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004 『ピクニックのそのまえに』

「この時期にピクニックって、やっぱり自殺行為だと改めて思ったわ」


 ケットロンと呼ばれるトナカイに似た草食魔獣の、とても平らとはいえない骨ばった背にフェンリルの毛皮を敷いて跨っている私は、裏地羊毛のオリジナル手袋にあった微々たる傷を見つめながら呟いた。

 アリエルがピクニックの場所として選んだのは、さきほど「前後不覚! 視界真っ白!」と称していたメーヤの丘だ。メーヤの丘とは、天樹海という広大な森のなかでも、まったく木のない草原地帯のことである。まぁこの樹海はほかにも《ツァルンベの山々》《ゼアックの深谷》《妖精の村》などといった様々な領地を内包して樹海と称しているので、そこまで珍しくもないだろうが。

 なぜ森ではない部分まで樹海といえるのか、それを語り始めれば大樹内になぜ《書庫》があるのかから始めないといけなくなるため割愛するが――簡単に言えば天樹海ができた所以たる大樹ノアが、活動期に放散させる濃密度の生命エネルギーが届く範囲すべてが天樹海なのである。

 そして現在、大樹とりまく高さ70メートル強の超高木針葉樹林帯と中低木針葉樹林帯、大樹からおよそ約120キロメートルを抜けた先にあるメーヤの丘まで、冷たい空気を切り裂きながらケットロンに運んでもらっている最中なのだ。

 いくらまだ冬期の手前とはいえ、とてつもなく寒いことにはかわりない。

 唯一常に携帯している懐中時計がキンキンに冷え、冷たくなってきたし取ろうかどうしようか迷い、それでもやっぱり取らないことを決めた数秒ほどのち、私は肩の上で私の長い髪を掴みながら薄情にもうつらうつらしているアリエルを睨んだ。


「ねえ、本当にこっちで合ってるんでしょうね。ただでさえメーヤの丘なんて遠くて嫌なのに、これで方角を間違えたなんてなったら洒落にならないわよ。この子にも申し訳ないわ」


 あれだけさっき私の睡眠を邪魔してきたくせに、自分は眠れていいわね、という憤慨の気持ちもちょっぴり混ぜる。

 なにより、このケットロンは獣道すら言えないような根っこの張り巡らされた道、身が隠れるような雑草群を可能な限り速く走ったうえに、冬眠前の食糧貯蓄を必死になって行っている肉食魔獣を見事に回避してきてくれたのだ。

 悪路も悪路。メーヤの丘までの最短距離と思わしき道をアリエルの記憶だけで走っているのだ。ここにきて違ったら話にならない。

 ちなみに私は引きこもりなので戦力外。ゼアックの深谷ならまだしも、メーヤの丘なんて遠すぎて行きたくもない場所であった。

 と、そんなこんなでケットロンの大きな角を撫でていると、かなり間を空けてふわぁあと大きな欠伸がアリエルからこぼれた。欠伸と背伸び同時に行い、目の端をごしごし擦っている。


『おはようございます。……お昼ですか? 愛妻弁当なら、おしりのほうに括りつけてありますよ』


「……まぁ、あんたは相変わらずね……」


 ケットロンの牛に似た腰あたりに縛られた木製の籠。それをふんにゃり指差したアリエルに、こみ上げてくる感情を胃まで落とし込む。のせられるな、これはアリエルの罠だ。

 つとめて冷静に、だ。 


「メーヤの丘、こっちで本当に合ってるの?」


『合ってるはずですよ。メーヤの丘に向かうにつれて、木々は低くなっているのです。ほら、木を見てください。さっきより一段と低くなっているでしょう?』


 確かに、さっきまで十メートルの木々が連なっていたような気がするが、今では五メートルほどになっている。さっきまで寝てたくせによく気付いたものだ。いや、もとから木の高さを方角の当てにしていたからかもしれない。

 なにより、この先進めばメーヤの丘に辿り着けるという確証は得られた。

 もしかしたらメーヤの丘とは異なる方角、寒々とした荒廃地である落葉樹林帯に向かっているのではないかと疑ったものだ。冬になるとあそこ一帯は、冬越えするために血眼で獲物を探している雪兎や雪狼が大量に出現する。特に雪兎は普段は大人しいくせして、食溜めするときは恐ろしく凶暴になるのだ。

 時間の無駄にもなるし、本当に良かった。うん。

 

「――ところで、おはようアリエル。あなたずっと寝てたわね」


 たまに起きては周りの風景を一瞥し、再び眠り始めるのがいったい何度続いたことか。見ていてこっちが辛くなるような快眠ぶりで、いっそ肩の上からはたき落してやろうかと思ったほどだ。事実何度か手が疼いたのである。


『ちょっとばかり事件がおきまして、一昨日の晩からずっと寝てないんですよ』


「だったらピクニックする必要はないんじゃないの? 今からでも戻る?」


『いえ、お昼寝はルゥお姉さまの肩でもできますので』


「あっそう」


 羨ましい。私も妖精になりたい。


「で、事件って? それは妖精族の間のこと? それとも天樹海のこと?」


『事件、っていうほど事件じゃないんですけどね。一昨日の晩、……メーヤの丘のさらに向こう側、ちょうど帝国領と天樹海の境界線ですね。切り立った崖、あるじゃないですか? その崖の下に、大量のハイエナさんがいたんですよ』


「崖の下? それってつまり言うところ帝国領でしょ? ハイエナぐらいの弱小個体なら、天樹海の外に出ることは珍しくないわよ。事件ってまさかそれじゃないわよね」


 北部を谷、東から南東にかけてを山と崖に囲まれている天樹海は、何千種もの魔獣が生息しているが、外に出ようとする魔獣は少ない。なぜなら、餌に困らないからだ。魔獣は瘴気という特別なエネルギーを持つ以外、目立って他の生物と違いはない。格下の生物を食し、格上に食べられる弱肉強食の世界を生きている。

 それに従って、魔獣にも階級が存在する。

 レベル1と2。ケットロンを始めとした草食魔獣や比較的体の小さい肉食魔獣などがこれにあたる。

 レベル3から5は主に肉食魔獣だ。その体の大きさ、凶暴さ、なにより瘴気の含有量で割り振られる。特にレベル5は格下魔獣を従えさせるほど強大な瘴気を秘めており、暴走すると非常に厄介なことになる階級である。

 そしてまた、天樹海の外へ出られるのはレベル2までだ。ハイエナはレベル1に該当するので、特に問題はない。


『いえ、アリエルもそれが事件だとは思ってません。結界の外に出られる程度の弱い魔獣なら、はぐれ魔獣になっても大丈夫なのは知ってますから』


 私の仕事の一つに、天樹海の境界線に監獄結界を張りレベル3以上の強い瘴気を持った魔獣を外に出さないというものがある。こればかりは私がどれだけニンゲン嫌いであろうとも、魔女に伝わる《示録全書》通りにしなければならないと亡くなった母に教わった。

 ただこの結界。結界石が各地点に埋め込まれているとはいえ規模が規模なゆえに、魔女の莫大な魔力量のうちの一割を消費するという、とんでもなく疲れる代物なのだ。しかもこれ、冬眠中でも変わらないという。

 そんな日々無意識でも監獄結界を張り続けねばならない重労働を強いられているにもかかわらず、弱い魔獣ならすり抜け可能というなんとも言い難い矛盾に少々の腹立ちを覚えながらも「それで?」と、アリエルに説明の続きを求める。


『アリエルも、最初はあまり不審に思わなかったんですけどね。でもよくよく見てみると、ハイエナさんの中心に何やら動く影があるじゃないですか。こ、これは! 集団という数の暴力による一匹オオカミさんへの無情な仕打ち! いじめではありませんか!! そこで、颯爽と現れ問題を解決しようとするアリエルちゃん! なんと、事件がややこしく発展するまえに事を収めようとする、なんとなんと、なんと主思いの良い世話役なんでしょうか!!』


「……。で?」


『で、です。アリエルちゃんはそこで言ったわけですよ。『きみたち、弱い者いじめをして何が楽しいの? 早く森へ帰りなさい!』ってね』


 役者気取りに大袈裟なポージングをとるアリエルは、そこで四枚の翅を動かして空中に舞い上がった。


『ハイエナさんが言います。『はっ、てめぇみてぇなチビ妖精に何ができんだよ』と。アリエルちゃんは答えます。『では、お見せしましょう! この《はーとふる閃光》と言わせしめた、きゅーと妖精の本気を!』アリエルちゃんはその素早い体捌きでハイエナさんにグーパンチっ!! 瘴気壁をもろともしないアリエルちゃんの猛攻撃に、『お、おぼえてろよ!』と捨て台詞を吐きながらハイエナさんは退散。見事、数の暴力という典型的ないじめの現場を救ったアリエルちゃんは、いじめを受けていた子にそっと寄り添い『君、大丈夫かい?』と…………、そしてその子を見てびっくり仰天!! な、なんとその子は、魔獣ではなく人間の男の子ではありませんか!!』


 そろそろ聞き飽きてきたので軽く右から左へ聞き流していた私は、ニンゲンという言葉を絡んだとたん脊髄反射の要領でアリエルを掴んでいた。


「そのあとソレをどうしたの……?」


 我ながら、よくこんな冷めた声が出るものだと思った。

 怒りも、悲しみも、失望も、何もかもすべて押し殺したような、そんな声。

 胸をえぐる痛みを思い出しそうになり、アリエルを握る手を強めてしまう。痛がるアリエルがぺちぺち叩いてきたので、はっとして手を放した。


『お、大怪我をしていたので……治癒魔法が得意なおじじを呼んで、その場で治療してもらいました。アリエルも薬草を摘むためにずっと飛び回っていました。………………だ、大丈夫です、もうその子は近くの村に運んでおきました』


 大丈夫、と言ったアリエルが少し視線を泳がせたのを、私は見逃さなかった。でも、それを追求する気にはなれない。どうせ過ぎたことだし、なにより天樹海の外で起きたことに私が干渉する理由はない。


「治癒魔法……ね。あのジジイ、まだそんなことができるのね。年齢的に無理だと思ってたわ」


 治癒魔法には水の精霊と無属性精霊二つの力が必要となる。水の精霊なら少しは扱えるが、魔女は無属性精霊を視ることはできても『契り』を交わせない――つまりその系統の魔法ができないので、他人の怪我を治すことはできない。治癒魔法は魔女が使えない代表格だった。


『お、怒ってますか? アリエルが、人間の子を助けたのを…………』

 

「怒っていないわよ。なぜなら、それが起きたのは天樹海の外だったからね。もし天樹海の中で、私がそのニンゲンを見つけたら、領土侵犯という名目のもとハイエナの前に私自らが手を下していたけど」


 私のニンゲン嫌いはアリエルも知っている。その原因は多々あるが、原始となったのは私の母を殺したのがニンゲンだったからだ。

 400年前に起こった悲惨な出来事――――《魔女狩り》である。

 私が生まれて何年かたったあと、今でも大陸最大の領土を誇る聖アヴィニョン帝国の皇帝が発布した命令により、この天樹海という地が狙われることになった。

 あのとき私は、母から最も離れた場所に匿われていたから、詳細は知らない。どういう経緯で母が殺されたのかは知らないが、おかげで天樹海は母という先代魔女とその《一族》全員を失った。

 甚大な損失だった。

 

「……なに? まだ何か言いたいことでも?」


 視線を感じたのでそちらを見てみると、アリエルが何か言いたそうにしていた。

 結局、アリエルが何かを話すことはなかった。何とも言い難い沈黙だけが、二人を包む。


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