすぐにわかる。


「姫乃だぁ!!!」

 こっちの世界に来て見つけた一番素敵なもの。

 それが『姫乃』だ。

 彼女は葵が見たどの女の子よりお人形に近い。


 葵は薄いドアに向かって飛び出した。


 兄から存在は聞いていたが彼女を初めて見た時の衝撃は忘れられない。

 はじめは、兄の仕事現場を見たらすぐに帰ろうかと思ったが、彼女を見て気が変った。

 帰るどころか、当初の目的を忘れて何時間も見入ってしまった。

 一緒に仕事している兄にうっすら嫉妬もした。


 ドアノブに触れる前に、葵の背中に容赦なく山下のかかとが振り下ろされた。


「ギュエ!」

 葵はつぶれた蛙のような声を出して、床に叩きつけられた。

 山下は足で葵の重心を押さえた。

 葵がドアノブを回す寸でのところで捕まえた。


「俺が迎えに行くって言っただろ!」

 山下がドアに向かって叫ぶと『ごめーん!』と全く申し訳無さそうでない姫乃の返事が返ってきた。

 葵を見下ろし山下は小声で呟いた。


「邪魔しないんじゃなかったのか?オットナなんだろ?」

「聞いてないもん!!!姫乃とでーとなんて!!!」

「お前が話を聞かないからだろうが。」

「ヒメノ~!!!」

 葵は暴れて扉を叩いた。


「ひゃっ!大丈夫?!」

 扉の向こうで心配そうな姫乃の声が聞こえる。

 

 山下は葵をドアから離すように引き攣りながら返事をした。

「あぁ大丈夫だ!!!」

「そうなの?うん、分かった。」


 山下は手際よく敷きっぱなしの布団に葵を転がして手巻き寿司のように巻いた。

 それを担ぎ上げて押入れに放り込んだ。


「行ってくる。」

「フガー!!!」

 葵は唸って芋虫のようにうねったが、山下は押入れを閉めてしまった。

 葵は兄が情けをかけて襖を開けるのに期待したが、ドアの閉まる音を聞いて、急いで体をよじり始めた。


「遅い山ちゃん!」

「お前が急に来るからだろ。」

「だってー」

「ホラ行くぞ。」

 二人の足音が遠ざかっていくのを聞いて余計に焦り始める。


 早くしないと姫乃行っちゃう!

 焦れば焦るほど自ら締め付けているようだ。

 狭くてなかなか上手くいかない。


「テイ!」

 葵は掛け声と共に襖を蹴破り、散乱した服の上に着地した。

 コロコロと転がって布団の呪縛から逃れた。

 葵はドアまでも蹴破りそうな勢いで外に飛び出し、全速力で下へと続く階段へ向かった。

 外に出たところで駐車場へ向かう二人の姿が見えた。


 並んで歩く二つの背中。

 腕組んでる!

 近いぞ離れろ!


 出来ればその間に割り込みたいところだ。 

 圭兄の事はもちろん大好きだ。

 言わないけど尊敬もしている。


 だけど姫乃を独り占めするのは許さん!!!

 葵は絶対に姫乃に会ってやると誓い拳を握りしめた。






「潮の香りがする!」

 桜は車を降りるなり嬉しそうな声を上げた。


 海岸沿いにあるショッピングモールは、平日ということもあり空いていた。

 車以外で来る手段がないのは商業施設としては致命的だが、そのおかげである程度来る人が限定される。

 人が少ない時しか出歩けない桜を連れて行くのには丁度良かった。


 何度も来た場所なのに、そのたびに彼女は嬉しそうな声を上げる。

 何度も繰り返し芸がないなと思いつつも、この顔を見るたびにまた来ようと思う。


 ふわりとサクラの匂いが鼻腔をくすぐり、体の左側が暖かくなった。

 気付くと自分の腕に桜が腕を絡めていた。


「早く行こ!」

 桜がニコリと笑いながら顔を覗き込んだ。


「あぁ。」

 桜に手を引かれて建物に向かった。

 腕を組んで歩いているだけなのに、彼女は妙に嬉しそうだ。

 山下と桜の関係と言うのは葵の思っているようなものではない。


 山下は『葵さん』と付き合っていることになっている。

 その事は桜も知っている。


 今組んでいる腕も彼女にとっては自然の事。

 特に意味も持たないものなのだろう。

 相手が意識していないのにこちらだけ意識するのは馬鹿馬鹿しい。


 桜と歩き出したら一台のタクシーが山下の目に留まった。


「支払いはこれで!」

 葵は運転手にU‐1000の特別仕様のクレジットカードを見せつけた。

 運転手は葵に見合わないクレジットカードを不信そうに受け取りながら会計を済ました。

 問題なく使えることが分かると、笑顔で葵を送り出した。


 葵からあのカードは預かっておくべきだった。

 山下は内心で舌打ちした。


 どうやらまだこっちの様子には気付いていないらしく、キョロキョロとあたりを見回している。

 やがて葵は海の香りに吸い寄せられて、全く逆方向に歩いていった。

 

 このまま一人で大人しくしていて頂きたい。

 海岸まで降りられる階段に葵が消えていくのを見届けて、桜と一緒に建物の中に入った。


 建物に入った桜は、早速お気に入りのブランドを見つけたらしい。


「山ちゃんどっちがいい?」

 桜はワンピースを二着並べて見せてきた。


「ん。左。」

「えー……そっかぁ」

「じゃあ、聞くなよ」

 結局山下の選んだ服を持って桜は試着室に向かった。


 ここの建物は南の方にある店からは海が見えるようになっている。

 山下が窓の外の眺めると、砂浜に葵の姿が見えた。


 葵は大量の水の前に立ち、近づいて来たり遠ざかったりするのを不思議そうに眺めていた。


 そういえば葵は海と言うものを知らない。

 ずっとRPAに閉じこもっていたし、あっちの世界には『海』が存在しないのだ。

 ひとつなぎの陸があり、大きな湖や川はあるが、水が引いたり満ちたりするのを見るのはおそらく初めてだろう。


 葵はスウェットの裾を上げて勇み足で海に入った。

 打ち寄せる波に葵は足を取られそうになっている。


 おっとっと……

 葵は危なっかしくバランスを取った。

 油断してると濡れるぞ。


 山下がそう思った瞬間、大きな波がきて葵に襲い掛かる。

 慌てて後退するが波は容赦なくスウェットの裾を濡らしていった。


 砂浜に戻って来た葵はあからさまにションボリしている。

 言わんこっちゃない。


「山ちゃんどうしたの?」

 思わずニヤついていたようで、桜が見ていた方向に目を凝らした。


「いや、なんでもない。」

「見て山ちゃん。どう思う?」

 桜は先ほど試着室に持っていった服を着ていた。

 職業病なのかポーズまでとっている。


 手足がスラリと長い桜は大抵何を着ても似合ってしまう。

 今着ている淡くクリーム色がかったワンピースも例外なく似合っていた。


「いいんじゃないか?」

「じゃあこれにしよう!」

 桜はルンルンと試着室に戻った。


 山下が再び同じ場所に視線を戻すと葵の姿はなくなっていた。

 いつの間に後をつけられても困るので、このまま見張り続けようとしていた矢先だ。


 昔からすばしっこい奴だとは思っていたが、ちょっと見ない間に磨きがかかったようだ。

 山下は無言で視線をさまよわせる。


「山ちゃん?何見てんの?さっきから?」

 着替えと会計を終えた桜が戻ってきて、不思議そうに窓の下を覗き込む。

 葵はすでにそこにはいない。


「よし。移動だ。」

 山下は踵を返して店内を出る。

「え、あ、うん?」

 桜は困惑しながらも、おいて行かれないように後に続いた。



 次に来たのはアクセサリーショップだ。

 桜は服以外にもこう言った身に着けるモノが好きだ。


 ネックレスや指輪は今までどれを見ても違いがよくわからなかったが、最近になってようやく違いが分かるようになった。

 桜は大きなものより小さいものが好きだ。

 ゴツゴツとした金属のようなものより、石やガラスのついたものがいいらしい。


 彼女は例によって小さなネックレスが吊り下げてあるコーナーへ向かった。

 小さな石がついているモノを手に取って眺めたりしている。


 山下は壁際のショーケースにある指輪を見るフリをして窓の外を見た。

 さっきの店とは違う角度から海を見ると、海辺には焼き芋屋の車が止まっていた。

 そこで葵は焼き芋を買っている。

 屋台の主人から受け取るなり、一口かぶりついた。


『あまうまー!!!』

 そんな声が聞こえてきそうないい表情だ。

 

 主人が手を伸ばす。

 葵は首を傾げて、そして頷く。

 そしてカードを誇らしげに渡す。


 主人は首を振って受け取らない。

 なんで?!と葵は憤る。


 葵は知らないが、移動式の焼き芋屋でカードなど使えるはずがない。

 葵は困った顔で首を振っている。

 それでも尚、焼き芋を頬張っているのはさすがわが妹。


 山下は仕方がなく、財布の中から五百円玉を取り出した。

 焼き芋一つぐらいなら事足りるだろう。


 山下は窓のロックを外して二十センチ程の隙間を開けた。

 コインを乗せた左手、真直ぐに伸びようとする中指を親指で抑えた右手。両方を出した。

 狙いを澄ましてトリガーである親指をずらす。

 分かりやすく言うとデコピンの要領だ。


 中指にはじかれたコインは狙い通りに、弾丸のごとく飛んでいく。

 包み紙を突き破り、焼き芋にコインがめり込む。


 主人が悲鳴を上げ、見えないスナイパーへの恐怖に怯える。

 山下は何事もなかったかのように窓を閉めた。


「山ちゃん買うのそれ?」

 いつの間にか隣にいた桜が声をかけた。

 山下の手元のショーケースを覗き込んでいる。


「いや、別に?」

「ならいいケド。」

 それだけ言うとヒールをカツカツいわせて遠ざかった。

 ふとシューケースに目をやると0が多すぎて数えられない程の値札が目に入った。

 山下は急いでショーケースから手をどけた。

 

 再び窓の外を見るとたい焼きを咥える葵と目があう。

 獲物を見つけたが如く瞳に光がさす。

 山下は引っ込んで店内にいる桜に声をかけた。


「そろそろ次行くか。」

「……。」



 オープンカフェで昼食を取り、そのままそこで休憩をとることにした。

 葵はさっきから建物の中をうろついているようで窓辺に何度も彼女の姿が映る。

 まだ葵は二人が建物内にいると思いこんでいるようだし、入れ違いに外に出たので当分は見つからないはずだ。


「それでね、樹が王子様やるんだ!」

「ホォ……」

「毎日帰りが遅くてちょっと心配なんだけどね。」

「……」

「ねぇ山ちゃん。なんか今日変だよ!なに言っても上の空だしさ!」

 急に声の調子が変わった事で山下はようやく桜の表情に気付いた。


 どうして今まで気付かなかったのか不思議に思える程不機嫌な顔をしていた。


「そんな事ないぞ。」

 山下は取り繕うように桜に笑顔を見せた。

 しかしその笑顔は営業用だ。桜には通用しなかった。


「そんな事あるよ!じゃあ、さっき私なんて言ってた?!」

 必死に思い出す。


「『上の空だしサ』……?」

 山下は恐る恐る口に出してみる。

 桜は小さく、しかし強く首を振った。


「その前!」

「……」

 相槌を打ったが全く思い出せない。


 桜は立ち上がりクルリと回れ右をして、山下に背を向けて歩き出した。

「帰る。」

 帰るって言ったって車は一台しかない。

 それなのにスタスタと歩いていく桜。

 置いてかれるのは俺かという結論に至り、山下は慌てて追いかけて桜を追いかけた。


 会計は事前に済ませてあったのでそのまま店から出た。

 冗談かと思ったが、桜の足は真直ぐ駐車場に向かっていく。


「おーい。姫乃。」

 山下が右に並ぶと左に顔を逸らす。

「姫乃ぉ。」

 左に回ると素早く右を向いてしまった。

 埒があかないので、仕方がなく力にモノを言わせる事にした。


 肩を掴んで軽く引いた。

「機嫌なおせ……」

 彼女の顔をみると言うにつれてだんだん声が小さくなっていく。


 覗き込んだ桜の顔は赤くなっていて瞳を潤ませていた。

 山下を見上げた拍子に堪えていた涙が零れた。


「どうしたっ?!」

 山下は驚いて飛びのいた。


 その涙一片が頬を伝うと、また次から次へと大粒の涙が落ちていった。


「どうしたじゃないよ!だってさぁ、朝から楽しみにしてたのにさ!山ちゃん別の事ばっかり考えてんだもん!」

「悪かった。泣くな。」

「泣くよ!楽しみにしてたの私だけみたいじゃん!悲しいじゃん!忘れてたでしょ?誕生日。『葵がいるから遊べない』って言われたらどうしようとか…ビクビクしながら誘ったのに……!」

 自分では忘れていたような日なのに、祝ってくれる人がいる事にまず驚く。


 妹の葵ですら忘れていたのに。

 そもそも日にちを把握しているのだろうか?

 そう言えば今日だ。

 彼女が車の中で言っていた事がフラッシュバックする。


 今朝彼女は『ケーキが食べれるところ。』でなく『ケーキが買えるところ』がいいと言っていた。

 それは自分がケーキを食べるためでなく、誕生日を祝うためのものだ。

 途端に申し訳なくなる。


「私といるのに婚約指輪見てたりさ……」

 山下は心のうちで嘆いた。

 あの高いのは婚約指輪だったのか!

 となると桜の目には、四六時中別の女のことを考えていた無神経な男に映ったことだろう。


「さすがに傷ついたもん!!!」

 拗ねた子供のような口調だが彼女はいたって本気だ。

 山下にもそんな事をすれば、桜以外も傷つくことぐらいわかった。


「スマン……」

 その言葉しか言うことが出来ない。


「謝んないで!」

 あぁこんな時はどうする?

 エキスパートの樹ならば抱きしめていい子いい子とするところだ。


 手を伸ばしたところで、痛めつけてしまったら?拒絶されたら?と頭をよぎる。

 それは樹だけが使える手段のようだ。

 出掛けた手を引っ込めた。


 謝るもダメ。慰めるもダメ。

 泣き止む様子のない桜。

 非は完全にこちら側にある。

 こっちまで泣けてきそうだ。


「誰だ!姫乃を泣かせたのは?!」

 最悪のタイミングで葵が鬼の形相で走ってきた。

 桜は急に現われた少女に目を向けた。


 桜と目があった瞬間、はずかしがっているのか葵は急に威勢をなくして大人しくなってしまった。

 桜の涙も引っ込んだようで不思議そうに山下と葵を交互に見ている。


 収集がつかない事態に陥ってしまった。

 山下は観念して真実を告げてしまう事にした。


「紹介しよう。彼女ではなく、妹の葵だ……」






 今日も練習で遅くなった。

 樹はルンルンと体全体で喜びを表現しながら帰路についていた。

 家の明かりがついていた。


 姉は今日、山下と一緒に出掛けていたがもう帰ってきているらしい。

 久しぶりの外出だと言って朝から張り切っていたのを覚えている。

 樹は鍵を使って家へ入り、リビングに入った。


「ただいま!」

 キッチンに向かって叫ぶとカウンターから桜が上機嫌で顔を出した。

 そちらもいい事があったらしい。


「おかえり!」

「異様にご機嫌だな……」

 桜と比べて山下は仏頂面だ。

 いつもの事なのでさほど気にならない。


「まあね!今日いい事があったんだよ!」

 樹は聞かれてもいないのに応える。


「おかえり!」

 耳慣れない三人目の声がした。

 振り返るとソファーの上には少女が体操座りで座っていた。

 ニシシシ……と八重歯を見せて笑っていた。


 蛇に睨まれた蛙の気分だ。


「久しぶりだね!いつきくーん…」


 『八つ裂きだ!』

 その言葉が頭の中でリプレイされる。


「樹、知り合いなの?」

 桜の言葉も耳に届かない。


 なぜ?どうして?いつ?

 口をパクパクしている樹の目にソファーに立てかけた田邊が目に入る。


「葵ちゃーん!ちょっと手伝って!」

 台所から姉が少女を呼ぶ。

 この少女はやはり葵だった。


「はーい!」

 葵はいい返事をして、樹の目の前を横切っていった。

 それが当たり前の事であるかのように葵は台所に入り桜の手伝いを始めた。


「ナンデ?!?!」

 出てきた言葉がそれだった。

 いろんな意味を込めて『ナンデ』だ。


 それに応えたのは気だるそうに腰掛けていた山下だった。

 不機嫌そうに一言。

「俺の妹。」

「いもうとっ…!」


 妹。

 すなわち、同じ親から生まれた年下の女子。

 葵に目を向けるとペコちゃんのような笑顔をしていた。


「葵ちゃんですっ!」

 それからへへへと影のある笑顔。


「よろしくねイ・ツ・キ!!!」



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