015 『這いつくばった執念』
ルイスがどういう経緯でここに来たのか、アリエルは事細かに説明しダイサンボクに協力を求めた。
その際、ふざける者は誰もいない。あれほど「お面さんどこから声を出してるんですか」と質問攻めしていたルイスでさえ、うつむき加減で動向を見守っている。
『話し合いするのはよいことじゃ。あとは、あの二世がそれを受け入れてくれるかどうかじゃが。……あやつは一世に比べてかなり、いやものすごーく捻くれておるからの。特に自分が一度言った言葉は中々曲げん。自尊心の塊のようなやつじゃ』
『そういえば……、ファルベとか……、二世とかってなんですか? 新たな愛称ですか? 愛称ならもっと可愛い名前があるんじゃないですかね。せっかくアリエルがルゥお姉さまって言ってるのに。ルゥちゃん、可愛くないですか?』
ダイサンボクの喋る内容に疑問符を浮かべたアリエルに、ダイサンボクは再びカカッと口を震わせた。
『そのことじゃがな、初めてあやつが私のところに、おまえさんのことを報告しに来たときは、そりゃ…………いま思い出しただけでも大笑いじゃよ。あのときの緊張したファルベんとこの二世の、真っ赤な顔ときたら………はぁ、笑えるのぉ』
『もう、アリエルの知らない話題を出さないでください! で、ファルベってなんなんですか?』
ルーファティとの付き合いが長いのは自分であると自負していたアリエルは、自分の知らない彼女の一面が最高位精霊から語られるのを我慢できず、拗ねたように口をとがらせた。
事実、アリエルはルーファティのことは自分が一番よく分かっていると自信があった。シルフィは今日が初対面、ギャレオは今までずっと仲が悪かったとなれば、アリエルが一番彼女と過ごした時間が長いということになる。
しかしそれでもたった百年。それより昔のことは、アリエルでもほとんど知らない。
『おまえさん、なぜギャレオの命令でファルベんとこの二世の世話役を仰せつかったのか、理由は聞いておるか?』
無機物の木の面のはずなのに、なぜか剣呑とした輝きを持っているような気がする。
未知なる怯えを感じたのか、アリエルはぶるりと体と翅を震わせた。
『おじじがルゥお姉さまのことを心配していたからだとアリエルは思っています。おじじも、普段の様子などを聞きたがっていましたから。ちゃんとご飯は食べているか、髪の毛はといでいるか、お腹を出して寝ていないか、とか……』
『あながち間違ってはおるまいな。ギャレオの奴も面白いくらい過保護じゃったからて。……まぁ、その行き過ぎた過保護が今の二世を作り上げたのじゃが……。――っと、悪い、毎日暇しとるとな、つい昔の話をしたくなるんじゃよ。ええと……、そうじゃ「ファルベ」の説明か』
脇道逸れ道。様々なところを巡って帰って来た話の起点に、ダイサンボクは近くにあった小さな酒樽を宙に浮かせると、がばばと口の中に流し込んだ。
あの口の中に入っていく葡萄酒はいったいどこへいくのだろうか。そんな疑念も、次のダイサンボクの言葉で吹き飛んだ。
『名前じゃよ。ミドルネームとも言ったかな? あやつの母親——ミルフィが一世、ルーファは二世じゃ。……ん? 巨大サナギの羽化場面を目撃したようなあんぐりとしたその顔はなんじゃ? 私の説明、なんか間違ってるか?』
『驚くのもなにも、ルゥお姉さまにそんな名前があったなんて知らないですよ!』
『そんな馬鹿げた話があるか。おまえさん、100年もの付き合いなんじゃろう? どこかで聞いて、忘れとるんじゃないか』
そう。100年も長い付き合いをしておきながら、アリエルはルーファティのほとんどを知らない。
驚きを隠せそうもないアリエルを横目に流したダイサンボクは小さく嘆息。『あやつ、秘密主義過ぎるじゃろうて』と、ここにはいない白雪の髪を持つ少女の姿を思い出しながら、空になった酒樽を大岩の裏にポイと投げ捨てる。
『まぁ名前はともかく……じゃ。話を戻すぞ。……あやつはとにかく頑固じゃ。ギャレオと同等以上に頑固じゃ。自分の言ったことは曲げん、説き伏せるのは相当な粘り強さがいるぞ。それか、二世のルイスへの認識を根本から改めさせる何かがない限り、やつの信念は変わらない。魔女の仕事、人間を排除することを優先するじゃろう』
『そこで、ダイサンボク様には、この子を……ルイスを結界で守ってほしいのです』
シルフィがすかさず口をはさみ、頭をさげる。いつものシルフィならこんなことで頭は下げない。これは本当に、アリエルのことを思ってやっているのだろう。彼に散々の愚痴やら面倒事を押し付けている土の最高位精霊様は、その光景を見てひゅーと口笛を吹いた。
『シルフィがそんな誠心誠意頭を下げてくれるとは……、いやぁ、私泣いちゃう』
『……変なこと言わないでください』
『ダイサンボク様って泣くんですね……。しょっぱいんでしょうか、それとも辛いんでしょうか』
「お面の涙…………青いのかな」
おのおの、ダイサンボクの涙に対する評価と妄想を繰り広げたところで。
ダイサンボクがその態度を引き締めたものに変えた。少女らしい声で、それでいて威厳深く低めながら言う。
『人間も魔女も、精霊にとっちゃ大差ない存在じゃな。人間も魔女も精霊を消費して生きている。人間だけじゃない、この世界に生きるすべての生き物は精霊ナシじゃ生きてけないね。精霊は世界の元素だ。元がなきゃ水も緑も空気も維持できない。じゃから、私は人間に対して特別な悪意を持つことはないの』
『じゃあ、了承してくれるんですね!?』
『――でも』
ここからの否定語。アリエルからすっと歓喜の表情が消えるが、その言葉一言一句聞き逃さまいと精神を集中させている。さきほどルイスを守ると固く決心したのだ。たとえどんな言葉が出ようとも、ダイサンボクの協力を仰がなければならい。論破しなくては、とアリエルは集中力を高めていた。
『精霊は限りなくすべての者に平等じゃが、魔女っていう存在だけはべつもんなんじゃな。魔女はこの世界で最も精霊の扱いに長ける……すなわち、精霊を導く者じゃ。精霊はかなり寂しがり屋のくせして、ほとんどの生物には見ることができない存在。魔女がいなきゃ、精霊が全滅するような事が起きかねないじゃ』
『つまり、協力しないと?』
膝の上で拳を作ったアリエルは、その勢いのまま立ち上がり、思いつく限りの言葉を並べ立てようとして――
ダイサンボクが、俯いて表情を窺うことができない幼い少年、ルイスを見ていることに気付いた。
『して、ここからが本題じゃ。こちとて、特別あの小生意気なガキ娘にどっぷり肩入れしとるわけじゃないからの。精霊はすべての生き物に平等じゃ。じゃから、そなたの口からでる言葉から、強い意思を感じたい。この土の最高位精霊を動かすだけの、な』
「意思?」
まるで初めて口にする単語のように、ルイスが言葉を舌の上で転がした。意味を咀嚼するのにうんと時間がかかり、いつのまにか不思議な顔をした木のお面がすぐそばに迫っていた。
『私はさきほどから、アリエルやシルフィの口からしか望みを聞いとらん。当の本人を差し置いて話は進められんじゃろう……したがって、そなたはどうしたい、少年よ』
「僕は……」
ルイスはしばらく俯いていた。幼い少年に言葉を並べあげ、理路整然と物を言う能力が備わっているわけがない。必死に単語なりなんなりかき集めて、心の中で奮闘しているのだろうか、膝の上の拳が微かに震えていた。
「僕は、……死んでもいいと思ってた。だって……、もう父さんも母さんもいない……。この世界に、僕の居場所はない……、《忌み子》なんて言われて、視えないものが視える……って、殴られて……痛くて痛くて、苦しくて……」
『深くは聞かん、続けよ』
魔獣によって噛み殺された死体。恐怖で歪んだ顔と猛烈な臭いを思い出すと、胃の中身がのどもとまでせり上がってきそう。嘔吐感にさいなまれながらも、苦痛に顔をゆがませながらも、ルイスはつづけた。
「でも、なんか……アリエルと一緒にいたい。アリエルは優しいし、一緒にいて楽しい。シルフィはアレでも、僕のこと考えてくれてる……。……に……たく…ない」
最後にポツリとこぼした台詞が引き金にでもなったのだろうか。ほんのわずか、精霊にとっては瞬きの間に生まれ老いて死んでいく人間の、たった一人の少年の吐露。
目をぎゅぅと強く瞑っているのは、きっと涙を流したくないため。
「……死にたくない……死にたくないよ……っ。僕はまだ、死にたくなんてないっ」
『なぜ死にたくないんじゃ? さきほどおまえさんは言うたな、《忌み子》と蔑まれ……暴力を振るわれた、と。ならこんな世界とおさらばしたいとは思わなんだのか? 現世と肉体から離脱し、死後の……あっちに行きたいとは思わないのじゃな?』
「……分かんない。分かんないよ……、でも死にたくなんてない!」
『ならその分からないなら分からないなりに、血反吐と涙を流しながら這いつくばって無様な姿を見せろ。浅ましい動物の、生への執着をこの私に見せろ。……貴様ら下等生物に我が同胞たちの気持ちなぞ分かるまい……、昔はあれだけの人間が同胞たちに寄り添い、言葉を交わしていたというのに…………、今やその寄り添いの思いすらも消えただ当り前のように同胞たちを侮蔑し消費させていくのじゃ……』
悲哀に満ちた言葉を絞り出すように吐き出し、前半の言葉――ルイスを「無様な姿」にするべく、ダイサンボクは自身の膨大な力によって少年を地面にのめり込ませた。めしめしと円環状に地面が割れ、周囲に圧倒的なプレッシャーをまき散らし波動を伝える。
『言え、人間。死にたくないと。……生への執着のない我が同胞たちに、その無様な現世への妄執を見せろ』
「……に……たくない。……死にたくない……! 死にたくない!!」
ほんの数ミリ顔をあげ、口の中の土と昂る感情を吐き出すように叫ぶ。言わなくてはこの圧倒的な高位存在に殺されてしまうという恐怖が打ち勝ち、ルイスの口を動かしていた。疑念など、吹き飛んでいた。
「死にたくない! 僕はまだ、死にたくなんかない!」
『その感情、そのエネルギー、その意思こそが我々精霊がもっとも惹かれるもの。今までは魔女こそが我らにとって絶対的な導き手じゃったが、おまえさんはどうやら『視えて』いるらしいからの、魔女の足元くらいまでは這い上がれるか? ……どうじゃ? もしこれからもこの天樹海で暮らし、私のもとにおるのなら、私はおまえさんに協力しようじゃないか』
一呼吸の間。ルイスにとってはこの一瞬でさえ、耐えがたい苦痛であった。
『……少年、生きたければ態度で示せ。この土の最高位精霊、ダイサンボクの傍に死ぬまでおれ。じゃなければ、魔女が来る前に私が貴様を殺す。純血の帝国人の瑞々しい体……死体ですらその悪臭を嗅ぎつけた魔獣どもを昂らせ狂気に落とし込むじゃろうな……』
「死にたく、ない。死にたくない、死にたくない、死にたくないっ!!」
ぶわぁんと、新たな衝撃波が空気を揺らし精霊たちを驚かせた。
顔を上げ、目を見開いたルイスの表情には、すでに自殺願望や生への恐怖心など微塵たりとも感じられなかった。ただそこにあるのは無様なまでも動物の本能。生きることへの欲求。
他人から見れば浅ましいと言われる行為でも、土の最高位精霊はその行為を、まるで愛おしいものをみるように目を細めて見ていた。
精霊には感情がない。消滅する、誕生する、この二つの行為を繰り返しているだけ。
『……聞き届けた。私が貴様の生への執念、叶えてやろう。……まずなにより、ファルベの二世がどう思おうとも……私は、こんな貴重な人間を最初から無下にはしとうないわ……』
そっと呟いたのと同時に、ダイサンボクの木の仮面が眩い光に包まれた。
光が、形を作り出す。
ルイスの目に飛び込んできたのは、まずその美しい栗色の髪であった。
瑠璃色のまん丸い瞳にはどこか悪戯好きを思わせる輝き。童女も思わせる顔とは対照的に、滑らかな曲線をえがく肢体は女性らしい艶っぽさのある体つきで、思わずルイスも見惚れてしまうほど。
この少女が誰なのか、顔に似合わず古臭い喋り方を聞くまで誰も分からなかった。
『ふむ、この姿をとったのは久しぶりじゃの。視線は高いし、跳び膝蹴りを安易にされることもないし、なにより酒が格別に美味に感じるの』
土の最高位精霊ダイサンボクは、名前からも喋り方からも想像できないような少女にその姿を変えて見せた。