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018 『ルーファティ』

 

 ルーファティという魔女は、この天樹海において歴代魔女を凌ぐ様々な難点を持つ魔女であった。

 まず第一に、言わずもしれた性格に難がある。多々ある。人の話を最後まで聞かない、すぐ眠る、人を不快にさせることを言ったら彼女の横に出る者はいないと言われる始末だ。

 第二に、大樹から出てこない。レジェンド級引きこもり魔女とアリエルに揶揄されるほど大樹から出たがらない。それは彼女が怠惰であるというより、魔獣と接して彼らの「声」を聴きたくないからであった。

 それはともかく。

 ルーファティがギャレオと大喧嘩したずっとあと、アリエルと出会うよりも前、彼女は常日頃孤独とともに毎日を生きていた。


 朝、いつもどおり少しを目を開けると布団から手を出して気温を測る。寒いと分かればすぐ手を引っ込め、そのまま目を閉じて二度寝の慣行。このころは『ピクニックですよ~』と言いに来る天真爛漫なピュアブラックの妖精さんがいなかったもので、毎日が平和な朝であった。

 そして陽が中天にさしかかったころにむくりと体を起こし、申し訳程度の上着を羽織ってから布団をちゃんと四つ折りにして部屋の隅にやる。

 冬期でさえなければ、大樹のなかは意外と温かい。何でも、この樹の天辺でたくさんの熱を集めて、この樹の空洞部分に流し込んでいるとかいないとか。おかげで昼頃になれば、さすがの寒がり魔女でも遅い朝食を食べに蔵へ行くことができた。


 蔵、というのはいくつもある食糧庫だが、大樹に住んでいるものが今やルーファティ一人となってしまったので、いくつもある蔵のうち一つしか使っていない。ちなみにあるのは果物と水のみ。すぐ隣にはとある酒豪のための酒蔵があるというのは余談で通しておくとして――

 

 大樹のなかに蟻の巣状にできた空洞の一部に入り、いつもどおり赤いベリー系の果物と青色の果実を手に取って、《ミクヴェ》と布団がある部屋ではなく、本来のルーファティのために宛がわれた私室で食事をとる。といっても彼女はあまり食べる方ではなく、ものの数分で食事を終えてしまうのが常なのだが。

 

 食事をして髪を整えたあと自室の机の上で魔法紙を作る、ということがルーファティが退屈な日々のなかで見つけた唯一の日課だった。

 魔力の練りの甘さで充分に精霊の力を引き出しきれずに悩んでいたころ、精霊の力を効率的に引き出すことのできる魔法式というものを、もっとインスタントにできないかと考え作り出したものだ。


 発想は単純であったが、作るとなるとかなりの時間を要した。


 まず、どうやって魔法式を保存状態にするかという問題にぶつかる。魔法式は合図で展開のタイミングを変えることはできるが、長期保存ともなるとそうもいかない。顔料で描いた魔法式であれば数日程度持つが、それでも自然という猛威がせっかく書いた魔法式を風化させてしまう。

 それだけでなく魔法式は書き終ったその瞬間から、展開するための準備段階へ自動移行されるために、魔法式に注いだ魔力を自然と食いつぶしてしまう。

 

 これを解決したのがもともと魔力を込めて練り込んだ紙に、風化を極端に遅らせる複雑極まりない合成魔法を予め仕込んでおくことだった。

 ややあって魔法紙グリモアは完成した。


 初使用は満足のいくようなものではなかった。普通の魔法より効果が薄い、発動のタイミングが制御できない、使う前に紙自体が破けるなどなど……。

 その一つ一つの試験、すべて反省記録に綴っていった。

 努力したり継続したりするのは嫌いではなかった。むしろ母が天才で母に憧れているのであれば、いくら劣化版と言われようとも「秀才」にならなければならない、という強迫観念すらあった。

 

 なので、才能でなく努力で何とかなるものは徹底的に鍛えた。

 

 魔法紙の開発だけでなく本来魔女には必要もない格闘術を、本と妖精たちの動きを倣って独学で習得した。もちろん魔獣の瘴気壁にどれほど有効なのか何度も試した。

 時間はたっぷりあった。

 時間だけはたっぷりと。

 

 

    **



「――展開時間がいつもより遅い、式を複雑にしすぎたかしら……」


 一枚の大きな札に難度の高い式を描き込み、それを空中に投げつけてから自動展開するまでの時間を、懐中時計を用いて測って記録してる。魔力の練り、紙の質を複合的に考察し、どの程度の質でどの程度の魔法が繰り出せるのか。

 今回のヤツは難度の高い土の魔法《アースタクト》。

 難度としてはA~Gあり、一番難しいのはG難度の転移あるいは三属性魔法である。E難度以上の難しい魔法はほとんどが魔法式を必要とするため、魔法紙での代用試験を着々と進行している。

 が、なかなかこれが大変なのだ。

 

 土のE難度魔法《アースタクト》の形成に必要なのは、自然界最高硬度を誇る金剛石。土の精霊たちが万年単位で形成するその貴金属の代表格を、そう簡単に魔法として貸してくれるわけではなかった。それなりの魔力を与え、なおかつその場にいる土の精霊たちの力を総動員しなければ、金剛石を顕現することはできない。

 土の精霊が少なければ不発。

 いても力を貸してくれなければ形成不足で消滅。

 できたとしても力の過失により精霊の大量消滅は免れ得ない。

 精霊の力を効率的に引き出し、かつ過不足なくスピーディに仕上げるには、どうしても魔法紙での成功が不可欠であった。

 そのためルーファティは、とあるお方に協力を仰ぎながら試験を行っているのである。


『のぉ二世、そんなもので短い人生を食いつぶしてどうするんじゃ? 魔女は長寿とはいえ生きたとしても、せいぜい六百や七百……。おまえさん、もうすでに二百と七十くらいじゃろう?』


 必死になって羽ペンを走らせ試験記録を綴るルーファティに、大岩の上からさもつまらないといった声で投げかけられた。大岩の上にいるのは、老婆のような顔をした女――――ではなく、長い栗色の髪と悪戯が好きそうな瑠璃色の瞳が特徴的な童女であった。

 布のようなぺらっぺらの白のワンピースを着ているが、寒くないのだろうか。それにルーファティとは違い、ふくよかな胸の膨らみがあり、体勢によっては彼女の谷間が強調されるようになっている。その胸に対して並々ならぬ執着と腹立ちを覚えているルーファティはジロりと睨むように童女を見て――


「勝手に二十年も年をとらせないでちょうだい」


 とりあえず自分の年齢を訂正した。

 そのささやかな反抗を見た童女――ダイサンボクは、のどの奥でくつくつと笑い、手を使わず魔法で酒樽を持ち上げると、浴びるように酒を飲み始めた。


『しっかし……、おまえさんの負けず嫌いも相変わらずよのぉ。そこまでせんでも、土の精霊はおまえさんによく懐いておる。一世のように無詠唱とまでは言わんが、魔法式を使えばE難度の土魔法も行使できるのに、そこまでする必要があるかの? それとも、再びあの戦争が引き起こされるとでも?』


 ルーファティが更なる上の段階へこだわる理由が、ダイサンボクには到底理解できないものであった。

 なにより、今まで誰も作ったことのない魔法具を彼女一代でここまで実用させてきたことが、飽き性でも有名なダイサンボクには理解できない。

 魔女には必要ない、そう思っているからだ。


「……私には必要なのよ。すぐに展開できない大技が何個あったって、いざっていうときに何の役にも立たない……、自分の身くらい……自分で守るわ……」


 ポツリとそう言い、ルーファティは再び札を取り出して投げる。

 枚数が多くなるとだいたいは四角形を意識しているが、貼りつける場所は適当である。

 札が紫色に光り、精霊たちの力が一か所に集約されていく。四秒ほどの時間を要して、鈍色に輝く尖りのきいた計10本の岩柱360度刺し。

 互いにぶつかる摩擦音を響かせ、ふっ……と消える。


『努力家、真面目なのは大いに結構。もうちょいと愛想さえあれば可愛げがあるものなんじゃが』


「魔女に可愛さなど必要ないの、舐められるだけよ」


『そうかの? 魔女の美しさに惹かれる獣たちは大勢いると思うが…………。うむ、そうじゃな、おまえさんの美しさは一世とまさに正反対じゃが、私は嫌いではないぞ。凛とした静けさ、孤高の輝きをおまえさんの魔法からありありと感じられる。まさに、大地に根強く、陽光めざして葉先を広げる大樹そのものじゃ』


「私の美しさが分かったのなら、とりあえず……早く教えてくれない?」


 ルーファティは鋭く催促。しかし、さきほどまでの雄弁な語りをサラッと受け流されたダイサンボクは、そのことに対して怒ることはせず、なぜか下瞼をあげてにやりと笑った。

 その笑みを今まで幾度となく見てきたルーファティの背に、うすら寒いものが走る。


「なに、その笑み」


 あの笑み……何かよからぬことを考えているに違いない。

 たまーに祠に顕現して気が滅入りそうな量の酒と果実を要求してくるダイサンボクであったが、あれでもゆいいつルーファティの喋り相手になっている。そのためなのか、会話が始まるといつのまにかダイサンボクに上手をとられていることが多い。

 今までダイサンボクの笑み「かーらーの」に、いい思い出のないルーファティが身を強張らせていると。


『夜、付き合え』


「イヤ」


『そんな即答せんでもええじゃろ。たまーにくらい私の晩酌に同席してもええんじゃないかのぉ? 老人の昔話や愚痴話に付き合ってくれんかのぉ? のぉ、のぉのぉのぉ?』


「あんたお酒を飲むとキス魔になるからイヤ。べったべったに触ってこられるのもイヤ。……精霊のくせに愚痴ってなによ愚痴って、一応大昔は信仰されてた身なんだからもっと神聖さを持ちなさいよね。あと、暑苦しい」


『寒がりじゃろうて強がりなのは別にええがのぉ、……まぁ、嫌がるおまえさんを無理やり押し倒すのも悪ぅない。これもまた一興じゃ』


 ぺろり……、と首筋に生暖かい感触。はてこれはなんだろうかと、コンマ一秒ほど考えていたルーファティは。


「きゃぅ?!」


 ――――そのあと、とりあえずダイサンボクの胸ぐらを掴んで遥か向こうへ投げ飛ばした。

 不覚不意打ち不注意恥辱等等……。様々な思いを胸にしまいこみ、すぐさま戻って来た童女の顔を睨みつける。


「あんた、次やったら蹴るわよ」


『もうすでに投げ飛ばしたじゃろうが……』


「うっさいわね不意打ちで舐めるなってあれほど言ってあんでしょが!」


『事前通告を通せばよいのか?』


「だから舐めるなってこと!」


 のらりくらりとルーファティの苦言を交わして見せた、ルーファティよりも頭一つ分低いところにある小さな童女の顔が、こてんと横に傾く。


『頭悪いから分かんない』


「その横っ腹に風穴開けて土の中に埋めるわよ、このクソ精霊。茶番はいいから魔法紙の改善点を助言しろって何度言わせれば気が済むのよ」


『口が悪い魔女じゃのぉ~、これでも土の最高位精霊を馬鹿にしよって……歴代最悪じゃ』


「だからもっと威厳を身に付ければいいんじゃないの?」


 鼻と鼻がくっつきそうな位置まで顔を寄せ合っていがみあう少女二人。傍から見ればただの姉妹喧嘩にみえない、なんともほのぼのとした雰囲気である。

 しかしルーファティは、本気で目の前の少女に助言を求めていた。

 E難度魔法を魔法紙で完成させるためには、何かが足りないのだが、それが分からない。

 だから。


『しゃぁない、教えてやろう。……ルーファ、魔法紙を見せてみぃ』


 意外にもあっさり食い下がってくれたダイサンボクに、拍子抜けしてしまう思いであるが、この機を逃すと次いつこの人の気まぐれが出てくるか分からないので、素直に従う。

 魔法紙の束を手渡すと、少女は素早い動きでめくり飛ばした。


『うむ、全部だめじゃの』


「え……と、……私が聞きたいのは、どうしたら展開時間を短くできるか、一緒に考えてほしいってだけなんだけど……」


 あれだけ分厚くした試験記録。これまでに費やした魔法紙の研究はざっと冬眠期間を除いても軽く二十年は超える。その日々を、いとも簡単にばっさり切り捨てられ、ルーファティは動揺を隠せなかった。


『私には、まずなぜ魔女が魔法式を作るのかすら謎であるの……』


「……魔法式は、難しい魔法を、ただ自己内での魔力の練りだけじゃ表現できないから、精霊にこういうふうにしてほしいっていうのを表す式よ。そりゃ、精霊であるあなた自身は自分の力で魔法を使えるからそう思うんだろうけど、魔女は精霊という媒体を通さないと力を振るえない……」


『ごもっともじゃの』


「何が言いたいの?」


『いや…………、まぁ、賢いっていうのは、障害があるんじゃなぁと思うて』


「それ貶してるの?」


『褒めとる褒めとる。大いに褒めとるよ、ただ頭を固くしすぎるのはよくないと思うてな……』


 肩をだらりとさげ、今から休憩でもするかのように脱力したダイサンボクは、身振り手振りを交えながら話した。


『確かに意味式は大事じゃ。天変地異を引き起こす程度の巨大な魔法なら、形成するための効率的なエネルギー供給やコントロール力が必要になってくる。そこで役に立つのは魔法式じゃが、それは何も複雑難解な魔法式の作成だけで成り立つものではない。……忘れるな、おまえさんはまず精霊に力を借りてるんじゃぞ。精霊に働きかけるとき、一番重要なのは精霊の声を聴くことじゃ』


 精霊の声を聴く。魔女としては当たり前、日常茶飯事過ぎることであった。

 それゆえに、精霊の声を聴くという作業に、怠慢になっていた節もあるかもしれない。

 図星過ぎる正論を言われ、ルーファティは押し黙ることを余儀なくされる。


『まぁいくら声を聴いたところで、おまえさんの魔力の練りはまだまだじゃがのぉ。この紙にも何やら魔法をかけているようじゃが、その精度もあまり高くない。……精霊石でも使ったらどうじゃ?』


 精霊石とは、力を持て余した精霊が自然消滅するときにできる石のことだ。

 精霊が多くいる場所なら比較的転がっている。天樹海も例外ではない。


「でも、一属性のみの純度の高い精霊石は魔法紙以外のものに使いたいし」


『いざっていうときにそんなことが言えるのかの? 遠慮するでない、むしろ精霊石を使った方がおまえさんの魔法紙は安定するじゃろう。ただでさえ一人で悶々と魔法紙を作るんじゃ、負の感情に引きずられやすいおまえさんが、ふとした瞬間に心を乱れさせてみよ、その魔法紙は不良品になるぞ。魔力だけは一人前の魔女並みなんじゃから、その魔法紙でここら一帯を消し炭にされたら話にならん』


 それでもルーファティはムッとしてしまう。ただ言い返せば百倍のしっぺ返しがくることを知っているので、反抗心として微かに頬を膨らませてから、ぷいと顔をそむける。

 

『つんけんしとるのぉ…………精神年齢の幼さがおまえさんの体にも如実に表れておるわい』


「……べ、べつに胸と背丈は関係ないでしょ」


『べーつーにー、乳のでかさも心の寛大さも威厳の足りなさも背丈の低さも、なぁ~んにも言っとらんぞ? ただその体のまま老化が止まってしまったのは不運じゃったと私は言ってるわけで――――――どるふぇっ!?』


「だぁあかぁあらぁあ、今度舐めたら蹴るって言ったわよね!」


 蹴り飛ばされながら謎の言語を発したダイサンボクが向こうの茂みに落下した。

 

「そんで…………まぁ、とりあえず助言についてお礼を言っておくわ、ありがと」


 


 そしてルーファティの視界は――――暗転した。

 



 何が起こったのか、分からない。いきなり景色がぐにゃりと曲がって、世界は暗黒に包まれている。

 聞こえない。聴こえない。何も。見えない。視えない。何も。

 世界はただひたすらな暗黒であった。

 何もない、無の暗黒の世界。

 ただひたすら右手が異様に熱い気がしたが、右手すら見ることができなかった。

 自分の境界線が視えない。

 自分を守る境界線が。

 壁が。

 まるで、闇と同化したかのように。

 これはいったい、何なのだろうか。


 

 


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