16.裸足少女と日本刀
樹達が談笑しているまさにその横。
窓のガラス越しにそっと息を潜めて樹を見ているものがいた。
「ついに見つけたぞ…アンドウナイト!…」
葵は手にしていた彼の写真を捻りつぶした。
少し古いその写真は葵の手の中でゴミになった。
写真は仁科の宝物、隠し撮りファイルから奪ってきた品だ。
仁科には返すつもりは無い。
仁科は半永久的に生きるサイボーグ人間で、紙媒体が主流の時代から生きているため、彼女の持ち物は電子式よりも紙が多い。
紙媒体は一度なくすと取り戻しにくい。
そのデメリットは葵にとっては好都合だった。
煩わしい電子作業ではなく手に感覚が残る物理作業でこの世から仁科の私物を消し去れるのだから。
そもそも、男を隠し撮りしたものがファイリングされている悪趣味なファイルが存在している事が気に食わない。
長い時を生きているというだけあって、ファイルには古今東西の美形が納められており、その中には葵が唯一信頼する兄の写真も入っていた。
仁科は法律上、葵と兄の母ということになっている。
そのためか仁科は兄に並々ならぬ執着を見せていて、写真の多さからもそれが伺えた。
今の葵よりも幼い兄の写真を見つけた時には懐かしさではなく、湧いてきたのは薄気味悪さと憎悪だった。
葵がRPCという殻の中に匿われていた間にも兄はずっと幼い時から仁科と戦っていた。
これ以上仁科の視線で汚されるのは嫌だったので、兄の写真一式抜いてきた。
そして残りはぐしゃぐしゃに丸めたり、破いたりした後燃やしてきた。
捻りつぶした写真を地面に投げ捨てようとして思いとどまる。
ポイ捨てはいけないんだ。
圭兄が言っていた。
葵はヨレヨレになったスウェットのポケットに写真を突っ込んだ。
宿敵アンドウは自分と同学年の女の子達に囲まれて、笑っていた。
この様子を葵は木の上から眺めていた。
誰にも気付かれず侵入した葵は、今も気付かれる事無く、葉の覆い茂った木に身を潜めている。
学内用巡回ロボだけは葵の事を認識していたが、不登校児とはいえこの学園の生徒なので横を素通りしていった。
ガラスの向こうでアンドウは笑っていた。
楽しそうに。
葵達から幸せを奪ったくせに、何で笑えてるんだよ!
アンドウが憎くて、憎くて。
ポケットに突っ込んだ写真を尚もきつく握り締めた。
アンドウが一人になるのを待とう。
命を狙われているとも知らずにアンドウはまた笑った。
あの顔、散々女の子をだましているに違えない。
その顔二度と笑えない顔にしてやるよ…
葵はニヤリと笑って、じっくりとその時が来るのを待った。
すっかり遅くなっちゃったな…
樹が降りた駅は、他の場所より高台に位置しているため、町がよく見渡せる。
右手のほうは完全に闇に飲まれていた。
左手のほうはまだ明るく、空が極彩色のグラデーションになっていた。
急に日が落ちるこの季節ならではの光景だ。
素直に綺麗だと思って定期券を手に改札をくぐった。
いつもと同じ場所なのに時間が違うだけで全く違って見える。
学園祭が終わるまでは日に日に割合が変わってくる空模様を毎日眺めるのだろう。
樹は今日言葉を交わした同級生達を思い浮かべた。
前橋さん、中山君、杉田君。
顔がニヤケているのが自分でも分かる。
また明日も話せるんだと思うと嬉しい。
樹は軽い足取りで階段を下りた。
ここからは家まで15分ぐらい歩く。
いつも帰る時間帯より遅く、帰宅ラッシュも過ぎたため人は少ない。
樹は油断していた。
なんたってこの辺は居住地区でも駅周りなので監視ロボも頻繁に通るし、何よりも毎日利用する場所で、樹にとって事件性とは最も縁遠い場所なのだ。
そのお陰で後ろから迫ってくる魔の手には、直前になるまで気付かなかった。
樹がその存在に気付いたのは、腕をつかまれ口をふさがれた後だった。
それと今は、人目につかない自転車置き場に引きずられているところだ。
助けてを求めようとするが、呼吸ができなくて苦しい。
鼻は押さえられていなかったが、鼻で息が出来る事を忘れていたせいだ。
それくらい樹は混乱していた。
これはなんだ?変態?追いはぎ?
まさか誘拐?
自分がこんな目に合うとは思わなかった。
浮かれていたこの時には特に。
姉が暗くなったら外に出ちゃ駄目って言っていた。
もう大きくなったんだから平気なんて言ったけどそんなことなかった。
いままで寄り道せず帰ってきたのに…
花の高校生だよ?!
神様は不公平だ。
たった一回なのにこの仕打ち。
アネキごめん、無事で帰れないかもしれない。
貨物船に乗せられてどこかに売り飛ばされるのかもしれない。
こんな時に限って、この前見たマフィアの映画が思い出された。
どうせだったら敵を撃退できそうな、カンフー映画を思い出したかった。
じたばたと抵抗を試みるが、全く力を緩めることなく引きずられていった。
「動くな!動くと殺すぞ…」
硬いコンクリートの柱に樹を押し付けて相手はすごんだ。
声は樹の顔の下のほうから聞こえた。
想像していたよりも声が高い。
じたばたするのを止めてみた、冷静になってつかまれた左手を見ると、自分よりも細い腕ががっちりと樹を掴んでいた。
細いのに凄まじい力だ。
細い指が、腕に食い込んで痛い。
やっと相手の顔を見ることができた。
くたびれたグレーのスウェット、上はお寿司とデカデカと書かれたプリントシャツ。
街中で見ていたなら、面白いと笑っていたかもしれないが状況が状況だ。
樹はパニックに陥っている頭で予想を立てた。
女…の子?
凹凸のない細い体からは性別は判断できないが、ぼさぼさだが長い髪と、長い睫毛でそう判断した。
背も樹の肩辺りしかない。
年は同じか樹より下ぐらいだ。
「声出したら刺すからな。」
そう言って抑えていた手を離した。
言われるまで、声を出そうなんて思いつかなかった。
その手があったかと思った時には、凶器と思われるものが樹の首筋に突きつけられていた。
刃渡り約70センチ。
時代劇でしか見たことがない代物だった。
日本刀だ。
本物である事は、特有の金属光沢と少女の目が本気だった事からうかがえた。
なぜ、女の子がこんなものを?
少女は樹の目を真っ直ぐ見据えながら、日本刀を構えていた。
刃先が樹の肌に触れた。
「ヒィッ!」
樹はお得意の悲鳴を小さい声で上げた。
大声を出した途端刻まれる可能性もある。
樹の悲鳴を聞いて、少女は満足げに笑った。
少女は日本刀の腹で樹の首をぺちぺちと叩きながら、長年の宿敵を追い詰めたときに言う台詞を言った。
「ついに追い詰めたぞ、アンドウナイト!!!」
樹の全身を支配していた鳥肌がスゥッと萎んでいくのが分かった。
その気配を少女も感じたのか、嫌な沈黙が訪れる。
樹は日本刀の刃に注意を向けながら慎重に言った。
「あの…人違い…です。」
「嘘だ!」
ギュリッ…
樹の首の横で刃とコンクリートがぶつかる耳慣れない音がした。
再び体中に鳥肌が広がる。
「嘘じゃないって!俺はオウノ、イツキ!」
「嘘だ、嘘だ!偽名だ!絶対!」
急に子供っぽい駄々をこねる口調になった。
「違うって…!」
「これを見ても嘘が言えるか!」
そう言って少女はスウェットからぐしゃぐしゃに丸まった写真を樹に押し付けた。
「だから違うって…」
そう主張しながらも、刃が向けられているので、写真を皺を伸ばしてみてみた。
「ほら!お前だろ!」
写真の中では、樹と同じ顔、同じ年頃の青年が、分厚い本に目を落としていた。
しかし、樹は首を振った。
「違う。これ俺じゃない。」
他人から見たら、同じに見えるかもしれない。
『昔の安藤君にそっくり』とよく言われるがここまで似ているとは樹も正直驚いた。
父の若い頃の写真ははじめて見たが、樹にはすぐにこれが父親だとわかった。
写真自体が古いし、樹は紙媒体で本を読むことなんてない。
「整形したんだろ…?そうだと言え…!」
少女は刀を下ろし、願うように言った。
その目を見ていると、刀を向けられていたのに可哀そうに思えてくるから不思議だ。
樹は首を振った。
あいにく産まれたときからこの顔だ。
もし整形しているというのならこの写真自体証拠として成り立たない。
本人もうすうす気付いていたのだろう。
少女は睨むのをやめてその場にへたり込んだ。
「大丈夫…?」
このまま逃げてもよかったのだが、それができないのが樹の悪いところでもあり、いいところだ。
「痛い…」
少女は唐突に言った。
「痛い?」
思わず樹は聞き返した。
「足っ!」
涙は足が痛いせいだけではないと思うが、涙目ながら樹に訴えた。
樹が少女の目で示す場所を見ると、足の裏が真っ赤になって、所々切れて血が出ていた。
少女は裸足だった。
よく見ると、その足元には誰かが捨てたガラス瓶がバリバリに割れて落ちていた。
まだこれだけの怪我ですんだのが奇跡的だ。
「大丈夫?!」
樹は咄嗟に、しゃがみこんで鞄の中をあさった。
そして週末に洗おうと思って持っていた上履きを差し出した。
「ほら、足払って。」
少女は涙を拭いながら、言われたとおりにする。
その後にハンカチで血を拭くと驚くことにほとんどが塞がっていた。
小さい子供を安心させるように笑って、その足に上履きを履かせてやった。
少女は目を見開いて、樹の顔と、もらった上履きを交互に見た。
「汚いし、大きいかもしれないけど、ないよりいいでしょ?」
「ありがとう…」
少女はひっくひっくと泣きながら、礼を言った。
泣きながらも、二シッと八重歯を見せて笑った。
その姿を見てそんなに悪い子じゃ無さそうに思えてきた。
「どうしよう…仁科の…盗撮…燃やし…戻ったら…死ぬ…」
怪しい単語がいくつかあったが、聞こえないフリして、うんうんと相槌を打った。
「君、名前は?」
樹は日本刀をどこで手に入れたのか、なぜ裸足なのかは、あえて後回しにおいた。
「葵。」
アオイ。
樹は頭の中で復唱した。
「そっか…なんで、こんなものを…?」
恐る恐る少女が横に置いた刀を指差した。
「えぐっ…アンドウを始末するため。」
葵はすすり上げながら、物騒な事を言った。
父は何かこれで始末されるような事をやらかしたのだろうか?
父がどんな感じだったか思い出そうとしたが、少しずつぼんやりとしか浮かんでこなかった。
どの記憶も悪そうな人ではなかった。
ただ無口で、気が付くといたりいなかったり、目が合うとじーとそらさずこっちを見ている。
しかしその眼差しはいつも暖かい。
「何で父さんを始末しようと…?」
葵は泣き腫らした目で樹を睨んでいた。
そして、再び日本刀を掴み樹に向けた。
「『父さん』だって?!」
しまった!地雷を踏んだ!
仇の息子だと知って、斬りつけてくる可能性も大いにある。迂闊だった。
またしても葵は樹を睨みつけていた。
しかも、泣いた後だったので目が赤く縁どられ迫力を増していた。
「アンドウはどこだ!」
「知らないって!」
もう何年も帰ってきてない。
今、名前を聞くまで思い出さなかった。
そんな父親がどこにいるのかなんて分かるわけがない。
またふりだしに戻ってしまったが、刃を突きつけられても先程ほど怖くない。
「オイッ!そこで何している!」
横から男の声が聞こえた。
葵はチッ舌打ちして、刀を鞘に収めた。
「次は、命はないと思え!」
葵はゆっくり後退りした。
「警察呼ぶぞ!」
再び噛み付くような男の声が聞こえた。
「靴、ありがと。」
葵はボソリと呟き、体の向きを変えると、自分の身長より高い柵を楽々飛び越えていった。
自然な動作だがとても普通の人間の動きには見えなかった。
思わず樹はその動きに見入っていた。
「あっ、ちょっと!」
殺されそうになった相手を呼び止めるのは、少し変な気分だった。
葵は振り返ることなく、ガードレールもハードル走選手のように飛び越えて、住宅街の中に姿を消した。
「大丈夫か?!」
樹の後ろには、スーツを纏った中年男が立っていた。
どうやら、この男がさっきの声を発したようだ。
「え?はい、大丈夫です。ありがとうございました。」
一応助けてもらったのだから、樹は鞄を抱えてぺこりとお辞儀した。
男はハハハと控えめに笑った。
よく見るとこの男には上の前歯が二本ともなかった。
少し妙だ。
「気を付けなきゃ…最近変な人多いんだから…」
気のせいだろうか、この男はゆっくりにじり寄ってきていた。
背筋に嫌な感触が走る。
葵に刀を向けられた時とは別の感触だ。
「そうですよね。気を付けます。今度から…」
樹は顔では笑顔を浮かべながら、すり足で出口の方へ向かった。
気のせいではなかった。
やはりゆっくりこちらへ近づいてきている。
「一人で帰れる?おじさん車あるから、送てってあげようか?」
確信犯だ!この人…!
「いえ!結構です。ありがとうございました!」
ございました!といった瞬間には、もう背を向けて一直線に逃げ出していた。
葵のようにとはいかなかったが、樹はそこそこな速さで走っていた。
車ある人が駅の自転車置き場に来るの、おかしいじゃないか!
一日に変な人に二回も遭うなんて、今日は厄日に違えない。
後ろを振り返ると、まださっきの男はこっちを見ていた。
例の前歯のない口で笑っていたが、追いかけられるよりましだ。
走っている間に巡回中の監視ロボとすれ違い、もうちょっと早く来てくれよと睨みつけ、樹は止まる事なく家まで走っていった。
「ただいま!」
樹は扉に体当たりするような勢いでリビングに飛び込んだ。
「おかえり、遅かったね。樹!どうした?そんなに慌てて!」
「樹、大丈夫?顔色悪いよ?」
妃と桜がギョッとして樹を見る。
あんなに走ったのに、不思議と体は温まらなかった。
変わりに、嫌な汗を体いっぱい掻いていた。
「いや!何でも、ないよ!おなか、すいたんだ!」
樹は息を切らせながら、無理に笑って言った。
ほんとの事を言った日には、過保護な姉は二度と自由に外を出歩かせないだろう。
「そうなの?変なの…ご飯、出来てるよ。」
「やったあ!エビフライだ!」
樹は大げさに喜んでみせた。
「樹、本当に大丈夫?」
桜は様子が明らかにおかしい弟を訝しげに見た。
「まあ、いいや。手洗っておいで。」
樹は手を洗いに洗面所へ向かった。
手を洗って戻ってきたときには妃と桜は席についていた。
樹が席に着くと妃が音頭を取った。
「いただきます。」
それに習って桜と樹も復唱する。
「いただきます。」
無事に家に帰ってこられた幸せを噛締めながら、樹はエビフライを口に運んだ。
樹がどんな思いで食卓を囲んでいるか知らずに、妃と桜はいつもとなんら変わらない様子で世間話を始めた。
樹が先程まで日本刀少女と歯抜け男に遭遇していた事は知るよしもない。
「あ!桜、樹。来週の土曜日にイブじい家に皆で集まるんだけど、来れる?」
「あぁ、いけるよ。」
樹は即答した。
休日はもっぱらネット世界に浸る暇な高校生だ。
妃はそうかそうかと満足気に笑った。
王野家では妃が帰国するたびに、イブじいの家で妃の友人とその家族を呼ぶパーティが開かれる。
「やった!私も行ける!」
桜はスケジュール帳を確認しながら言った。
樹のように、毎週暇な訳でもないのだ。
「お!桜が仕事ないなら、山ちゃんも仕事ないね。連れてきてね!」
人の予定を勝手に決めつけ、妃はさも当たり前のように言った。
それに対して桜はさめた顔をした。
「休日は彼女と過ごすんじゃない…?」
なに?!と妃は大いに関心を持った。
樹はいても不思議はないと思い聞き流していた。
妃はニヤニヤと笑った。
この年になると他人の恋愛事情にやたらと首を突っ込みたがる。
「知らない。『アオイさん』だって。それ以外教えてくれない。」
個人名が割れているならそれで十分だ。
樹を硬直させるのにも十分だ。
樹の箸の先からエビフライが味噌汁の中へダイブした。
樹は二人に気付かれる前にヒッソリと、エビフライを掬い上げて証拠隠滅した。
すでに衣が味噌汁を吸っていてふやけていた。
味はよく分からない。
葵さん。
珍しくもないが、多くもない。
日本刀少女とマネージャーの彼女の名前がかぶる確率はどのくらいあるのだろう?
いや待て、青井さんかも。葵さん?蒼井さん?
なんでよりによって今日このタイミングで同じ名前が出てくるのだろう。
「樹?!大丈夫?さっきからやっぱり変だよ?」
樹は先程から箸の先をくわえている。
我に返ると慌てて笑顔で繕った。
「大丈夫だから!ほんとに!ご馳走様!」
樹は食器を重ねて台所まで持っていった。
それからなにをしてもうわの空だった。
それでも機械的に宿題もやって、風呂にも入った。
普段延々と同じことを繰り返している結果だ。
長いような短いような時間を過ごしてようやく寝床に倒れ込んだ。
今夜は眠れないかもしれない。
明日も学校と練習あるのにな…
そう思ったが布団に入って数分も立たないうちに寝られた。
慣れない事をして疲れていたからに違えない。
夢を見た。
今日仲良くなった人達の夢を見た。
あぁ、よほど楽しかったんだな…
我ながら分かりやすい。
この時ばかりは単純な自分に感謝した。
でも少し意外だったのは、その夢では葵も友達として出てきた事だ。
刀を突きつけられたのに友達と認識しているのだろうか?
不思議と悪い気はしない。
だって友達は多いほうが絶対にいいから。




