やはり俺たちの迷宮の出会いは修羅場すぎて間違っている
迷宮――それは富と栄光、死と絶望が同時に渦巻く魔物の巣窟。世界には、そんな魔境が無数に存在する。
それらはすべて危険極まりない魔の領域。であるそこに、あえて挑む者たちがいる。 身の危険を顧みず、己の力と才覚、そして仲間との絆を頼りに迷宮を探索し 栄誉と財宝を掴み取ろうとする彼らはこう呼称される、 すなわち迷宮探索者と。
なぜ、彼らはわざわざ危険を冒してまで迷宮の奥底へと進むのか。
決まっている。
迷宮には、まだ見ぬ多くのモノが彼らを待ちうけているからだ。
ある者は果て無き夢を追いかけ、ある者は一攫千金の野望を胸に秘め、迷宮探索者たちは今日もまた迷宮に歩を進め、深く深く、その最奥へと潜り続ける。
彼らを待ち受けるのは目もくらむようなまばゆい金銀財宝の山であるかもしれないし、あるいは目を見張るような奇跡を内包する神秘のマジックアイテムであるかもしれない。無論、凶悪極まりない魔物の群れや無慈悲な罠といった二度と日の目を見られなくなるような不運に見舞われることもあるだろう。けれどひょっとしたら、目と目で通じ合えるような運命の仲間との新たな出会いだってありうるかもしれないのだ。
あるいは……そんな仲間たちが、思わず目を覆いたくなるような修羅場を繰り広げる、なんて出会いとかも。
「クグラはあたしの家族よ。あたしが話をつけるから、あなたたちは下がってて」
「そうはいかない。クグラの相棒は、このわたし。譲る訳にはいかない……!」
「お二人とも、クグラ君の迷惑を考えたらどうですか? ここは遠慮していただきたいのですが――」
たとえば、三人の少女がある人物のことで言い争っている場面など、その最たるものといっても過言ではないだろう。場を重々しく包む険悪な雰囲気、徐々にトゲトゲしくなっていく言葉、しかし表面上はどこまでも冷え切った穏やかさに包まれた静かな戦場。いささか矛盾した表現になるが 、彼女らはけっして笑っていない笑顔のままでにらみ合っているのだ。気のせいか、その背後には牙をむいて互いに威嚇しあう魔物の幻影まで見えるほどだ。
まごうことなき修羅場である。
誰もこんな修羅場には男の立場だろうが女の立場だろうが参加したくはないだろう。というより、関わり合いになりたくないと思うのが普通だ。それは、争う三人から少し離れたところで所在なさげに立ち尽くす、ある意味、そもそもの原因たる少年にとっても同様であった。しかし、少年は一応この争いを止めようと努力はしたのだ。したのだが――
「なあ、ちょっと三人とも、いったん落ち着い――」
『クグラ(君)は黙ってて(ください)!』
この有様である。
竹ヤリ装備でドラゴンの群れに単身突撃するようなものだった。結果などもはや問うまでもない、推してしるべし 。
こんなときだけ息がピッタリな三人に、こうもあっさりと一蹴されてしまえば、少年はすごすごと引き下がり、ただ黙って事の成り行きを見守るほかに道はなかった。こうなっては逃げるわけにもいかず、さりとて抵抗もできず、あとは拷問のようなこの時間をただひたすらに耐えるだけ 。気分はまるで処刑執行を待つ罪人である、それも無実の罪の。
「いやー、愛されてるねぇ、クグラ君は」
「……他人事みたいに言わないでくれよ……」
「だってキミたちの事情なんて、ロロさんにとっては他人事以外の何ものでもないし?」
困り顔の少年とは対称的に涼しげな表情を浮かべているのは、その傍らに立つ一人の少女。彼女は今なお三人の少女が繰り広げる修羅場を眺めては、時折、唇の端をつりあげ、実に楽しそうに笑っていた。それは見る者を安心させ 、魅了する優しい微笑みだった。笑う理由が少年の窮地と少女たちのいさかいを楽しむものでさえなければ、天使のようといっても過言ではない、輝く笑顔だ。
「雰囲気ピリピリしてきたねぇ。ガチンコの殴り合いに発展するのも時間の問題かな? こりゃ」
「お前がたきつけたからだろうが! 誰のせいだと思ってる!?」
「うわ、いきなり大声出さないでくれるかなぁ。そんなの 、どっちつかずの関係築いてきた不甲斐ないキミらのせいじゃない? ロロさんには関係ないね」
我関せず、とばかりにあくまで傍観者としてケラケラと楽しげに笑い続ける彼女だったが、ひとしきり笑うと気がすんだのか、キリッと表情を引き締めた。
「とはいえ、このままじゃさすがにアレだし。何とかしたげよっか?」
「できるのかい? そもそも火種をまいたのは君だろうに」
「ロロさんが何年女の子やってると思ってんの? 修羅場の一つ二つなんて楽勝すぎるよ。何とかしたげようじゃない、もちろんスマートにね」
そうイタズラっぽく告げると、ロロはクグラから離れて歩き出した。 軽快な調子の鼻歌を口ずさみつつ、彼女は一触即発の重い空気が立ち込めた今にも火がつきそうな火薬庫の真っ只中へ悠々と近づいていく。それも近所へ散歩に出かけるかのような、今にもスキップを始めてもなんらおかしくない気軽さあふれる歩調でだった。いったいどれだけ神経が図太いのだろうか。
「おーい、お三人さん。ちょっといいかな?」
「何よ、どうかした? 今、取り込み中だから、ちょっと待っててくれない?」
「……悪いけど、今はあなたに構ってる暇はない。引っ込んでて」
「泥棒猫、いえ、泥棒ヤギは黙っててもらえませんか。あとでしっかり駆除してさしあげますので、順番を守ってください」
修羅場の恐ろしい点はここである。外部からの干渉を排除する場合に限り、争っていた勢力が一致団結して邪魔者を排斥するのだ。それでもなお食い下がろうとするならば 、最悪の事態に対する心構えが求められる。すなわち、心をへし折られる覚悟をしなければならないだろう。
しかし、異常に太い神経を持っているのか、ロロはまったく動じなかった。
「そのことなんだけどさ。キミたち、いい加減に無駄な争いやめない? 人の不幸は蜜の味っていうけど、さすがのロロさんも、ちょっと食傷気味です」
「はい? そもそも、この話し合いのきっかけをつくったのはあんたじゃない。いまさら何いってるのよ」
この戦場が、はたして話し合いのレベルに収まるものであるかは甚だ疑問であったが、その点については、ロロはつっこまなかった。
「うん。だからね、ロロさんもちょっとは責任というのを感じてるんですよ」
「では、責任を取って身を引いてくださるのですか? でしたら、駆除対象が一匹減って、私としてはとても助かるのですが」
「は? なわけないじゃん。馬鹿じゃないの?」
「…………。お二人とも、どうやら彼女の言うとおりのようですね。我々は無駄な争いをしていたようです。ひとまず休戦として、この泥棒ヤギをいっしょに駆除しませんか? 共通の敵を排除するのであるなら、我々はきっと良き友人となれるはずです」
「だからさあ、それがそもそもの間違いなんだって。そのこと、キミたち気づいてる?」
「……どういうことか、分からない。はっきり言って」
「こんな争い、なーんにも意味ないってことだよ。わかんないかな――」
そう言ってロロは、
「わざわざキミたち同士が喧嘩しなくてもさ、クグラ君に誰を選ぶか聞けばいいじゃん」
火をつけた爆弾を、火薬庫にフルスイングで投げ込んだ。いっそホレボレするほどの、どストレートである。
「フザけんなオイ! なにトチ狂ったこと言ってる!?」
「落ち着きなよ、短気だなぁ。何か問題あったかな? ロロさんはちゃーんと『何とか』したげたよ?」
胸元を掴みかねない勢いで食って掛かるクグラもなんのその。ロロの顔には先ほどと同じ、いや、それ以上の邪悪さが加算された満面の笑みが戻っていた。それは、人を思いっ切り虚仮にし、手のひらで思うがままに転がして遊んでは、その醜態を眺め、「馬鹿め」と嘲笑 える悪魔だけが浮かべられる邪悪な笑みだ。
「言ってなかったっけ? ロロさんはね、キミらのハーレムがどうなろうが別にどうでもいいんだ。むしろ、さっさと崩壊したり空中分解したり消滅したりしないかなあ、その方が面白いなあ、とさえ思ってるから」
「うん、確実にそれは言ってなかったね。それと、ハーレム呼ばわりはやめてほしいかな。その言い方は誤解を招くよ。たとえ、他人から見たらそうとしか見えなくても、君のやり方はスマートじゃないね」
「そう? じゃ、ロロさんは引っ込んどくからさ。キミらのことはキミらで解決しなよ、ホラ」
あおるだけあおり、かき乱すだけかき乱すと彼女はひとまず満足したのか、あるいは更なる混沌を見物するためか、無責任にも場の主導権をあっさりと放り投げた。人の不安と焦燥を煽り、断崖絶壁まで誘導する悪魔の扇動者が、突然、案内をやめようと、当然というべきか、創られた修羅場は相も変わらずにそこに残ったままだ。ただし、その矛先が若干変わるという、少年にとってあまりよろしくない方向の変化だけはあったが。
「そうね、いっそのこと、ここでクグラにはっきりと…… って、ち、違う! あれよ!? その……家族としてふさわしいのはあたしってそういう意味よ!? 違うんだからね!? だ、だからとりあえず! クグラ、家族としてあたしを選びなさい!」
「……今こそ、はぐらかされずに確かめられる絶好のチャンス……! 本音を、答えてもらう……!」
「クグラ君なら、正しい選択がいったい何なのかは当然分かっているはずです。そうですよね?」
三者三様の視線に見つめられた少年の胸中を、はたして いったい誰が想像できただろうか。逃げようなどと思いつくこともできなかったし、例えできたとしても回りこまれるであろう結末が容易に予測できる。そう、修羅場からは逃げられない。
クグラはもはや笑うしかなかった。
「クグラ? 真面目な話をしてるのに、なにをヘラヘラ笑っているの?」
否、その行動は選択ミスだった。
怒りと苛立ちを含んだ視線が容赦なくクグラを突き刺し、精神を圧迫して痛い。
ならば、とクグラは別の手段を取る。すなわち、
「るっせぇな、こっちがどんな顔してよーが勝手だろうが!」
逆ギレである。 およそ、人が取るべき行動としては、あまり褒められたものではない。というか、最低に分類されるであろう行為である。しかしその分、好感度の低下に比して効果の程は大きい。相手に幻滅されるというステータスダウンこそくらうものの、今はたいした問題ではない。状況改善されるなら、むしろ望むところだともいえるだろう。
「……じゃあ。わたしたちが何しようと、何を言おうと、そっちに文句言われる筋合いもないはず。なぜなら、こっちの勝手だから」
が、えてしてそういった効果は、効果を発揮してほしい場合に限って規格外や例外といったものに邪魔される運命である。今回もそうであった。正論の皮をかぶった暴論に、逆ギレの理屈は真っ向から切り伏せられた。そうなれば、さしものクグラももう黙り込むしかない。
「クグラ君、どうして黙ったままなのですか? どうして何も話してくれないんです? ご返答がないのでしたら、こちらはこちらの都合のいいように勝手に解釈させていただきますよ?」
黙ることすら許されなかった。 もう、あとは泣くくらいしか選択肢は残されてないのではなかろうか。
「さあ、クグラ」
「お願い。答えて欲しい」
「クグラ君、私は信じていますからね」
「ホラホラ、どーするの? 皆、お待ちかねだよ?」
絶体絶命な状況である。まさに四面楚歌。
だが、迷宮探索者たるクグラには、これくらいの騒動、なんてことはない。普段やっている迷宮での冒険に比べれば、断然、楽なものだ。
ただ、今回はいつもよりちょっとだけ、ほんのちょっとだけハードなので、ひょっとしたら、迷宮名物の魔物部屋にでも閉じ込められた方がまだマシだったかもしれないが。魔物が大量発生する部屋に閉じ込められるこの罠は、迷宮探索者たちからは特に忌み嫌われる悪夢のトラップだったが、少なくとも出現した魔物を倒せば部屋から出られる以上、今のクグラにとっては身体面ではともかく、精神衛生面ではそちらの方がはるかに楽である。
それでもまあ、問題ないといえば問題ないのかもしれない。このような修羅場に巻き込まれるのは、初めてではないのだ。なぜなら、彼らにとってはこんなことは、日常茶飯事だから。
いつもどおりだから。
通常運行だから。
どういうことか一言でいうと、つまり、慣れてるから。
……胸を張って言えることかどうかは別として。
とはいっても、最初から彼らの日常生活が回避不可能のイベントが頻発する鬼畜仕様だったのかというと、実はそういうわけでもない。いくら謎と神秘に満ちた迷宮を探索するのが生業とはいえ、修羅場なんて危険物がそうポンポン転がってるわけもなし、逆に簡単に転がっていたらたまったものではない。誰もが攻略に二の足をふむ最悪の迷宮として恐怖されること請け合いだ。あるいは、人生を充実させ謳歌しているいけ好かない連中にぶつけるために、しこたま拾おうとする者たちで大繁盛したのかもしれないが、幸か不幸かそんな迷宮は発見されていないので心配するべきことでもなかった。
迷宮にあるのは、あくまできっかけとなる出会いにすぎない。
人との出会い。
道具との出会い。
魔物との出会い。
出会いから人の絆はつながり、運命や物語が紡がれていく。それは、彼らの場合も同じである。
彼らを結びつけ、絆を結んだのは、迷宮『深淵森殿』での出会いだった。