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011 『ニンゲンの子ども』

 

『昔は頭にすぐ血が上るタイプじゃったから分からなかったがの、いまようやく分かった。年をとるのも案外悪ぅない。……おぬしの言いたいことは分かったから、おぬしはそのままでよい。儂が変わろう』


 目を見開く事実があった。ジジイは背中に括りつけていたらしい、ボロボロの羊皮紙を取り出したのだ。あれは、たぶん母の遺言。戦争のさなか、死ぬ決心とともに書き留めたジジイへの手紙だ。

 ジジイの小さくて、しわくちゃで骨ばったその手が、羊皮紙を破りさった。

 古くなったせいか破く音がとても低い。

 

『この程度でおぬしの気持ちが晴れるとは思わん。ただ、儂はおぬしに謝りたい。儂は確かに、おぬしのなかのミルフィを見ていた。そして謝罪を繰り返した。そのせいでおぬしが辛い思いをしているとは知らずに……、いや、違うな。知っておった、知っていてあえて見ないふりをしていたのじゃ。だから、本当に…………すまんことをした』


 あれだけ大切にしていた母からの遺言を破り去り、あまつさえ膝を折り曲げ額を地面にこすりつけている。骨と皮しかない。このヒトの体ってこんなに小さかったかと、そんな思いを覚える。


「……別に、私は…………、謝ってほしかったわけじゃない」


 これがただの演技ならば、もっと強く言い返せたのかもしれない。

 謝ってほしかったわけじゃない。でもいま、ジジイが謝罪をしているのは私なんだ。私の存在がいま彼のなかに生まれたことが素直に嬉しい。


『――これで、二人ともハッピーですかね?』


『いや、まだ魔女様が号泣する場面には至っていないサ。ここは場の雰囲気を盛り上げるために音楽でも流した方がいいんじゃないかな。ほら、僕がオカリナでも吹くよ。アリエルさんは歌うといいのサ』


『とても良い考えですね、やりましょう!』


 ――そうか、やっぱり、アリエルの仕業か。

 私の性格の捻じ曲がり方はそう簡単に治るものではなく、この程度のことで感動を覚えるはずがない。その心の捩じれを少しずつ修復してくれたのは、アリエルだ。

 なんだかんだいって、私とジジイの仲を何とか修復したいと思っていてくれたのだ。


「……お二人さん、バレてるわよ」


『ふにゅ!? どどどどどうしてバレたんでしょう!? 息をひそめてこっそり見守っていたはずなんですけど!?』


「腹黒天然妖精の声なんて百メートル離れてても耳に入るし、気配くらい分かるし、ちょっと見えてるし」


『そ、そうなんですか!?』


『僕もアリエルさんの声ならたとえ水の中でも聞こえると思う』


『ふぇえ~!』


 ぎりぎり通路から顔を出すアリエルとシルフィ。まんまと私をはめてくれたアリエルは、私の顔を見て満面の笑みを浮かべた。

 ――やっぱり黒い。


「台本は終わった?」


『はい! あ、違う、まだルゥお姉さまの仲直りの握手を見てません。あと涙も!』


「ふんっ、……私がこれしきのことで泣くと思って? 握手をするつもりもないわ。握手をすると、まるで私が悪いみたいじゃないの。ここはジジイを顎で使うために、そういう馴れ馴れしいことはしない方がいいのよ」


『ほらアリエルさん、やっぱり歌った方がいいのサ。僕、いまオカリナ持ってるから』


『そうですね! いきますよぉ、せぇ~のぉ!!』


「やめなさい二人とも!」


 どうあれ、これがアリエルが作り上げた台本なら、私とジジイとの茶番劇は終了なはず。

 私がジジイの部屋に来た二つ目の理由を、ここで遂行せねばなるまい。







「さて、…………問題はアリエルとシルフィの後ろにいるソレね」


 この感動の場面、とよべるのかどうかはともかく、この台本を考えてくれたアリエルには非常に申し訳ない思いだ。でも感情と仕事は別物として扱わなければならない。

 ここでは、私情を捨てよう。


『う、ううう後ろ!? 後ろには、誰も、いま、せん、よ!?』


 アリエルが必死に手を伸ばしているが、私は視覚情報としてソレを捉えているのではない。鼻をつく、いや脳を酔わせるような悪臭の塊。例え十キロ離れていたとしても分かる悪質な気配。

 アリエルとシルフィがこの場を離れるきっかけとなった声の持ち主が、通路の向こうに見える部屋のなかにいる。

 

「アリエル、そこ退いて」


 できるだけ穏便に済ませたいところだが、アリエルはより一層腕を大きく開いて私の前に立ちふさがる。目にはすでに涙になりかけの液体が溜まっており、瞬きしたら流れていきそうだ。


『退きません。アリエルは、絶対に退きません。例えルゥお姉さまのお願いでも、これは譲れません……!』


「退いて」


『絶対に嫌です!』


 いやいやするように首をふると、涙がこぼれ落ちていった。震える肩が、涙を流す瞳が、その先にいるはずの存在を守ろうと叫んでいた

 私はそれを、踏みにじらなければならない。


「退きなさいアリエル」


『退きません、アリエルは……、あの子を悪い子だと思いません! それに、体の傷も心の傷もまだ治ってません!! だから絶対に、退きませんっっ!!』


「……私に妖精の慣習に従う義理はない。あなたがどう思おうが、私は自分の役目を果たすまで」


『嫌です、嫌です、嫌ですっ! アリエルは……ここから、一歩も動きません!!』


「……退かないなら」


 風の魔法。通路の向こうにある扉を開き、部屋のなかにいる体温ある生命を見つける。

 小さな顔だ。風で撫でつけ、不思議に思ったのかソレが手を伸してきて――


「無理やり引きずり出すまで」


 扉が開き、いっそうの悪臭とともにソレが姿を現す。

 幼さを残す顔立ちだ。純帝国人の証である黒髪黒目で、服装は貧相さがうかがえる麻製のズボンとV字のシャツ。顔に大きな痣、右腹の傷跡、かさぶたを重ねた足に、ところどころに糸のほつれと、血と泥を洗い流したような跡があるのを見ると、間違いなくこの少年がアリエルがハイエナから助けたというニンゲン。長年の経験と知識を照らし合わせてみると、十一歳かそこらだと思われる。

 怯えをみせながら、ただ私のことを凝視していた。 


「コレは何?」


『……人です。男の子です。……アリエルが助けました』


「なぜ嘘吐いたの? あなた、もう人の村に運んだって言ってたじゃない? それとも、私がどれだけニンゲンが嫌いか知らなかったとでも言うつもりかしら」


『嘘を吐いたのは、ごめんなさい……です』


 私がニンゲンを嫌っているのは、ずっと昔から言っていたはずだ。これはジジイとの他愛もない喧嘩とは次元が違う話。なぜアリエルは樹海内にニンゲンを入れたのか。

 まぐれでも天樹海に入ってきたニンゲンをどうしてきたか、アリエルは充分に知っているはずなのに。


『でも、この子があまりにも怯えていたし、体の傷がまだ完治していなかったし、それに…………おじじと仲直りしたあとでなら、この子と……』


 なるほど。言いたいことはよく分かった。アリエルらしい、腹黒なのに性格が良すぎるという矛盾を抱えた妖精らしい発想だ。


「……仲良くできるとでも? 私のニンゲン嫌いが直るとでも? ………………無理ね」


『る、ルゥお姉さま!』


「さっき私は言ったわね。もし樹海内でニンゲンを、私が発見した場合は……私が手を下すって」


『……やめて……ルゥお姉さまっ!!』


 アリエルが飛び、私とニンゲンの間に割って入る。

 そんなことしても意味ないのに。


「――――――死んで」


 拳をぎゅっと作る。風の魔法により締め付けで、少年の喉が圧迫されていく。

 これだけだ。これだけでニンゲンは簡単に死んでしまう。腹を抉られても死ぬ、水の中で死ぬ、血を失って死ぬ。簡単なものだ。簡単に死んでしまう。

 ただ、なぜだろうか分からないけれど、さっきまで怯えていたはずの少年が、少しだけ、笑っているような気がした。

 あと少しで、あの少年は完全に意識を失う――


『――おっと、それ以上アリエルさんを泣かせるのなら、僕は相手が例え魔女様であっても邪魔するね』


 拳が熱い。皮膚がただれ、肉が焼ける臭いが鼻腔をくすぐる。

 私の拳から噴きあがる蒼色の炎。小さいが、先ほど見たアリエルのものより遥かに強力なものだ。ジジイから村長の代を引き継いだだけはある。


『僕も魔女相手に浄化の魔法を放ったのは初めてなのサ。なるほど、どうやら僕なら多少なりとも魔女の内部をとかすことができるらしい』


 浄化の魔法による激痛のせいか、魔法が切れて少年が力なく地面に落下した。あえいでいるのを見ると、まだ窒息していなかったらしい。――――この少年を殺せなかったことを後悔すべきだったのかは、後々になっても分からなかった。

 ともあれ。

 木のお面を撫でつけているシルフィが、六枚の翅を動かして私の眼前に立った。


「さっき、魔女を敵に回す勇気はないとか言ってなかった? あれは妖精お得意のハッタリだったのかしら」

 

『違うよ。何たって相手は魔女様、魔獣の頂点に君臨する化け物サね。例えここにいる妖精全員が立ち上がったところで、魔女様の瘴気にあてられれば一瞬で全滅サ。でも魔女様、あなたは決して瘴気を出さない。瘴気さえなければ、この攻撃を止めてあの子を逃がす時間くらい作れるのだね』


「お人好し妖精ならではの発想ね」


 蒼い炎を手を振る動作で吹き飛ばす。ただれている皮を何気なく舐めてみたが、何とも言い難い味がして思わず顔をしかめた。


「あなたには何の関係もない子でしょ? 助ける理由があるの?」


『ないサ。でも、アリエルさんがこの子は悪い子ではないと判断した。傷が治るまでここにいても、害はないと。なら僕はそれを信じるサ』


「そう……」


 再び右手の甲に視線をうつす。赤と紫がまじったような爛れ皮が徐々に灰となり、その上に新しい皮が生成されてみるみるうちに火傷をなかったことにしていく。


『怖いね。なんでそんなすぐ治るのサ』


「その気になれば腕一本切り落としても数十秒で再生させられるわよ。疲れるけどね」


『ますます化け物みたいなのサ……』


 呟きと同時に、シルフィの姿が消える。そう見えるだけだ。世界最高のスピードを誇る妖精族の速さは、目で追うことなど不可能だと言われている。


『結界……!』


「瘴気さえ出さなければ、という認識は……やめておいたほうがいいわね。あなたのためにならない」


 空中で停止する拳。阻んだのは可視化できるまでエネルギーを凝縮した、物理結界だ。


「確かに魔女が一番得意な瘴気結界を出さないのは、あなたにとって有利だけど、魔女が魔女であるための最低条件は、瘴気と監獄と物理の結界を操れること。瘴気だけで、魔女をやってると思わないで」


 妖精は怪力で有名だが、それでも体が小さすぎる。もともと体が大きいうえに怪力であるアルセルタなどとは威力が違う。妖精はスピードと怪力と集団戦法で相手を翻弄する種族だ。私のように、ただ立って結界を張る魔女とは最悪に相性が悪い。

 シルフィは飛びずさり、そして今度は四方八方をがむしゃらに飛び始めた。


『いいのサね。アリエルさんはとっくの昔にあの子を運んで行った。あとはできるだけ遠くに行かせるために時間稼ぎをするだけサ。それに、魔女様だって本気じゃなかったのだね。本気であの子を殺そうとしたのなら、岩で串刺しにすればよかったのサ』


「詭弁ね。面白い想像だわ」


『僕もそれのおかげで止めに入れたのだから良かったのサ。まぁ、殺そうとしたのは本気かもしれないのだね。これは僕の想像なんだけどサ、アリエルさんの前では殺したくないのかな? それとも、あの少年に何か特別なものでも感じったのかな?』


「…………」


 風でシルフィを吹き飛ばすことによって返答。


『アリエルさんは今でも、あなたは人間を殺すことはないと思っているようだからサ。そんな心の中の像を壊したくなかった、っていうのが本音かもしれないのだね』


「……戯言を」


 シルフィの素早い攻撃はすべて結界で弾いている。その際に彼が喋るのは、本当に時間稼ぎのためだろう。あの速さで口を動かせるなんて器用な奴だ。


『さて、もう時間稼ぎはいいかな。魔女様もやる気はないみたいだし、僕はそろそろアリエルさんを追いかけるとするサ。魔女様、また妖精の村に来てくださいね。僕は大歓迎するよ、のサ』


 風の香りとともに妖精が姿を消す。たぶんアリエルを追いかけたのだろう。

 私がいまから追っても、妖精族のスピードに追い付けるはずがない。アリエルとの追いかけっこで勝った例がないのだ。少年を抱えているので、いくらか減速しているはずだけど。

 そう考えても、私はすぐ追いかけることはしなかった。

 一つ目の理由は、どれほど巧妙に隠れようともニンゲンを探すのは簡単だということ。

 二つ目の理由は、今まさにこの状況を見て何も口出ししなかったジジイに話しかけたいがためだ。


「ねぇジジイ」


 床に落ちていたちぎれた包帯の端くれを拾いながら、ジジイに話しかける。 


「あのニンゲンの子ども、なんで崖近くにいたんだと思う?」


 崖の近くははぐれ魔獣が出没する。そんなのニンゲンは周知の事実だ。大昔の馬鹿げた討伐隊のようなことがない限り、ニンゲンの子どもがあんなところに近づくことはまずない。

 

『いろいろあるじゃろう。家族そろって一攫千金、魔獣の牙や肉。自殺するためだけに崖に近づくものもおるし、好奇心や探求心でやってくる馬鹿共をおる。アリエルの話では、あの子どもは両親を魔獣に殺されたそうじゃな、近くに転がっていたらしい』


「……心中か」


『その可能性は充分にあるのぉ』


 魔獣の瘴気にあてられたか、噛み殺されたか――たぶん両方だろうが、一家心中なんていかにもニンゲンが考えそうな傲慢さだ。命をなんだと思っている。


『……なんにせよ、あのニンゲンを生かせてしまったことが事実じゃ。どうするんじゃ? アリエルから奪ってその場で殺すのか?』


「…………何とかする」


 何とか、ってどうするんだろう。自分で言っておきながら、考えがまとまっていないことに気付いて、笑いそうになる。

 今すぐ追いかけてあのニンゲンの首を吹き飛ばすのが手っ取り早いだろう。《示録全書》には、天樹海に一切のニンゲンの立ち入りを禁ずると明記されている。それが破られると、大いなる災いをもたらすと。400年前も、生きたニンゲンの立ち入りを許してしまったから、あんな戦争が起きてしまったのだ。


「あのニンゲンに、名前はあるの?」


『そうじゃな。……儂が見たときはずっと気を失ったままじゃったが…名前は確か、…………ルイス、じゃったかな。家名はないじゃろう』


「ルイス……」


 舌の上でその音を発音する。二回ほど繰り返して、きゅっと拳を握る。


『ルーファティ』


 いきなり名前を呼ばれ、思わず振り返る。ジジイのゴマ粒じみた瞳が、まっすぐ私を射ていた。


『冬眠前じゃろう? ベルチェを持っていけ、何が起きてもそれでだいたいは何とかなる』


「……杖の必要性はあまり感じないけど」


『生きたニンゲンが樹海内におる時点で、もう何が起きてもおかしくないんじゃ』


「…………。そうね、その通りだわ。ちゃんとベルチェを持ってく」


『無理はするじゃないぞ。おぬしは未だに心が不安定なところがあるからの』


「分かった」


 そう言って、ジジイの部屋を後にした。

 

 精霊がざわめき始める。

 冬眠前の魔獣たちが遠吠えを始める。

 逃げ惑うもの。威嚇するもの。襲うもの。

 みんなそれぞれ、異なる反応を示している。

 

 ――私は魔女。天樹海最後の魔女。


 魔女の仕事は――――天樹海と大樹ノアを守ること、だ。




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