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025 『第三の部屋』

 泣きだしたいほど痛いと思ったのは、別に初めてじゃない。

 腹に受けた三発の足蹴りも、ぱっくりと裂かれた腕も、爪痕も、噛み傷も、とてつもなく痛くて、苦しい。それでもルーファティが泣かなかったのは、小さな背中と身の丈に合わない大きなプライドを持っていたから。


 いま目の前に立ちはだかる強大な敵。大きすぎる敵。たった一人で立ち向かっても、返り討ちにされると簡単に分かるような敵。

 点々とする二つの赤い目が何十個ある。

 なぜ、と問わなくても彼らの言い分は分かるような気がした。

 すべては己の弱さのため。

 すべては己を研鑽する努力を怠ったため。

 だから、ひとりでこの問題に立ち向かわなければならない。

 

 圧倒的多数の魔獣。この幼い体では、逃げ切ることすら敵わない。舌足らずの詠唱で魔法を使用し、あるいは攻撃を避けて、少しずつ体力を削っていく。

 でも魔獣の瘴気壁はぶあつくて、ちっぽけな魔法はすぐはじき返されてしまう。


 泣きたい。泣きたいけど、泣けない。


 視界の端に、何かが走ってくる。分からないけど、その「何か」は目の前で急ブレーキをかけ、羊に似た顔を腕に押し付けてくる。まるで乗れと言っているかのよう。

 ピンチのときに駆けつけてくれるヒーロー。

 くさっぱらを疾駆するちっぽけなレベル1のことを、そう思った。



 ルーファティは昔、少し世話をしたことのあるレベル1の魔獣に助けられたことを思いだした。

 確かにアルセルタも、あのときの魔獣も、少しは懐いてくれていた。

 しかし目の前に立ちはだかる強大な敵に、格下の魔獣が反抗するのは、弱肉強食の世界ではありえないこと。格下は、格上の餌となるか下僕になるか、あるいは怯えて生きていくか。

 

 それなのになぜ、アルセルタはここにいるのだろう。


「早く……逃げなさい。死ぬわよ!」


 アルセルタが動くことはない。それどころか、かわりに王者の攻撃を防いでくれている。

 王者は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、何を思ったのか、ルーファティの体をひょいと持ち上げ、背中に乗せると走り始める。

 アルセルタの体は温かく、ふわふわだった。


「……助けて、くれたの…………?」


 ――ウン。


「……どうして?」


 ――スキ、ダカラ。スキダカラ、魔女サマ。


「…………バカじゃないの? そんなこと言われたって、別に……嬉しくなんて、ないんだから」


 ――ウン。


「嬉しくないけど……もうちょっとだけ、ここにいさせて……」


 ——ウン。


 


 


 

 




『すごい音ですね。アイスバーグって、さっきは頭しか見えなかったですけど、どれくらいの大きさなんですか?』


『そうじゃな……、詳しくは知らんが……全長三十メートルはくだらんじゃろう』


『その大きさで、あんな活発に動けるなんて……毎日何を食べているんですかね』


『……あやつの食事は毎日じゃないぞ。たいてい何十年に一度、近くにいたあらゆる生き物を丸のみする。まぁ、ここ400年間はずっと眠っておったがな、魔女狩りのときの傷がよう癒えんかったんじゃろう』


 度重なる爆発音と山ごとゆすりあげるような振動を感じながら、ダイサンボク、アリエル、シルフィの三人はルーファティが現れるのを待っている。


『アイスバーグって、人間が嫌いなんでしょうか? 完全にルイスを狙ってましたし、よりにもよって今日目覚めたってことは、そういうことですよね』


『……。アイスバーグは、ミルフィと一緒に人間と戦っていたからな。……階級が上である魔獣ほど、人間に恨みをもつものは多いの。特別、純血の帝国人にはのぉ』


 ダイサンボクは、栗色の髪を指先にまきつけながら、最後は独白のようにつぶやく。


『純血の帝国人って、魔獣は臭いだけで分かるんですか?』


『魔獣だけじゃなく二世……、いやルーファも分かる。純血の帝国人だけ異様な匂いを放っている、とあやつは昔言っておった。純血の帝国人の臭いは魔獣の理性を狂わせ本能を剥き出しにするらしい。もしかしたら、大昔から魔獣と敵対していたのがその一族だったからかもしれんのぉ……』


 精霊だから詳しく知らん、とでも言うように瑠璃色の瞳を細めた少女は『ともあれ』と、話の折をつける。その視線の先にあるのは、第二の部屋へ続く通路。地響きが大きくなっているので、そろそろルーファティが氷の王者を引き連れてくるものだと思われた。


『どうやら、ルーファはアイスバーグの瘴気をこの部屋に充満させないために風を起こしてくれているらしい。これなら、私が無理して結界を張る必要もない。よかったのぉシルフィ』


『当り前ですよ。僕はともかく、アリエルさんがいるんですから。アリエルさんにもしものことがあれば、僕が何するか分かりません。でも、いくら低濃度とはいえ、あの化け物が瘴気を出していることには変わりない。もしものときは、結界を頼みますよ』


『おまえさんは相変わらずぞっこんじゃのぉ。もしもの時はそうしよう。…………まぁ、私が一番力を発揮できるのはあの祠周辺だけなんじゃがな』


 ダイサンボクが言い終わるか終わらないかで、第三の部屋に闖入者があった。アルセルタに背負われたルーファティだった。


『あれ、なんでアルちゃんが!?』


『あ、アルちゃんっ!? 何なのサ、その名前』


『ルゥお姉さまに初めて懐いたレベル5の名前ですよ! これからは親しみを込めて、アルちゃんと呼びます。いま決めました! ……――ってそれより、何でこんなところにアルちゃんが!? ルイスは放ったらかしですか!?』


 ルイスはアルセルタの家族がいる洞穴に置いてきた。理由その一に、そこなら寒さに凌げるし他の魔獣も寄ってこないというものである。心配だったのは魔獣に爪を立てられないかどうかであった。でも親アルセルタが子アルセルタに何やら話している様子(まるで父親が子どもにやんちゃしないよう諭しているような)があったので、大丈夫だと思われる。もしものときの瘴気も、ダイサンボクが作った即席結界石で対策はバッチリである。

 

 ともあれ。


『ルーファのやつ、ほとんどのレベル5から嫌われておったのに、いったい何があったんだか……』


 娘の成長を喜ぶ親のように表情を綻ばせるダイサンボク。

 そんな和やかな雰囲気も、半瞬後に発生した轟音によって一掃される。発生源は、ルーファティの後ろからだ。


『……大きい』


 王者よりも見下ろすような高い場所にいるにも関わらず、侵入してきた魔獣の迫力は三人の予想をはるかに上回っていた。


 アルセルタが三人のすぐそばにルーファティを下す。ほんの少しばかり、顔が赤いように見えた。


『八又は切り落とせたようじゃな』


「とりあえずね。あともう一発、魔法をぶちこむわ。この一発で、必ず王者は私を見上げることになる」


 そういうルーファティが、危険がないようアルセルタを下がらせたあと、七枚の魔法紙を取り出す。

 すると、呼応するように精霊が反応する。

 練り上げられた魔力にひきよせられ、ぶるりと戦慄しているかのように、軽い明滅を繰り返した。


 氷の王者が、何かに気付いたのだろうか。大きく喉を反らせて咆哮をあげると、その口にエネルギーを凝縮させ始める。《絶対零度》の予兆現象、圧迫感がその空間を包んだ。



「――土のF難度魔法……《獅子王レーヴェの勇姿ヴィオレット》……水のB難度魔法……《ビレラーチェ》……」



 土と水の精霊たちが光の奔流となってルーファティのもとに集い、超常現象のエネルギーとして自らを差し出す。融け合うように調律された光はやがて天高く舞い上がると、氷の王者を中点とした対角線上に、黒光を纏った二本の刃……端的に表すと剣が出現する。


 鈍色に輝き、世界で最も瘴気壁への断裂効果が認められるという六方晶金剛を主成分とした土塊剣。

 

『――それでは、私はこっちを相手にしておこうかのぉ』


 いつのまにやら、氷の王者の眼下に佇む栗色の少女。彼女は大きな氷の王者の見上げ、余裕を持った動きで右腕を振りあげる。


『《アースタクト》』


 極太の岩槍が十個、王者の長い首裏めがけて飛翔し。

 長い首を守ろうとした王者が、絶対零度の予兆現象を収めて瘴気壁を展開――


 その瞬間に狙いを定めて、再びルーファティの魔法が動き出す。

 

「二属性G難度魔法……《睡蓮華郷ニュンフェレクター》」


 巨双剣が優雅に二回転したあと、アースタクトより半瞬遅れて王者の背に双剣が振りかぶられる。

 先に首を狙われたことで、背中を守る瘴気壁にわずかな遅れと粗さが出る。背中の瘴気壁を引き裂かんとする巨双剣の斬撃。気を緩めれば首元をアースタクトが搔っ切っていく恐怖。


 そして、さらなる追い打ちは。

 

『これが合図ですよ!! シルフィ、準備はいいですか!?』


『準備ならとっくの昔にできてるよ』


 ダイサンボクから聞かされた、氷の王者を屈する作戦。そこに、二人の妖精は大事な役目を担わされていた。

 それが、この場面にすかさず、ルーファティにもダイサンボクにもできない特別な魔法を放つこと。

 二人は、合図なしに息をそろえた。



『『 Wir bete dem Xes arlo,...eine hute jim,Hexe verteidien eine Hazt 』』



 蒼色。

 それは万物の闇を祓い清浄にする聖なる光。逆にいえば、もとより呪われた瘴気を纏う生命体にとっては、一種の憎悪の対象となる。

 

 二人の祈りはやがて巨双剣よりも天高く舞い上がると、一気に背中の一点へ注がれる。絶叫とともに一か所から噴きあがる蒼い炎。瘴気をとかされることによる壮絶なる拒絶反応が、王者を襲う。


 びきぃぃいぃいん。


 断末魔のような高い音が、瘴気壁の破壊音だったのだろう。微々たる隙間だったが、その隙間さえあれば十分だった。


 猛烈な蒼い炎を噴き上げる点に、再び剣のが勢いよく回転。遠心力を利用し、右と左に、同時に剣が振り下ろされる。


 硬い鱗のある背に大きな裂傷が走った。

 その瞬間、長い首は地鳴りを響かせて地に落ちた。



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