026 『心鎮り』
ルーファティは、どうやって第四の部屋に運び込むか考えながら、ゆっくりと王者に近づいた。
息は絶え絶えであるものの、王者の四つの眼はしっかりとこっちを見つめている。まだ、生きている。
「魔女ってけっこう一途なのよ。あなたも、大昔の魔女から産まれたんだから、まぁ同じようなものでしょ? 見るからに未練がましそうだわ」
王者の顔がある目の前で膝をおり、しゃがむ。
「いいこと? お母様を無くしたことを嘆くことは大いに結構。当り前のこと、受け入れられないのも当然よ。なにしろ私の育て親で、ギャレオっていうジジイは、うじうじうじホント馬鹿じゃないってくらいお母様のことを引きずり続けていたのだから、大いに共感できるわ。むしろジジイとなら互いの傷のなめ合いっていうのをできるんじゃなくて? まぁそういうことよ、悲嘆にくれるのは大いに結構。私も一眠りしたあとたくさん喋りたいことがあるから、愚痴はその時に聞くわね」
氷の王者は、少しだけ頭を持ち上げ、喉の奥で切なげに鳴いた。
「わがまま言わないの。だって無くしたものは仕方ないんだから」
そこでいったん言葉をきり、ルーファティは一瞬だけアリエルに視線を寄越した。
「私よりもジジイの方が、ジジイよりもあなたのほうがお母様をことをよく知ってる。深く愛している。だからこそ失ったときの悲しみは大きい。その大きな深い穴を、私じゃとても埋めてあげられない。でも、私はあなたと仲良くしていきたい」
王者はそのとき、確かにその眼で、自分が愛していたかつての少女の姿を見た。
銀色に輝く長い髪が風にさらわれている。
長い睫毛にふちどられた、ルビーよりも綺麗な赤い瞳が、ゆっくりと慈愛に満ちた輝きをもって細めらている。
蓮のような白い肌に、ちょっぴりと色づけられた桜色の頬に、小さくて、でもかたちのよい唇から、心地いい声があふれる。
でも、聞き取れない。なんと言っているのか分からない。
あぁなぜ、背を向けてしまうの? どこへ行くの?
王者は必死に少女の後姿を追いかけた。
悲痛な高い鳴き声で少女を呼ぶ。切ないくらいに、愛に飢えた声で求める。
彼女は止まってくれた。でも振り返った瞬間、王者は再び絶望を知る。
――――ミルフィ、ハ……? ドコニイルノ……?
ミルフィに似た、でも明らかにミルフィとは違う異質な雰囲気を持った少女は、ゆっくりとした動作で首を振った。
「お母様は死んでしまった。ごめんね、私はお母様じゃ、ミルフィじゃないのよ。私の名前は、ルーファティ。先代魔女ミルフィの娘よ、顔はよく似てるって言われるけど、性格やら何やらは正反対なの」
ルーファティは自嘲気味に微笑む。何もかもか母の劣化版であると自覚している彼女は、努力だけは惜しまなかった。例え火の精霊に悉く拒絶されようと、例え水の精霊に悉く反発されようと、自らの能力の自己解析を徹底し、魔法紙の開発に勤しみ、毎日のように反省日記を書き続けたルーファティ。
ミルフィが天才であるならば、ルーファティは完全なる秀才であった。
しかし、才能はどうあれ、ルーファティはルーファティなりに、懸命に努力した。
それがいま、実った。
「冬眠が終わったら、いっぱいお喋りしよう。でも今はダメよ、私ってば、かなり寒がりだから、……」
アイスバークはいつの間にか、第四の部屋、計37個もの魔法式が描かれた部屋の中央に佇んでいた。ぼんやりと見渡すだけで、破壊行動には移さない。
ただただ、ルーファティを見つめていた。
「ルーファティ・ファルベ・アスタート。私の名前、そしてこれから、あなたの主人になる名前」
――ルーファ……ティ。
「そう。……やっと覚えてくれた」
瞬間、第四の部屋に散りばめられていた、計37個もの魔法式《心鎮り》が発動。
氷の王者は、しばらく反芻するように名前を呟いていたが、やがて四つの眼を上から順に閉じていくと、再び長い首を横たえて、その場で眠り始めた。




