021 『死ンデナイカラ、シンデナイ』
遥か太古の昔――
たった一人で大国を亡ぼしたといわれた魔女がいた。
その寿命は現存する魔女の十倍以上、まさに歴史の生き証人と言われ。
その瘴気は現存する魔女の百倍以上、まさに世界の破滅を導く者と言われ。
その心の高潔さたるや、まさに新たな創造神の君臨せしめると言われん。
ある日――その魔女は六日六晩かけて、六体の魔獣を産み落とした。
一日目に《空の覇者》、二日目に《地の狩人》、三日目に《地の守り人》、四日目に《氷の王者》、五日目に《獰猛の愚者》、六日目に《夢幻の眠り手》。
すべての愛情を、すべての憎悪とともにそれぞれの魔獣に込めた。
魔女はすべての瘴気を魔獣に授けた。
魔女は神より授けられたものを魔獣に守らせた。
魔女は、
七日目に魔女は死んだ。
六体の魔獣は魔女の死を憂い、嘆き、世界に絶望して地中深く潜り眠りについた。
《災六の魔獣》――
のちに魔獣が名付けられた呼称。その瘴気ゆえに、その強固な生命力故に、その尋常ならざる力ゆえに、危機感を抱いた精霊が名付けたもの。
位の高い精霊たちは、六体の魔獣が世界を破滅へ導くことを恐れ、未然に防ぐために魔女と盟約を交わし魔獣を監視する。
《氷の王者》が目覚めたのは、ルーファティの母ミルフィが魔女を世襲してすぐのこと。それいらい王者はミルフィの言うことには耳を傾け、ひとときの安らぎを得たのだという。
しかしいま、ミルフィは死んでいる。
この氷の王者がその事実を認めているのか、ルーファティには分からない。慎重に動向を確認していると、二本の骨触手がルーファティの頬に触れた。
つぅ……撫でるように頬の輪郭にふれ、そのまま耳のふちへ。耳にかけられた髪をまきこみながら、すとんとおろす。
――違ウ。オマエじゃナい。……ミルフィは何処ダ。
その一言で、ルーファティはすべてを悟ってしまう。あぁ、こいつもなのかと。
「母は死にました。私は先代魔女ミルフィの娘、ルーファティ。母に代わって天樹海の魔女を務めさせていただいております」
予想通りの反応だった。
怒りの感情を剥き出しにして、悲嘆の咆哮をあげ、呪われた紫の霧を散布するのも。
首を大きくのけぞらせ、口に氷のエネルギーをためこんでいるのも。
すべて、予想通り。むしろ予想通りすぎて。
「…………陰にすらなれない。どんな努力も、お母様のまえでは霞んでしまうのね」
ルーファティはひとりそう……つぶやいた。
王者の口から濃密なエネルギーを感じる。ただ氷の塊が目の前で乱舞し、はじけ、放射線状にちらばる。細氷の冷たさが、そっと手に落ちてきた。
氷の王者が、自慢の攻撃を防がれたことに目を剥いた。
「……でも、私だって自分の無能さを嘆いてたばかりじゃない。ジジイにしごかれ、血反吐を吐いても、私は私なりに魔女としての役割を全うしようと努力してきた。あんたが私を魔女と認めなくても、アマサリスの魔女はこの私――」
どすんっ! 言葉に重ねられる大きな衝撃音。怒りにのせて振りおろされた八又は、ルーファティの張った物理結界によって弾かれる。が、息つく暇も与えず続いて氷の息吹。すぐに土の壁を形成し防御。
「……狙いはやっぱり……あのニンゲンか……」
ベルチェを失ったいま、今のままでルーファティが氷の王者を屈服させる手段はない。見える展望図面は、ルイスの死のみ。
「…………やっぱり、私もどうかしてる……」
ルイスを助けようとしている自分が可笑しい。全然不愉快じゃない。
ルイスを助けたことによる持ち株の上昇? 精霊が彼を好きだから? 守ろうとしているから? 彼が死んだらアリエルが悲しむから? あとでダイサンボクに怒られるのが嫌だから? ……違う。
仲間が増えることを望んでいた。話し相手が増えればいいと思っていた。
アリエルだけじゃない、ダイサンボクだけじゃない。話してて楽しい新たな仲間がほしかった。
ルーファティはただ単純に、これからの日常の変化にわくわくしていた。
だから彼女は、冬眠前の体を酷使し、魔力を磨り潰し、絶対不可能な難題に立ち向かう。
「ルイスを連れてツァルンベの山へ! そのあいだの時間稼ぎは私がする!!」
大きな土の壁を作り、そのあいだにダイサンボクに連絡をとばす。アルセルタの突撃、八又による単純打撃、口から放たれる絶対零度の息吹が断続的に行われる。
「アルセルタ……さっきはごめんね。またあとで撫でてあげるから、ダイサンボクと一緒に行って」
アルセルタの硬い剛毛を一撫ですると、アルセルタはぶるりと毛を収縮させた。レベル5の魔獣であっても、氷の王者がフルパワーで放つ瘴気にいつまで保つかは定かではない。アルセルタの背にダイサンボクとルイスを乗せ、一時離脱してもらう。
「行って!」
まずは王者の瘴気が届かないところまで。
八又でできた檻の隙間を土のC難度魔法《ガリットシュペア》が無理にこじあけ、アルセルタとダイサンボクらをそこから逃がす。王者の瘴気が届かないところに行けば、ダイサンボクは結界を解除し、アルセルタの背に乗って一気にツァルンベの山へ向かうことができる。
そのあいだの攻撃はすべてルーファティ一人が処理していた。
なぜ邪魔をするか、と王者は咆えた。鼓膜を破かんとする憎悪の重低音に対し、ルーファティは魔法紙の行使によってソレに答えた。
「私のため。……お分かり? とてつもなく傲慢なのよ。傲慢だから、私は私のために……あんたを使役する」
レベル5ですら使役するのに手こずっていた魔女は、大見得を切ったことを証明するかのように、魔法紙40枚を扇のように見せつけた。
手始めに右から四番目の札を取り出し、地面に叩きつける。
「E難度魔法……《アースタクト》………」
王者の首周り360度に、鈍い色を放つ二十四個もの金剛石の岩槍が浮かび、同時に迫る。
その金剛石の槍は、王者の鱗を突き刺さる前に何か硬いモノにあたり、半分は空しく宙に消えた。
――瘴気壁、である。




