第二話 ファースト + X
□【闘士】フィガロ
僕が<Infinite Dendrogram>に足を踏み入れてからリアルで十日、こちらでは一ヶ月が経過した。
この一ヶ月間、僕にとって人生で初めての体験が数多くあった。
まず、死んだこと。
こちらに来てすぐに、ジョブにも就かないまま街の外を駆け回り、寄ってきたモンスターの群れにあっさり殺された。
これまで発作で死にそうになったことは何度かあったけれど、本当に死んだのは初めてだった。
二十四時間もログインが制限されたときは自分の迂闊さに頭を抱え、それで心拍数が上がったほどだ。
ただ、僕と同じ失敗をしたプレイヤーは相当数いたらしい。
始まったばかりで情報やノウハウが何もないことが主な理由。
けれど、心躍って飛び出してしまった、という死因の人もいると思う。僕のように。
そういえば、僕がログイン制限になっている間にキースも<Infinite Dendrogram>を始めたようだ。
ただ、毎日時間を持て余している僕と違って、学業に後継者勉強にと忙しいのでほとんどプレイできないのが現状らしい。
どこの国でスタートして、何という名前にしたのか聞きたかったけれど、なぜか内緒にされてしまった。
次の初めては、闘技場で決闘を観戦したことだ。
リアルでは心臓の問題があったからスポーツ観戦すら出来なかった僕だけれど、こちらでは気兼ねなく観戦ができる。
レジェンダリアの首都、霊都アムニールには闘技場がある。そこでは日々熟練の闘士達が決闘興行を行っていた。
僕が初めて見た決闘は<Infinite Dendrogram>の発売直後のため、まだ<マスター>の参加者はいなかった。
けれどティアンの闘士達が戦っている光景に、僕は感動した。
全力で競い合う光景に。
生命と生命をぶつけ合う光景に。
これまで僕が求めても決して得られなかった光景に。
僕はまた涙を流しながら、感動していた。
観戦を終えた後、僕は【闘士】に転職するための手続きを行っていた。
こうして、僕は【闘士】フィガロになった。
ジョブとしての【闘士】はオールラウンダーなジョブであるらしい。
魔法関係は壊滅的だけれど、それ以外は満遍なくステータスが伸びる。
また、ほぼ全ての武器種を使用できるため、剣や斧で前衛に出ることも、弓で後衛に回ることも出来る。
ただ、いずれの場合も専門職ほどには力を発揮できないそうだ。
僕はそれも「自由に動けるっていいな」と考えていた。
実際は、これまであまり身体を動かしたことがないから随分ぎこちないけれど、僕は自分の身体を思いきり動かせることが嬉しかった。
それから、【闘士】になった後に僕の<エンブリオ>が孵化していた。
僕の<エンブリオ>はTYPE:アームズで、“心臓”の形という僕にとって何とも皮肉なものだった。
孵化した瞬間に僕の体に入り、元々あった心臓と入れ代わっている。
固有スキル特性は装備品の性能強化。
これについては、どうしてそんな能力になったのか皆目見当もつかない。
装備数を増やせる闘士系統とは相性がいいので助かっているけれど。
ただ、“心臓”であるために僕自身でも僕の<エンブリオ>を見られないのが、少し残念だった。
◇
転職した僕にはもう一つ初めてがあった。
僕は初めてパーティを組んだ。
冒険者ギルドでは、クエスト達成のための臨時パーティを組むことはよくあるらしい。
プレイヤーが初心者ばかりの時期だから、プレイヤー同士で手を組みクエストに挑んでいた。
僕もまた、臨時募集のパーティの一つに入ってクエストに挑んだ。
みんな初心者同士で、手探りだけど頑張ろうと言い合っていた。
この時点の僕は、みんなも僕と同じだと思っていた。
結論から言えば、これが大きな間違いだった。
クエストは失敗した。
理由は色々とあるけれど、最大の理由は間違いなく……僕だった。
【闘士】は自由に立ち回れるジョブ。
それは間違いない。闘技場での先輩の【闘士】は皆そうだった。
けれど、そもそもの問題として……僕自身が他者と協力する術を知らない。
生まれてからの年月の全てを、誰とも、何も、してこなかったから。
普通の人であれば当然持つ経験がない。
幼い頃に他者と遊んだ経験もない。
学校の授業で一緒にスポーツをした経験もない。
これまでの人生で、僕は一度も他者と行動を共にしていない。
弟のキースとさえ、チェスやオセロといったボードゲームが精々で、体を動かす遊びはしていない。
「連携して動く」という知識はある。
知識しかない。
だから、初めて挑んだクエストでも頭が混乱したのか……僕はまともに動けなかった。
一人で動いていたときと比べても、格段に動きが悪くなった。
それが原因でクエストも失敗した。
失敗した後もそのときのメンバーは僕を責めることはなかった。
けれど、僕自身が誰よりも理解していた。
僕は誰とも協力できない。
身体を動かすことは、健康のための軽い散歩やストレッチの延長線としてできる。
けれど、誰かと連携して動くことは……僕の中にそれを行うための基本そのものがなかった。
これまで身体を思い切り動かすことができなかったので気づいていなかったけれど、生まれてから何もしないまま過ごした十九年で、僕には心臓の病以外にも重い枷が掛かっていたらしい。
この枷を外すには、長い時間が掛かるだろう。
そして分かる。
きっとこの枷が外れるまで……僕はずっと独りなのだろう、と。
◇◇◇
パーティでのクエストに失敗した後、僕はソロで<Infinite Dendrogram>を続けていた。
もちろん効率は悪いけれど、それでも続けていればレベルも上がる。
また、体の動かし方もトレーニングしていた。
モンスターを狩って得たお金で闘技場の熟練闘士から稽古をつけてもらったり、闘技場で販売しているトレーニング用の“インスタントモンスター”を購入したりしていた。
熟練闘士の方は的確に僕の悪い部分を教えてくれる。お陰で随分と体を動かすことにも慣れてきたと思う。
また、時折パーティで動く訓練もしてもらうのだけれど……やはりどうしても動きが悪くなってしまう。
熟練闘士の方も「不思議な逸材もいたものだ」と首を傾げていた。パーティで動けない僕に「逸材」とは、随分な皮肉を言われたとも思うけれど。
それから、“インスタントモンスター”を用いたトレーニングも……効果的ではあった。
“インスタントモンスター”は【従魔師】などが使うテイムモンスターとは違う。レジェンダリアの【錬金術師】が作ったホムンクルスだ。
モンスターをしまう【ジュエル】から出すと一時間ほどで光の塵になってしまうもの。
また、悪用を防ぐために「出した相手に戦闘を仕掛ける」以外の命令を聞かない作りらしい。
代わりに安価で、最初から戦闘技術を仕込まれており、駆け出しの闘士はこれを相手に腕を磨くらしい。
モンスターというよりは時間限定のスパーリングパートナー人形と言うのが正しいかもしれない。
僕もティアンの熟練闘士に薦められて買って、使ってはみた。
実際試してみると、経験値も入るし、技術も学べるのでトレーニングの相手としては最適だった。
「…………」
けれど、僕は幽かな忌避感を覚えて、買ったものを使い切らないまま余らせてしまっている。
殺生ではない。フィールドでモンスターと戦ってもあの忌避感はなかった。
その違いが何かは、自分でも分からない。
◇
【闘士】としてのトレーニング以外では、中古武具のバザーを巡って何か出物がないかを探し、街の外に出てソロでモンスターを狩ってレベル上げするのが僕の日課だ。
レベルアップも順調で、あと数日頑張れば【闘士】のレベルもカンストできるくらいだ。
今も、霊都周辺のマップでレベル上げの最中だ。
パーティならもっと遠くまで行けるのかもしれないけれど、仕方がない。
「……今日は自然魔力が濃いね」
レベル上げの探索行の最中、僕はそう独り言を呟いた。
誰に聞かれるわけでもない、癖のようなものだ。
さて、そんな風に呟いた僕の視界には、光の霞が見えている。
レジェンダリアではこの光の霞がよく見られる。
この霞が何かといえば……魔力だ。
<マスター>、ティアン、モンスターの区別なく保有するあのMPと同じもの。
それが、レジェンダリアでは自然界に可視化される濃度で漂っている。
レジェンダリアはこの豊富な自然魔力を資源とし、様々なマジックアイテムの生産や国を守る大規模魔術に利用しているらしい。
「このままだと<アクシデントサークル>が起きるかもしれない。今日はもう戻らないと」
<アクシデントサークル>。
レジェンダリアの国土を漂う自然魔力が、一定の濃度を上回ったときに時折発生するレジェンダリア固有の自然“魔法”現象。
自然そのものがランダムに魔法を発動させてしまう現象だ。
レジェンダリアの街や村々には自然魔力を吸収、あるいは拡散する設備があるため発生しないけれど、街の外では起こり得る。
攻撃魔法が発動すればただでは済まない。
僕は自然魔力が濃くなったエリアからすぐに離れようとしたけれど、
「……あ」
一足遅かった。
僕のすぐ近くで、濃密な光の霞が別色の光を発し始めて――僕はそこで意識を失った。
◇
目が覚めると、僕はどこかの川辺に倒れていた。
どうやら攻撃魔法の発動で死亡というケースは避けられたらしい。
ただ、疑問もある。
「川なんて、なかったよね?」
マップ上ではたしか、一番近い川でも数キロは離れていたはず。
そう思ってマップを開くと、
【アルター王国・<サウダ山道・???>】
とエリア名が表示されていた。
「アルター王国?」
レジェンダリアじゃない。
レジェンダリアの北方にある別の国だ。
何でそんなところに……と考えてさっきの<アクシデントサークル>で発動した魔法が何だったのかわかった。
発動したのは恐らくは転移関係の魔法。
<アクシデントサークル>で発生する魔法の中ではそれなりによく見られるもの。
ティアンがほとんど使えないらしい転移関係のスキルが、自然界ではよく見られるのも不思議な話だけれど。
何にしても……僕はとても面倒なことになってしまったらしい。
「……ログアウトしてレジェンダリアのセーブポイントに戻ろうかな」
それが一番堅実にレジェンダリアに戻る手段だ。
そう思って、次回復帰地点にセーブポイントを選択してからログアウトした。
そうして再度ログインすると、
【アルター王国・<サウダ山道・???>】
再び、アルター王国のエリアに引き戻されていた。
「……どういうこと?」
それから何度かログアウトとログインを繰り返したけれど、結局このエリアに戻されてしまう。
どうやら、ここがセーブポイントに設定されてしまっているらしい。
それが<アクシデントサークル>によるものか、このエリアによるものかは現時点では判断できそうにない。
「いいか、な」
ログアウトでレジェンダリアに戻れないなら、仕方がない。
歩いて帰ろう。
幸い、グランバロアや天地のように海を隔てているわけでもないし、隣国だ。
歩いて帰れないこともない。
水や食料もアイテムボックスに貯蔵しているし、しばらくは【空腹】や【渇水】のバッドステータスの心配もない。
むしろ幸運だったと捉えよう。
他国に、新しい土地に足を踏み入れることができたのだから。
そう考えることにして、僕は川の流れの下る方向――山道を下りる方角に向けて歩きはじめた。
◇
「……ん」
川原に沿って探索しながら歩いていると、真っ黒な狼のモンスターが一匹、僕の前に姿を現した。
狼の頭上には【影狼】という名前が表示されている。
少し奇妙な名前だった。
僕がこれまで戦った狼は大抵、【○○ウルフ】という名前だったのだけれど。
順序が逆。これではまるで“影のような狼”ではなく、“狼のような影”だとでも言っているようだ。
それが気にはなるけれど、何にしても狼は僕に牙を剥き、襲い掛かってくる構えだ。
「なら、やろうか」
僕は両手に一本ずつ市販の【スティールソード】を構え、狼を迎え撃つ構えをとる。
『Vow!!』
直後――川原の横合いの森からもう一匹、【影狼】が僕目掛けて飛び掛ってきて、
『ヒャッハー! 肉だー! えのころ飯一直線クマー!』
――その狼の背後から奇声と共に飛び出してきた何かが狼を粉砕した。
『……!』
突然の出来事に、僕と相対していた方の狼の動きが止まった。
その間隙に差し込むように、僕の左の剣は狼の首を薙ぎ、右の剣は刺突で骨髄を割った。
絶命した二匹の狼は、光の塵ではなく黒い灰になってから跡形もなく消え去った。
そうして、後には僕と奇声を放ちながら二匹目の狼を仕留めた何か――クマだけが残された。
そう、クマなんだ。
巨大なハンマーを担ぎ、くたびれた安物に見える“クマの着ぐるみ”を着た男がそこに立っている。
デスペナルティ中に見たwikiの画像で似たようなものを見た覚えはある。
けれど……実際に着用者を見たのは初めてだ。
『ドロップなしかクマー。肉残せクマー。こっちは食料空っぽだクマー。おなかぺこちゃんクマー』
そんなことをぶつぶつ言っていたクマが、やっと気づいたようにこちらを見る。
『おっす! オラご……じゃなくて俺はシュウ・スターリング。【壊屋】だクマー』
「あ、うん。僕はフィガロ。【闘士】の、フィガロ」
◇
それが僕とシュウ――後の【超闘士】と【破壊王】のファーストコンタクトだった。
To be continued
次回の更新は明日の21:00です。
( ̄(エ) ̄)<フィガ公外伝だが
( ̄(エ) ̄)<実は俺もセットクマ!
(=ↀωↀ=)<はいはい
(=ↀωↀ=)<あ、フィガロ視点で名前が英語で見えてるのは
(=ↀωↀ=)<「モンスターの名前は各プレイヤーの母国語で見えてます」という説明風演出なので
(=ↀωↀ=)<今後はあまり出さないと思います
(=ↀωↀ=)(……どう英訳すればいいかわかんない造語も多いし、今後作者が欠片も分からない言語の国の<マスター>も出るかもしれないからねー)




