11.坊のわがまま
「悪い事したらBON行きだぞ。」
「下手したらBON行きだぞ。」
松田カンパニーには、このような慣用句がある。
上司が部下に脅しのために使う決まり文句である。
松田カンパニーの全社員はBON行きを恐れている。
BONの存在は入社したと同時に教えられ、やっと入れた憧れの会社にもこのような部署があるのかと知る事になる。
やがて人事部からの異動命令におびえる事になるのだ。
BON。
部外者が聞いたら、何かの略省だと思うだろうがそれは違う。
これは『ビー・オー・エヌ』と読むのではない。
『ボン』と読む。
漢字で書くとしたら『坊』となる。
仕事内容は実に簡単で、社長の松田氏のご子息、つまりは『坊』の世話をする部署なのである。
金持ちの上、わがまま放題の坊のお守りをするのは容易なことではない。
ここに配属されるとまともな仕事をさせて貰えず、クビにならない代わりに自ら会社を去って行くものが多い。
BON行きを恐れ、社員たちは今日も熱心に仕事に打ち込んでいる。
牧原哲男はそのBONに勤めていた。
坊が直属の上司となるこの部署の実質的なリーダーとなっている。
BONには牧原を含め、現在十名が籍を置いている。
うち五人は出勤拒否しているので、いずれ除籍処分されるだろう。
なので正常に機能しているのは五人ということになる。
この部署には、特別に私服の許可が下りている。
というよりも、着る物の指示を出されていないので皆協調性のない格好をしていた。
一人は、ロリータ。
一人は、キャラクターつきTシャツ。
一人は、10Lのオーバーオール。
一人は、漢字つきスカジャン。
まともな会社員らしい格好をしている奴がいない。
唯一、一般人の一般的な私服を着ている牧原は、左目に眼帯と右頬に古傷という痛々しい姿だ。
まあ問題児の寄せ集めなのだから仕方がないと牧原は思っている。
ロリータ服を着たのリーコにいたっては、その格好で通勤してきたせいでBONに配属されてきた。
本人はこの格好で通勤できればどこの部署でも構わないらしい。
会社内では畏怖の対象であるBONだが、住めば都。
坊が難題を押し付けなければ、自分のやりたい業務に徹してもかまわないのでメンバーは自由に行動している。
そんなBONが皆自由に振舞っている中で、牧原は自分の席で頬杖を付きながらパソコン画面を眺めていた。
画面のディスプレイには松田カンパニーのマスコットキャラクター、ユーセンがつぶらな瞳で牧原を睨みつけていた。
クリームがかった柔らかそうな2頭身ボディに唐草模様のマント。
赤い兜には左右にエビの尻尾のような飾り。
さらに赤い兜には一対の黄色い角がたっている。
「おいテツ!暇だぞ!ウィルスをよこせ!戦うぞ!」
ユーセンはそのかわいいマシュマロボディから出たとは信じたくない暴言を吐いた。
ユーセンは松田カンパニーが出している、ウィルス・バスター『U‐1000』のイメージキャラクターだ。
もちろん、コンピューターのウィルスを退治するのがユーセンの仕事だ。
そのかわいい容姿で人気を博しているが、その実態は我儘で実に好戦的だ。
その事実知るのは『U‐1000』開発に携わったBONの人間と、可愛いウィルスバスターを所望した和馬のみだ。
一般家庭に普及しているユーセンは、ディスプレイ上をフワフワ漂う可愛いアイコンとして認識されている。
このようにしゃべったりする事実は知られていない。
「ユーセン君。君が暇な事はいいことなんだよ。」
牧原は優しい口調で諭す。
「ケッ!」
ユーセンは眉間に皺を寄せてそっぽ向く。
怒っているのだろうが、その姿は可愛らしく牧原は笑みをこぼす。
「よしよし。金平糖あげるから。怒らないでよ。」
牧原がパソコンを操作して金平糖を出してやると、カーソルから金平糖をもぎ取ってかじり始めた。
「かわいくない!きっと坊に似たんだよ!」
隣で見ていたリーコが頬を膨らませた。
こちらもお人形のようなフリフリした格好なので本気で怒っている様には見えない。
「おい!フリル!お前、はやく新しいウィルス作れよ!」
金平糖をかじりながらまたしても生意気な口をたたく。
ウィルス・バスターの質を向上させるためのテストウィルスを作るのがリーコの仕事だ。
というのは会社に提出する建前で、本当はユーセンの暇つぶしのためにテストウィルスを作らされている。
和馬がこの可愛くないウィルス・バスターの相手をするように命令したので、お給料のためにリーコは仕方がなくテストウィルスを作っている。
「キーッ!何様だ!」
リーコは地団太を踏んだ。
こうした動きがロリータ姿の彼女をより子供っぽく見せる。
「ウィルスバスター・ユーセン様だよぅ!」
生意気なウィルス・バスターを捻りつぶそうとするが画面の中のユーセンに触れる事は出来ない。
「哲!コイツどうにか黙らせてよ!」
牧原は笑いながら見ているだけで取り合わない。
牧原が何もしないのをいいことに、ユーセンはクルリと後ろを向き、丸いお尻をこちらに向けてフリフリと振ってリーコを挑発した。
「ムキー!」
リーコが憤慨するのをみて牧原だけでなくBON全体が笑い声をあげた。
今日もいつもと変わらぬ平和な一日になる。
はずだった……
ピンポーン。
会社の中なのにも関わらず、家庭的なインターホンの音が部屋に木霊した。
インターホンが意味するのと同じように、訪問者が来たことを示す合図だ。
部屋がサーっと静かになったのが分かる。
怒って赤くなっていたリーコがだんだんと青ざめていく。
漫画を読んでいた者も、ポテチを食べていた者も、韓流ドラマ見ていた者も手を止めた。
まさに『旋律はしる』という言葉がしっくりくる。
「あっ。坊かな?」
表情を変えないのは牧原ぐらいのものである。
不測の事態にも動じないのが彼がリーダーたる所以。
牧原が扉を開けに行く間、他の者は自分の席について、引き出しに私物を詰込んだりして、大騒ぎだった。
「哲、開けるの待って!」
そう誰かが叫んだ時には、牧原はすでに社員に配られるカードを使い、扉を開けていた。
スライド式の扉がスーと音を立てて開いた。
「ハロー。みんな!」
赤と黒の派手な髪。
細長いシルエット。
その横にはモフモフとした白い物体。
見紛う事なく坊だ。
そしてその愛犬、ワン太郎。
「ハッ、ハロー……?」
一同引きつった笑みで坊、こと松田和馬を出迎える。
和馬は社員が引きつっている事は一切気にせず、笑顔を振りまきながらBONに足を踏み入れた。
気付いていないのか、それとも気付いていてそうしたのか、または眼中にないのかさだかではない。
和馬の顔は、本当に嬉しいときも、悲しいときも、変わらずこの笑顔しか存在しない。
「坊、なんか用?」
BON一同は横一列に整列し身構えた。
BONに坊に対する拒否権はない。
反抗および拒否は失業を意味する。
できるのはせめて簡単な命令だと願うばかりだ。
和馬は空いている席を見つけるとそこに腰かけ、ワン太郎を横に座らせた。
そしてついに口を開く。
「知っているかい?今、就職したい会社一位を?!」
「さぁ……」
皆一斉に肩を落とした。
この回りくどい言い方。
確実におかしな方向に話を持っていこうとしている。
「駄目だなぁ!社会人ならそのくらいは知っておかないと!」
和馬はポケットから雑誌の切り抜きを取り出し、それを広げ、よく見えるように掲げた。
「いいかい。ここをよく見てくれ!」
そう言って紙をツンツンと突っついた。
どうせいいものじゃないんでしょう?と思いながら一応その紙を見ておく。
我が松田カンパニーは二位。
そして、和馬が指差している、リゴレ・ルーンは一位。
「どう思うかね?!」
「いや、どうって事は……」
そこが一位。うちは二位。それはいつものことだ。
正直なところ一位になろうと努力する気もない。
さらに言えばこの部署に配属されてしまった以上会社に貢献する気もサラサラない。
「さて問題。僕はみんなに何をして欲しいでしょう?」
知るか!と言いたいのをこらえ、うーんと唸る。
「……頑張って一位になってほしい……?」
恐る恐るリーコが言う。
他の面々もそうもう、そうもうと頷く。
「まあ、それもそうだけどちょっと違う。惜しい!」
これには本当に頭を抱えた。
「あそこって、仁科とか言う女社長に代わってから急に有名になったよねぇ。前の社長だった時は本当に面白いゲームばっかりだったんだけどなー……」
和馬はワン太郎の頭を撫でながら、ブツブツ一人事を言った。
静かになった部屋に和馬がキコキコと椅子をこぐ音だけが響く。
辺りが困惑し、仲間同士で耳打ちし始めた。
「つまり坊は何が言いたいの?ヒソヒソ……」
「ウチらにオモロイもん作らせようとしてんとちゃう?ヒソヒソ……」
「どおしよう、ユーセン君作らされた時に僕25キロも痩せちゃったんだよ……!ヒソヒソ」
「おいおデブ!聞こえてるぞ!ヒソヒソ……」
「ユーセンはヒソヒソしなくって良いんだよ。ヒソヒソ……」
和馬は答えが出るのを待って、ジーっと期待の眼差しを向けている。
なかなか答えないのに見かねて、今まで黙って事の成り行きを見ていた牧原が口を開いた。
「リゴレ・ルーンを陥落させたい訳だね。」
牧原は彼特有の歌うような美声で言う。
和馬がパチパチと手を叩いた。
「さすが哲!その通り!」
ヒソヒソしていた人々がアセアセし始めた。
「待って!それじゃ、営業妨害だって訴えられない?」
「坊、いくらなんでもそれは……!」
和馬は必死で講義する人々の声を楽しそうに聴きながら、ワン太郎の頭を撫でる。
「それは平気さ。怒られるどころか、世の中の人から感謝されちゃうよ!」
「どういうこと?」
リーコの発言に満足げに和馬が説明してあげて、と牧原を見上げた。
「あいつら、法に触れてるんだよ。」
「法に触れる?」
怪しい響きに首を傾げる。
和馬は牧原から話を引き継いだ。
「そう!あいつら研究所の奥深くで、ゲームの他になに作ってると思う?『永遠の命』ってヤツだよ。それで、それを告発すれば自然と我が松田カンパニーが一位になる訳!」
「ちょい待ち!何なん『永遠の命』って?」
スカジャンを着たキャシーが和馬に詰め寄る。
和馬は面倒くさくなったのか、牧原を見上げて再び説明を促した。
「リゴレルーンは既存の技術と現社長の持つ技術を駆使して、寿命のない生命体を創ろうとしてるんだ。それが『永遠の命』なんて呼ばれてるんだ。」
「そうそう!知っての通りロボットに人工知能を搭載させることは帝都の革命以来法律で禁止されてるでしょ?」
和馬は知らない筈ないよね?と確認するようにBONの鼻先を指さした。
「じゃ、具体的なことは、哲から聞いてね。バーイ!」
和馬は立ち上がると来た時と同じドアから去っていった。
嫌な沈黙が部屋に立ち込めた。
巨漢の山城が大きなため息をつく。
「ボンはどこで情報仕入れてくるんだろうね……」
ガリガリに痩せた和泉がメガネをクイッと押し上げた。
「全くであります!富豪の息子っと言ったってただの男子高生のハズ!」
リーコを筆頭に皆が牧原に詰め寄る。
「で、どうすんの哲?」
「まさか本気でありますか?」
「痩せるつもりはないからね?」
BONの期待を裏切り、牧原は微笑んだ。
「本気だよ。それに坊の言ったことは絶対だからね。それに……」
「それに……?」
リーコが聞き返す。
牧原は頬の傷をなぞるように、ゆっくりと擦った。
「リゴレ・ルーンの現社長には個人的な恨みがあるからね。」




