26.舞台裏の王子
月曜日の放課後。
帝都学園。講堂へ続く廊下にて。
「行くよ!置いてくよ?!本当に置いてく!いいの?!」
「いや待ってよ……無理だって……」
永久は本当に一度樹を置いていき、ついてこない事がわかるとまた引き返してきた。
こんなことを何度か繰り返していた。
校舎から講堂までの廊下ははガランとしていて、より虚しさが増している。
「いつまでそうしてるの?」
「……」
「ずっとこのままでいいの?」
「……」
「まぁ、樹が嫌われようが僕には関係ないけど……」
永久はボソリと毒を吐く。
永久のセリフに樹はハッとして顔を上げた。
「嫌われたくないよ!」
ウジウジとした口調ではなくハッキリとした口調でそう言った。
それだけは確かな事なのだ。
永久はウンザリとして大きく溜息をついた。
あぁ、このままでは彼女にだけでなく唯一の友人にも愛想をつかされる……!
「だってさ、気まずいよ!喧嘩別れしたっきり会ってないし……」
樹は言い訳するように言うとまたオロオロし始めた。
先週の金曜日、軽い言い合いだったのについつい熱くなって、気まずい雰囲気のまま別れてしまった。
だって彼女があまりにも樹のことを気に留めていなかったから。
樹には彼女、井上真華のクラスに出向いて話しかける勇気もなかったので、それ以来顔を会わせていない。
つまり喧嘩別れしたのだ。
今日だって何度も彼女の姿を見かけた。
どんなに人が多くても一番に真華の姿が眼に入った。
他の人は目に入らないから、探さなくてもすぐわかる。
しかし話しかける事はできなかった。
隣のクラスだから会いにいこうと思えばいつでも行けたが、小心者の樹にはそんな事はできなかった。
「じゃあ、もう会わなければ……?」
「……行く。」
永久は呆れ気味だったが、樹のあとに続いた。
帝都学園の講堂は、学校の集会場にしてはかなり設備が整っていて、広さもある。
たまに芸能人が来て公演を開く事もある。
この学校自慢の施設だ。
校舎と繋がっている出入り口から二人は中に入った。
「「うわー……!」」
二人は同時に声を上げた。
客席と舞台に通ずるホワイエが今までに見たことない賑わいを見せていた。
まるで移動式遊園地のようだった。
劇中で使う大道具らしきものが無造作に積み上げられていた。
木や草や花。
それに城まであった。
組み立てるというレベルじゃない。
建設されていた。
本当にやるんだ……
実感が沸いてきて、樹は生唾を飲み込む。
今回の学園劇にはスポンサーがついており、桁違いに豪華なものが出来ると話題になっていた。
それがこの舞台セットな訳だ。
そしてこのセットの中で演技するのは樹や永久を含めた高二の仲間達だ。
「はーい!それはこっち、これはあっち、あれはそっち!後はテキトーに配置して!」
劇団レベルの舞台セットに囲まれ、松田和馬テキパキしている様でしていない指示を出していた。
「坊……適当が一番困るんだけど……」
丸太を両腕に抱えながら巨漢の男が呟く。
首には入場許可証がぶら下がっているのでおそらく学外の人なのだろう。
巨漢の男以外にも、見るからに学生ではない大人たちが和馬の指示で動いていた。
和馬は呆気に取られている樹と永久に気付き、こちらを振り返った。
「やー王野君!やっと来たね……やっぱり主役は後から登場かい?」
樹は胸の前で激しく手を振った。
「そう言う訳じゃ……!」
もう十分以上も前から裏でウジウジしていたなんて言えない。
「まあいいや!はじめるよ。はじめから通してやるから。衣装はまだないけどもうすぐできるよ。」
和馬に舞台裏へと誘われた。
樹が初めて入る舞台裏は薄暗いが活気がある。
その中ではキャストのメンバー達が台本を読み合わせたり、和馬が呼んできたスタッフ達が待機していた。
薄暗い中でも、樹はすぐに井上真華を見つけてしまった。
前橋唯と台本を読みながら、話し合っていた。
樹がボーとしていると和馬が肩を叩いた。
「じゃあ、僕は二階席から見てるから。練習の成果見せてくれよ。」
「あぁ。うん。」
樹が生返事をすると和馬はさっと身を翻して客席へ向かった。
「あ!王野君!」
真華より先に唯が気付いて小さく手を振った。
樹も軽く手を振り返す。
必然的に唯と一緒にいた真華とも挨拶を交わす事になる。
言葉を探そうとしてどもる樹に、真華は微笑んだ。
「あ、おはよう樹!今日言ってなかったね?」
「あぁ!そうだね!おはようっ!」
怒ってない?!やった!!!!
ありがとう!神様!!!
どうやら気にしていたのは、こちらのほうだけだったらしい。
樹はたった挨拶を交わすだけで幸せになる。
「もう夕方だけどね……。」
永久が呆れ顔で突っ込みをいれた。
真華や永久は第一場面から出番がある。
緞帳が上がる前に舞台に立つ。
真華は舞台の中央に足を崩して座り、永久含む森の仲間達は彼女を囲むように座った。
『始まるよ』『始まるよ』と囁き合って徐々に静かになる。
樹は舞台裏から観客席に向かう扉から顔を出して観客席の様子を盗みみた。
二階席のど真ん中に和馬が腰を下ろしていた。
その斜め後ろの席では愛希が座っている。
和馬は座席の下からメガホンを取り出した。
そういえば、樹を王子役に推薦した時もあのメガホンを使っていた。
常備しているのだろうか……?
樹の疑問をよそに機械を通した松田の声が響く。
『皆さん!位置につきましたか?!』
準備はできた。
『幕上がったらナレーションッ!終わったら動いて。……すたーと!』
真紅の幕が係員の操作によって上がっていく。
音響係が音源を流す。
会場中に天から突如、甘い美声が響いた。
おぉ……と舞台裏がどよめく。
「本格的!」
「声優さん?!」
和馬は得意げにメガホンのスイッチを入れた。
「一流の劇には一流のナレーションがいいでしょ?さぁ、始まるよ。」
はじめのシーンは真華と永久、そして森の仲間達を演じる女子だ。
幕が上がりライトが当たる。
樹の贔屓目なのかもしれないがライトを浴びる真華はいつもに増し輝いて見えた。
真華が中央に座り、本を広げ、その周りを森の仲間達が囲む。
優しい姫様は森の動物達に本の読み聞かせをしているのだ。
永久が小動物のような可愛らしい動きで本を覗き込んでいる。
練習した甲斐あって、森の仲間内ではから『男子が一番可愛いってどういう事?!』と言わしめている。
「王野、行くぞ。」
一緒に舞台に出る中山が合図した。
「うん。」
樹はギュッと親指を握りしめた。
ナレーションの間に移動して持ち場に着く。
大丈夫。これはリハーサル。練習もたくさんしたじゃないか!!!
舞台が暗転し樹は闇の中に飛び込む。
暗転が開けて一拍おいたら樹の一言目のセリフだ。
『見たか?あんな娘は始めて見た!』
和馬に渡されたピンマイクのおかげで声は講堂中によく響く。
マイク越しの自分の声を聴くのは、顔から火を噴くほど恥ずかしい。
そのせいで立ちすくみそうになるが、周りを見渡す。
大丈夫。誰も笑っていない。
これは劇で、日常と一切関係ない。
このシーンでは偶然通りかかった王子は優しい姫に一目惚れするのだ。
声が裏返ったりすることなく言えた。
中山のセリフが終わるのをじっと待つ余裕が生まれた。
『私もでございます。』
樹のセリフ後に中山のセリフが続く。
『なんて美しい!』
舞い上がる王子に家来の中山は困った顔してうろたえる。
『お言葉ですが王子……』
中山のセリフを途中で打ち切るように言うのがポイント。
『「しきたりは絶対」なんだろう?わかっているそんな事……ワタシが変えてみせよう!』
タイミングも揃った。
思わずニヤリとして、中山もニヤリとしたのが分かった。
練習では早すぎたり、遅すぎたりしたが成功した。
それがまた樹の自信になって、役柄に近づいた。
自信家で行動的な王子。
和馬が脚色したオリジナルに近い人物だ。
できるじゃん!俺!!!
次に暗転して場面は無事に切り替わった。
樹は舞台裏に戻った途端、先に舞台裏に戻っていた永久の手を取り共に小躍りした。
「やった!出来たよ俺!!!」
「よくやったぞ!!!」
ヒソヒソと喜んだ。
王子に扮した樹の声はしっかりとした口調で二階席まで届いていた。
「練習がここまで効くとは驚きだよ。これなら優勝も夢じゃないねぇ!」
和馬は手にしたままのメガホンの横を叩いて拍手を送った。
驚いているのは和馬だけでなくここにいる人全員同じ、そして何より樹自身が一番驚いていた。
「いやぁ……ここまで変わるとは思わなかったよ。作戦成功だね。」
和馬は後ろの愛希を振り返りながら、もともと上向きの口角を余計に上げて笑みを浮かべた。
「私も驚いてるわ……」
作戦を提案した愛希も驚いていた。
愛希が樹に決行した作戦はシンプルだ。
愛希が提案したのはたった一つ。
『誰でも目を見て挨拶しなさい。』
教室に入って目があった人に片っ端から。
『今から帰りまで、土日も、そのまた月曜も。というよりも劇終わるまでずっと。』
そういうと樹は戸惑っていた。
『あいさつって、イキナリ話しかけると、不気味がられない……?』
『あいさつぐらいで不気味がる人なんていると思う?』
話すことは無理でも挨拶ぐらいならできる。
『じゃあ、王野君。今朝おはようって私が言った時どう思ってたの?』
『嬉しかったです。』
愛希はその答えに大いに満足した。
『なら、あなたもやってみなさい。』
樹が素直に実行にうつすと、行く人、いく人嬉しそうに返事をした。
『宮野さん!!!』
それは樹にとって予想を上回る良い反応だったらしく、愛希に視線を送った。
愛希はスッと親指を立ててみせた。
そのうち自信がついてあがり症も克服できると考えた。
愛希は学園祭に備えて徐々に課題を出し馴らして行こうと思っていたのだが、いらぬ心配だったようだ。
この練習は思った以上の効果があった。
「もともと王野君の意識次第だったの。緊張すると思うから緊張する。」
樹は思い込みが強い傾向がある。
愛希と唯だけが見ている時は難なく演技できたのに、他の人が見ている時はできなくなった。
樹が舎弟になった時、女子生徒の視線は感じていないと言っていたのも、もちろん彼の意識のせい。
自分が見られている筈がないと思い込んでいたのだ。
いつも視線を集めているのに、特別意識するとうろたえる。
愛希は見られる事に馴れるようにと挨拶作戦を立てたが、樹は人に見られると緊張するという根本を克服したように見えた。
克服したというのも彼の思い込みかもしれないが、今スムーズに事が進んでいるのだから問題はない。
「そういうのなんていうんだっけ?病は気から?」
和馬は横でぼやいた。
愛希は再び劇に意識を集中させた。
舞台上では唯演じる、継母が迫真の演技を見せていた。
『許さない、私の王子を……小娘に渡してなるものか……!世界で一番美しいのは……!一番王子に相応しいのは私だ!!!』
唯は見事に狡猾でヒステリックな継母を演じきった。
暗転したと同時に唯は真顔に戻りスタスタと舞台裏まで戻ってきた。
「どうよ!見た見た?」
唯はへへんと樹に胸を張った。
「さすが演劇部……」
樹は素直に感嘆した。
「まあね!」
唯は小道具のリンゴを右手で弄びながら、再び台本をめくり始めた。
指で追いながら台本を読むその姿は、毒りんごを作る魔女のようだった。
「魔女みたい。」
当分出番のない永久が思った事をボソリと呟いた。
唯はクククッと素なのか演技なのかわからない笑い方をした。
「お褒めの言葉ありがとう!」
私生活まで役になりきっているようだ。
「別に、褒めてないよ。」
「……プロだね!」
永久と樹それぞれの反応に唯はまたクククッと笑った。
樹は次の場面に出る準備を始めた。
次シーンは継母の陰謀で遠くへ連れて行かれてしまう姫に、王子がコッソリと会いに来て、彼女を励ますシーンだ。
樹は予定道理に馬車に乗ろうとする姫を引き留めた。
『姫!』
愛しい王子の呼びかけに姫は振り返る。
『王子……!』
樹は真華の前に傅いた。
何も進展のない妙な間が開いて、真華は一拍後れて右手を差し出した。
本来ならば左手のはずだった。
それに気付いた真華は、しまったと心配そうな表情で自らが突き出した右手見つめていた。
樹は自信たっぷりで勇敢な王子を演じきる。
今日の樹は一味違う。
差し出された手を迷わず取って予定通りのセリフを言った。
『姫……あなたがどこにいても、必ず見つけてみせます。』
真華はホッとした表情になった。
それを見て樹も安心する。
真華がミスをしても演技は続行された。
我に返った姫は次のセリフを口にした。
「ありがとう王子!」
セリフ通りだが、それは客席でなく樹一人に向けられたセリフだ。
その証拠に真華は台本にはなかった笑顔を樹に見せた。
「おーい!そこ別れなんだから笑っちゃダメ~!」
二階席からメガホンで松田がダメ出しした。
「王野君もニヤケない!」
その突っ込みで舞台裏が沸いた。
そこからわかるほどニヤケてた?!?!
恥ずかしくって無理やり真顔に戻した。
彼女も笑っていれば、皆も笑っている。
外で見ているだけじゃなくて、自分もその内側にいる。
今までこんな事あっただろうか?
教室で面白い話を聞いても、素直に笑えたことなんてなかった。
盗み聞きなのに、自分も笑っていいのかと葛藤するからだ。
結局こらえて消化不良になっていた。
今日は自分も笑える。
樹の顔にも自然と笑みが浮かび、今日は隠すことはなかった。




