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迷宮都市のマモノビト

 

 まだ陽も昇らない時刻、薄暗い早朝でのことである。


 自室の寝台の上で毛布にくるまっていた少年――クグラは、心地よいまどろみに意識を溶かしつつも、同時に妙な寝苦しさを感じていた。

 なぜだか、異様に蒸し暑いのだ。薄っぺらい寝具の中には、妙に熱がこもっており、それが彼の睡眠をさまたげる原因となっていた。

 しかも、異変はそれだけにとどまらなかった。いつの間にか、彼の片方の足までもが異常をうったえだしてきたのである。まるで、何かに締め付けられているかのような痺れが徐々に走りだし、クグラの意識を夢の世界からなかば強制的に覚醒させた。


 寝起き特有のはっきりしない意識のまま、クグラは寝ぼけ眼をしばたたかせる。


 自分の意に反しての目覚めだったが、意外にも、その顔に不満の色は見られなかった。

 そもそも、起床なんて行為はすべからく居心地のいいお布団から自ら脱却するものである。それを毎朝繰り返すのだ。であれば、多少勝手が違ったところで不満などいまさらオモテに出してもしょうがない、というのがクグラの持論だった。

 もっとも、そんな持論にそったすえの行動というよりかは、起きぬけの寝ぼけた頭で毎朝の習慣に従ったというほうが正しいか。

 クグラの朝は早いのである。大食漢たいしょくかんの同居人の朝食を準備するのが彼の毎朝の日課でもあったので、早朝に目が覚めてしまったことにも、たいして抵抗はなかった。


 涙まじりのあくびをしつつ、身体を起こそうとしたところで、それが出来ないことに気づく。左半身側に何かが絡みついているせいで、身体を満足に動かせないのだ。

 もやのかかった頭のまま、意識をそちらに向けてみると、


「――――――――ッ!?」


 眠気が一気に吹き飛んだ。そこには、


「……うにゅう……」


 幸せそうな寝顔でクグラに抱きつく、同居人の少女の姿があった。

 普段の彼女の毅然きぜんとした態度は、いったいどこへやら。意志の強さを感じさせる、やや切れ長の目を今はふにゃふにゃにとろけさせ、だらしなくゆるんだ口もとからは、寝息とも寝言ともとれる曖昧あいまいな音の息がもれていた。ちょうどいい枕を見つけたといわんばかりに、両手足を回してクグラに抱きつき、気持ちよさそうに寝息をたてている。彼女のとろけきった寝顔からは寝苦しさなど微塵みじんも感じてない様子が見て取れ、いまだ深い眠りの淵にいるようだった。


 しかし、クグラの方はといえば、完全に目が覚めてしまっていた。朝、起きたら自分の真横で、家族同然に育った幼馴染が自分を抱き枕にして眠っていたのだ。その衝撃は計り知れない。

 彼を苦しめていた蒸し暑さも、彼女の体温によるものだと分かってしまえば、別の意味で身体の温度が上昇してしまう。眠りに落ちている時は気づかなかったものの、その存在を自覚してしまえば、自身の鋭敏えいびんな五感が目の前の少女の情報を勝手に収集してしまうのは止められなかった。彼女からうっすらとただよう、どこか甘い匂いや寝巻きからのぞく肌に注意がいってしまうのも、年頃の少年ならばいたしかたのないこと、つまりは不可抗力というやつで――


 そこまで考えてしまってから、ブンブンと頭を振って、クグラは不純な自己肯定の論理を頭の中から無理やり追い出した。邪念をなんとか振り払うと、クグラはあらためて布団から抜け出そうとこころみる。


 が、無駄な努力だった。


 こちらの葛藤かっとうなど知る由もなく、気持ちよさそうに熟睡じゅくすいしている幼馴染は、しっかりと彼を抱きしめたまま離れようとしない。それどころか、離れようとすればするほど、より強く抱きしめられる結果となった。細身の身体に似合わない力強さで締め付けられ、クグラの全身がギシギシと悲鳴を上げ始めた。左足などはもはや感覚がなくなりかけている。

 やむなく、クグラは幼馴染を起こさずに抜け出ることを諦めた。


「お、おーい、ユノ、起きろ。ほら、朝だぞ、起きろって。お前、また寝ぼけてやらかしただろ?」


 目の前で幸せそうな寝顔をさらす幼馴染には、昔から寝ぼけると妙な行動を起こすというクセがある。今回も、そのパターンだろう。

 そんな結論に達したクグラは、自由にならない身体でなんとか彼女を揺り起こそうとする。ひょっとしたら、目を覚ました彼女は恥ずかしさのあまり、自分をひっぱたくかもしれないので、その辺はうまくごまかす必要はあるが。まあ、失敗して殴られたら、そのときはそのとき、理不尽だが、よくあることなのでしかたない。

 そう覚悟したものの、


「……うにゅう……クグラァ……? ……朝ごはん、できたぁ……?」


 返ってきたのは、起きてるんだか寝てるんだか分からない寝言のような間延びした返事だけだった。


「その朝ごはんを作りに行きたいから、起きてくれ」

「……ぅぅん……わかった……じゃあ……できてゃら、起こして……」

「いや、わかってないだろ!? 離れてくれないと作りにいけないんだよ! 頼むから起きてくれって!」

「……うにゅう……もすこし……もう、あと十五時間だけぇ……」

「晩ごはんになっちゃうぞ、それでもいいのか。ほら、早く離れてくれって」

「……んんう……」


 説得が功を奏したのか、ユノはようやくクグラに抱きつくのをやめてくれた。が、まだまだ起きるつもりはないようで、冬眠中の爬虫類のように丸まってしまう。

 やっとのことで拘束から解放されたクグラは身体を起こすと、まず、本人が離れたにも関わらず、いまだ左足に絡みついたままのユノの尻尾を強く掴んだ。


「んぅッ……!」


 一瞬、なまめかしい声が彼女の口から漏れたが、足に巻きつく尻尾を外そうと苦戦しているクグラの耳には届かなかった。

 隙間なく鱗で覆われた長い尻尾は、触れるとすべすべとした触感とほのかな熱を伝えてきて、さわり心地がいい。が、それとこれとは話が別である。なので、容赦なく引き剥がした。巻きつくものを失った尻尾は少しだけ所在なさげにくねったが、すぐに主人の身体にそって丸くなる。それを確認したクグラは、ユノに毛布を掛けなおしてベッドからそっと抜け出した。


 そのまま部屋から出てキッチンへ向かえば、彼の朝はそこから始まるのだ。別に、クグラが朝食を作らなければいけないわけでもないのだが、幼馴染のユノを含め、同居人たちは誰一人として自発的に用意しようとしないので、彼が作らざるをえないのである。


 身体をほぐすようにのびをしつつ、クグラはギシギシと(きし)む古い板張りの廊下を極力(きょくりょく)音を立てないように歩き出した。ぶり返してきた眠気に目を細めつつ、途中、壁にかかった姿見の前を通りすぎる。

 鏡面には、あくびをする少年の姿が映っていた。

 あまり自己を主張するタイプではないのか、その風貌ふうぼうからは、よくいえば物静か、悪く言えば地味という印象を感じさせる。唯一、特徴的といえるのは、寝癖混じりの黒髪から生えるイヌ科の獣耳と、寝巻きの端からのぞく同色の毛の尻尾しっぽぐらいだろうか。どちらも、もふもふの黒い毛並みをたくわえており、さわり心地がよさそうだ。

 鏡をちらりとのぞいたクグラは頭の寝癖を直したのを確認すると、キッチンに入っていったのだった。



 ◆ ◆ ◆



 コンコン、と台の角に軽く打ち付けられた卵。その表面に小さなヒビが走る。

 それを確認したクグラは、油をひいたフライパンの上に手を移動させると、片手で器用に卵の殻を割った。割れた卵から滑り落ちた黄身と白身が熱せられた金属に触れて、あっという間に泡立ちながら円盤状に固くなっていく。間をおかずに、さらにもう一つ卵を割りいれる。

 卵が焦げ付かないように、ジュージューと食欲をかきたてる音を響かせるフライパンを振るいつつ、クグラは火の加減を調節した。


「あれ、なんか火、弱くなってるな。もうちょい強火じゃないと……」


 しかし、火力を強めようとしても、火は最初の一瞬強くなっただけで、その勢いはすぐにもとに戻ってしまった。むしろ体感的には弱くなったようにも思えてくる。


 そろそろ燃料切れか。なら、しょうがないかな。


 などと思いつつ、クグラはいまひとつ物足りない火加減のまま料理を続行した。フライパンいっぱいに広がった目玉焼きを黄身が固まりきらない半熟のうちに皿に移すと、今度は卵をひとつだけフライパンに割りいれる。料理工程は途中までは同じだったが、二個目の目玉焼きは一個目と異なり、表裏両面を焼き上げて黄身の真ん中までカチカチの完熟に仕上げると、一個目とは別の皿に移した。


「パンよし、サラダよし、で、これで卵よし、と……よし、朝食の準備は完了だな」


 皿に盛られた料理の出来栄できばえに満足しつつ、使用した調理器具たちを軽く片付けると、クグラはエプロンを外して椅子いすの背に引っ掛けた。そのまま狭いキッチンを横切り、廊下へと出て歩き出す。

 朝食を作り終えた後は幼馴染を起こしにいく、それがクグラの毎日のルーチンワークなのである。


 彼が一歩を踏み出すたびに、板張りの廊下が苦悶くもんの声のような、いまにも陥没しそうな不穏な音をたててきしんだ。これもまたいつもどおり。石造りの建造物が多いこの地域には珍しく、この建物はなぜか木造建築だ。そのためかは知らないが、ところどころで耐久力に不安を感じさせる音楽を勝手に奏でるという、いらんサービスを提供してくるのである。大家いわく、異国の島国ワノクニの『ウグイスバリの廊下』なる建築技法を用いているらしいが、どうにも怪しいものだった。それならなぜ廊下だけでなく、壁や戸までも悲鳴を上げるのかが理解できない。

 風情ふぜいのある異国の古めかしい家屋かおくといえば聞こえはいいが、実際は中途半端に異国の建造物を模しただけ、所在地も街のはずれという立地条件も悪い、あちらこちらにガタがきたオンボロの安普請やすぶしんだ。もっとも、そんな不人気物件だからこそ、構成人数わずか四人の弱小きわまりない族団クランでも借りられる格安の値段なのだろうが。


 値段の重みによる格差というものを噛み締めつつ、大家が『ウグイスバリ』だといいはる廊下を進んだクグラは一つの部屋の前で立ち止まった。先ほどまで寝ていた自室である。もちろん、いつもであれば隣の『団長の部屋』と書かれた、実に手作り感あふるる手書きのプレートがかけられた部屋の戸を叩くのだが、今朝はこちらである。


「おーい、ユノ、朝だぞー。起きろー」


 軽く戸をたたきつつ反応をうかがう。部屋の中に廊下から声をかけるも、返事が返ってくる気配はなかった。やはり、まだ寝ているのだろうか。

 このまま放って置いてもいいのだが、そうなればせっかく用意した朝食が冷めてしまう。それは実にもったいない。食べ物を粗末にしてはいけないのだ。なによりスレンダーな見た目とは裏腹に、男のクグラの倍近い量を食べる食いしん坊の団長様だ。朝食もできたてのものを熱いうちに食べたいだろう。


 しょうがない、直接起こすか。

 そう決断し、クグラは叩くのをやめて、私室の戸を引き開けた。鍵などという上等なものが付属していない薄い戸は、プライバシーを無視してあっさりと、廊下と部屋をへだてる役割を放棄する。


「ユノ、起きろー。朝メシが――」


 部屋に入ったクグラの目に飛び込んできたのは、ある意味、予想できた光景ではあった。

 外からあれだけ声をかけても反応がないのだ。となれば、目的の人物は呼び声に答えることが出来ない状況下に身を置いていると予測できる。

 もしもクグラがこの部屋に入る前に、少女がすでに寝ておらず、とっくに起床していた可能性に気づいていたら、彼は部屋に入らなかっただろう。

 目覚めた彼女がベッドから出て、真っ先に何をするのかを考えれば、そんなこと自明の理だからだ。


 つまり、


「……いないし」


 部屋はもぬけのからだった。ベッドの上には、律儀りちぎにたたまれた毛布だけしか残っておらず、そこに寝ぼすけ団長の姿はない。


「てことは――あそこか」


 からっぽのベッドから目を離し、クグラは天井に視線を向けた。



 ◆ ◆ ◆



 地平線から昇る朝日が、街を金色に染め上げていた。

 朝日の光を受けて輝く、石造りの建物が雑多に並ぶ街の名前は『ジュペッタ』。街の中央にそびえ立つ巨大樹『エルダー・ピラァ』をシンボルとし、その真下、地下深くに広がる迷宮ダンジョン深淵森殿ワルプルギスヴァルト』をいただき、迷宮ダンジョンと共に隆盛、発展を繰り返す、いわゆる迷宮都市ダンジョンシティのひとつである。


 迷宮都市ダンジョンシティとは文字通り、迷宮ダンジョンを中心として発展していった形態の街だ。

 新たに迷宮ダンジョンが発見されると、攻略を目論む迷宮探索者ダンジョンクエスタたちが、その迷宮ダンジョンに押し寄せる。そこで踏破されればいいが、迷宮ダンジョンの規模や出現する魔物の強さなどによっては、攻略がとどこおり年単位で長期化していく。その場合、迷宮ダンジョンの近くに作られた補給基地が、そのまま集落となり、村落、町へと拡大していくケースがある。やがて、街に分類される規模にまで発展していったものを迷宮都市ダンジョンシティと呼称するのである。


 迷宮ダンジョン内から発掘される財宝や希少なマジックアイテムなどから分かるとおり、迷宮ダンジョンは利益を生み出す存在だ。通常は損益となる魔物ですら、討伐すれば牙や毛皮といった魔物特有の素材や魔力の結晶体『純沌結晶カオスコア』といった利益になりうる資源が手に入る。そういう意味では、迷宮ダンジョンは巨大な宝箱に等しい。資源が手に入れば、今度はそれを扱う職人や商人が集まって物資の流通が始まり、経済活動が活発化していく。そのため、迷宮ダンジョンは街の経済の中心として、なくてはならないものになっていくのだ。迷宮ダンジョンの攻略具合が進めば進むほど得られるものも、より価値の高いものが多くなっていくので、迷宮探索者ダンジョンクエスタの活躍と貢献次第で街は大きくなっていくといってもいい。事実、世界の大都市の多くは迷宮ダンジョンを保有する迷宮都市ダンジョンシティである。


 とはいっても、『ジュペッタ』は数ある迷宮都市ダンジョンシティの中では、まだ歴史は浅い方だ。

 たとえば、二百年以上も探索が続けられてなお、最深部にまで到達した者がいないといわれる迷宮ダンジョンを抱える『カルドセルド』。

 たとえば、内部が複雑怪奇に入り組んだ、まさしく迷宮の名前にふさわしい迷宮ダンジョンを三つもようする『クァラーツォ』。

 たとえば、人を惹きつける希少なアイテムと凶悪無比な魔物のために、新規挑戦者の帰還率が六割を切る、水没型の迷宮ダンジョンを持つ『ランドクルス』。


 これらの大都市に比べれば、『ジュペッタ』はまだまだ新興都市の部類なのである。



 さて、そんな『ジュペッタ』の朝の町並みを眺める者がいた。巨大樹を中心とした、ゆるやかなすり鉢状の広がりを見せる街のもっとも外周の位置。他の建物とは造りがまるで違っているため周囲から浮いてしまっている感が否めない、明らかにおもむきの異なる木造建築。その屋根の上に、背筋をぴしりと伸ばして腕組みし、直立不動の体勢を崩さずに、まるで顔を出した朝日に相対するように立つ少女の姿があった。


 年の頃はおよそ十代半ばから後半辺りだろうか。

 少女は目立つ身体的特徴にあふれていた。まず、目を引くのは燃える炎のような赤い髪とそこから生える二本の角、そして爬虫類はちゅうるいのようなうろこに所々がおおわれた身体からだだ。

 腕や脚の先、あるいはほおといった身体の各部を保護するように生えているそれらは彼女自身のスタイルのよさと相まって、まるで洒落たアクセサリーのように彼女の身体を飾り付けていた。また、手足のみならず、腰の下あたりから伸びる長い尻尾も同じように鱗で覆われている。ただし、尻尾の方は身体と違い地肌は一切露出しておらず、一分の隙間なくびっしりと鱗が生えていた。その尻尾は時折チョイチョイと動いては、後ろで結わえられた真っ赤な髪の結び目を尻尾の先っぽで確認するようにイジッていた。無意識のくせなのか、彼女自身はそのことに気づいておらず、遠く地平線の向こうまでを切れ長の目でまっすぐに凝視ぎょうししている。


「ユノ、やっぱりそこか」


 声をかけられ、少女――ユノは眺めていた目をそらし、視線を下に向けた。眼下には見知った少年の姿が見える。


「あら、クグラ。おはよう」


 そう朝の挨拶を言うと、ユノは無造作に屋根から飛び降りて、危なげなくクグラの前に着地した。

 クグラも、特に驚く様子は見せずに挨拶を返す。


「おはよう。たまに自分で起きたと思ったら、いつもそこだよな」

「まあね、これは早起きした日の習慣みたいなものだし。なにより、朝一番で浴びる太陽の光はきもちいいし。心身ともに目が覚めるもの」


 朝日の光を受けて美しく輝く鱗をきらめかせて、彼女は大きく深呼吸をした。


「うん、すっきりした。惰眠だみんをひたすらむさぼるのもいいけれど、早起きした朝はやっぱりこれに限るわね。さて、目も覚めたことだし。クグラ、今日の朝ごはんは? あとどれくらいでできそう?」

「もう、とっくにできてる。だから、冷めないうちに呼びにきたんだ」

「よし、ご苦労。じゃ、あったかいうちに食べにいくわよ」


 歩き出すユノの足取りは軽い。おいしいものをたくさん食べることが大好きな彼女だ、朝食の献立こんだてにでも思いを馳せているのだろう。その後ろ姿を見て、ほほえましい気持ちになったクグラだったが、


「クグラ、今日の朝ごはんはなに?」


 不意に、そう言って振り返った彼女の顔と、寝起きに目に入ってしまったふにゃふにゃにふやけた寝顔とを思わず重ねてしまったクグラ。調理の過程で集中していたことにより、忘却の彼方に追いやっていたつもりの、至近距離で感じた彼女の匂いや身体のやわらかさといったアレコレを思い出してしまい、気まずさと気恥ずかしさから微妙に目をそらす。


「あー、と。今朝の献立はだな、パンとスープと、あとサラダ。それと、ベーコンと卵だ」

「なんか今朝は妙に豪華ね、まあたくさん食べられるのは望むところだけど――ってどうしたの、なんか顔が赤くないかしら?」

「いや、別に、うん、気のせいだろ。それよりもさ、俺としては寝巻き姿のまま屋根に上がるクセを何とかしてほしいんだが。団長が恥ずかしい真似をすると、団員としていたたまれなくなる」


 さりげなく話題を変えたクグラ。

 そのことには気づかず、服装を指摘されたユノは不満そうに頬を膨らませた。


「そんなこといっても、高いところに上って景色を見下ろしたいって感じるのはドラゴンのマモノビトの習性みたいなものだし、どうしようもないわよ」

「まあ、体質のことについては俺もとやかく言えないけどさ。でも、服を着替えてから上がればいいんじゃないか?」

「……うっ」


 ユノも納得する部分があったのだろう、あからさまに口ごもった。


「……うう。で、でも起きたばっかりは頭がボーッとするし、それに今日だって、一応、着替えようとは思ったのかもしれないのよ?」

「疑問系じゃないか」

「でも、なぜか着替えが見あたらなかったから仕方なくそのまま……というか、よくよく思い出してみると家具の配置とかが違ったような……? あたし、昨日模様替えとかしたんだっけ……?」


 はて、と不思議そうに首をかしげるユノ。


「え……あー、うん、あれだ。たぶん、朝起きたばかりで意識がはっきりしなかったからそう感じたんじゃないのか?」


 まさか、寝ぼけて部屋を間違えたあげく人の布団にもぐりこんだみたいだよ、などと馬鹿正直には言えなかった。仮に言えば、間違いなく目の前の団長様は顔を真っ赤にした挙句、「記憶を失え!」と叫びながら殴りかかってくるだろう。よって、クグラは真相を隠蔽いんぺいした。ありていに言えば、ごまかしたのである。

 世の中には、知らずにすむならそれでいいという真実もあるのだ。


「……うん、きっとそうね。ま、とりあえず、次から気をつけることにしておくわ」

「前回、屋根に上がった時も同じ注意しなかったっけ?」

「と、とにかく朝ごはん食べにいくわよ! 食べ終わったら、いつもどおり迷宮ダンジョンに出発! 族団クラン復興のために今日もがんばらないと!」


 そう言って、ユノはやや強引に話を打ち切ると、急ぎ足でキッチンに向かってしまうのだった。



  ◆ ◆ ◆



 クグラとユノ。その獣の耳や竜の尻尾から分かるとおり、彼らは普通の人間ではない。マモノビトである。

 というより、彼らだけでなくほぼ全ての人間はマモノビトだ。


 マモノビト――それは魔物の身体的特徴と能力をあわせ持つ、現在の人類の総称だ。


 二人の特徴的な身体の部位を見れば分かるように、世界の誰もがなんらかの魔物の特徴を有している。たとえば、角を生やしていたり、獣の耳が標準装備されていたり、オプションで尻尾がついていたりするのだ。それが現在の人類という種の普通である。むしろ獣耳も尻尾も羽も鱗も毛皮も牙も角もないまっとうな人間など、もうどこにもいないのではないか、というのが現在の共通認識だ。


 事の起こりは、およそ数百年前に起因きいんする。

 当時、そこそこ平和だった世界に、突如とつじょとしてその平穏をおびやかす存在が出現した。魔王と呼ばれたその存在は、人類にとある呪いをかける。それは人としての理性や人格、人間の心といったものを徐々に奪っていく、と同時にその身を少しずつ異形化させていき、最終的には本能のままに動く完全なる魔物へと変貌へんぼうさせてしまうという恐ろしいものだった。呪いをかけられた人類は、次第に魔物化していく肉体と、記憶や感情が段々と失われていく恐怖に絶望していったとされている。


 魔王がいったい何を企んで、そんな呪いを世に放ったのかは誰も知らない。なぜなら、最終的に魔王は理由を一切明かさぬままに、一人の勇者の手によって討伐されたからだ。呪いをかけた張本人である魔王が消えたことにより、完全に魔物への変化が終わる直前で呪いは解けた。本当にタイムリミットギリギリだったが、何はともあれ呪いは消え去り、その結果、人々は元の姿に戻り世界に再び平和が訪れたのだった。


 ここまでが神話になるくらい大昔の話。ここで終われば万事めでたしのハッピーエンドなのだが、話には続きが――現在まで続く、長い長い後日談があった。


 成就一歩手前まで進行していた呪いは、人間の身体を内側から変質させていたのだ。人々を魔物化させた呪いの力の一部はすでに人間の身体に深く溶け込んでおり、魔物の因子とでも呼ぶべきものが体内に生まれていた。そして、それは呪いが解けても消えることなく人類の身体の中に残り続けたのだ。しかし、それだけならばまだ何も問題はなかった。発生した魔物の因子は活動してはおらず、いわば眠ったままの状態だったからだ。だが、誰も想像だにしない運命的な偶然が二つ起こった。


 一つ目はこの魔物の因子が遺伝したこと。親から子供に、子供から孫にと魔物の因子は呪いを直接受けていない子孫たちの身体にも、密かに、しかし着実に受け継がれていった。魔物の因子そのものは眠ったままの状態だったので、外見上は普通の人間と変わらない。よって誰にも知られることなく、長い時間が経とうとも消えることなく、いや、むしろ時間が経てば経つほど、世界中に魔物の因子の保有者が増えることとなった。


 二つ目は、魔神の復活。

 天険ナケィロ山の地下深くにて発見された迷宮ダンジョン逆転夜城アンダーキャッスル』。その最奥に眠っていたのが、魔王が創造したとされる超常の生命体、魔神。長きの眠りより目覚めた魔神の強大な魔力が放つ魔力の波長は、瞬く間に世界中をおおいつくし、魔神自身も意図しないままに文字通り世界の有り様を一変させた。魔王と同質の波長をもったその魔力にあてられ、眠っていた魔物の因子がいっせいに覚醒し、あっという間に人間を半人半魔の存在――マモノビトへと変えてしまったのだ。


 突如として巻き起こった常識をひっくり返す変化に、世界は大混乱におちいったという。当然だ、何しろ一夜明けてみれば自分はおろか家族や友人、隣人や商売相手に至るまでその姿が変貌へんぼうしていたのだから、その驚きは計り知れない。人々は困惑をきたし、初めのうちは魔王の呪いの再来かとおびえ、恐慌をきたしたものの、次第にその変化が伝承に残る呪いとはまったくの別物であることに気づいていった。

 確かに姿は魔物に近いものへと変わったが、あくまでベースは人の姿であったし、記憶や感情といった人間の心も失っていない。マモノビトへの変化は、見た目どおりに人に魔物の特徴と能力がプラスされただけという、なんとも人類にとって都合のよいものだったのだ。


 恐ろしいことに人間というのはどんな状況にも慣れてしまうもので、変化の実態に気が付けば順応するのにそう時間はかからなかった。あっという間に混乱は収束していき、それどころかマモノビトに対応した道具の発明ラッシュや新たな法律の制定が頻発して、一時そういった業界が活性化したほどである。

 まあ、中にはマモノビトとしての能力をよからぬことに用いようとする心根のよくない者たちも現れたが、それを取り締まる側も同じマモノビトなので、そう大きな騒ぎになることもなかった。


 ちなみに、復活した魔神のその後だが、マモノビト化した傭兵や冒険者たちの手によって速やかに討ち倒される結果となった。傭兵や冒険者たちのもともとの戦闘力にくわえ、魔物の能力が上乗せされている分、倒すのもそう苦ではなかったらしい。

 もっとも、魔神が消えようと一度目覚めた魔物の因子が再び眠りにつくなんてことはなく、人々が元の姿に戻ることもなかったので、あまり意味がなかったといえばそうなのだが。


 そのまま時は流れて現在に至る、という訳である。



 ◆ ◆ ◆



「でね、クグラ。あたしは思うのよ。そろそろ、あたしたちも何らかの行動をするべきだって」


 朝食の席。

 ユノはそう話を切り出しつつ、自分用に作られた半熟卵をパンに挟み込む。黄身からあふれ出る黄金の液体がじんわりとしみこんだそれを口いっぱいに頬張り、満足そうに目を細めた。

 ちなみに、すでに彼女の着替えは済んでいることを付け加えておく。


「あたしたちが、この迷宮都市ダンジョンシティにやってきて、はや数ヶ月。ここの迷宮ダンジョンにもだいぶ慣れてきたわけだし」

「慣れたっていっても、下層にもぐってる大手の族団クランに比べたら浅瀬をパチャパチャやってる小魚みたいなものだけどな」

「いいの! よそはよそ、うちはうち!」

「おい、ちょ、暴れるな。壊れる壊れる! 壊れるから!」


 図星をつかれて興奮したのか、バンバン、とテーブルを叩くユノを慌ててなだめるクグラ。

 家具は基本的に物件に備え付けの借り物なのだ、乱暴に扱ってはいけない。


「と、に、か、く! あたしが言いたいのは、人員補強して戦力強化するなり、階層主フロアボス倒して名をあげるなりして、そろそろ族団クランそのものを大きくしたいのよ、おわかり? あとおかわり!」


 話し続けながらも、食事を口に運ぶ彼女の手は止まらない。言葉の合間合間に、ひょいぱくひょいぱく、とまさしく竜が獲物を丸呑みにするかのごとく本日の朝餉あさげが口の中へと消えていく。

 クグラは差し出された器にトウモロコシと焦がしタマネギのスープをよそい、ついでにマッシュポテトのサラダも皿ごと手渡しながら、言葉をセットにしてユノに返した。


「言いたいことはわかるけどさ、それはまだどっちも無理なんじゃないか? 手っ取り早く入団希望者を増やすに知名度が必要で、階層主フロアボスみたいな大物を倒すには充実した戦力が必要。で、うちの族団クランにはそれが両方とも足りてない訳だし」


 族団クランとは、簡単にいってしまえば迷宮探索者ダンジョンクエスタたちのコミュニティだ。

 迷宮ダンジョンは説明不要の危険地帯。それゆえ、単独ソロで挑む迷宮探索者ダンジョンクエスタはそういない。いるとすれば余程の実力者か、あるいは上層と呼ばれる比較的危険の少ない浅い階層を専門に探索する者、さもなくば自分の実力をわきまえずに無茶をする馬鹿だけだ。


 大抵の者たちは徒党を組み、リスクを分散し、複数人のパーティで迷宮ダンジョンに挑戦する。


 クランリーダーを筆頭として魔術契約で結成される、この集団に属することの利点は大きくわけて二つ。


 一つは、能力の恩恵。

 団員には団長の所有する能力の一部が分け与えられる。団長が炎使いならば、同じように炎を操る能力を、飛行能力を有するならば同じように空を飛ぶ能力が得られる、といった具合である。さらに、この関係は一方通行ではなく、双方向に作用する。団員が増えれば、その分だけ団長の能力も強化され、団長が強化されれば、団員へ付与される能力も強まっていく。つまり、族団クランの強化がそのまま個人の戦闘力増加につながるのだ。


 一つは身分の証明。

 迷宮探索者ダンジョンクエスタの収入は迷宮ダンジョンでの資源採取や魔物討伐、または迷宮管理保全組合ギルドから斡旋あっせんされる依頼クエストが主になるのだが、実力が証明されなければ高ランクの依頼クエストを受理することはできない。

 そんな時、名の知られた族団クランに所属していれば、自身の実力、ひいては身分証明にもなる。


 それらのことから、ある程度、個人で名の売れた迷宮探索者ダンジョンクエスタであれば、所属していた族団クランを脱退し、有志と共に自分を首領にした新たな族団クランを立ち上げるということも珍しくない。


 そう、あくまで、ある程度は名前が売れていたらの話だ。


 無名で、仲間もろくにいない状態で族団クランを立ち上げたところで、ろくな結果になりはしない。構成員が少ないから弱く、弱いから加入者が増えない、団としての規模も実力も小さいから実績を立てづらい、加入するメリットが少ないから人も増えない、だから弱いまま、という悪循環にはまりこむ。


 では、ここでクグラとユノが所属する族団クラン『夜明けの空』の現在の詳細について説明しよう。


 結成歴、三ヶ月。

 団長、ユノ。

 副団長、クグラ。

 戦闘員、クグラ。

 料理番、クグラ。


 以上である。

 いや、むしろ異常といっていいのかもしれない。


「うちみたいな知名度ゼロ、かつ、族団クランを名乗るのもおこがましい弱小集団に、わざわざ好き好んで入団しようとする酔狂なやつもいないだろ。あるとしたら、新人さんを騙くらかして加入させるぐらいじゃないか」

「それはダメ。無理やりとか騙して入団させるのはナシ。それはあたしの主義に反するわ、あくまで自分から入りたいって思ってくれる族団クランをつくっていかなきゃ。じゃないと、お祖母さまに顔向けできないもの」

「じゃあ、方法は一つだけだな。地道にがんばる、これしかない」


 そう言うと、クグラは自分の皿の完熟卵にフォークを突き刺し、口の中に放り込んだ。

 そのままムグムグと咀嚼そしゃくする。


「そうね。やっぱり、それしかないのよね――まあ、そうはいっても、あたしたちだって、こうして立派な朝ごはんを毎朝食べれるぐらいにはコンスタントに稼げてる訳だし、このままいけば族団(クラン)の復興もそう遠くはないはずよ。思えば、この街にやって来たころはわびしいごはんだったものね。毎日毎日、安売りしていたじゃがいもや在庫処分の乾物をかじる日々。それを思えば、あたしたちもだいぶ成長したわ」

「ああ、そのことなんだけどな――」


 うんうんと満足げに頷いているユノに、口の中の完熟卵をごくりと飲み込んでからクグラは残酷な現実を告げた。


「明日からの食事は、蒸かしたじゃがいもとキャベツの酢漬けだけになるから」

「……………………え?」


 満足げに頷いていた表情を一変、まるでこの世の終わりのように顔をひきつらせる団長。

 それに構わず、クグラは話を続けた。彼だって、できれば、こんなことは告げたくない。この族団(クラン)の台所を預かる料理番としての矜持(きょうじ)もある。しかし、世の中には気持ちだけではどうしようもないこともあるのだ。

 簡単にいえば、先立つものがない。


「一言でいうと、食費が尽きた。なので、しばらくは安売りしてた時に大量に買っておいたじゃがいもとキャベツの世話になるから」

「ち、ちょっと待って。この間、臨時収入があったじゃない。ほら、あのドグラ鉱石の純度高いやつを見つけた時の。あれのお金は?」

「あれなら、家賃の支払いであっという間に消えたぞ」

「う、うそでしょ…………? じゃあ、なんで今日の朝ごはんはこんなに豪華なの!?」

「悪くなりそうな食材を早めに使っちゃおうと思ったからな。どうせ、しばらく質素な食生活になるなら、せめて今日くらいは豪華な食事を作ろうかと」

「そ、そんな……なんとかならないの!? おいしいごはんは毎日の活力の源なのに!」


 バン、と勢いよくテーブルを叩きながら身を乗り出すユノ。食欲に忠実な彼女にとって、コトはまさしく死活問題だ。必死になるのも当然である。


「いや、悪いが無理だ。ほかもけっこう限界ギリギリだし、食費に割ける余裕がない」

「じゃあ、卵は? 魚は? お肉は? しばらくの間、食べられないの?」

「そうなるな。しばらくは、じゃがいもと玉ねぎとキャベツが主食になる」

「いやー!! お肉ー! お魚ー! 卵ー! パンー! 野菜だけなんていやー! そんなのじゃお腹にたまらないものー!!」


 よほどショックだったのか、彼女は魂の叫びをそのまま口に出した。腰の尻尾も心の動きを如実に表し、椅子や床をバシバシと叩き始める。

 それを見かねて、クグラは一つため息をついた。


「しょうがないな……」

「え? まさか、なんとかなるの!?」

「ああ、そこまで言われちゃしょうがない」


 クグラはニコっと笑った。


「じゃがいものステーキを作ってやるよ」


 バンッッッ!!!


 破砕音と共に、木片という名の家具の成れの果てが宙を舞う。

 自分の気持ちに正直すぎる団長の尻尾のせいで、 大家さんに謝らなければいけないことができた。


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