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019 『魔女の心』



 圧倒的なエネルギーの奔流。目を腐りつぶすような強烈な黒光。

 讃美歌のように厳かに、それでいて怨念のような負の気配が少女を中心にして膨れ上がり、やがてはじける。瘴気に似た、しかし瘴気以上に身の毛もよだつ圧倒感。

 亡者の悲鳴のような悲憤おとが祠のなかを乱反射している…………

 

『……ベルチェ自身に滲み込んだ憎悪がルーファ自身の感情とごっちゃまぜになって……、あの杖……暴走を始めておる…………。とめどなく溢れる魔力……そしてこの……旋律おと…………もしや……災六さいろくの魔獣を産み落とした……魔女の……精霊狂いの唄(ダラージュ)なのか……?』


 唸るダイサンボクの目に、先ほどまで浮かべていた余裕の文字はない。彼女自身、この状況を理解できていないらしい。数千年の知識をかき集めて、何とか今の状況を理解しようとしている。

 それは、ダイサンボクだけに留まらない。


『……あれって、ルゥお姉さまの瘴気なんですか? 精霊たちの様子もおかしい…………まるで一か所に集まっているかのようです……』


『瘴気、じゃないのサ。魔女の瘴気なら、この辺り一帯が腐敗して死の世界になる。ここに自生している木々ですら魔女の瘴気には耐えられない……』


『じゃあ……あの力はいったい……?』


 アリエルとシルフィも、例外なくこの状況を理解できていなかった。

 ただ誰も、この圧倒的な力のまえで一歩たりとも動くことはしない。

 いや、できない。

 結界の外にいるアルセルタが、身震いしてその場に居座っているのと同じように。

 誰もその光景から目を離せずに、ただ立ち尽くしている……。


 

「――ねえ、精霊…………って、悲しいとか、怖いとか感情はあるの?」


 ポツリと、ルイスが口にした疑問。

 ルイスは、何か違うものを視ている――――ような気がする。そう判断したダイサンボクは深く頷くと、視線をゆっくりとルイスに合わせた。


『然り。精霊はほとんどの存在から視られることはなく、最近の精霊はかなりの寂しがり屋じゃ。そして、人間ほど複雑ではないもの、嬉しいという気持ちと悲しいという気持ちは持ち合わせておる。……なぜ、いまそんなことを聞いたんじゃ?』


 圧倒的なエネルギーの放射や、次元すら歪めかねない精霊たちの集約など、11歳の少年をすぐさま失神させる要素は充分にあるこの現状。しかしルイスは倒れるどころか、状況をしっかりと見渡し、この場において質問までした。

 

「……泣いてるんだみんな……、助けてって……。ううん、助けてあげてって……あのひとを」


 ルイスが指さしたのは、黒光の中心源。すべてのかなめである白雪髪の少女だ。

 

『おまえさんはどうしたい? 助けたいか? あやつは、おまえさんを殺そうとしたこわーい魔女じゃぞ? ここに侵入してきた人間をすべて葬り去り、容赦なく八つ裂きにしてきた魔女じゃ』


 少しのあいだ、下を向いて唇を噛んだ。どういえば自分の気持ちを伝えられるか、11歳の少年が必死になって考えて、やがて紡ぎ出す。


「僕……、今日やっと、僕が今まで視てきたものが精霊だってことが分かったんだ。みんなには視えてないのに、僕だけが視えるんだ……、みんな……僕のこと気持ち悪いって……でも、僕のことはいいんだ。精霊が僕に話しかけてくることはなかったけど、なんか……見守ってくれてるみたいで、とても優しい気持ちになったんだ」


 いつでも傍にいてくれた。その存在を感じさせてくれた。小さいころ転んで泣いたときも、両親が出かけて一人留守番したときも、寂しい時も嬉しい時も、ふわふわ淡い輝きを放ちながら、静かに見守ってくれていた。

 独りじゃないと感じさせてくれる存在、それが今日、ついに精霊だと判明した。

 精霊に対して恐怖は抱かなかった。大人たちの言う「精霊は魔女の手先」という言葉を信じていなかったし、精霊と判明したあとも精霊は悪い存在じゃないと思えていた。ルイスにとって精霊は見守ってくれる温かな存在だったから。

 

「その精霊たちが、いま……僕にちゃんと、ちゃんと、気持ちを伝えてくれてる。それがなんか、とても嬉しい……、精霊と仲良くなれたみたい……。――僕がここで、精霊に背中を見せて逃げたりしちゃ、駄目な気がする。精霊たちは、助けてあげてって泣いてるのに……」


 だって、と、ルイスはつづけた。まっすぐな黒色の瞳に、あの自殺願望のあった暗い色が薄れ、温かな陽光が照らし出す。


「精霊たち、きっとあの子のことが大好きなんだよね? だからこんなに必死に、僕に助けてを求めてる」


 ルーファティという魔女が自分に何をしたか、ということよりも。

 自分を見守ってくれた精霊たちがルーファティという魔女のことをどう思っているか、の方がルイスにとって大事だった。

 そりゃもちろん、魔女に対して恐怖を抱いていないわけではない。怜悧な瞳で首を絞められたことは、この先ずっと忘れることはないだろう。

 けれどルイスには、殴られ、貶され、馬鹿にされ、例え《忌み子》と罵られようとも、いつも隣に物言わない優しい存在がいた。精霊のことが大好きだった。不思議な、宙に浮かぶ淡い光。幼い好奇心を揺さぶる浮遊物体。聖母のような温かさ。

 かけがえのない家族と等しい。いや、もう両親がいないのだから精霊こそがルイスに残った家族なのだ。

 その家族に「助けて」と言われて、誰が背を向けて逃げることができる。


「僕は、あの子を助けたい。精霊たちの、僕の家族の願いなんだ! 僕は裏切れない、裏切っちゃいけない! 隣にずっといてくれた精霊の願いを、僕は聞き届けたい!!」


 その言葉を、その願いを、一瞬の迷いない口調で告げたとき、暴走していたはずの精霊の一部が反応したことに、このときダイサンボクですら気付いていなかった。

 かたときもルイスから視線を外すことはできない。のどの奥から、歓喜に震える声が吐息のようにもれた。


『……こんな、こんなところに…………これほど精霊と近しい人間がおったとは…………、これは運命なのじゃろうか。のぅ、ミラよ……私はいま、年甲斐もなく涙が出そうじゃ……、無視するでなく、同胞に寄り添い、思いを……ちゃんと受け入れてくれる…………魔女以外に、このような存在がこの世におったとはのぉ……』


 語尾をふるわし、くちもとに手をあてたダイサンボクは、そっと瑠璃色の目を閉じた。嬉しさが結晶化され、涙となって垂れていく。

 なんと綺麗な涙なのだろう。

 一滴がきらきらと輝いている。まるで精霊の優しさを暗喩しているかのようだ。


『すまぬ、見苦しいところを見せてしまったな』


「う、ううん! そんな、全然………………ただ、キレーだな、って……さ……」


 美しい少女の涙に、健全な少年たるルイスが見惚れないはずもないわけで。

 ただ、刹那の乙女の顔がずっと続くわけもなく、ダイサンボクは自身の頬をぺちんと叩くと、その表情を引き締めたものに変えた。

 

『私はますますおまえさんを気に入った。……その願い、聞き届けたぞ』


 ダイサンボクはちらりと周りを一瞥した。

 不規則に割れる地面からのブラックライト、精霊たちの乱響旋律ディソナス、肥大化し魔女の腕を呑みこもとするベルチェ、……そして微かだが、何かが近づいてくる(・・・・・・)ような地響き。

 

『精霊たちの一か所集中は巨大なエネルギーを生む……その反面、大量消滅をしたときは何が起こるか分からない。まずは……精霊たちをしずめねばなるまい』


 なぜベルチェがルーファティと共鳴し、融合しようとしているのかは分からない。ベルチェという杖は本来、魔女が死んだとき以外はただ魔力を引き出せる魔法具でしかないはず。

 ルーファティの持つ人間への憎悪と杖が何らかのかたちでリンクし、杖が暴走……、そしてまだ死んでいないはずの魔女の体を奪い取ろうと出てきた……という感じだろうか。

 あるいは……。


『いや、いま考えても仕方ない。とりあえず、シルフィ、アリエル、おまえさんら二人も手を貸してくれ。人数は多ければ多いほどよいじゃろ』


 シルフィとアリエルは互いに顔を見合わせ、同時に深く頷くとダイサンボクに協力する意思を示す。アリエルはともかく、さきほど我先にルーファティに殴りかかったシルフィが快諾したのは、少し意外だ。


『シルフィは少し抵抗するかと思ったがの』


『僕の行動はアリエルさんとともにあり、ですよ。さっきは頭に血が上って殴り掛かっちゃいましたけど……』


 アリエルに尽くすその様子はまるで忠犬のよう。なるほど、確かにどことなく犬っぽいかもしれない。

 しかし、その忠犬ぶりを見事にスルーするアリエルはこれまたすごい才能だ。しかもこれが地なのだから笑えない。

 いまアリエルが考えているのは、とにかくどうしたらルーファティを助け出せるかということのみ。


『どうしたらいいですか? ルゥお姉さまを助けるために、何をすれば……』


『うむ。いま、この場にいる大部分の精霊はすべてルーファ……正確には魔女の杖の膨大な魔力に引きずられ、命ぜられるまま力を放出しておる。……精霊の意識に干渉し、魔女でなくこちら側に従えさせればよい』


『それってつまり……精霊の主導権を……』


『僕らが奪い取る、っていうことなのサね……?』


 精霊はより強者の魔力に惹かれその者ために力を放出するが、占有することは難しい。

 強い者同士が同属性の魔法を近距離で行使すれば、両者の威力半減、あるいは一方のみに貸し与えるという事象が発生することも、かなり珍しいが起こる。

 その事象を、無理やり引き起こそうというのだ。

 精霊の導き手、天樹海の魔女から精霊の主導権を奪い、精霊を正気に戻すのは困難を極めるだろう。

 だが、やるしかない。

 でなければ、精霊の大量消滅による大災害、魔女自身の自滅、考えるだけでも恐ろしいことが発生する。


『幸運なのは、やつの使役能力スクラーヴェは土の精霊以外とても低い。私は土の精霊の意識に干渉する、その次に値の高い水の精霊はアリエルとシルフィの二人がかり。あやつのスクラーヴェでは火の精霊は動かせんはずじゃが……一応、暴走している火の精霊は、シルフィ、よろしく頼むぞ』


 シルフィが頷いたことを確認。

 あとは――


『ルイスよ。おまえさんは祈っておれ、精霊はくみ取ってくれる』


「……うん」


『うむ。いい返事じゃ』


 ダイサンボクは祈祷するように、前で手を組む。すると、すぐさま応える土の精霊。淡く輝き始めた精霊は、ルーファティとダイサンボクのちょうど真ん中で、稲妻のように力を発散させる。

 土の精霊の代表格、最高位精霊ダイサンボクに従うか、精霊の導き手たる魔女の意思に従うか、ちょうどあの距離が境目なのだろう。橙色の輝きと黒光が、今にも相手を呑みこもうと拮抗している。


 そして――


『『 Wir bete dem Xes arlo,...eine hute jim 』』


 妖精二人による詠唱魔法。アリエルは青色の輝きを、シルフィは青と赤の輝きを放ち、それぞれが精霊の暴走を食い止めようとダイサンボクに追随した。

 まず、火の精霊に変化が訪れた。

 もともとルーファティの力では火の精霊は扱いきれない。なおかつ数の少ない彼らはすぐルーファティから解き放たれ、シルフィのもとに集った。少し遅れて、水の精霊が正気を取り戻し、アリエルのもとに集う。

 問題は、ルーファティが最も扱いに長ける土の精霊であった――


『のぉ、ルーファ。聴こえておるか、精霊たちの悲痛な叫び声を。強大な力の前で為すすべもなく力を放出し、消滅していく彼らの声を。……聴こえておるじゃろ、聴こえないとは言わせんぞ』


 ダイサンボクとルーファティの使役能力スクラーヴェはほぼ互角。いや、魔女として精霊に寄り添い続けた分、ルーファティの方が一枚上手かもしれない。精霊の悲鳴を表すように、ダイサンボクの淡い光を黒い光が呑みこもうとしている。

 そんななかダイサンボクは、再び咆える。瑠璃色の瞳に憤りをたたえて。


『自らの感情で、自らのわがままで精霊を振り回すなとあれほど言っておったじゃろう! 精霊はなにも魔女のために存在しておるのではない、この世界の万物のために生きておるのじゃ! 精霊の悲しみを癒し、精霊の声を聴くことで調和を…………ノア(・・)とともにこの世界の悲憤(・・・・・)を癒すことが魔女の役割じゃろ! その魔女が自ら悲しみと怒りを生み出してどうする!!』


 少しだけ、殻のようにルーファティを守っていた岩の花弁が崩れていく。

 土の精霊がルーファティの心と反応して作り出していた岩の壁が、少しずつだが、崩壊しているのだ。

 それは、土の精霊の一部がダイサンボク側に流れている証拠。解き放たれている証拠。


 しかし、それはなにもダイサンボクだけの力によるものではない。 

 たぶん、いやほぼ確実に、ダイサンボクの隣でひたすら祈りをささげるルイスが、土の精霊を後押ししている。ルイスの優しい心が精霊たちに伝播し、少しずつ憎悪の感情から解き放っているのだ。

 

『……私も謝ろう、ルーファ』


 たぶん、ルーファティの憎悪は二つ(・・)存在する。

 一つ目は人間への憎悪、二つ目は確実に母ミルフィと関係があるだろう。二世と呼ばれて怒ったことも、たぶんそのせい。『二世』というのは、一世がいて初めて成立する呼称だ。

 

『私もミルフィを救えなかった一人じゃ。そのせいで、魔女という重役はすべておまえさん一人に押し付ける羽目になった。おまえさんが小さかったころ、村長むらおさに散々な目に遭わされていたときも、私は何もしてやれんかった。むしろ、あのとき私もおまえさんを避けていたよ。ミルフィの負い目を感じていたからな』


 栗色の少女が、ルイスを連れてゆっくりと魔女のもとへ歩む。

 精霊の淡い輝きが滑らかな栗色の髪に反射し、少女が歩むたびに魔女を守る壁が崩れていく。黒光が抑えられ、幕をひくように薄く晴れていく。

 やがて、土の精霊も穏やかに辺りを浮遊し始めた。

 

『すまぬ、ルーファ。寂しかったろう、この400年間、おまえさんはよく耐え忍んだ。孤高の、天樹海最後の魔女として、よく頑張った』


 土の壁を破り去り、栗髪の少女は白雪髪の少女を抱き寄せた。

 双方の少女ともに、輝く水晶のような涙が浮かべられている。その涙には、二人のどんな感情を表しているのだろう。


『……天樹海の魔女は、土の最高位精霊とともにある。そのことを、すっかり忘れていたのは私だった』


「……謝ら……なくて……いい。むしろ……謝らないといけないのは……私のほうだから」


 ルーファティは、震える声でそう言う。抱きしめられたのは、何百年ぶりだろうか。そして、誰かに抱きしめられることがこんなに嬉しいことだと、いまやっと思い出せた気がする。

 ルーファティの赤い瞳に溜まった涙は、綺麗な軌跡を描きながら頬を流れ伝っていった。

 その表情には、もう先ほどの昏いモノは存在していなかった。


 

  

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