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016 『怒り』


 童女のような幼さと波乱万丈の人生を生き抜いてきた熟女の色香、という相容れない二つの魅力を同時に併せ持つ少女は、自然と自身の胸を強調するように腕を組みながら、にやりと口角を上げる。

 それはもう、心の底から楽しそうだ。

 対して、驚きのあまりぽかーんと固まる妖精二人。地面に押し付けられていたルイスにいたっては、もう何が何だか分からないといった表情で呆然と少女を見上げている。

 

「喋る仮面が…………女の子になった……」


『精霊の見た目を論ずるのも馬鹿馬鹿しいものじゃが、一応申しておく。精霊は性別を持たない、魔女と違ってな。……人間の女子おなごの容姿は美しい、この姿は大昔に見た人間の娘を真似たものよ』


 言い、土の最高位精霊は尖りのきいた八重歯を覗かせ、ルイスと視線を合わせるように膝を折った。


『ルイスよ。さきほどのおまえさんにした働きかけを詫びよう。痛かったろう?』


「え……っと、大丈夫で……す。僕は…………あの……」


『無理せんでよい。……両親が殺され、助けられたと思ったら……、魔女に殺されそうになる。精霊は出てくるわ、その精霊にまた殺されそうになるわ、変なことを言われるわで、災難続きじゃったな?』


 シニカルに笑うダイサンボクは、優しい手つきでルイスの髪を撫でた。愛おしそうに、壊れ物を扱うように撫でるその姿は、まさしく恋人にする愛撫と一緒。

 人のぬくもり、温かさを再び触れたルイスは、目に熱いものが浮かんできそうになるのを必死に堪えた。

 意地、というやつである。


『おまえさんは私が守る。例え相手が魔女であっても、猛り狂う魔獣どもであったとしても、私が守ってやろう。安心して私に身を預けるがよい』


 やっと手に入れた安息の地を放すまいとギュッと手を握った。


『――……結界を張ろう。……魔女が来た』


 




 



 


 大岩の裏でダイサンボクとルイスが結界を張って待機。アリエルと祠の真ん中に立ち、シルフィは離れたところからそれを見守る。


『アリエルさんは説得を頑張ってと言いたいところだけど、魔女様を怒らせて八つ裂きにされたら元も子もないからサ、そのところを見極めてね』


『ルゥお姉さまはそんな酷いことはしないです!』


『まぁ僕もそれを願ってるサ』


 そんな軽口を叩ける余裕がある。逆に言えば、この程度の余裕しかない。

 あれだけルーファティを説得できると啖呵をきっていたアリエルは、どうしようもない不安に駆られていた。他愛もない姉妹喧嘩なのだからすぐ仲直りできると思っていても、やっぱり不安なのだ。本当に仲直りできるのか、ルイスを殺さないよう説得できるのか。


 説得といえるような文章を考えているわけではない。思ったことをぶつければ、きっとあの優しい少女なら分かってくれる。そんな希望だけがアリエルをこの場所に立たせていた。

 

願うように、祈るように、アリエルが手を組む。

  

『アリエルは負けないです。ルイスを守ります。守りたいんです。ルゥお姉さまならきっと、分かってくれます』


 ――ぞくり。

 アリエルの背中の粟立ちが如実に恐怖を示す。指先からすぅと血の気がなくなっていく感覚。

 すべてのものを拒絶するような圧倒的な存在感が、祠の入り口辺りから流れ込んでくる。まるで瘴気のように、地獄の底から這いあがる負の気配。

 ぬらり……。向こうの薄闇から白雪の輝きが姿を現す。

 赤いトルマリンの瞳が、決して本人のものでない瘴気の黒光によって微妙に色を変化させながら妖しく輝いていた。

 

 アリエルは、この感覚に覚えがあった。

 まだまだ余寒の厳しい冬期明けの、細氷舞う夜明けのなか見た純白の輝き。薄く差し込む陽光を探すように、薄闇のなかでその美しく整った顔は上を見ていた。

 あれが、世界で一番美しい一族——《魔女》。

 しかし想像とは真逆。精霊に最も愛される一族として認知していたアリエルにとっては、もっと可憐で愛らしい存在とばかり思っていたから。

 その純白の輝きは、少女の仄昏い赤い瞳の印象によって上書きされ、周りに鋭利な存在感を発している。凍てついた氷の少女、というのがアリエルがルーファティを初めて見た印象だった。


 あのときの感覚、いやそれ以上の圧倒的な気配を彼女は放っている。

 

『…………あの二世、私の杖をまた勝手に……』


 声が出せないでいるアリエルのかわりに、ダイサンボクが低く唸った。先ほどルイスを見つめていた慈愛など一切感じさせない、厳しい声であった。

 ぴくりとそれに反応したのはルーファティ。彼女からはアリエルとシルフィしか見えていないはずだが、大岩の裏で擬態結界を張る土の最高位精霊に気付いている様子だった。


「あいにく、魔女の私物は代々の魔女を世襲した者が適格者。作り手があなたであれど、この杖がとんでもなく好き嫌いが激しいカタブツ物であれど、ベルチェが私の物であることには変わりはない……」


 大岩の向こうにいる精霊を一瞥したあと、ルーファティはアリエルを見つめて、


「心配しなくとも、アルセルタには私の命令以外で動けないよう調教したから、襲い掛かることはないわ……」


 アリエルは思わず、その氷の視線から外れたくて、体をよじらせた。その行為の意味に気付いたルーファティがそっと眉を寄せるが……すぐ元に戻す。白い息を吐きだした。

 

「さっき考えていたのよ、魔女の仕事とは何か、ニンゲンとは何か、とね……。魔女の仕事はもちろん、ノアを守ること、精霊を統括すること、……魔獣を管理すること。……ニンゲンは……、まぁ言うまでもないかしら。考えて考えて考えてみた結果、やっぱり私は向こうにいるニンゲンを殺すことにした」


『ま、待ってください! 確かに天樹海にニンゲンを入れてはいけないというルールがありますが、この子は……、あの子を引き入れたのはアリエルです! ……あの子は何も悪くありません、殺さないであげてください!』


 そうだ。ルイスは何も悪いことはしていない。

 それにアリエルは、ルイスと約束した。『君を守る』と。その約束は破りたくない。約束は大事なものだから。

 その思いを伝えれば、きっと――


「――無理よ」


 単純明快、単刀直入。たった二文字の熟語で示される拒否の態度。いや言葉だけでない、その瞳からありありと感じられる拒絶の視線がアリエルには怖かった。

 

「あなたも感じたはずよ、魔獣の陰湿な憎悪を。……彼らは虎視眈々とあのニンゲンを狙っている。いまこの果樹園の周りは、すでに魔獣によって囲まれているわ。……彼らの怒りを収めるためには、そのニンゲンを殺すしかない」


『そ……んな…………』


 果樹園の奥にある祠のなかは、果樹園の周りに張り巡らせた結界石とは別の、上位的な結界石を展開している。そのため、ルーファティが何らかの方法で引き入れたアルセルタを除き、この祠には魔獣が入ってくることはできない。籠城と同義である。逆にいえば一度この地に入ってしまったが故に、もう外に出ることはできない。


「外に出れば魔獣の格好の餌食。いまは冬期だから少ないだろうけど……冬期が明けて活動期になれば、ニンゲンの臭いを嗅ぎつけた魔獣でこの果樹園は取り囲まれ、やがて結界石自体が破られることになりかねない。どちらにせよ、そのニンゲンは死ぬ運命にある。……ならいっそ、今のうちに殺した方が都合がいいの」


『だからって、この子は何もしていません! 何も悪いことは、してないんです。……本当に、だから……この子の傷を治してあげたいんです』


「どうして? そのニンゲンのどこにそんな価値があるの? 無価値だけじゃない、ニンゲンは生きているだけで有罪ともいえる」


 ルーファティのニンゲン嫌いは今に始まったことではなく、アリエルもそのことについて深く言及したことはなかった。しかしこれほど憎悪を込めた言葉で吐き捨てられれば、あの日と同じように委縮してしまうのはアリエルの方で。

 百年を費やしてできた心地よい距離感が、あっという間に崩れ去っていきそうで。

 説得する側が圧倒されているという関係が出来上がり、その場に嫌な沈黙が訪れた。


『なんで…………』


 アリエルが涙を流す。

 気付いたころには涙はとまらなくなっていて、どうしようもなくなっていた。ぬぐってもぬぐっても、熱い液体が頬を流れていく。

 何の涙か分からなかった。ルイスを救えない涙なのか、目の前にいる少女が手に届かないところへ行ってしまう恐怖からなのか。

 感情がとけあいぐっちゃぐちゃになってて、いつのまにか涙が流れてて……。


 微かに、ルーファティの柳眉がぴくりと動いたと思った刹那の瞬間。

 疾風が空気を震わし、遅れて無数の衝撃音が爆裂する。発生源は立て続けにルーファティの前方、後方を狙った火の魔法、爆焔の塊だ。比較的この地では数の少ない火の精霊の力を借り、ここまで大きくできる妖精族はここにはシルフィしかいない。

 ルーファティは微動だにせず物理結界で防ぎ、憤怒を隠そうとしないシルフィを一瞥した。


「私、何かあなたに不利益なことでも言ったかしら?」


『言ったね。僕はいま、ものすごく魔女様のことが腹立たしくて仕方ない』


 次いで、魔法を放つことをやめたシルフィは、怒気のこもった声でまくし立てる。最後はかなり荒々しいものだった。


『自分のふがいなさを他人に押し付けるのはやめていただきたいのだね! さっきの言い方じゃまるで、魔獣たちを抑えるにはルイスを殺すしかないと言ってるようにしか聞こえないのサ、虫唾が走る』


「否定はしない。けれど、《示録》にはちゃんとニンゲンの立ち入りを禁じると書かれている。私はそれに従わなければならない」


『禁じると書かれてあっても万死に値するなどという表現はあるのかい?』


「…………書かれていないわ」


『なら僕の言い分は筋が通るね。僕の腹立ちは先ほどの点ともう一つ、アリエルさんを再び泣かせたことだッ!!』


 ひらめく火炎の一筋が迸り、一直線にルーファティを襲う。半ば手前、濃密度に凝縮された物理結界が展開され、なすすべもなく四散。しかしシルフィはもうもうとあがる白煙のなか体を突っ込ませ、疾風のごとき勢いで拳を振り下ろしにかかる。

 物理結界はおそろしく魔力の消耗する結界だ。監獄結界の常時展開のさなか、いくら万能の杖があるとはいえ魔力の無駄遣いはしたくないはずとシルフィは判断し、物理結界の薄い部分……側面を狙う。 


 どすんっ、という衝撃。しかしこれは、結界に拳をあてた衝撃波ではなかった。

 シルフィの拳を受け止めた太い腕、そして逆立つ剛毛。


『背後にいた魔獣……っ!』


「アルセルタよ。名前は覚えておいて」


 アルセルタの打ち出しによって大きく後方に吹き飛ばされるシルフィ。それでも当代の村長を受け継いでいるだけはある。地面に叩き付けられたあと、地面すれすれに浄化の魔法を放つ。

 

『 Wir bete dem Xes arlo,...eine hute jim,Hexe verteidien eine Hazt 』


 美しい旋律が負の気配を払うよう弾けながら、蒼い光がアルセルタに迫った。


 




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