009 『三人の妖精』
開口一番、誰よりも早く中に飛び込んでいったシルフィは、それこそどこぞの絵本の中で出てくる王子のような口調でアリエルの目の前に降り立ち、恭しく頭を垂れていた。
『やあ、アリエルさん。会えて僕はとても嬉しいよ』
しかしその反対、アリエルはぷいと顔を背けてしまう。
『アリエルは嬉しくないのです。むしろあなたに会うことによってアリエルのはっぴーは急降下中なのですよ。シルフィはそんなことも分からないのですか』
『てっきり、僕に会うことによってアリエルさんの幸福度が急上昇するとばかり思っていたのだね。僕の勘違いなのサ、申し訳ない』
『べ、別に謝らなくてもいいんですけどね。…………ってそれより、果樹園の見回り責任者がどうしてここにいるんですか? 仕事は終わったのですか』
『お供え物は終わったのサ。ダイサンボク様は大笑いをあげながら、果物と葡萄酒を呷っていたね』
『終わったからってわざわざ来なくても良かったのに』
アリエルとシルフィが話している横で、私は部屋の外観をゆっくりと見渡していた。
見覚えのある部屋だった。妖精の家らしからぬ高い天井、様々な場所へつながると思われる妖精の小さな通路。これも妖精が使うのか、と思いたくなるニンゲンサイズの椅子と机。笑えることに、机のうえに妖精サイズの椅子と机もある。
ここに来たことは初めてであるにも関わらず、家具などは見たことがあった。
「…………二百年、ぶりかしら」
揺り椅子にもたれ、ゆらゆらと眠りこける齢500越えの妖精。皺だらけの肌におもしろいぐらい太い白眉、三角の鼻、紙屑のようなぼさぼさ白髪を先の折れ曲がったとんがり帽子で抑えつけている。
正真正銘、この妖精の村を興した妖精であり、この天樹海で一番母と過ごした時間が長い人物であり、そして私が嫌う男でもある。
ありがたいことに、ジジイはいま眠っている。もし目が覚めていたら、私もジジイも何を口にするか分かったものではない。
さっと視線をジジイから外してアリエルの方に詰め寄る。ちょうど、シルフィとの会話が過熱し始めたときであった。
『今度という今度は負けませんからね。明日、おひさまが頂点に達した頃合いに勝負なのです! 今度こそ、あなたの顔に泥まみれにしてやるのですよ!』
『それは楽しみだね。僕も真剣に取り組まさせていただくよ』
『きぃいいい!! その澄まし顔が腹立たしいのです! いいですか、アリエルはこの村で唯一、ルゥお姉さまの世話役を仰せつかった立派な妖精なのですよ! だから、今度はアリエルが勝つのです!』
『その理論構成の意味は分かりかねるのサ。でも、僕も負けるつもりはないね』
「……アリエル、少しいいかしら」
『アリエルだって負ける気はありません! 例え七十八連敗しようとも、七十九戦目で勝てばいいのです!』
「アーリーエールー」
『男女の差は決定的だよ? あと二百年経って僕の体が老いぼれ始めたら分からないけど、そのときは君も同じように年をとるね』
「アリエルさーん」
『ぬぅ。勝てるかどうかは、次の勝負が始まってから分かることです! いいですか、アリエルはシルフィの油断をついて勝ちにいきます! 絶対にですよ!! 今度という今度は泣いて縋り付くまで痛めつけて――――――はにゅっ!?』
風をおこして無理やりアリエルを眼前に持ってくる。その際、ちょっくら失敗して頭が下に足が上を向いてしまったのは仕方のないこと。ワンピースの裾を押さえながら『なにするんです!?』と睨まれた。
「非難と謝礼の言葉を言いに来ただけよ」
『謝礼だけでよくないですか!?』
くるんと本来の位置に頭を戻したアリエルが、鼻面を押し付けるまでぐぐっと近づいてくる。そのあと前髪をあげられ、額に小さな手が触れる感覚。ぷにぷにの手に触れられるのはなんともこそばゆい心地がするが、なぜこのような行動をするのか分からない。
『……熱なし、震えなし、頬もうっすらと赤みが戻ってきましたね。良かったです、あのときアリエルはホントどうしようかと思いました』
『へえ。この気丈そうな魔女様に何かあったのサ?』
『顔面蒼白とはこのことだと思いました。視点は合ってないですし、呼んでも返事がこなかったですね。何かぶつぶつ呟いたあと、気を失ってしまいました。……運ぶのは大変でしたよ、まずメーヤさんとの意思疎通から始まり、背に乗せてもらって……』
『ふぅん』
「……どうしてこっちを見るのよ」
私は覚えていない。アリエルは腕を組みながら、自分はいかに偉いことをしたかとうんうん頷いているが、反対にシルフィはにやりと私を見てくる。癖、強いこの子。苦手なタイプだ。
『ま、でも、アリエルちゃんはルゥお姉さまの体調のことを考えて、とりあえず空き部屋に運んでおきました』
「そこが謝礼の部分ね。ありがと」
『どこが非難する箇所なんですか!?』
「アリエルがジジイの部屋にいたこと、ここにジジイがいること、あとやっぱり妖精の村に連れてきたことかな」
『なんですかソレ!? 結局全部じゃないですか!』
「だってそうじゃない。妖精の村に来たかったわけでも、ジジイの部屋に来たかったわけでもないの。それに、いくらここが地下通路でも、他の妖精に会う可能性は充分に会ったわ。現にこのシルフィと対面したものね」
ああ、よくこんな言葉が出てくるなと思った。
虚栄心の張り方、のぼせ上がった自尊心のまま振る舞うサマはまるで乳臭いガキのようだ。なぜここでシルフィに喧嘩を売る様な言い方をしているのか、自分でもわからない。
分かっているのは、やっぱりこの部屋がとんでもなく悪臭に包まれているということぐらいか。もしかしたら、その匂いに酔っているのかもしれない。そう考えると、少しは気分が落ち着いた。
『アリエルさんの言う通り、先代魔女様とは正反対の性格をしてらっしゃる魔女様のようだね。ギャレオ様の話では、先代は妖精にとても優しかったというじゃないか。でも今の魔女様は、アリエルさんやギャレオ様以外の妖精には面識すらない』
「だから先ほども言ったわ。私が持っていなくて、お母様が持っていたものは「慈愛」の心よ。お母様はそういう人、だから天樹海に妖精が住むことを許したのよ。私は妖精が嫌いなわけではないけど、必要以上に馴れ合う必要はないと考えているの。魔女と妖精族は根本から成り立ちが違うのよ」
妖精は元来、魔女と仲が悪い種族として知られている。
それを根本から覆したのが母だ。なんでも、ニンゲンに故郷を追われ命からがら逃げてきた若かりしジジイと村の者を、果樹園を守るという条件と引き換えにこの天樹海に住みつくことを許可したらしい。それにしては、魔獣を近寄らせない結界石まで与えるという好待遇であったが。
なんにしても、それは母の所業であり、私にはさして関係のないこと。
癇に障る様な内容を言ったつもりはなかったが、私の言い方が気に入らなかったのだろうか、シルフィがわずかに表情をゆがめた。
『……じゃあ、なんでアリエルさんは拒絶しないのサ。アリエルさんはギャレオ様の差し金、魔女様の監視役を仰せつかった妖精なのだね。魔女様は何の理由か、ギャレオ様ととても仲が悪いというのに、なぜアリエルさんを拒絶しないのサ』
「予想以上にアリエルがしつこかったからよ。この子は何かあるたびに、しつこくピクニックがどうの魔獣さんがどうの、ジジイに私の何を報告してるのかは知らないけど、そうやって百年も言われ続けたら、さすがの私でもアリエルの毒気に侵されて正常な思考回路が成り立たなくなるわよ」
『なるほど。……確かにそれはその通り……、そこがアリエルさんの魅力でもある……』
「私はあなたのぞっこんぶりに少しびっくりよ、ちょっと引くわよ」
しばらく顎に手をかけていたシルフィが、思いつめたように視線をさげたあと、再び私を見つめる。丸み帯びた藍色の瞳を、少しばかり好奇心で揺れさせながら、
『ま、そこは個人の好みということにしておきましょう。村のものたちのために魔女様を敵に回す勇気も度胸もないのですから』
自分の力量をはっきりしたうえで、あっさりと引き下がるシルフィ。とても懸命な判断だ。癖が強いのは仕方ないとしても、相当な切れ者だと見受けられる。
さて、話の折も見えたところだ。
アリエルが何か、ジジイの仲直りの場でもセッティングしてくれていたのかと思っていたが、そこは思い過ごしだったようだけど、責めるつもりはない。ここで私からジジイを起こしても、話がこじれるだけ。
ジジイと仲直りするのは次の機会としておこう。なにより、二百年ぶりにジジイの顔を見られただけでも私としちゃ進歩したことだ。
「……もう帰るわ。疲れたから早く冬眠りたいしね。アリエルはいつも通り、ここで冬期が終わるまで団らんしてもいいわ。天樹海一周コースを何百周も繰り返しても構わない、魔獣さんと仲良くしてても何してもいい」
『え、……ルゥお姉さま、帰っちゃうんですか? あの、せっかくここまで来たんですから、お菓子でも……』
アリエルが何か言いたげな顔をしていたことに少しだけ罪悪感を覚えるが、首を振る。
「遠慮しておくわ。……アリエル、ありがとう」
さっと視線をめぐらせる。
悪臭の根源は向こうの扉かしら……。
――視線を感じた。
見ると、太眉のしたでゴマ粒のような目を鋭く尖らせた、ギャレオ――――ジジイが手を前に組みながら、こちらの様子を窺っていた。
『…………久しぶりじゃな。相変わらず、性格の悪そうな顔をしとる』