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001 『レジェンド級ひきこもり魔女』

「――……重いわ」


 体を丸めて、お腹を隠すようにして横向きで眠る人の特徴は「甘えん坊」で「自分の殻に閉じこもりやすい」と何かの本で読んだことがあるが、後者はともかく前者は否定している私は、フィットする頭と枕の位置を微調整しながらそっと目を開けた。

 フェンリルの毛皮を使った、いま寝転がっている敷布団のさきに、下に窪んだ円形状の階段が三段あって、三段目の平地には生き物の血管のような薄く透ける蒼色の根っこがびっしりとある。その根は真ん中で蛇のように絡まりながら上に伸び、途中で鳥かごのように膨張して、半球型にとじられた天井に突き刺さっていた。

 ――《ミクヴェ》と私は呼んでいる、大樹ノアの脳幹にあたる大事な器官。

 生まれて400年と少し、お出かけと称して出ていったとき以外は、毎朝ここでコレを見ている。正直に言うと飽きる。見守るのも魔女の仕事だとはいえ、可愛らしさの欠片もない根っこオブジェクトを見るのは飽きる。ほんと飽きる。一度、もうちょっと美術品っぽくしようと斧を持ち出したことがあるが、恐ろしく硬くてムリだった。……にしてもホント地味だわ。

 しかしそんなミクヴェを毎朝見なくてもよい期間がある。――冬期だ。冬期は大樹ノアが徐々に活動を静め、休眠状態になる期間のことである。それに連動するかたちで私も冬眠状態に入るのだ。

 一年の半分を大樹の内部で生活する私でも、外がどれくらい寒くなっているのかは分かる。外は氷柱と細氷の世界になり、やがて魔獣ですら活動を休止せざるを得ない酷寒と沈黙の帳が降りる。

 冬期を越え、つぎに訪れる乾期にむけて8割がたの生物が冬眠をするだろう。

 と。

 

「……重いわ」


 大事なことなので二回言う。

 本当の冬眠はあの鳥かご式根っこオブジェクトの中に入るらしいのだけれど「寒いし狭いし何か嫌だし何より布団とともに眠れないこれ大事」と、我ながら素晴らしい自我の強さを発揮して、あそこでの冬眠を頑なに拒否している。

 ともあれ。

 冬眠移行期とはいえなぜここまで重みを感じるのであろうか。

 始めは持病のせいだと思っていた。木々の葉先が陽光目指してひっきりなしに背伸びしている時間帯に、のっそりのっそり布団から脱出し、のろのろ服を着替え――その頃には昼になる――《核》をぼんやりと眺め、真昼を過ぎたごろにやっと脳が覚醒する――という私の驚くべき体質を考えれば、誰もが納得できる。


 しかし、何かが違った。 


 この重みは全身に来るものでもなければ、まして頭痛のような類でもない。

 腰。……そう腰だ。いかんせん思い当たらない腰の重みだ。なにゆえ腰が重く感じるのか。確か眠り始めたのが二日ほど前だったから、それより前に何をしていたかというと、特に大したことはしていない。


 ――フェンリルとの追いかけっこは普通に楽しかったし《ゼアックの深谷》にいる魔鳥カラカラワシの生け捕りは、アリエルに無理やり連れだされただけだし……、しかもそれのせいでミノタウロス殿の怒りに触れて事を収めるのが面倒だったし。でも腰痛とは関係ないわね……。

 

 ならば、アリエルの破魔料理ではあるまいか。ピンクピンクしいキノコとなんたらかんたらの液体と緑苔とカミキリムシの生き血を混ぜて謎の呪文を唱えていた謎が謎を呼ぶスープ。何をどうしたら魔女の味覚と聴覚を奪う料理を作りあげられるのか、妖精族の魔法って恐ろしい……――と、あれやっぱり腰痛とは関係ない気もしなくなくない。スープを飲んで体調が悪くなるとすればそれは腹痛だ。決して腰痛ではない。


 だめね。全然分かんないわ。


 堂々巡りになる考えを繰り返すのも面倒になってきて、再び睡眠を貪ろうと目を閉じる。メーヤが一匹…メーヤが二匹…メーヤが三匹……。


 腰痛くらい、そのうち何とかなる。


『――ルゥお姉さま、おはようございます! 外は小鳥もさえずらないほど冷え込み、いつものことながら陽の光は入らず、霧も晴れず、地面に霜が降りまくって、最高のお出かけ日和ですよ!! 今ならもれなく、氷柱をぽっきんしながらお出かけできます!』


 いや、まぁ……うん、もしかしたらとは思っていたわよ。でも除外してた。まさかここまでしつこいとは思ってなかったから。失念してたよ、この子の執着に。


『おはようございます。お出かけ日和ですよ! 特にメーヤの丘に立ち込める霧は、視界五メートルもありません! 前後不覚、視界真っ白、楽しい迷宮ごっこでもしませんか!? きっとそのなかでボール遊びでもしたら楽しいと思いますよ!』


「…………すぅー」


『あるいはあるいは、きゅーと妖精アリエルちゃんとの真夜中の星空探検ツアーなんてどうですか!? ここは周りのすべて古代樹で埋め尽くされているので、落葉樹林帯に行くか、ツァルンベの雪山の頂上まで登山なんてどうです?』


「すぅー」


 寝たふりを決め込んでいると、腰のうえにある小さな物体から『むぅ』と可愛らしい声が発せられる。


『ルゥお姉さま寝たふりですか。いいですよ、アリエルはルゥお姉さまに言質を取りましたので』


「なによ、私が何をしたって言うのよ。この寒いなか外に行こうっていう約束なんてした覚えはないわよ」


『あ、ルゥお姉さま起きましたねー』


 ――なぬっ!?

 まさかこれが、陽動作戦というものか。気付いた時には時遅し、動いてしまった口と上半身はすでにばっちりとアリエルの視界に収められている。今から狸寝入りをしようものなら、耳もとでわめきちらしてくれるだろう、この妖精。

 

「…………おはようアリエル。それで、とりあえず私の腰からその可愛らしい手を退けてくれないかしら? 可憐な魔女の寝込みを襲うなんて育ての親の顔をぶん殴ってやりたいわね」


『可愛いだなんて……そんな褒めても何もでてきませんよぉ……』


 ぽぉと小さなほっぺに小さな手をあてて、でへへへと下品な笑いを浮かべるアリエルに「褒めてないわよ」と、私はいつも通りの指摘を繰り出すか、あのご都合主義の耳には届いていない。

 よくできた耳をお持ちのアリエルは、ニンゲンの姿形を精巧に縮小サイズにしたような容姿をもつ黒妖精族のひとりだ。

 色素の薄い黒髪を小さな木の葉形の留め具でふんわりセットし、小さな顔にはまんまるい黒曜石の瞳とこれまた小さな鼻がちょこんと乗っている。ひらひらの白いチュニックとウエストを絞る赤いリボンはとてもシンプル。空いた背中からは昆虫を思わせるサイズの異なる四枚の翅が伸びていて、まさに妖精の中の妖精と称されるほど愛らしい。——と、ここまでは初めてアリエルに出会った感想とさして変わらない。問題なのはのちのち垣間見えるヤツの本性だ。

 たとえば、今の腰痛はアリエルが圧し掛かり、重く感じるような魔法をかけていたせいで引き起こされたものだ。

 そして。


『そんなことより、おはようございますルゥお姉さま! そして恒例のピクニックに行きましょうっ!』


 一、すぐピクニックにいきたがる。主に危険地帯。

 二、すぐ言質を取ろうとする。お腹真っ黒。

 三、とにかく泣いて済ませようとする。主に自分のために。

 四、料理が下手。私のために作ってくれるものはだいたい不味い。

 四は関係ないということは置いておいて、これが黒妖精族全員に当てはまるかは不明であるが、とても腹黒い少女だ。アリエルは私の傍付きとして身辺の世話と監視を担っているが、世話しているのは主にこっちで監視なんて『か』の字も見当たらない。だいたい監視みたくしていたのはアリエルが初めてやってきた一年くらいじゃもんじゃない? ふと気が付けば涎を垂らして寝てるようなやつよ。

 と、私は心底嫌そうな顔でアリエルを見るが、本人は何にも感じていないような表情をして空中に舞い上がった。


『ねえルゥお姉さま、今日はどこに行きます? 高さ五十メートルの瀑布から飛び降りですか? それとも夜行性の巨大毒虫の観察日記ですか? それとも未開拓の地下洞窟へ探検にします? あ、食事は気にしないでくださいね、ちゃんと愛妻弁当作りますから』


「……愛、なんですって?」


『知らないんですか? さすがレジェンド級引きこもり魔女様は格が違いますね』


「そんな言葉どこで覚えてきたんだか……」


『帝国語ですよ。意味は伝説です』


「んなこと私でも分かるわよ」


 ――私って伝説になるほど引きこもってるかしら。魔女なんだから迂闊にちょろちょろするのも変じゃないの? あ、違う? 私は大樹からすら出ないってこと? 最近はアリエルのせいでぐうたら生活もできてないわよ。じゃあもう脱引きこもりでいいじゃないの。脱引きこもりって何かご褒美くれるのかしら。

 と、私の思考が斜め上に上昇しているのを食い止めるためか、アリエルがぽんと手を打った。


『あ、それより、愛妻弁当の説明ですね! 愛妻弁当とは、妻が愛する夫のために汗水垂らして作った特製お弁当のことですよ。毎日お外で汗水垂らして頑張る世のお父様のために、妻が愛情たっぷりのお弁当を作って『はいアナタ』って渡すそうですよ! 人間の新聞に書かれてました! アリエルもちゃぁんと勉強してますから、それくらい知ってます!』


 ……言いたいことは山ほどある。例えばいつニンゲンの新聞を読んできたのだとか、そんな誰でも『はいアナタ』って渡すもんじゃないでしょ、だとか色々言いたいことはあるが。


「……汗水垂らしたらしょっぱくなるんじゃないの?」


『そうなんですか? でもお肉の下ごしらえにはちょうどいいんじゃないですか?』


「…………。あやうく納得しそうになったわ」


 妻が汗水垂らすぐらいの愛妻弁当の具を、ちょっとばかし想像してみた。草食系の魔獣、鱗鹿ケルビ土象ポポの肉。体長二メートルを超す小型の魔獣を思い浮かべてみたが、汗を流すと考えると何か違う気がする。もう少し大型で肉の美味しい魔獣といえば長角鹿ガウシカとかだろうか。私も魔獣の肉を食べないわけではないが、どちらかというと草食派であるから、あまり肉の味は分からない。


『お弁当の中身は、フェンネルの葉を二枚と、カラカラワシの胸肉と狼の肝臓とケルビの肉とニオチュウのソテーなんてどうですか? ……う~ん。これじゃあお肉が少ないですね。よし、こうなったら一狩りいきましょうっ!』


「充分充分。それ以上はいらないわよ」


『えー、どうしてですか? 魔獣の数を管理するのも魔女の仕事じゃないですか~』


「この程度で魔獣の数を管理できたら驚きよ。……あなたの場合食べたいだけじゃない」


『美味しいですよ、お肉!! 特にカラカラワシの肉はたんぱくで美味しいです!』


 天高くアリエルが舞い上がったかと思えば、夢見心地の顔でふんわりふんわり降りてきて、私の肩に着地。


『塩でまぶして焼いただけでも美味! スープみたいに難しくないのでアリエルでも美味しく作れます!!』


「スープも簡単な部類に入るんだけどね」


『一度でいいから、希少魔獣のお肉も食べてみたいです~』


 ……と、なにゆえに私の方を見るアリエルよ。魔獣と魔女は瘴気を持つという点が一緒だけど、別物だから。全然種族が違うから。

 

『人間の肉は不味いって聞きましたけど、魔女の肉はそこんとこどうなんでしょうかね? 一口でいいから食べてみたいです』


「ニンゲンに似た容姿なんだから魔女の肉も美味しくないんじゃない? ってそれより匂いを嗅ぐなバカ」


『減るもんじゃあるまいしいいじゃないですか』


「そういう問題じゃない!」


『えー。せっかく良い匂いだったのに………。ルゥお姉さまって意外に土臭くないんですね。ここにいる魔女はみんな土臭いって聞いてましたけど、花の蜜みたいな、甘い香りが………………きゅうぅ!?』


 謎の言語を発して向こうへ吹き飛んでいくアリエル。もちろん投げ捨てたのは私だけど。


「誰が土臭いよ。湯あみしてるんだから土臭くないわよ!」


『ひゃ、ひゃから、良い匂いがしたって、い、いっへるじゃないれすか~』


「ふんっ」


 どうやら猛烈に回転しながら飛ばされたらしいアリエルが、回らない呂律のままへろへろと翅を動かして戻ってくる。はふんと軽い音をたてて肩に座り、仕返しと言わんばかりに私の頬を抓った。


「だいひゃい、なんで起ほすのよ。もうすぐ冬期に入るっふぇことふらい、あなたでも分はるでしょ?」


 言いながら、我が頬をつねる小さい手をひっぺがす。……結構痛かった。

 しかし当の本人、腕を組んで不満げなご様子。


『えー。ピクニックですよー、楽しいピクニックなんですよ』


 なにがピクニックだ、アリエルの場合は私を引きずり回したいだけじゃないか。

 例え可愛らしい顔でウインクをしたとしても私は譲らない。断固拒否。ひきもりはひきこもりの意地というものがある。この柔らかな布団世界から一歩たりとも動かないと固く決めたのだ。


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