第三十一話 可能性を繋ぐ者達
□ギデオン西門周辺
『……あー、つまりそういうことかな。ハハッ、笑える。もうどいつもこいつも私のプランぶっこわしてくれるねぇ。やんなっちゃう』
そう呟くフランクリンの姿を映像越しに眺めながら、ユーゴーは計画の失敗を実感していた。
「……終わりか」
今のユーゴーは身動き一つ取れない状態で座らされている。ルーク達に【魅了】されている間に、しっかりと拘束されたからだ。
【魅了】されたユーゴーによって<マジンギア>との融合を解除され、同じく【魅了】されたキューコもその隣にいる。少なくともキューコの【魅了】が解けない限りはこれを脱するのは不可能だろう。
なお、ユーゴーにはルークとバビが同時に《誘惑》による【魅了】を掛けていたが、アバターと中身のどちらの性別に対応して効果を発揮したのかは不明だった。
今いる場所は先ほどまでの戦闘地点とは異なる。
ルークや霞達と共にフランクリンの中継映像が見える位置に移動していた。
まだデスペナルティにされていないのはルークの判断だ。
「あの怪物はレイさんが倒してくれました。解放装置も……誰かが何とかしてくれたようです」
口には出さなかったがそれはマリーなのではないかとルークは半ば確信していた。
「そのようだ。フッ、プランAもプランBも失敗……これであの人の計画も潰えた」
ならば、この先に待つのは……王国と皇国の全面戦争。
「結局自分は大悲劇を防ぐことは出来ず、悲劇に助力しただけになったな」
ユーゴーはその結果と自分の行動を自嘲した。
「こんなことなら、最初からあの人を説得して……どうした?」
ユーゴーはルークが実に怪訝そうな顔で、ユーゴーと映像のフランクリンを見ていることに気づいた。
「いえ、プランA、Bと仰られましたけど、それぞれの詳細をお聞きしてもいいですか? それらはもう失敗した計画なのでしょう?」
「……ああ、いいだろう」
ユーゴーは少しだけためらったが……結局は懺悔にも似た心持ちで話し始めた。
「まずプランA。<超級激突>の観戦に来た多くの<マスター>を中央闘技場の結界に閉じ込めた上で、王女を誘拐。次いで街中にモンスターを放つと脅し、結界内の<マスター>の動きを封じる。そして低レベルで結界に捉えられない者やそもそも闘技場にいなかった等の理由で結界から漏れた<マスター>はPKや私、そしてベルドルベル氏……我々のクランのもう一人の超級職の手で抑える。そうしてオーナーと王女はこのギデオンから逃げおおせ、王国の住民からの<マスター>への信用は失墜する。そういうプランだった」
「……それはそれは穴だらけですね」
「そうだな」
「そもそも結界を攻撃したらモンスターが解放される仕様に問題があります。僕らがそうであったように、低レベルは擦り抜けてしまいますよ?」
「それも計画の一部だった。我々と王国側の<マスター>が矛を交え、一方的に王国側が敗れるという構図も必要らしいからな。それで言えば、低レベルの<マスター>はむしろ出した方がいい」
結局はレイやルークなどのイレギュラーによってプランA自体が破綻する結果になったが。
「それと結界に閉じ込められなかった<マスター>への対処が雑です。例えば、<超級>の戦力を持った<マスター>が観戦せずに街中にいたらその時点で失敗するのでは?」
「その可能性はあった。けれど、間違ってもいなかったんだ。特にここの<マスター>の多くにとって鬼門であるキューコと……【奏楽王】のベルドルベル氏がいたからな」
【奏楽王】ベルドルベル。
彼の運用についてフランクリンの最も狡猾であった点は、計画実行前に彼をギデオンに置いていたことだ。
それも、ただの大道芸を披露する<マスター>として。
連日、中央広場で演奏する彼とその楽団はギデオンの<マスター>にも周知された。
それこそ、レギオンの<エンブリオ>を出した状態で街中にいても誰も疑問に思わないくらいに。
この夜、彼は王国側の多くの<マスター>に敵として認識されていなかったのだ。
ゆえに、彼の不意打ちはほぼ確実に成功する。
彼はステータスこそ戦闘系と比較して低いが、超級職のスキルによる補助を受けたブレーメンの攻撃力は屈指。
そして音速であるがゆえに、AGI特化の超級職でもなければ発動後の回避は不可能。
事実、彼によって倒された<マスター>はユーゴーによって倒された者よりも多い。
<超級殺し>との戦いにしても、彼女が《危険感知》のスキルを有したAGI型超級職でなければ初手で終わっていた公算が高い。
「それで……現状のように妨害を突破してフランクリンのもとに妨害者が辿り着いた場合、あるいは結界内の<マスター>が痺れを切らしてモンスター解放を厭わず突破しようとした場合がプランBですか?」
「そうだ。プランBはギデオンに仕掛けておいたモンスター解放装置を時限装置を待たずに全て起動させ、ギデオンが混乱している間に王女を連れて逃走するプラン。あの人が不意討ちを受けてデスペナルティになった場合もこちらに移行する予定だった」
フランクリンがデスペナルティになったら解決、などというのは真っ赤な嘘。むしろそれを引き金にモンスターが放たれる公算だった。
「もっともどういう経緯を辿っても……」
ユーゴーはそこで言葉を切り、「オーナーは最初から、ギデオンにモンスターを放つ心積もりだったようだが」という言葉を飲み込んだ。
飲み込んだところで、ルークには分かっていたが。
「心を折るなら、王女が誘拐されるだけよりも、人的・物的被害が出た方が有効でしょうからね」
「そうなのだろうな……。けれど、あの人は私に約束してくれた。「モンスターはティアンを攻撃しないように調製した」、と。あの人だって、ティアンの被害は抑えたいと……」
「……ふぅ、そこですか」
「そこ?」
ユーゴーの言葉を聞いて僅かに溜息を吐いたルークに、ユーゴーが疑問を呈する。
「さっきから疑問でしたが、今の「フランクリンも人々の被害を抑えたがっている」という言葉でよくわかりました」
「何が分かったと言うんだ?」
何が疑問で、今のやり取りのどこにその答えがあったのかユーゴーには分からない。
いや、ユーゴーにだけは分からないことだ。
それは……、
「フランクリンを見るあなたの目がどうして曇っているのか、ですよ。あなた、フランクリンに対して「まさかティアンの虐殺まではしないだろう」って考えているでしょう?」
他ならぬユーゴー自身の認識の問題。
計画の前も、計画中も、計画が潰えた今になっても、ユーゴーがフランクリンを信じていることが疑問であると言われたのだ。
「……私の目が曇っている、だと?」
「はい。あなたはそう思っていないでしょうが、僕から視れば、あれは虐殺までやる人間ですよ?」
「ありえない。あの人は私と同じだ、ティアンがただのNPCではなく、命に近いもの……いや命であると理解している! あの人が虐殺なんてするものか!」
「理解していたから何なのです? 理解していたら、それをしないとでも?」
フランクリンは虐殺も辞さない人間だとルークは言って……それは決してユーゴーに許容できるものではなかった。
「あの人はそんなことはしない! 私は、わたしは……ずっと前からあの人を見ていた! 君にあの人の何が分かる!」
怒気を顕わにしてユーゴーはルークに訴える。
けれど、それを受けるルークの目は冷ややかなものだった。
「そうですね。僕は伝聞と今回の事件でしかフランクリンを知らず、直接話したこともありません。けどこの推測は確実だと断言できます」
「なぜ!」
「僕がフランクリンの人となりを知らないからですよ。やってきたことだけを並べてその延長線を考えれば、この先にもっとろくでもないことを用意していることは確実です。僕でなくてもそう考えますよ。そう思わないのは……きっとあなただけです」
「……!」
それは、事実からの帰結。
戦争に参加し、多くの兵士とこの国の王をモンスターの餌にした者。
今宵、この国の王女を攫い、王国の<マスター>の地位を失墜させるために街中に破壊を齎そうとした者。
そんな輩がどうして……これ以上惨いことはしないなどという結論になるのか。
そんな結論に至るのはあなただけだと……ルークは言っていた。
「ずっと前から見ている? そうなのでしょうね。だから今のフランクリンを直視していない。曇った眼で視続けている。今のあなたは「うちの子はそんなことをする子じゃないんです!」と言う犯罪者の母親と同じですよ」
「ッ……!」
拘束されていなければ、ユーゴーはルークに殴りかかっていただろう。
だがユーゴーにそれは出来ず、相対するルークは冷たい視線を……そして困ったような視線を向けるだけだった。
そのとき、ルークにバビからの念話が届いた。
『ルーク、この子にはすごく辛辣だねー』
それはある意味で当然の疑問。
ルークという少年は、基本的に愛想がよく、誰とでも好意的に接する人間。
このように冷たく諭す姿はバビにとって初めて見るものだった。
『僕が苦言を呈するのは、“視ていられない人”だけだからね』
けれど実を言えば、ルーク自身にもその基準が定かではない。
ただ、ユーゴーという人物を観察しているうちに、このままにはしておけないという思いが強く湧いたために、辛辣な言葉で彼女の誤りを指摘している。
「フランクリンを信じるあなたに……そうですね、一つ推理とも言えない予言をします」
「予言?」
「フランクリンが今からろくでもないことを言いますよ」
フランクリンの映る中継映像を見ながら、ルークはそう断言した。
その直後、プランBの失敗を察して頭を抱えていたフランクリンはパッと顔を上げる。
その貌には――満面の笑み。
『いやだなぁ、本当に参っちゃうよねぇ。プランAもプランBもダメなんて……。もうすぐ闘技場からこわーい脳筋共が出てくるだろうし。もうこうなっちゃったらプランCをやるしかないよねぇ?』
「……………………え?」
中継映像から流れるフランクリンの言葉に、ユーゴーの口から疑問の声が漏れる。
同時にその疑問符は、今宵の計画に加担したフランクリン以外の全ての<マスター>の言葉であった。
彼らの誰一人として……プランCなどというものは聞いたことがなかったから。
誰も知らない三番目の計画の内容を知る者はフランクリンだけであり、
『プランC……五万六千八百二十六体の改造モンスターによるギデオン殲滅作戦を開始しますねぇ』
その内容は、ルークの予言どおり非常にろくでもない……最悪のものだった。
◆◆◆
□<ジャンド草原>
「五万……え?」
「五百体では……」
フランクリンの発した言葉に、周囲の空気は凍りついた。
ネメシスも、リリアーナも、リンドス卿も、他の近衛騎士団員も……フランクリンの言っていることを理解しきれなかった。
「五万六千八百二十六体の、改造モンスター? ふ、ん、ハッタリにしても桁を間違えていやしないか、のぅ」
言っていることは分かる、だが実現可能とは到底思えなかった。
「街中に、五百体のモンスターをばら撒く計画を立てていたのに、急に百倍以上に増えるものか、のぅ」
それは嘘だと思いたいネメシスの言葉に、あるいは街中から発せられた同様の疑問にフンフンと頷きながら……フランクリンは笑みを深めた。
『街中の五百体は“<マスター>や建物以外攻撃しない”なんて無駄な設定のモンスターを五百体しか創らなかっただけですねぇ。大分コストも掛かりましたけど』
逆に言えば、“<マスター>以外の人間も攻撃する”モンスターならばより大量に……五万体以上用意できていたのだ。
街中の解放装置に封じられた五百体のモンスターは、言ってしまえば身内への……ユーゴーへの義理に他ならない。
『でもプランAもプランBも駄目になったらこっちもなりふり構っていられないんですよねぇ』
プランA、B、C。
フランクリンが失敗すればするほど、王国側が計画を防げば防ぐほど、よりギデオンを苛烈に破壊する計画へとシフトしていく。
フランクリン自身はプランAもプランBも成功させるつもりだった。負ける気はなかった。
しかしそれでも敗北の可能性を組み込んだ上で全ての計画を立てていた。
全ては一つの目的のため。
『あーあー、さっさと諦めておけばこんなことにはならなかったでしょうにねぇ』
全ては――心を折るために。
無駄な抵抗をした結果、より甚大な被害を生むという結果を王国の民衆に刻み込むために。
あえてこのような……失敗することも想定した計画を仕組んだのだ。
「フランクリン本人を探せ!! モンスターをジュエルから呼び出す前にあの狼藉者を誅するのだ!!」
リンドス卿が声を張り上げ、近衛騎士団の面々も必死にフランクリンを捜索する。
そう、モンスターを呼び出す前にフランクリンを倒せば危機は去る。
リリアーナは先ほど呼び出した二体のモンスターが自分達の近くに現れたことから、フランクリンもすぐ傍に隠れているのではないかと考えた。
だが……。
『フフフフ、ジュエルから呼び出す前に? やだなぁ、私がいちいち《喚起》《喚起》で呼び出していたら一万も出す前に夜が明けちゃうよ』
フランクリンは不敵な笑みを浮かべ、それから指を鳴らしてこう宣言した。
『《光学偽装》解除』
瞬間、世界が鱗の如く剥がれ落ちた。
夜闇の一角がバラバラと崩れ、その影に隠していたものを露わにする。
そうして現れたそれは――現れた後ではどうやって隠れていたかを思い出せないほどに巨大なものだった。
それは端的にいえば箱と竜と蜘蛛を混ぜたようなシルエットだった。
それは縦横の一辺が一キロはあろうかという巨大な立方体に無数の煙突が伸びていた。
それは無機質な立方体に精巧かつ巨大な竜の頭部を備えていた。
それは蜘蛛の如き脚を左右に四脚ずつ生やしていた。
体積が異常。
造形も異常。
とても正常な存在ではないそれがそこにいることをなぜ認識できていなかったのかを、その場にいたフランクリンを除く全ての者が不思議に思った。
そしてフランクリンは異常なる構築物の、竜頭の上に立ち、宣言する。
『<超級エンブリオ>、TYPE:プラントフォートレス――魔獣工場パンデモニウム』
<超級エンブリオ>。
第七形態への進化を遂げた<エンブリオ>の総称であり、数多の<エンブリオ>の頂点。
それは【超闘士】フィガロを王者に頂くこのギデオンでも馴染み深い言葉であったが……フランクリンのパンデモニウムは余りにも懸け離れていた。
先の戦いでフィガロや迅羽が見せた<超級エンブリオ>とは、余りにも違っていた。
『先の戦争ではまだ進化していなかったけれど、これが私の<超級エンブリオ>さ。固有能力は既に皆さんご存知のモンスター生産、そして……“モンスター運搬能力”』
そうして巨大な魔城が口を開ける。
内部には無数の仄暗い光があった。
それは眼光。
内部にひしめく何千何万というモンスターが放つ禍々しき視線。
『さて、まずは“スーサイド”シリーズ五千体から逝ってみようかねぇ』
フランクリンが気軽な口調でそう言うと、竜の口からスロープが降りる。
五千体のモンスターが群れを成して、そのスロープを下ってゆっくりと歩き始める。
ギデオンの街を殲滅するために。
◇◆◇
□■【■■】
<超級エンブリオ>。
第七形態への進化を遂げた<エンブリオ>の総称であり、数多の<エンブリオ>の頂点。
しかしてその頂点は一つでなく辿った道も至った先もまるで異なる。
例えば今はまだ所有者にしか銘が明かされぬもの。
【超闘士】フィガロの心臓型の<超級エンブリオ>。
<マスター>であるフィガロと文字通り一心同体であり、その固有能力はフィガロの装備したアイテムの性能を引き上げるシンプルなもの。
しかし、戦闘時間比例強化、装備数反比例強化、そして彼の切り札である“第三の強化”によって理論上は無限に装備品の性能を引き上げることが出来る。
ゆえにこれは<超級エンブリオ>という頂の一つ。
例えばテナガ・アシナガ。
【尸解仙】迅羽の義手義足型の<超級エンブリオ>。
超音速で伸張し、その硬度は古代伝説級の武具にも勝る。
本来は低速のEND型魔法職である迅羽にAGI型超級職と互角以上の近接戦闘能力を与えている。
さらに切り札である必殺スキルによる空間跳躍攻撃は、地平線の向こうにいる非戦闘状態の目標だろうと瞬時に臓物を破壊、殺傷することが出来る。
ゆえにこれも<超級エンブリオ>という頂の一つ。
であれば、Mr.フランクリンの<超級エンブリオ>であるパンデモニウムとは如何なるものか。
TYPEはプラントフォートレス。
基本カテゴリーであるTYPE:キャッスルからの派生進化であり、現時点ではパンデモニウム以外に存在しないカテゴリー。
固有能力は大別して二種。
モンスター製造、そして格納である。
モンスターの製造も大量生産と必殺スキルによるオーダーメイドの二種があるが、ここでは大量生産について述べよう。
大量生産に用いるスキルの名は《モンスター・マス・プロダクション》。
研究者系統の《モンスター・クリエイション》の性能を底上げした上で同時に複数体生産するスキルである。
無論素材は必要であるが、亜竜クラスならば一日で千体を量産できる。
また、メリットとして生産数を増やすほど一体当たりのコストを軽くする効果もある。
まさに大量生産と言える。
また、そうして作成したモンスターはジュエルに移さず《ストレージ》というスキルでパンデモニウムの内部に格納し続けることが出来る。
一度外に出せばもう《ストレージ》に戻せないが、それまでは半永久的に貯蔵できるのだ。
材料がある限り無限にモンスターを生産し、格納し、ばら撒く巨大な要塞工場。
パンデモニウムも明らかに<超級エンブリオ>という頂の一つ。
さて、此処で一つの条件をつけた上で上記三者を戦わせてみよう。
その条件とは“防衛戦”。
つまりは『ギデオンという街を守れるか否か』に焦点を絞り、攻め手をフランクリン、守り手を他の二者として戦わせた場合どうなるかというシミュレーションだ。
結論から言えば――百回やれば百回フランクリンが勝つ。
これは優劣の問題ではない。
三者のベクトルの違いだ。
フィガロの<超級エンブリオ>は装備品の性能を引き上げる点からも分かるように個の強さに特化し、迅羽も同様だ。
対してフランクリンは数を用意できる。
数を誇る相手に対して個に特化した者は、こと防衛戦において致命的に相性が悪い。
個に特化した者は数によっては倒されないだろう。
雲霞の如き群れを突き抜け、相手の首級をあげることもできるだろう。
だが、そのときには防衛すべき地も壊滅している。
あるいはモンスターの牙が町に届くよりも早く対処できるかもしれない。
しかしフランクリンを倒したとしても……フランクリンの講じたある策によってフランクリンがいなくともモンスターは街を襲う。
それゆえにフィガロや迅羽ではフランクリンに対抗できない。
無数の数を呼び出すもの。
地を、空を、海を埋め尽くさんばかりの軍勢を従えるもの。
それらをプレイヤー用語で俗に“広域制圧型”という。
フランクリンもその一人。
防衛戦において、攻めに回った“広域制圧型”は絶対有利とされている。
◇◇◇
□<ジャンド草原>
『いいねぇ、いいねぇ、浪費するって気持ちがいいねぇ』
フランクリンの愉悦を匂わせる声に乗せて、パンデモニウムからは無数のモンスターが吐き出される。
パンデモニウムの竜口から地に下ろされたスロープをゾロゾロと駆け下りる様は、大昔のアニメにも似て滑稽でもある。
しかしそれら全てがほんの数キロ先のギデオンの街を破壊しようとしているとすれば、笑い事でもなんでもない。
「あの<エンブリオ>を! フランクリンを討つ! 今ならばまだ間に合う!!」
リンドス卿が号令を発し、それに応じて近衛騎士団も動く。
その判断は正しい。
吐き出されたモンスター全てを止めることはできない。
だが、今ならば、街を襲う前の今ならばまだフランクリンを倒すことで被害を食い止めることが出来る。
そうして騎士団は乾坤一擲の突撃をかける。
『間に合うって? それは無理だねぇ』
だが、それに冷や水を浴びせるようにフランクリンが告げる。
『私のプランを二度潰してくれた王国の皆様に免じて教えてあげよう』
それは眼前の騎士団だけでなく、今ギデオンで動き出している全ての<マスター>に向けた言葉でもあった。
『このモンスターは私が死んでも止まらない。そして、私にこれは止められない』
フランクリンの言葉を多くの者は意味不明と受け取った。
今まさにモンスターでギデオンを攻めている下手人が何を言っているのか、と。
「何を言っているのですか? このモンスターは、あなたの仕業でしょう?」
その場に居合わせたリリアーナの言葉は多くの者の代弁でもあった。
彼女の言葉を受けてフランクリンは少し笑みを深めて、
『そうだよ? 私がパンデモニウムで創ったモンスターだ。けどもう、私のものじゃない』
次の言葉を述べた。
『――逃がしちゃったからねぇ』
それを聞いたものは最初、フランクリンが何を言っているか理解できなかった。
そして何を言っているか理解できたとき、真に理解不能に陥った。
「あなたは、あなたは何を言っているのです?」
『ほら、従属キャパシティってあるじゃない? いくら私が超級職の【大教授】でもあんな数のモンスターはキャパに収まらないよ。パーティでも五枠しかないしね』
従魔師系統や騎士系統、研究者系統、それに【女衒】などは自身の従属キャパシティを消費し、モンスターを自身の戦力の一部として用いている。
当然、キャパシティに収められる力や数には限りがあり、それをオーバーすれば使役不可能や強制的なパワーダウンに繋がる。
ゆえにフランクリンは……それらに縛られない手を打った。
『だからあの数のモンスターを全力で戦わせようと思ったら、もう逃がすしかないんだよね』
逃がしてしまえば、使役しないのだからキャパシティに囚われないという発想の転換。
否、制御の放棄を実行したのだ。
『ああ、安心して。ちゃんとプログラムはしてあるからこっちには来ないよ。あいつらは『死ぬまで前に進む』ことと、『私のクランのメンバーや私が創った生物以外を皆殺しにする』ことがちゃんと頭に入ってるんだ。だからその名も“自殺”シリーズ!』
フランクリンは「えへん」と胸を張るが、それは吐き気を催す発想だった。
ただ生み出され、ただ前進し、指定されたもの以外の全てを殺して前に進む命の群れ。
<Infinite Dendrogram>を遊戯だと捉えていたとしても、唾棄すべき行い。
<Infinite Dendrogram>を世界だと捉えているのなら……最早狂気などという段にない。
『そもそも何で私が西に逃げたと思う? あいつらを使ったときにうちの国や第三国のレジェンダリアに被害を出さないためだよ。総勢数万のモンスターの死の行軍、国境なんて楽に越えちゃうだろうからね。ああ、東にはカルディナがあるけどあれは別にいいんだ。王国と同じで敵だしね』
フランクリンの「どうせカルディナに入っても【地神】や【殲滅王】に始末されるだろうけど」という呟きは口中からは漏れなかった。
『そういう訳で、もう逃がしてしまったモンスターをどうこうする手段が私にはない。そして私を殺しても逃がしてしまったモンスターは私とは無関係だから止まらない。ご理解いただけました?』
意識して母国語を使い、フランクリンは挑発した。
「…………」
吐き出されたモンスターは全て倒さなければならない。
モンスターを吐き出すパンデモニウムとフランクリンも倒さなければならない。
可能ならばこの初動の段階でパンデモニウムを撃破し、後続のモンスターを断たねばならない。
だが、今此処にある戦力では、致命的に足りない。
リリアーナやリンドス卿他動ける数名の近衛騎士団だけではパンデモニウムを倒すことは困難であり、かと言ってあれだけのモンスターを相手に時間を稼ぐこともできない。
既に中央闘技場を封じる結界は意味を成さず、<マスター>の手により破壊されるだろう。
西門を封じていたコキュートスの《地獄門》も敗れ去っている。
あと数分もすれば、<マスター>達も応援に駆けつけるはずだ。
だが、それよりも早く“スーサイド”シリーズはギデオンの街を蹂躙し、パンデモニウムは残る数万の悪意を吐き出すだろう。
数分があまりに遠い。
『フフフ、もう間に合わな……』
誰もがそう思っている中で、
「――時間を稼ぐ」
フランクリンの嘲笑を遮るように言葉を発したのは、ある意味ではその場で最も想定外の人物だった。
なぜならその人物の戦いはもう終わったはずだったから。
左腕を犠牲に、全身に傷を負って、精も根も尽き果てて眠っていたはずだったから。
けれど、彼は立ち上がっていた。
彼――レイ・スターリングは立ち上がっていた。
意識はまだ朦朧としているだろう。
戦闘による疲労で、アバターを動かすプレイヤーの精神も万全ではないだろう。
状況を完全に把握できているかすらも分からない。
それでも、彼の両の目はギデオンに迫る五千超のモンスターを見据えていた。
「レイ!」
「レイさん!?」
全身に負った傷痍系状態異常は未だ治らず、左腕は動かず、HP上限は半分もない。
それでも、彼は立っていた。
「往くぞ、ネメシス、シルバー」
自身の愛馬を呼び出し、同時に残る右腕を自らの<エンブリオ>へと向ける。
ネメシスは一瞬だけ逡巡し、すぐにその手をとって自らを黒大剣へと変じさせた。
『ハハ、ハハハ……いやいや泣かせるねぇ。その満身創痍でまだやるってのかい欲張りさん。君は君の戦いを終えたのだから、ゆっくり眠っていればよかったじゃあないか』
「終わってなんかいないさ」
『……?』
「まだ終わってなんかいない。この歩みと剣を振る腕を止めるにはまだ早い」
それは、あるいは意識が不確かであるが故の発言か。
「――眼前に、お前と悲劇が在る限り」
あるいは彼の心の奥底が、少しだけ言葉になって出てきたのか。
『…………ああ、なるほど』
その言葉に、得心がいったようにフランクリンが頷く。
『君、メイデンの<マスター>だけどあの子とは毛色が違うんだね。どちらかと言えば……【冥王】にそっくりだ』
そんな何事かを呟くフランクリンとパンデモニウムに背を向けて、レイはシルバーを駆けさせる。
目指すはギデオンへと突き進む五千の悪意の先頭。
「――《地獄瘴気》」
群れの先頭を走るモンスターに向けて、三重状態異常の毒ガスを噴き出す。
【猛毒】、【酩酊】、【衰弱】の状態異状によって数十のモンスターの動きが鈍るが……それだけだ。
動きの鈍ったモンスターを押し退け、あるいは踏み潰しながら五千のモンスターはギデオンへの歩みを止めない。
だが、その内の何体かはレイを敵と認識し、迎撃行動をとり始める。
それらには連携もなく、バラバラに武器や爪牙、生体火器、攻撃魔法でレイを狙った。
レイとシルバーはそれらを回避しようとして、回避しきれずに被弾して落馬する。
それはレイ自身が既に満身創痍であるためか。
あるいは、相手が単独でないためか。
むしろ、これが当然の結果であるためか。
いずれにしろレイの動きは止まり、数体のモンスターが止めを刺そうと迫ってくる。
リリアーナやリンドス卿ら近衛騎士団も救援に向かっているが、モンスターによって近づけない。
『レイ!!』
ネメシスの警告よりも、レイが身を起こすよりも早く、モンスターの爪牙が肉薄する。
そうして、レイがこの<Infinite Dendrogram>で二度目の死を迎えようとしたとき、
『ギャギギギギギギギギギ――!!』
“一度目の死”がそれを阻んだ。
レイに迫るモンスターを粉砕したそれは弾丸の如き生物。
それはかつてレイの身体を微塵に砕いたもの。
それはアルカンシェルと呼ばれる<エンブリオ>から放たれるもの。
その<エンブリオ>の<マスター>は……。
『助太刀シヨウ』
黒い靄に包まれた老若男女も定かでない……<超級殺し>と呼ばれるPKである。
『多勢ニ無勢。此処ハ協力シテ事ニ当タルベキダ』
<超級殺し>は、ボイスチェンジャーでも通したような不自然な声でレイに呼びかける。
「…………」
かつて、<ノズ森林>でレイをPKした<マスター>。
かつて、【ガルドランダ】との戦いでレイを助太刀した<マスター>。
その相手に対してレイは、
「ああ、頼んだ。“マリー”」
事も無げに、彼女自身の名前で呼びかけたのだった。
『チョ、エエエエエエエエエエ!?』
『ぬええええええええええええ!?』
<超級殺し>――マリー・アドラーが驚きの声を上げる。
また、黒大剣のネメシスも同様に驚愕の声を上げた。
その隙にマリーの背後へと接近してきていたモンスターに、レイが黒旗斧槍へと変化させたネメシスを突き込んだ。
『ナンデ!? ナンデバレテルンデス!?』
『此奴がマリー!? どういうことだレイ!?』
「……初対面ならいざ知らず、今なら靄越しでも見ればわかる」
フゥと溜息をつくレイ。
そこに横合いから飛びかかろうとしたモンスターをマリーの拡散貫通弾が蜂の巣にする。
「あーあ、わざわざ《変声》のスキル使ってまで誤魔化そうとしたボクがバカみたいじゃないですか」
『え? 本当にマリーが<超級殺し>なのか? 冗談でなく?』
「今は緊急事態なのでその辺の話は置いておいて貰えると……」
「ああ」
そう言って、レイは先刻自分へ攻撃を浴びせたモンスターの顔面に《復讐するは我にあり》を叩き込む。
「代わりに今度決闘してくれ」
片手でネメシスを構えるレイ。
「分かりました。そのときは全力でお相手しますよ」
アルカンシェルと【痺蜂剣】を構えてレイと背中合わせに並ぶマリー。
そして、二人は向かってくるモンスターに挑む。
これまで二人が肩を並べて戦ったことはない。
共闘とも呼べぬ交錯を【ガルドランダ】との戦いで僅かに行っただけ。
あとは<ノズ森林>で一度交戦しただけ。
だと言うのに二人は即座に連携し、這い寄るモンスターをその刃と銃火で退けている。
それはマリーが己に欠けたものを見出さんとレイを観察してきたゆえに。
それはレイが己を破った相手の動きをずっと回想し続けてきたゆえに。
二人の動きは一致し、二頭一対の壁となる。
彼らという壁に、五千のモンスターの歩みがほんの僅かに遅くなる。
『ハッ! それでも、二人だ! たったの二人の<マスター>で五千の改造モンスターを止められるわけがないじゃないか!』
フランクリンの言葉は事実。
たとえ一人がこれまで奇跡の如き勝利を重ねてきたルーキーだろうと、
たとえ一人が<超級>を打倒した最強のPKだろうと、
ただの二人に五千を、そして後に控える五万のモンスターを止めることはできない。
そう、このままならばいずれ敗北するのは避けられない事実。
「――ならば、二十人で止めましょう」
ゆえに、繋ぐ者が必要だった。
何者かの声の後、レイ達の後方にある西門の内から無数の攻撃がモンスター軍団へと飛翔する。
それは怪鳥の放つ炎であり、攻撃魔法であり、巨大な鉄球であり、火矢であり、【魅了】をもたらす誘惑だった。
五千のモンスターの最前列にいた五十体ほどが一斉攻撃により撃破される。
「レイさん! マ……まっくろくろすけさん! 援軍、きましたよ!」
「ルーク!」
「……まっくろくろすけ?」
西門にいたのは総勢二十名の<マスター>と彼らが召喚、テイムしたモンスター。
その先頭に立つのはルークであり、霞、イオ、ふじのんの姿もある。
それと、中央広場で分散した後、生きてここに合流できた闘技場のルーキー四名。
そして、西門周辺で《地獄門》により【凍結】していた上級相当の<マスター>十二名。
「しゃあ! 逝くぞテメエラ!」
「ルーキーの坊ちゃん嬢ちゃんだけに見せ場はやれないね!」
「……これ明日のMMOニュース載るかなー」
「フランクリンころころ!」
そう叫ぶ彼らの意気も理由も様々だが、彼らは<上級エンブリオ>を有する上級職の<マスター>。
ユーゴーには相性ゆえに戦わずして敗れたが、いずれもこの決闘都市をホームとする歴戦の<マスター>。
総合力では現段階のレイに勝る彼らの参戦はこの局面においては非常に大きい。
『馬鹿な』
彼らの参戦に誰よりもフランクリンが驚愕する。
それはありえないことだったからだ。
コキュートスの《地獄門》による【凍結】は早々には解除されない。
状態異常回復アイテムを無効化し、仮にユーゴー自身がやられても最低一時間は凍結を維持する。
例外があるとすれば、
『解いたのか、ユー……』
スキルの使用者であるユーゴーが自らの意思で《地獄門》を完全解除したときのみ。
それは【魅了】などでは行えず、本人の意思が必要となる。
つまり、ユーゴーはこの局面で、自らの意思でフランクリンを裏切った。
フランクリンはそう考えて「……そういえば先に裏切ったのは私だったわ」、と今更のように自嘲した。
『まぁいいさ。何にしろ、二十人少々だろう? 止めてみなさいな、我が魔獣の波濤をその身でもってねぇ』
フランクリンが殺意を込めた言葉を吐くと、数千を誇るモンスターが牙を剥いて咆哮した。
既に放棄された身である彼らはフランクリンの意に沿ったわけではない。
ただ、眼前に現れた新たな敵対生物に対しての闘争心を燃やすことだけは細胞の奥底から刻まれていた。
「うっし! 時間稼ぎだ! 闘技場の連中が出てくるまで一匹たりとも街中には入れさせねえ!」
「ここまで頑張ったルーキーの坊ちゃん達をデスペナさせないようにね!」
「……ここで頑張ったら有名人?」
「キル! フランクリン!」
上級の<マスター>が五千のモンスターへと突貫し、ここに二十二対五千の戦いが始まる。
規模で言えば今宵起きた戦いの中で最大のもの。
しかして、それは今宵“起きる”戦いの中で最大ではなかった。
◇◆◇
□■ギデオン中央大闘技場・舞台
その光景を、誰も見ていなかった。
闘技場に集まった観客達は、絶望や幽かな希望と共に中継映像を見ていたから。
一人の男が、結界に閉ざされた舞台に近づくのを誰も見ていなかった。
男は背が高く、黒熊の毛皮を被っていた。
男は無造作な足取りで、結界に近づく。
結界の傍には他にも<マスター>がいた。
彼らはもうモンスターが開放されることがないと知って、舞台から<超級>の二人――フィガロと迅羽を助けようと動いた<マスター>達だ。
しかし、強固な結界を破れず……今は彼らも中継映像に釘付けになっている。
男はそんな彼らの横をすり抜けて、結界に近づく。
不意に、男に向かって何かが襲い掛かる。
それは、青いスライム。
闘技場に解放された【オキシジェンスライム】、その残滓。
【オキシジェンスライム】は男に襲い掛かり――男が無造作に振った裏拳で塵になった。
超低温猛毒不死身のスライムが、ただの拳で破壊されていた。
スライムとの戦闘とも呼べぬ一瞬の接触により、結界の周りにいた<マスター>も男に気づく。
しかしそのときには男の拳は振るわれ、先のスライムのように――結界を一撃で破壊していた。
結界が壊れた瞬間、内部に閉じ込められていた二人の<超級>が解放される。
結界の破壊に闘技場が騒然となる中で……男は<超級>の一人、【超闘士】に声をかけた。
「ここは任せた。地下の奴や、観客席の二人が何かやりそうだったら止めといてくれ」
男はそのまま出口に向かって歩いていく。
その背に、【超闘士】は問う。「君はどうするのかな?」、と。
男は、一瞬だけ中継映像を見て……背を向けたままこう答えた。
「あいつの掴んだ可能性を――繋げてやるのさ」
そうして、男は――五万の敵が待つ戦場へと出陣した。
To be continued
次回の更新は明日の21;00です。
( ̄(エ) ̄)<待たせたな(ストックを二話分くっつけて投稿しながら)
(=ↀωↀ=)<……そこまでして出番まで一気にやりたかったのかー




