22.月目線
樹達が楽しい時間を過ごしていたのと同じ時刻。
距離的に言うと少ししか離れていないリゴレ・ルーン本社では仁科美由は悲鳴をあげていた。
「なにこれ!!!」
同性が聞くと苛立ちをおぼえるような媚びた悲鳴だ。
社員の作業室とは離れたこの部屋には、上層部の人間しか立ちいらないため、仁科、安藤夜、雑用兼用心棒三内丸山しかいない。
仁科は『ちょっと見に来て安藤君。』という意味を込めて言ったが、それは伝わらず、三内と丸山だけが面倒臭そうに寄ってきた。
「あんたたちじゃないのよ!」
「ひどいっすよ!辛い体に鞭打ってきたのに…!」
頭に漫画のようなタンコブをつくっていた丸山は不平を漏らした。
よく見ると所どころに、切り傷や打撲の痕がある。
しかし丸山の傷は比較的軽傷だ。
三内にいたっては満身創痍という言葉がピッタリだった。
顔は包帯で巻かれ痛々しいのに、天辺にドレッドヘアが覗いて大根のようにみえシュールだ。
喋るつもりもないらしく、虚ろな目で仁科を睨んでいた。
二人の傷の具合にこれだけ差があるのは、丸山が三内を盾にして難を逃れていた為である。
仁科は二人の怪我に今気がついたようだ。
「まあ、どうしたの、その傷?」
言ったものの興味はないので安藤に視線を移す。
三内丸山は薄情な上司に嫌気がさして大きな溜息をついた。
彼女は美しいモノにしか感心がない。
傷だらけの使えない部下なんて文字通り眼中にない。
唯一彼女の視界に入っている安藤は仁科の視線には気付いていない。
安藤は、頭がいいくせに頭の中が単純にできている。
そのため、仁科の女心は全く理解できず、独り言として処理して聞き流していたようだ。
結果として今も平然とデスクワークをこなしていた。
あきらめた仁科はもぅ!と膨れた。
「安藤君。ちょっとこれ見て。」
安藤は何も言わず、席を立ち仁科のもとへやって来た。
先にいた三内と丸山は、仁科にシッシッと追い払われた。
二人が安藤に恨めしそうな視線を向けるが、彼は何食わぬ顔で仁科の横につく。
「ほらこれ。」
仁科がネイルサロンに行ったばかりの艶のある爪で、机上のパソコン画面を指差す。
またも安藤は何も言わず横から覗き込んだ。
その動作は従順で子供じみている。
彼は八国の血が混じっているためか、元の年よりも若く見える。
動作も子供じみているせいで年齢不詳な印象を与えた。
仁科はしばし年齢五十近いはずの安藤に見惚れていた。
どこも整形してないのに、どうしてこんなに変わらないのかしら?
それと比べて仁科は全身に細工した、サイボーグ人間だ。
仁科は何もしていないのに、美貌を保っている安藤を妬ましくも、羨ましくも、そして欲しい!とも思っている。
やがて画面を覗いた安藤は口元に笑みを浮かべる。
「マシュマロみたいだ。」
彼の言葉どおり、画面上では、マシュマロのような生物がふわふわと漂っている。
右見て、左見て、もう一度右!
その生物はわかりやすい警戒態勢をとっていた。
生物の周りには、圭と青の姿はなく仁科を落胆させた。
画面に映し出されているのは今現在のRPA内の出来事だ。
RPA内にある笑う月が人工衛星の役割をはたし、仁科にタイムリーな情報を伝えている。
RPA内の出来事なら、全てここから閲覧できる。
「あ!それ、ユーセン君っすよ!」
生物を見た丸山が嬉しそうな声をあげる。
「ゆーせん?」
仁科は首を傾げて聞き返す。
安藤も同様に丸山に視線で解説を求めた。
ふふんと丸山は鼻を鳴らして、胸を張った。
「しらないんすか?ウィルス・バスター・ユーセン!松田カンパニーのイメージキャラクターっすよ!」
丸山は大のユーセンファンで、ケータイのストラップもユーセンにするほどだ。
熱弁する丸山に対し、仁科はふーん…と、つれない返事だ。
仁科は再びユーセンに視線を注いだ。
通常版とは装備が違う特別仕様だったが、初見の仁科にはわからなかった。
丸山だけが通常盤との違いを指摘しながら楽しんでいる。
「ウィルス・バスター…なんでそんなものが?」
今、青達のいる村は、山に囲まれ一般では入れないようになっている。
仁科もここの映像を見たり、送り込んだり、盗ったりするのには大分時間がかかった。
この場所は山下兄弟だけが入る事を許された特別な場所だからだ。
それが他社のウィルス・バスターがなぜこんな何故こんなところに…?
「凄いね、このコをつくるのには相当な技術がいるよ。」
安藤は暢気にそんな事を呟いた。
同じ技術者として争うつもりはないらしく、ただユーセンに見入っていた。
「どうやって入ってきたのかしら?」
仁科は害虫を見るような目でユーセンを見ていた。
愛らしいマシュマロボディに冷たい視線が浴びせられる。
万人から愛されるウィルス・バスターも仁科にとっては、ただの邪魔者だ。
「昨日の映像残ってないの?」
「なるほど!安藤君頭いい!」
仁科は安藤を抱き寄せ、頰にキスを浴びせた。
その間、安藤はいい顔もしなければ、悪い顔もせず黙って画面を見つめていた。
仁科は時間を昨日の午後11時に戻した。
特殊ウィルスをRPA内に放出した後の映像だ。
もとは、自我バンクにある自我を盗みとるのが目的であったが、最近はただ戦う山下兄妹を観察するのが目的となっている。
自分がつくったウィルスと義理の息子達が戦っている姿は見ていて飽きない。
息子達が、汗を流す姿を見るのが面白くって仕方がない。
それを次の日に見るのが仁科のちょっとした楽しみだ。
けしていい趣味ではないが仁科の娯楽となっている。
「あら!圭だわ!」
時間を戻すと画面右端には青と一緒に、珍しく仮面を外した圭がいた。
彼はRPA以外でも黒縁眼鏡で素顔を隠しているため、何も隠していないのは珍しい。
仁科に見られているとは知らず、無防備な姿を晒していた。
その姿に仁科は大いに興奮する。
「相変わらず可愛いわぁ…」
彼女としては、愛らしいマシュマロボディよりこちらの方に重要性がある。
仁科はその映像をとめて、拡大加工を施し、お気に入りファイルに保存した。
ファイルを開いたらしばし、そのコレクションを堪能する。
丸山は横から画面を覗き込んだ。
「あれ?その写真…燃やされたんじゃ?」
仁科が開いたファイルには葵が燃やしたはずの写真が入っていた。
葵に盗られた若い頃の安藤の写真、幼い圭の写真、その他多種の美形の写真が全て入っている。
その数五万件以上。
「バックアップよ。当たり前じゃない。」
自慢げに仁科が言う。
「いつの間にこんな写真撮ったの?」
安藤は全くいつ盗られたか身に覚えのない写真を指差した。
写真の中では、カメラ目線で微笑んでいる。
本人の協力なしでは、このような写真は取れないはずだ。
仁科はふふふっと微笑んだ。
「性能のいいカメラがあるのよ!」
「そうなんだ。」
安藤は再び前に向き直った。
盗撮された事に関しては、なんとも思っていないようだ。
「え、いいんすか?」
「人の趣味をどうこう言うつもりはないから……」
盗撮された写真の中には、目線もあっておらず、警察に持っていけば確実に捕まりそうなものまである。
にも関わらず安藤は完全に本題を見失った仁科に文句も言わず、ただ自然に本題に戻るのを待っていた。
やはり安藤は人らしい部分が少しかけている。
「うーうー。」
急に今まで黙っていた三内が口を開いた。
喋るのも辛いようでうめき声だけだ。
なによ、うるさいわねと顔を向けた。
「『そんなもん見てねーで、仕事しろよ。』……って言ってるんじゃないんすか?」
丸山はいかにも三内が言いそうな、もっとも憎たらしいセリフを選んで言った。
それは三内が今一番言いたいが、言ってはならないセリフでもある。
仁科は首をフルフル横に振る三内に肘鉄を食らわせた。
三内は傷をえぐられ悶絶して床に倒れる。
「ううー!!うぅうー!!」
床に転がった三内は安藤に見下ろされていた。
藍色の瞳はとても心配しているようには見えない。
珍しい物を観察するような視線で三内を見下ろしている。
勝手に安藤を敵対視していた三内は見下ろされているのが気に食わず睨んだ。
「『丸山テメェ!んなこといってねぇ!』って言ってる。そうでしょ?」
安藤は彼の言った事を一字一句正確に通訳した。
三内はそう!そういうこと!と包帯の隙間から目を輝かせる。
三内が感動したのもつかの間、地面に這いつくばる三内の腹に仁科が足を乗っけた。
ハイヒールの鋭い踵が傷をえぐる。
「うー!」
痛ってぇ!と言ったが誰も通訳しなかった。
「三内。安藤君に汚い言葉言わせないで。」
三内は安藤に助けを求めたが、彼の興味はすでにパソコンの画面に向いていた。
一字一句違わず通訳したのは、彼の気まぐれだったらしい。
「うーうー……」
覚えてろ……
三内はそう呟き力尽きた。
仁科はとどめをさし終え、回転椅子でクルリと回り、パソコンを操作し始めた。
仁科は名残惜しく思いながら、お気に入りファイルを閉じて本題に戻る。
お気に入りファイルを閉じると同時に、止めておいた動画が再生された。
衝撃的な映像が映し出されていた。
「なにこれ?」
仁科は本日二度目のナニコレだ。
今度は媚びるような余裕はなく、心の底から出てきた、不思議そうな声だった。
画面の中ではユーセンがばったばったと仁科が送り込んだウィルスを切っている。
可愛い顔して確実に急所を捉えている。
それに圭や葵と違い、戦うのを楽しんでいるように見える。
「ユーセン、スゲー!!!」
ユーセンファンの丸山の嬉しそうな声だけが部屋に響いた。
ウィルスは、いとも簡単に全滅してしまった。
仁科は呆気にとられてそれを眺めていた。
圭や葵の代わりにウィルスを倒すユーセンは仁科にとって、やはり邪魔者でしかない。
「どうしようかしら…?」
仁科が珍しく真剣な面持ちで考え込んだ。
そのまま数秒が経過した。
丸山はユーセンの戦いの観戦後、床に転がったままの三内を突付きはじめた。
三内は早く助けろや…という視線を丸山に放っている。
『見て!』と言われたものを見終えた安藤は、使命を果たしたので、何事もなかったかのようにデスクに向かおうとした。
仁科は離れていこうとするその腕を掴んだ。
「なんで放っておくの?!安藤君はどうしたらいいと思う?」
そう言われてから安藤は一緒になって考え始めた。
安藤が考え始めたのを境に、仁科は考える事をやめて、安藤の考える顔に魅入る。
「いいんじゃない?別にそのままで。」
「えっ?」
それは思いもよらなかった奇策だ。
仁科は豆鉄砲をくらった顔になる。
丸山までも安藤の方を見ていた。
「そのままで、ってどういう事なの?」
念のため聞き返しておいた。
「ユーセンをそのままそこにいさせておく。何も手を加えなくてもいい。」
ポカンとした顔の仁科にさらに続けた。
「仁科もウィルスを送り続けたければ送ってもいいよ。でも、目的の圭や青が見られなくなるのは残念だね。」
安藤の口調は意味のない事はしないほうがいいよ。という口ぶりだった。
「この村から奪った自我で作ったMac-Aは失敗作ってことになったから、もうその手法はとらないことになってたはず。」
安藤はウィルスを送るのは山下兄弟に対する嫌がらせだという事も知っていたようだ。
安藤にとっては、そんなことは関係なかった。
人の趣味なら干渉する必要はない。
だから聞かれるまで言わなかった。
ただそれだけのこと。
「仁科さん。新しい命をつくるため必要なことだって、言ってましたよね?」
丸山は恐る恐る尋ねる。
嘘がばれた仁科は決まり悪そうにフンっと笑った。
その行為は肯定したのと同じ意味を持つ。
「えぇ!じゃあ、仁科さんただ嫌がらせのためにやってたんすか?」
丸山の言葉に仁科は舌打ちした。
「可愛い息子達を見て何が悪いの?」
仁科は早くも開き直り始めた。
丸山は、山下兄妹が仁科を嫌う理由がわかった気がした。
傷を負わされたにも関わらず、あの兄妹に同情した。
兄妹から住む場所を奪い。
二人だけのものであったはずのRPAを奪い。
そのくせに、愛している!なんて抜かす。
嫌いになるのは自然の摂理である。
「じゃあ、僕はこれで…」
安藤は何事もなかったかのように席に着いた。
仁科もまたお気に入りファイルを閲覧し始めた。
「なによ?」
「いや、何にもないっす。」
丸山は仕方なく、床に放置されている三内に手を貸してソファまで持っていった。
三内は助けられたくせに、偉そうにふんぞり返った。
いつものことなので、気にせず丸山もソファに座り込んだ。
一人は、如何せん無頓着人間。
一人は、極度の男好き。
一人は、動けない大根頭。
俺の上司はまともな人がいないじゃないっすか…!と心の中で叫んでみた。
状況は一向によくならない。
丸山は仕方なく、見た目はまともな安藤に視線を向けた。
まともとは言っても、このメンバー内での話なので、普通の会社にいったら間違いなく浮いてしまうだろう。
安藤は姿勢よく席に座り、淡々と仕事をこなしていた。
それだけでもさまになる。
いい男はとくっすね~
そう思ったところで、彼に伝えるべき事があったのを思い出した。
この近くには古い洋館がある。
丸山は今朝その前を、徒歩以外唯一の交通手段であるママチャリで通っていた。
外を通っただけでも、賑やかな様子が伝わってきた。
「あ!そういえば、奥さん帰ってきたみたいっすよ。」
あの洋館で安藤の元嫁が帰ってくるたびパーティを開くのは、丸山ですら知っている事実だ。
丸山の信じられない事に、安藤には奥さんがいた。
過去形なのはすでに別れたからである。
しかも二人の子供までいるらしい。
どういう経緯で、この男が嫁をもらうことになったのか丸山は知らない。
「妃が?!」
安藤は藍色の瞳をキラキラと輝かせた。
いつものように、ふーんと気のない返事するだけかと思われたが違っていた。
家族のことになると人間味が出る。
丸山はこんなに人間らしい顔を見せる安藤の顔を始めてみた。
少したじろいて、『そうっす』と答えた。
「そっか…!」
安藤はによによと笑いながら再びデスクワークにつく。
「それだけっすか?」
「うん。」
幸せそうな表情のまま頷いた。
彼は、奥さんが帰ってきたという事実だけで充分らしい。
「いかないんすか?徒歩20分前後っすよ?!」
丸山がこんな事を言うのは、彼らのためでなく、自分のためだ。
安藤の娘がモデルの安藤姫乃という事もメンバー内では有名な話だ。
あわよくば、ついていってサインをもらおうと言う魂胆である。
「会いたいけどね。」
安藤は嬉しそうな顔に反して今度は、寂しそうな顔を見せた。
彼が寂しそうな表情をみせるのも、家族の事だけだ。
なんでそんなに好きなのに会いにいかないのか?
そこは安藤のみが知るところだ。
「安藤君…そんな寂しそうな顔しないで…!私がいるじゃない!」
仁科は安藤にスリスリと擦り寄った。
ご自慢のプロポーションで安藤を誘惑する。
安藤は嬉しそうな顔をするわけでも、嫌そうな顔をするわけでもなく、ただ視界に入るので仁科を見ていた。
「仁科じゃ代わりにならないな。」
「チッ!ツれないわね…」
安藤は気を悪くした仁科をフォローするわけでなく、再びデスクワークに戻った。




