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カリロボ  作者: 広瀬ジョージ
学園祭編
1/95

01.エリア11

 二〇××年、保安用飛行ロボ全国運用開始に合わせ、日本では大規模な改革が行われた。

 大都市部は『エリア』として登録された後、エリア番号が割り振られ、保安用機器管理局が置かれた。 首都をエリア1として合計の12のエリアが誕生し、各エリアの管理局最寄りの駅やバス停にはエリア名が採用された。


 従来の地名を懐かしむ声も多かったが、それも昔の話で、今では番号制の管理のしやすさの方に重きが置かれているし、難解な地名よりも分かりやすいというのが世論である。


 それと同時期にロボットにまつわる法律も完成し、一般家庭向けに家事代行ロボの販売も始まった。これらは一括りにその時の年号をとって『帝都の改革』と呼ばれ、戦前・戦後の以外の新たな歴史の分岐点となった。


 時は二一××年、夏の終わりのエリア11。


 都市の主要部のこの駅はエリア内を走る鉄道線六本の交差地点であるため、そこはどこもかしこも人であふれている。

 慣れない者は、歩くのにも苦労するほどだ。


 この駅周辺には大型ショッピングモール、大手企業の会社があり、朝でも夜でも人で賑わう。

 平日でも休日でも人が絶えることは無い。


そこに来る理由もさまざまで、何ひとつ面白いことなどないというような無表情のサラリーマンもいれば、そこにいるだけで楽しいというような表情をしている子供達もいる。


 そこに一際目立つ人物がいた。

 エリア11へ来るには、自らの住む居住地区の最寄り駅からエリア11の中心部にあるこの駅まで来ることになる。


 王野樹も例に漏れず最寄り駅からここまで来た。

 電車から押し出されるようにしてプラットホームに出て、人の多さに圧倒される。


 艶のある黒髪。

 今まで日に当たった事がないような白い肌。

 藍色の目に筋の通った鼻。身なりも最近流行りの服に身を包んでいる。


 樹は慣れない場所に放り出され辺りを見回していた。


 ただでさえ目を引く外見なのに、辺りをキョロキョロと不安げに見回しては、人々の視線を総ざらいにした。

 外見と挙動どっちで目立っているのかは定かではない。

 誰も答えは教えてくれず、一瞬は樹を目にとめては何事もなかったかのように流れていく。


 立ち止まって地図を確認したくても、立ち止まっているだけでも通行の邪魔になってしまうぐらいの人の多さだ。

 駅の中は入り組んでおり、改札にたどり着くことも、慣れていない樹にとっては難しい。

 人がはけたら地図を確認しようと思っても、人がはけたころには次の電車が到着して同じ量の人を吐き出していく。


 樹は流れゆく人々の邪魔にならないよう背中をホームの柱に密着させ、頭上の案内を見上げる。


 そこには無数の乗り換え案内と多すぎる改札案内が書かれているだけで、樹の知りたい情報は書かれていなかった。

 樹は仕方がなく人の波に乗った。


 運が良ければよく知る場所に出られるだろう。


 いつもここに来るときは一緒に来た人の後をついていくだけで良かったが、今日はそうはいかなかった。

 やっと改札が見えてきて、上の看板を頼りにしながら自分が出ようとしている改札が中央東口ということが分かった。


 本当は違う改札が良かったが駅でウロチョロするより一旦駅から出てしまった方が楽に済みそうだ。


 樹は改札のだいぶ手前から手にパスを用意し、読み取り口にかざす。

 最寄りの駅で中に入っている残額も確認したので難なく通り過ぎることが出来た。


 自分が止めてしまうと後ろが詰まり、露骨に嫌な顔をされるので、改札は人が多いといつも少しだけ緊張する。

 樹の所持しているパスでは通学区間の差し引きと学生割引が適応された。

 

 広いところに出て圧迫感から解放されると、足早に改札口を離れそのまま駅の外に出た。路上に置いてある自販機の横にやっと立ち止まった。


 皆、よく迷いなく自分の目的地に歩いていけるものだ。

 それとも目的があるように歩くのが得意で同じように成り行きに任せているだけなのか。

 

 ここに来るまでに精神力を大分消耗してしまった。

 樹が何気なく空を見上げると、都会というだけあって最新モデルのロボが地上4メートルあたりを優雅に飛んでいた。

 空中は地上ほど混雑していないようだ。


 監視カメラロボはゆっくりと飛び、運送用のものは可能な限り早く飛んでいく。

 

 珍しい機種があればじっくり鑑賞していただろうが今日はそんな余裕はなかった。

 樹はあたりを見回し目的地を確認すると、意を決して再び歩き出そうとする。

 ところが一歩歩き出した瞬間、彼の肩に人がぶつかる。


「すいません!」


即座に頭を下げたが、肩をぶつけた相手は気にも止めず歩き出し、人だかりに消えた。

 樹はふらりとまた自販機横に逆戻りする。


 何度もこの都市に来ているが、この場所に慣れそうに無い。

 樹は自分の不甲斐なさに眉を情けなくハの字にした。


 なぜ休日にこんなところにいるのだろう。

 もう帰りたい。


 気がつけば監視カメラロボのドーム状レンズが樹を見ていた。

 一か所に長く留まっていたため不審がられたようだ。

 自販機に何かしていると思われているのかもしれない。


 樹はカメラを通じて監視しているであろう監視官に向けて引きつった愛想笑いを浮かべると、足早にその場を離れた。

 かえって怪しいよなと思ったが、ロボに追跡される事はなかった。



 駅の別出口から出たので倍の時間をかけて、樹はやっとの思いで、目的地にたどり着く事が出来た。

 エリア11のシンボル、タイムビル。


 天辺を見ようとすると首が痛くなる程高い。

 タイムビルはその名前の通り、エリア内の人間に知らせるように大きな時計がついている。

 樹の身長の何倍もありそうな秒針が正確に時を刻んでいる。


 巨大な時計の内部には巨大な歯車、という訳でもなく、時計は巨大な円形モニターに映し出されているに過ぎない。

 有事の際には国営テレビ局の緊急速報に切り替わるらしいが、幸いにもまだ一度も見たことはない。

 

 外からみると巨大な時計付きのオブジェのようだが、タイムビルは日本企業のエリート中のエリート達が事務所を構えるオフィスビルになっている。

 タイムビルには、一階エレベーターに入場認証があり、そこを通らなければ、どこの階にも行けないようになっていた。

 日本のエリート達の会社だからアポがないと当然簡単には入れない。


 樹はそのタイムビルの最上階に用があった。


 樹はコソコソと建物に入った。

 タイムビル一階は他の階と違い天井が高くなっており、踏み入れた途端快適に設定された温度差の壁にぶち当たる。

 夏の終わりとはいえまだ暑いので、今日はひんやりとして感じた。


 左手に見える喫茶コーナーでは休憩中のオフィスレディ達がにこやかに談笑していた。

 休日に出勤しているにも関わらず、彼女たちの笑顔には疲れという物は一切浮かんでいない。

 小さなスーツケースを引きながら歩いていった男性はスマートホンを耳に当てながら、樹とすれ違っていった。


 樹は流行で身を固めているが、そこから浮いているように思えた。

 ドレスコード何てないのだからどんな恰好でもよい筈なのに、ここに来るたび自分が浮き立った存在に思えてならない。

 それももうすぐそこまでの辛抱だと自らを奮い立たせ、なるべく堂々しているように見えるようにエレベーターに向かって歩いた。


 エレベーターの設置されている壁際には、最新型の警備ロボが置かれていた。

 ビル内には当たり前のように警備員と警備ロボが控えている。なにか起こればすぐに不審者を取り押さえ、連行する仕組みだ。

 今は監視カメラモードで大人しくしていた。


 樹はエレベーターの前で入場許可証をかざした。

 ビッと拒絶音がした。

 

 『期限切れ……』


 樹は声を出さずに焦り、機械が話し終える前にもう一度かざす。

 再び拒絶音が響く。


 『期限切れです』


 樹は恐る恐る警備ロボの様子を伺ったが、反応はなくひとまずほっとする。

 もう一度試そうと思った時に肩を叩かれた。


「ヒィ!」


 振り返るとそこには二十代程でスーツの似合う、いかにも仕事が出来そうな女性がいた。


 首からネームプレートを下げていて、時計のマークがついていることからここの職員であることが分かった。

 守衛、杉崎と読める。


 守衛は一昔前は男性の多いの職業だったらしいが、警備ロボが出てから女性の方が多くなったらしい。


「どうされましたか?」


 杉崎は職業的な笑みを浮かべて首を傾げた。

 柔らかい笑みに見えるが、そのままの顔でバッサリ斬りつけられそうな威圧感もある。

 しかし人が来てくれたのだ。

 何とかなりそうだ。


「あの……最上階の中津芸能事務所に行きたいんですけど……」

 樹はすがるように期限切れと言われた入場許可証をと差し出した。


「では、帳簿から確認いたします。本人確認出来るものはお持ちでしょうか?」


 その言葉を待っていた。

 これで中に入れる。


 カバンに手を伸ばして、樹は今日のカバンがいつもの通学用でないことに気が付いた。

 そう言えば学生証をこちらのカバンに移した記憶がない。

 入場許可証に気を取られていてすっかり忘れていた。

 しかし樹は本人確認できそうなものなんて学生証以外持っていなかった。


 樹は焦った末に目に入った通学用のパスを渡す。

 一応は学生証明書の代わりにはなるものだ。

 杉崎の顔が曇る。


「顔が確認できる物でないと困ります。」

「なんとか……」

「なりません。上の方に何か連絡を取ってみてはいかがでしょう?」

「……連絡が取れたら苦労しません……」


 杉崎は血も涙も無い笑顔で、どういたしましょうか?と言った。


 口調こそ穏やかだがこちらに同情している様子も無い。

 杉崎は先程から樹の出方を待っていたが進展があった。


「入場許可証が無いのなら申し訳ございませんが、お引き取りください」

 

 全く申し訳なくなさそうに言われてしまった。

 せっかくここまで苦労してここまで来たのに、全てが水の泡になるのは困る。


「えっ?!ちょっと待って……!」


 樹は杉崎の手がベルト横の赤いボタンに伸びていることに気づいた。

 ボタンを押せば警備ロボのモードが切り替わり、警備ロボが駆けつける。


 樹が慌てふためこうが杉崎には関係ない。

 仕方なく退こうと思った時、樹の背後から珍しく自分の下の名前を呼ばれた。


「イツキ」


 広い空間に落ち着いた男の声が響いた。

 この声には聞き覚えがある。


 救世主だ!助かった!


 期待して振り返るとやはりその人物が立っていて、すらりと背の高い人物はゆっくりこちらに向かってきた。

 彼は清潔感のあるスーツをサラリと着こなし、難なくこのビルの風景に溶け込んでいた。


「山ちゃん!」

「山下さん!」


 杉崎は馴れ馴れしい口の利き方をする樹を睨み、樹は女性の視線に怯えた。

 樹と杉崎が同時に言ったので、山ちゃんこと山下は少し驚いて、その後に笑った。


 山下は樹の目的地である中津芸能の職員で、彼はタレントのサポートをするマネージャーだ。

 自身も副業としてタレント登録しているらしい。


 樹は女性の顔をこっそり盗み見た。

 ほんのり頬を赤くして山下を見ている。

 樹の視線に気づいてか、女性は元の職業的な笑みに戻った。


「どうしたんですか杉崎さん?」

 女性は山下に名字を呼ばれただけで一瞬顔をほころばした。


「この子が入場許可証無しで通ろうとしているんです。」

 山下が本人確認をとるために樹を見ると照れ笑していた。


「同伴者としてサインするので……」

 全部言い終わる前に杉崎は彼のためならなんでもと言った感じに素早く了承した。


「はい!山下さんの確認取れれば大丈夫です!……あの……その子は?」

 再び鋭い目を向けられて樹は身構えた。


 樹の代わりに山下が簡単に紹介した。

「うちのタレントの安藤姫乃の弟です。」

「あー弟さん……!」


 山下の紹介に杉崎は目を丸くして、無遠慮に樹の顔まじまじと眺めた。

 樹は顔を覗きこまれ、少しどぎまぎした。


「言われてみれば……」

 杉崎は誰に言った訳でもなくつぶやく。


 樹の姉安藤姫乃、本名王野桜は中津芸能事務所所属の人気モデルだ。

 樹もしっかり受け継いだ父親譲りの白い肌と藍色の目で、主に中高生、若い女性から人気がある。


「では、失礼します」

「はい!お疲れ様です!」

 山下が自分の入場許可証を認証にかざすと待機していたエレベーターの扉が開いた。

 樹は山下に次いでエレベーターに乗り込んで、山下が最上階のボタンを押した。


 ゆっくりと扉が閉まって、完全に密室になる。

 その瞬間に樹は安堵の溜め息をついて、緊張して力んでいた肩をダランと落とした。


「ありがとう、山ちゃん助かったよ……!」


 山下も扉が閉まった途端に、眉間に皺を寄せた仏頂面になっていた。

 怒っているように見えるこの表情の方が彼には楽らしい。

 さっきの杉崎に見せた爽やかな笑顔はよい印象を与えるためのフェイクだ。

 身内の樹には愛想を振りまくことはない。


「姉弟揃ってしょうがない奴らだな……」

 山下の言葉に樹はエヘへと笑って誤魔化した。

 樹が今日ここに来たのは、姉である桜のケータイを届けるためだった。




 数時間前、休日をエンジョイしていた樹のケータイに電話がかかってきた。

 滅多に鳴らないケータイが鳴ったので、それだけでも悪い予感がする。

 しかも画面に表示されたのは『公衆電話』の文字だった。


 公衆電話を使わなきゃいけないほど切迫した状況なのだろうか?

 姉の身に何かあったに違いないと思い慌てて電話に出た。


 慌てたのもつかの間、受話器の向こうから聞こえてきた声でその考えは間違いだった事がわかった。

 掛けてきたのは姉本人だった。


『樹!リビングのテーブルの上に私のケータイある?無いと困るの!持ってきてくれると助かるんだけど……お願い!』


 ここ最近の王野家の家計は彼女によって支えられているので、特に理由もなく彼女の頼みを断ることは出来ない。

 ネットぐらいしかやることがない樹に断れる理由なんてある筈もなかった。

 だから仕方なく休日に満員電車に揺られながらここまで来たのだ。


「ごくろうさん。」

 山下は他人事のようにサラリと呟いた。


「だけど妙だな。仕事用は事務所にあるのにな。」

「え?そうなの……?!」

 

 安藤姫乃のマネージャーになった者はすぐに仕事を辞めてしまうが、山下は五年前の任命以来、異例の長さで続けているため、わがままな彼女の行動は熟知している。

 実の弟の樹よりもよく知っていることもあるぐらいだ。姉との付き合いが長い事もあり、事務所の人間ではない樹も『山ちゃん』などと親しみを込めて呼んでいる。


「お前ハメられたんじゃないか?」

「ハメられた?!なんでまた?」

「お前が家に引きこもってるからじゃないか?」


 山下は王野家の内部事情にも詳しい。

 樹が普段は学校と家の往復しかしていないのも知れているし、それに彼女が不満に思っていることも知っている。


 エレベーターが止まって、扉が開いた。

 広い廊下の先に一つ扉がある。『中津芸能事務所』と書かれたその扉に二人は入っていった。


「ただいま。」

 山下の後に続いて樹はお邪魔しますと一礼して入った。


 中津芸能事務所は中に入るとすぐにソファーが円を描くように配置されていて、所属タレントは大抵そこに腰を下ろしていた。

 テーブルを囲んで何か話し合っていたが、二人の登場で面々はすっと顔をあげた。

 アットホームなこの事務所ではそこに座っている人々がすぐに返事が返してくれる。


「オカエリィ~」

「おかえりなさい。」

「よっ、ご苦労」

 色々な種類のおかえりが返ってきたが、一度最初に野太いオネエ言葉で返事をした人物が樹の存在に気付いた。


「あら、イツキちゃん!久しぶりぃ!」

 濃いメイクのくねくねした中年男がソファーから離れ樹を抱き締めにきた。

 筋肉質な腕に包まれ樹はムギャッと潰れたような声を上げた。

 そして抱きしめたまま樹の着ている服を見て、んまぁ!と大袈裟に声を上げた。


「まぁ、イツキちゃん!私の作った服着てくれたのね!嬉しい!」

 たくましい脚を軸にくるくる回転しながら一層樹を強く締め上げた。

 

 彼、または彼女の名前は藤木彰。

 中津芸能事務所所属のデザイナー兼タレントだ。

 言うまでもなく、オネエ系。

 今言ったとおり、樹の服は彼のデザインしたものだ。

 流行に疎い樹が外に出歩けるビジュアルを保っているのは藤木のおかげである。

 

 藤木とは樹が小学生の頃からの知り合いで、樹が高校生になった今でも子供のように、下の名前をちゃん付けで呼ぶ。

 藤木と始めてあった日は姉の職場見学という事でここに来て、今日のように抱き締められた。

 まだ小学生だった樹は始めて見るオネエ系を前に一歩も動けなくなり放心状態になったが、今では抱かれたら背中に腕を回し抱き返す事が出来るようになった。


「イツキさん、お久しぶりです。」

 藤木の背後から、落ち着いたハスキーな声が聞こえてきた。

 藤木の腕から開放された樹はかしこまって頭を下げた。


「お久しぶりです、お嬢。」

 樹が頭を下げると、お嬢と呼ばれた人物は上品に微笑んだ。


 お嬢こと本名兼芸名、東雲綾。

 中津芸能事務所所属の演歌歌手で最古参である。

 何時でも豪奢な着物に身を包んでいて、大人の色気をただよわせている。

 本日は黄緑色の着物に艶やかな蝶が舞っていた。


 彼女も昔からの馴染みで、男の人は年下であろうが小学生であろうが『さん』付けで呼ぶ。

 樹が彼女に出会ったのも小学生の頃だったが、初めてさん付けで呼ばれて背筋がピンと伸びた。

 普通とは違う神々しいオーラが出ているような気がして始めて会った時から、ずっとこの恭しい態度で接している。

 

 樹が顔を上げると、お嬢の横にアロハシャツにビーサンを履いた、五十がらみの男が立っていた。

「おぅ、イツキか。」


 海の家から出て来た様な男だが、この男が中津芸能所長、中津慶一だ。こう見えても30代でタイムビルの最上階に拠点を構えた程の猛者だ。


「あっ、所長もお久しぶりです」

「なんだ!そのついでみたいな言い方は!」

 中津は樹のぞんざいな扱われかたにも気を悪くした様子は無く、ヘラヘラと笑った。


 この事務所の人間は皆、服を作れば売れるデザイナー、歌えばヒットする演歌歌手、儲かっている所長がそろっているが、それを鼻にくくったりする嫌な人間は一人もいない。

 現代において何者にも代えられぬ特殊技能や才能は成功を意味する。

 

 ロボットにセンスは磨けない。

 ロボットには感情を表現できない。

 ロボットは自身で魅せることが出来ない。

 ロボットに才能を見極める目は存在しない。


 人の代わりをロボットが担うようになってからはその価値はますます高まり、競争率も高くなった。

 それでもこの場に立っていられる彼らはその頂点にいる存在だ。

 もう少し威張ってもいいぐらいなのではないかと思う。


「何だよ。事務所に入りにきたか?」

 中津が冗談ぽく言うので、樹は恐れ多くて即座に首を振った。


 樹は本題を思い出してあたりを見回した。

「アネキはどこに…?」

 

 樹がそう言うのを待ちわびていたように、奥の沸騰室から姉が顔を出した。

「あっ!いた!」

 

 樹の目に留まると飛び出してきて、腕をいっぱいに広げ樹に飛びついた。

 長いウェーブがかった茶髪から香水の香りがした。

 彼女が好んで使う桜の香りだ。


 二人の顔はさすがに姉弟と合って、よく似ている。

 他ならぬ王野桜だ。

 

 桜は樹の視線を全く気にせず、媚びを売るように上目遣いで弟を覗き込んだ。

 桜は自分が強制したとはいえ、弟が事務所まで足を運んだのでかなりご機嫌だ。


 樹は顔を無理やりしかめて冷たい表情を作り、冷ややかな視線を送った。

 桜は視線を無視して弟の後ろにまわり、高い身長を活かし樹の肩頭の上に自分の頭を乗せ、長い腕でまとわりついた。


「樹。ちゃんと持ってきてくれた?」

「持ってきたけど……」


 樹はしばらく無言で睨みをきかせたが、桜はニコニコと表情をくずさなかった。

 樹が根負けして、仕方なくカバンから桜のケータイを取り出した。


「ありがとう!無くて困ってたんだ!お礼に美味しいパスタ食べさせてあげるね!」

 桜は急いで届けさせた割にケータイの中身を一度も確認することなくカバンの中にしまい込んだ。


「目的はそれか……」

その様子を横目で見ていた山下が呟くと、桜は慌てだした。

「何のことっ???」


「山ちゃんから聞いたけど、仕事用別にあるんだよね……?」

 桜が山下を睨み付けた。


「なんで山ちゃん言っちゃうの?!」

「妙だと思って口に出しただけだ。」

「それがダメなの!空気読んでよ!」

「お前こそ、空気を読め。学生の休日を潰してくれるな。」

「だって……!」


 二人の口喧嘩はエスカレートしていったが、いつもの事なので誰も止めようとしない。

 しばらくすれば収まるだろうと思い、樹は他の面々に問い掛けた。


「あっ、そういえば皆さん何話してたんですか?」

 中津は何か思い出したように目を見開いて山下を見た。


「山ちゃん。そういえば収穫あった?」

 山下は口喧嘩を止め、中津に真面な顔で向き直って首を振った。

「何も」

「うーん、そうか……」

 中津は悔しそうに無精ひげを掻いた。


 樹がなんの話か分からずにいたら、藤木が自分のスマホの画面をくるりと樹に向けた。

「これよ、樹ちゃん。」


 画面には緑の三角の再生ボタンが表示されていて、藤木がそれに触れると同時に、樹の耳に聞き慣れた音楽が入ってきた。


「あぁ、これ……ギター男。」

「ん、知ってるのか!?」

 中津が詰め寄るので、樹は自分の知っている事をありのまま答えた。


「そりゃ有名ですもん。皆知ってますよ。」

 この曲は流行や噂などにはうとい樹でも知っている程有名だ。


 若い男の真っ直ぐな声。

 ちょっとくさいけど、聞いたら幸せになれるような歌詞。

 さらに今時珍しく使っている楽器はギターだけだった。

 そのためわずかな情報をもとに『ギター男』という愛称がついたのだ。


「曲名も正式な歌手名も一切わかってないらしいんだけど。」

 そのため何種類かギター男の歌はあるが、皆好き勝手にサビのフレーズをタイトルとして呼んでいたり、歌詞の一部やハミングで伝えたりしている。


 動画サイトにもアップされているものの、本人が投稿している物ではないらしく、投稿主のイラスト動画と一緒になっていたり、音声だけの投稿だったりしてギター男に対する情報はまるでなかった。


 それを聞くと中津はガックリ肩を落とした。

「そう、そこなんだよ!全く掴めないんだ!」

 曲はこんな有名にも関わらず、曲名も正式な歌手名もわかっていない。


「多分まだどの事務所にも所属してない……」

 

 だから何としても中津はこの事務所に歌手を引き入れたいようだ。

 樹は藍色の目を輝かせた。


「この事務所に来るかもしれないって?」

 樹の期待に応えるべく、中津はニヤリと笑って見せた。


「狙った獲物は逃がさねぇ……」

 どこかのガンマンのようなセリフを吐いて、指で作った銃を構えた。


 中津は自分の気に入った人間は必ずどんな手を使ってでも事務所に引き込む。

 桜も、藤木も、東雲もそのうちだ。

 逆に気に入らない人間は、美人だろうが、どんなにカッコ良かろうが事務所には入れない。

 それが少人数の事務所にも関わらず一等地に事務所を構えられる秘訣だ。


 中津は軽口で樹に事務所に入りに来たか?なんて聞いたが、以前に『お前はむいてない』と宣告されている。

 頼んだところで入れてくれないだろうし、その事に対して反発も憤りも感じなかったので、樹はやはりこの業界に向いていないのだろう。


 樹はギター男がこの事務所に入った時の事を思い浮かべた。

 もし事務所に入ったら今日のようにふらりと事務所に訪れたら会うことが出来るだろうか。


 歌のタイトルはあるんですか?

 それともつけてないんですか?

 だとしたらなぜですか?


 聞きたいことはたくさんあるが一番聞きたいのは、なぜ才能があるのに表にでないんですか?ということだ。

 もし、樹と同じで人見知りで出てこないのだったら仲良くなれそうだし、自信もって貰いたい。


 ギター男に思いを馳せていると桜がねぇねぇ、と樹の腕を掴んだ。

「お腹すいちゃった!早く食べに行こうよ!」

 桜が明るい声で言って、樹の返事を聞かず強引に引っ張った。


「えぇっ?!ちょっと……!どこも混んでるよ、きっと……」

「大丈夫!ザ・パスタに十二時半から予約入れてるもん!」

 桜は得意げに笑って見せた。


「俺がバラさなくても、どうせバレただろうな。」

 いつの間に桜と山下の口喧嘩は収束していた。


 桜はソファーで寛ごうとしていた山下のスーツの袖掴んだ。

「予約、三人で取ったから山ちゃんも行くんだよ。」

「なぜ勝手に予約を入れる?」

「だって予定無いでしょ。」


 本来マネージャーがタレントの予定を管理しているが、二人の場合は桜が山下を管理している。

 桜の失礼なものいいにも、山下は不満そうにしながら樹とともにズルズル引っ張られて行く。


「ごめん山ちゃん……」

 樹は引きずられながら山下に謝った。


 こういう状況に直面するたび、だからマネージャーがすぐに辞めてしまうのだと思う。


「両手に花でいいわね、桜ちゃん!」

 藤木が胸の前でチロチロと手を振った。


「花を引きずり回す女がいてたまるか」

「じゃあ、行ってきます!」

「失礼しました!」

 三人は扉の外に姿を消した。


「ハーイいってらっしゃい!あら、こんな時間!カマーズの収録!」

「……私も。」

 時計を見て藤木は大げさに驚くと、荷物をひっつかみ、東雲は身一つでゆっくりと扉に向かう。


「行ってきまぁす!」

「行ってまいります。」

 二人が手短に挨拶をすませ、この部屋からぞくぞくと人が減って行く。


「おー。」

 中津はヒョイと手を上げて二人を送り出した。

 中津は所長席に座り背もたれにもたれかかりながらボンヤリと過ごした。


 樹は顔がいいけどあの性格じゃ難しいだろうな。

 やっぱり、事務所に引き入れるならケータイのシンガーだ。


「どこにいるんだろーねー…」

 そのままうとうとして数分後にはいびきをかいていた。


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