017 『飲み込まれるもの』
怒気をまじらせた蒼光と憎悪を含む瘴気の黒光がぶつかる手前で、強制的なエネルギー介入が行使される。エネルギーは壁となって現世から隔離し、すべてを遮断して身を護る。
「私のアルセルタにひどいことしないでちょうだい」
アルセルタをかばうようにその前に立ち、冷たく言い放つルーファティの声音には明らかな怒気が含まれていた。シルフィは口についた泥を手の甲で拭うと応戦するように口もとをゆがませた。
『そら、同じ瘴気をもつ仲間なのサ。でも、非情な魔女様がたかが一匹の魔獣ごときでそんなに怒ることないんじゃないかな? 高い知能を持つといえど魔獣も動物と一緒、何千何万と蔓延る獣の一種にそこまで執着する必要は感じないね』
しかしシルフィの質問には答えず、ルーファティは杖の先端を向ける。
「……あなた、癖が強いだけじゃなくて性格もそうとうなものね。これから黒妖精族じゃなくて他の種族を名乗ることをお勧めするわ。そうね……《骨拾いの骨妖精》なんてどうかしら?」
『お褒めに預かり光栄だけど、おあいにくさま……あんな下種妖精族と一緒にしないでいただきたいね、僕もそこまで堕ちてないサ』
一瞬の間。
「……。私、やっぱりあなたのことが苦手みたい……」
『僕はあなたが嫌いだね』
先に動いたのはルーファティだった。先端に向けた杖をくるりと向きをかえて地面を叩く。すると円環状に空気の波動が放散され、数瞬遅れて岩の突起物が出現する。一定の間隔と速度を保って迫り、シルフィがその場から大きく離脱した瞬間、岩の剣山がそこに出た。
「大人しくしてて。妖精族に恨みはないわ、そこにいるニンゲンさえ引き渡してくれたら私はそれでいいの」
『やだね。僕はアリエルさんの意向に従うまでだよ、従順な騎士、というのが僕の理想像』
「――……怪我しても知らないわよ」
雰囲気が変わった。先ほどまで少なからず会話に時間を使ってくれたが、その瞬間から口が横一文字に引き結ばれ、懐からなにやら紙束を出す。
指ではさんだそれらを一気に振りまくと、ぴったりと地面に接着するその札。
何事かとシルフィが辺りを見渡した。
「……《ガリットシュペア》……」
技名だけでいえばたかだかC難度、威力的には大したことないはずだった。
顕現される岩柱の数はざっと三十。当てればすりばちのように粉砕されてしまうかもしれないが、妖精の身軽さをもってすれば全回避するのも難しくはない。
迫りくる岩を何本か避けたあと、シルフィは地面が紫に輝いていることに気付いた。
『なん……だ…………?』
土の手だ。無数の手が地面から伸びて捕まえようと伸びてくる。
シルフィのスピードは確かに桁違いの速さを誇っていたが、四方八方から岩柱が逃げ場を妨害するように動いたために、しばらくして土の手に捕まえられ地面に叩きつけられた。
口から血が飛んだ。
翅を抑えつけられたら、妖精族はもう飛ぶことができない。
それでも視線を巡らせて、何が起こったのか詮索しようとする。
『……あ、……れ……が、魔法紙……効率重視、精霊を力を持つモノとしか見ない魔法具か……、なるほど……、ずいぶんと……あくどい物を使う……』
「……他人の拡大解釈に聞く耳は持ち合わせていないわよ、シルフィ」
身動きが取れなくなったシルフィは、その言葉を聞いて少し笑った。
『自我が強いことサね……』
「昔からよ、なんたって魔女だもの。……あなたはそこで大人しくしていなさい」
もとからルーファティはシルフィを眼中になど入れていない。やっかいなのは妖精族二人などではなく、ルイスを守るダイサンボクの存在だ。
手前にある大岩を魔法で破壊し、結界に強めの刺激を加えてやると、擬態がとけてゆっくりと二人の姿が視認できるようになる。
ルイスを見たアルセルタの興奮を抑えながら、ルーファティは二人を見据えた。
「あなたがそんなにニンゲンが好きだったなんて知らなかったわよダイサンボク。これはいったいどういう風の吹き回しかしら?」
『こちとて数千年間も生きとるとな、たまにニンゲンの味方をするのも一興じゃと考えるようになるのじゃよ。……いんや、ファルベの二世こそたかが一匹のニンゲンの子どもごときで、そんなたいそうな魔獣を連れてこなくてもいいんじゃないかの?』
「たいそうもなにもない、ただのレベル5よ」
ダイサンボクは八重歯をのぞがせて不敵に笑っていた。たった四百年生きてきただけの魔女など赤子も同然なのだろう、あれは年長者が見せる絶対的な自信だ。
栗色の長い髪が淡く光り輝く。土の精霊が、彼女に引き寄せられ淡く発光しているのだ。
契りを交わし魔法を行使できる妖精ですら、ここまではっきりと精霊を見ることはできない。それがいま、万人が可視化できるまでも精霊が集まっているのだ。
『――ふむ? レベル5ですら手を焼いていた半人前以下のおまえさんは、ちょっと見ない間に成長したようじゃな。このまますべてのレベル5の使役に成功さえすればのぉ』
くつくつと喉の奥で笑うダイサンボクの瑠璃色の目に剣呑とした光が宿る。
『私はおまえさんなどにこの子は渡さんよ。この子は私が守ると決めたのじゃ、たとえおまえさんがウン千の魔獣をけしかけてこようとも』
ルーファティの表情に明らかな嫌悪が走る。一瞬の間に色々なことを思い出し、考えてしまったのだろうだろうか、少しだけ間をあけてから絞り出すように声を出した。
「ニンゲンの侵入は災いをもたらす。いいことなんて一つもないのよ、……あなたも分かるでしょう?」
『そりゃの、魔女側に立てばそうなるじゃろうな。領土侵入による物理的損害、魔獣の減少と魔獣への精神的ダメージ、……数えきれないほどの被害を被っておるが、それでも私は人間が嫌いじゃなくてな。人間たちは精霊に優しい者も少なからずいる……』
「そんな大昔の話……」
『大昔の話などではない!』
咆えたダイサンボクの目にかすかな哀愁の色があった。数千年を生きてきた中で同胞の声を聞き、人間が精霊にとってどういう存在なのか、それをよく知っているからこそ反論したのだろう。
『なぜおまえさんがそこまで人間を嫌うのか、理由は深くは知らんし、興味もない。じゃが、少なからず人間のなかに、精霊の声を聞き、精霊を認め、精霊との意思疎通を楽しむ心優しき者がいる限り、私は決して人間を嫌いにならないじゃろう。ルイスは私ら精霊を視て、精霊を認め、精霊を愛することのできる数少ない人間じゃ! 私はどうして、どうして同胞を可愛がってくれる存在を殺すことができよう!』
「だからこそ殺すんでしょ? 精霊を視ることのできる人間の存在……、精霊の力を借り「魔法」という現象を生み出すことのできた人間が母を殺した元凶! そんな人間、世界の災厄にしかならない!」
『よぉ聞けファルベの二世ッ! 魔女の思いと精霊の思いを混同するでないぞ、数が減ったからこそ殺すには惜しいのじゃ! ほとんどの者が精霊を視ることも存在を感じることもできない、こちらは視えているのにあちらからは視えない、同胞の悲しみを和らげたいと思うのは当然じゃろう!』
精霊を視ることができる人間はたくさんいた。精霊は会話を、人間は魔法の行使という恩恵を受け、共存関係にあった。ダイサンボクのように誰でも見られる姿で顕現できる強い精霊は祀り上げられ、それはそれは盛大な祭りが取り行われていたという。
しかしダイサンボクにはダイサンボクの思いがあるように、ルーファティにはルーファティなりに苦い記憶があった。
「ニンゲンなどという存在はすべて、消えてなくなればいい。……母を殺し一族を殺し、《魔女狩り》によってもたらされた災厄をあまつさえ責任転嫁……、自分を正当化し他人を侮辱するこの世で最も忌むべき存在……」
『おまえさん……、一部の人間への憎悪に囚われ過ぎじゃないかの? …………あぁ、なるほど。その杖、想像以上にたっぷりと憎悪を吸い込んでおる……』
一人納得したダイサンボクは『さて』と声音を変える。
さきほどまで密かに集めていた精霊たちの力を手の中に集約し、自身のものと混ぜ込んで一気に解き放つ。そのついで風の魔法で強引にアリエルとシルフィの体を回収し、結界の中に入れる。
『手始めにおまえさんの目を覚まさせてから、その意識を奈落の底に叩き込んでやろうかの。なぁに、魔女の体は不死ではなけれ心臓さえ破壊しなければいくらでも再生する、せいぜい冬期明けまでゆっくり眠っておれ』
針千本、というのがルーファティを囲っている岩槍の数である。磨き上げられた鋭利な先端は、それがただの土の類ではなく金属であることを如実に物語っていた。
「金剛石……」
『この硬度なら、浄化の魔法がなくともおまえさんの結界を破れると思ってな』
言うや否や、一斉に発射される岩槍。猛速球の槍が結界のエネルギーと拮抗し、またははじけ飛んだりする。結界が破れるのも時間の問題であった。
『練りが甘いの、二世よ。おまえさんは昔から魔力の使い方が荒すぎる…………、一世の結界はこんなものではなかったぞ』
その瞬間、ルーファティの赤い瞳がカッと開かれた。よほどの力を込めているのだろうか、杖を握る手が微かに震えている。
不可思議にも、杖が少し肥大化した。
「……ぶな…………私……のことを………………二世と呼ぶな!」
杖から、三本の根が勢いよく飛び出した――――かと思えば、ルーファティの右手に蛇のように絡みつき締め上げる。
同時、物理結界が膨張し金剛石の岩槍を木っ端みじんに粉砕した。
『……ちと言い過ぎたの……』
ダイサンボクがルイスを守るために考えたプランは、主に二つあった。
一つ目は、アリエルがルーファティを口説き落とし――まぁ説得に成功して、彼女がルイスの存在を放置するというもの。魔女の動きさえなければ、ダイサンボクがルイスを守り抜くのは造作もないことである。
二つ目、アリエルが失敗した時だ。ルーファティからルイスを守るためには、彼女を気絶させ、そのうちに記憶を上書き――――つまりルイスの存在をなかったことにするというもの。
後者の目的を達するためにルーファティを煽っていたわけではないのだが――つもりにつもった日頃の鬱憤(無視される、構ってもらえない等)――煽り煽られるという関係の行く末、ついにはルーファティの感情の昂りにベルチェが反応してしまった。
『……杖に意識を持ってかれるぞ!』
ダイサンボクの声は届いていないのか、ルーファティはさらに杖から魔力を引き出した。漆黒の気配……一瞬の静寂ののちに、出来事が二つ同時に起こる。
一つ、魔女の変化を感じ取ったアルセルタが、さらに濃厚な瘴気を吐き出し咆哮をあげる。
二つ、地面が割れ始めた。悲鳴のような重低音の地響きが祠を木霊する。
そして、ようやく意識を取り戻したアリエルが、濃密なエネルギーの中心源にいる少女の存在に気付いた。
『ルゥお姉さま…………!』
『これ、どこへ行く! いま結界の外に出れば、あのエネルギーのまえに押しつぶされるぞ!』
『でも、ルゥお姉さまが!!』
自分が助けなければいけない。アリエルにとってルーファティは優しい姉であり、それでいて一人にしてはいけない存在であった。だからこそ、アリエルは今すぐにでも彼女の傍に行きたかった。
『大人しく……して……――――!』
急襲。突然結界を襲った大きな打撃。
一撃一撃が重く圧し掛かる。牙をむき、憎悪で染まった目が爛々とこちらを――――いやルイスを見ていた。
『アルセルタ……!』
『大丈夫じゃ、この程度の魔獣の攻撃に私の結界が破れるはずはないわい!』
が、ここでさらに精霊の奔流がルーファティを取り囲んだ。エネルギーの流れが、白光の雨のようにダイサンボクの結界一点に注がれる。
ここで結界が壊れれば、アルセルタの発散させている瘴気でルイスは確実に死ぬ。いや、あの猛烈な照射でも――
「……泣いてる…………」
ぼそり、と、ルイスがそう言ったのはそのときだった。




