第二十九話 右腕
□決闘都市ギデオン西部<ジャンド草原>
「《風蹄》……発動!!」
レイの宣言と共に、レイを乗せたシルバーの像が歪む。
《風蹄》により圧縮空気のバリアを展開したことで、光が歪んでいる結果だ。
「……なぜここで?」
そのスキルを目にしたとき、フランクリンは驚きと疑問の声を上げた。
未知のものを目の当たりにしたから、ではない。
既知のものをなぜそこで使うのか、という思いからだ。
「あれは、“移動と防御”のスキルなのに?」
レイが【煌玉馬 白銀之風】を入手したとき、まだ彼の体内には【PSS】が寄生していた。
当然、情報は得ている。
《風蹄》というスキルについても把握している。
圧縮空気のバリアと、空中歩行能力……つまりは飛行能力の追加。
それらは騎乗系の特殊装備やモンスターは度々持っている系統のスキルだ。
ゆえに対策は打っている。
攻撃器官の眷属を全身に配し、光弾の数によって撃ち落とす仕様がそれだ。
《風蹄》が攻撃であるならば対応する防御機能を積んだだろうが、その必要もなかった。
「何もおかしなことは書いてないし、あれを使われたところで……別に何も起きないよねぇ?」
自身のスキルで【シルバー】の装備スキルを確認しながら、フランクリンはその考えを声に出した。
自分に確かめるように。
今言い知れぬ不安があるのを誤魔化すように。
――結論から言えばフランクリンの判断は間違いではなかった
――《風蹄》は圧縮空気のバリアと空中移動のスキル
――本来ならばどうということはない
――ある装備との組み合わせを除けば
「――【ゴゥズメイズ】!!」
レイが更に言葉を重ねる。
その言葉に答えるように、彼の足に装着された紫と黒の革ブーツが動く亡者の如く唸り、明滅する。
「MPを……ブチまけろ!!」
瞬間、レイのブーツ――【紫怨走甲 ゴゥズメイズ】は紫色のエネルギー――魔力を空中に放出した。
本来ならば無色透明なエネルギーのはずの魔力。
だが、【紫怨走甲】から放出されたそれは、おぞましい紫色だ。
それは、その魔力が【紫怨走甲】の装備スキル《怨念変換》により貯蔵された魔力であるゆえに。
周囲の怨念・負の想念を貯蔵し、着用者のSPやMPへと変換するスキルゆえに。
その魔力量は膨大であり、並の魔法系統上級職など鼻で笑えるほどだ。
それどころか……魔法系の超級職にすら匹敵する。
「……おいおい」
そのエネルギーに、フランクリンは僅かに後ずさる。
MPとすれば数十万、カンストした上級魔法職数十人分もの莫大な値。
「あのスキル、か?」
フランクリンはレイを調べていたから【紫怨走甲】の《怨念変換》も知っている。
ゆえに、今理解不能だったのは、あの莫大な魔力の元になったものだ。
「そんな量の怨念なんて一体どこから…………畜生ッ」
言葉を発しながらフランクリンは気づき、吐き捨てた。
気づいてしまった。
「私か……!」
その怨念が、負の想念が、“フランクリンの引き起こしたゲームによって発生した”ことに。
数多の改造モンスターやPKが跳梁跋扈し、現在も中継でモンスターが街中に解放されると煽っている。
そうして生じたギデオンにいる数万人の人々の“恐怖”。
それが街中を駆けている内にあの【紫怨走甲】によって貯蔵され、今まさに魔力へと変換されているのだ。
【ゴゥズメイズ】の性質からして死者の怨念が最も良いエネルギー源であり、生者から発散される恐怖の想念はそれには幾分劣る。
しかしそれが数万人分ともなれば、空気中に発散されるものを吸収しただけでも莫大な量に、数十万というMPに変じる。
(私のミスか? いや、ミスではなかった。これは回避し得なかった事象。待った、今の問題は……)
《怨念変換》のMPを《煉獄火炎》や《地獄瘴気》、《逆転は翻る旗の如く》に回すことはフランクリンも想定していた。
問題は、それらが無意味な現状で、莫大な魔力を何ゆえに解放したのかということ。
そして、その答えはすぐに示された。
【紫怨走甲】から解放された魔力が、【シルバー】へと吸収されたのだから。
――直後に猛烈な風が吹いた。
それは北から、南から、西から、東から、遍く全ての方角から吹き寄せる。
否、それは風ではない。
周囲一帯の空気が【シルバー】を中心に吸い寄せられているのだ。
――“搭乗者のMPを注ぎ込むことで圧縮空気の防壁を展開する”
《風蹄》というスキルの真価を発揮するために。
数十万のMPを使用して、周囲の空気を圧縮し続けた。
やがて、レイの姿が【シルバー】ごと見えなくなる。
そこには漆黒の球体が――圧縮の果てに外界の光を透過しなくなった圧縮空気のバリアがあった。
「……ッ!」
その球体を見た瞬間、フランクリンは全てを察した。
あの莫大なMPによって作られた圧縮空気のバリアが……バリアなどではないということも。
「【RSK】、動け! 移動だ!」
あの球体は光を通さない。
ならば、内部からも外部は見えてはいない。
移動さえしてしまえば、レイに【RSK】を捉える術はない。
「そうはさせぬ!!」
だが、【RSK】の動きを封じるように、一人の【聖騎士】――リンドス卿が行動していた。
「《グランドクロス》!!」
リンドス卿は全力の牽制を放つ。
その聖なる光は眼前の【RSK】に何の痛痒も与えない。
だが、それでいい。
ダメージは受けなくとも聖なる光の圧力によって、動きは鈍る。
全ては、レイの放つ一撃を当てるために。
「チィ!! 《喚……!」
フランクリンは危機を打破するため、咄嗟に新たな改造モンスターを出そうとした。
しかしそれを実行するよりも早く――漆黒の風が【RSK】へと駆けた。
リンドス卿は咄嗟に軌道から飛び退き、そのまま距離をとる。
自由になった【RSK】は身を退こうとするがそれはあまりに遅く、
――漆黒の球体が【RSK】へと激突する。
だが、【RSK】の身には触れていない。
【RSK】の展開した《マテリアルバリア》によって阻まれている。
そう、どれほどの圧縮密度であろうが所詮はバリア。
攻撃力が増加するわけではない。
そのことを、【RSK】は微小の思考力で理解と共に安堵し、
「チッ」
【RSK】の作成者は“避けられなかった”と舌打ちした。
「――《風蹄》、解除」
その声は、圧縮空気のバリアの中で生じ、その中にしか聞こえない。
しかしその言葉が成したことは、誰の目にも見えた。
黒い球体が消えて――直後に大爆発が起きた。
その爆発は《マテリアルバリア》など紙のように破り、【RSK】に直撃した。
◇◇◇
レイ・スターリングがその現象に気づいたのは偶然だった。
朝方の《風蹄》のテスト中、使い勝手の悪い圧縮空気のバリアをどうにか有効活用できないかと考えていたときのことだ。
圧縮空気のバリアは、レイのMPを限界まで注いでも<ネクス平原>のモンスターの攻撃で突破される程度。
それはレイのMPに比例して圧縮空気のバリアの性能が低い結果であるとレイは結論付けた。
しかし、レイはふと思いつく。
「そうだ、【紫怨走甲】と組み合わせてみよう」、と。
《怨念変換》で昨日と今日に回収したそれなりのMP(それでもレイの最大値より遥かに多い量)が溜まっていた。
「これで《風蹄》を使えばもっと強力なバリアになるんじゃないか」とレイは考えた。
それは正しく、比較にならない強力なバリアが張られた。
モンスターに群がられても全く突破されない。
周囲が見えなくなる欠点はあったが、それは使い道次第だろうとも考えた。
そうして実験を終えて、レイが《風蹄》を解除して周りのモンスターと戦闘しようとした瞬間。
シルバーの周囲が爆発した。
あるいは、破裂と言ってもいいかもしれない。
巻き上がる土煙と木っ端微塵になったモンスターの雨の中でレイとネメシスは揃って首を傾げた。
だが、話は簡単だった。
《風蹄》の作るバリアはあくまで空気を集めて圧縮したもの。
ゆえに《風蹄》を解いても、“集めた空気が消えるわけではない”。
集められた空気は《風蹄》という容器を失った瞬間、周囲に拡散し――結果として爆発を引き起こす。
風船の破裂……それを何百何千倍の規模で行うようなもの。
爆弾との違いはそこに殺傷用の鉄片が混ざっているかいないかくらいのもので、爆圧だけで生物の体を容易に引きちぎる。
考えてみれば当然の結果だった。
幸いシルバー自身にはその爆発に巻き込まれない仕組みがあるらしくてレイ達は無事だった。なければデスペナルティになっていただろう。
しかし、モンスターの血肉と土が混ざって降り注ぐような周囲の惨状は、今後の使用を躊躇うには十分だった。
そうしてレイはネメシスと相談して、自分達以外は無差別に爆発に巻き込んでしまうこの運用方法を封印することにした。
結局、その日の内に……実験よりも遥かに多いMPで使うことになったが。
◇◇◇
【紫怨走甲】の内部に貯蔵された数十万のMPを全て《風蹄》に回した場合、解放時の爆発がどれだけの威力になるかはレイ自身にも見当がつかなかった。
だが、
「……どうやら、あいつのバリアをぶち破るだけの威力は出せたらしいな」
レイの眼前で【RSK】は地に伏し、球体の上半分が消失し、内臓が露出していた。
被害は【RSK】に留まらない。
周囲の地面は捲り上がり、もはや<草原>とは言えない有様になっている。
レイの想定を二回りは上回る威力。
人の近くで使用していれば、大惨事もいいところだ。
「……やっぱり近衛騎士団の人達が倒れている状態じゃ使えないスキルだったな」
リリアーナやリンドス卿、近衛騎士団の人達は大丈夫だろうかとレイが視線をめぐらせると、無事を確認できた。
「さて」
レイは【RSK】に向き直る。
そう、まだ終わってはいない。
【RSK】が塵になっていないということはまだ生きているということだ。
レイも《風蹄》の解除が引き起こす爆破だけで【RSK】を倒せるとは考えていなかった。
何より、
「そりゃ、できるよな」
【RSK】は少しずつ自己再生を始めていた。
昨日にレイが相対した【ゴゥズメイズ】のように、肉が少しずつ盛り上がり欠けた体を再構築していく。
自分の体からモンスターを生やせる相手。
このくらいはレイにとっても織り込み済み。
ゆえに、レイはここで詰めにいく。
「……行くか」
レイはシルバーを再生途中の【RSK】へと走らせる。
【RSK】の再生速度は体積が増えると同時に加速し、傷は少しずつ埋まっていく。
そして再生に伴い他の機能も回復したのか、再び亀裂が開き、【RSK】へと向かうレイに光弾を連射してくる。
だが、光弾の数は先刻よりも少ない。《風蹄》の爆発によって体の上半分にあった眷属は全滅している。
さらには【RSK】本体がまだ再生途中であり、眷属の生成にまでエネルギーが回っていない。
弾幕が薄くなるのも当然だった。
「突き抜けろ……シルバー!」
【風蹄】で空中を疾走しながら、光弾の雨を掻い潜り、シルバーは【RSK】へと肉薄する。
「間に合え……!!」
【RSK】に肉薄した瞬間、レイはシルバーから飛び降りる。
そして、【RSK】の最後の傷口へと――左の腕を突き込んだ。
「……ッ!」
生暖かい肉で腕を圧迫される嫌な感触があったが、それには腕を潰すほどの圧力はない。
「【ガルドランダ】!!」
レイは左手甲――【瘴焔手甲 ガルドランダ】の火炎噴射口を【RSK】の内部で開放させる。
『フハ……、無駄無駄。《煉獄火炎》も《地獄瘴気》も効かない、ってさっき言ったじゃないねぇ』
それはレイにとってもはや聞き慣れたフランクリンの嘲笑交じりの声。
姿は見えないが、フランクリンの声だけが周囲に木霊している。
『さっきの攻撃は驚いたけど、あれはもうできないだろう?』
「ああ。【ゴゥズメイズ】に貯蔵していたMPは使い切ったから、もう同じ手は使えない」
『なら君にはもう打つ手はないねぇ』
フランクリンはそう言って笑うが、
「そうでもない。このままコイツを焼けるからな」
レイも笑みを浮かべてそう返した。
『……なぜそんな無駄な真似を? 《煉獄火炎》は君が来たときにも使っていたけどまるで効いていなかったじゃないか』
そう、フランクリンが述べたように、先刻放った《煉獄火炎》は効いていなかった。
だが、
「コイツ、どこに撃っても無効化できるのか?」
『…………』
俺の言葉に、フランクリンの言葉が止まる。
「例えば、体の“内側”なら炎も効くんじゃないか?」
体の表面だけ無効という可能性は十二分にありえるとレイは考えていた。
そもそも……。
「本当に何をどうやっても無効化出来るなら、「無効化できる」なんて情報を教えてくれるわけないものな。あんた、性格悪いし」
それが一番の理由。
何かしら弱点があるのでなければ、あんなこと言いはしないだろうというレイの直感。
『無』
「無駄かどうかは……今から確かめようぜ」
そしてレイは、残る全てのMPを【瘴焔手甲 ガルドランダ】へと注ぎ込む。
『待――』
「――《煉獄火炎》、全力放射!!」
【RSK】の内部で鬼神の炎が荒れ狂う。
【RSK】の体内に充満し、数多の亀裂から噴出し、レイが腕を差し込んだ傷口からも逆流する。
【RSK】の肉も、攻撃用の眷族も、中枢神経も、レイの左腕も、全てを飲み込む紅黒の炎が【RSK】から噴き出す。
「根競べといこうぜ、天敵さんよぉ!!」
『■■■■■……!!!』
口のない体で声無き悲鳴をあげ、【RSK】は絶叫する。
レイを振り落とそうと、全身を震わせ、触腕を振り回し、払い落とそうとする。
【RSK】は内側から焼き尽くされる異常事態に、レイを攻撃しないという禁を自ら破っている。
だが、レイは右手に握った【黒大剣】のネメシスを【RSK】の目蓋の一つに突き立ててそれに耐える。
背を触腕が叩くが、自前の耐久力でそれに耐える。
焼かれる左腕、打ち据えられる背中、目に見えて減少するHP。
だが、レイがこの炎を止めることはない。
この炎が止まるのは、自分か【RSK】が死んだときだと既に決めていた。
だが、彼の有限なHPとMPは尽きようと……。
「【ゴゥズメイズ】!!」
その言葉を発した瞬間に、レイの中に明確な考えがあったわけではない。
だが彼は、今は自身のブーツとして【RSK】を踏みつけている怨念の怪物に呼びかけていた。
そして【ゴゥズメイズ】はその一言で事を成した。
即ち、今まさに苦痛と怒りという負の想念の塊となっている【RSK】からの《怨念変換》。
巨大な怪物である【RSK】の放つ怨念を直に吸収し、MPへと変換してレイとレイの左腕へと回す。
得られたMPによって【ガルドランダ】の炎は勢いを増し、レイは自身に回復魔法を掛け続ける。
放たれた炎は【RSK】の苦痛へと変じる。
苦痛を吸収して【ゴゥズメイズ】はMPに変換する。
それはあたかも永久機関の如き有り様。
されど、永久などというものはない。
壊れないものも、ない。
長いのか短いのかも不明瞭な時間の後……あるものが壊れた。
燃え盛る紅黒の炎の中で、一つの影が崩れ落ちた。
◇◇◇
その夜、ギデオンの街に住むティアン達は恐怖に囚われていた。
街には凶悪な様相の怪物が放たれ、<マスター>同士の戦いで街並みも壊れていく。
家の中に閉じこもる者、緊急時の避難先とされる施設に向かう者、路地で膝を抱えて震える者、闘技場で同じ立場の者と不安を話す者。
そんな彼らの恐怖を煽るためか、いくつもの映像がギデオンの街の空に映し出される。
それは白衣を纏った怪人と巨大な怪物の姿。
そしてそれに抗するたった三人の【聖騎士】の姿。
怪人は言う。
彼らが時間内に怪物を倒せなければ、無数の怪物がギデオンを破壊する、と。
人々の恐怖は高まる。
彼らは絶望の時を待つ虜囚となった。
けれど、絶望が迫る中でも、彼らには僅かな希望があった。
それは、映像の中の彼らが戦っていたから。
巨大な怪物を前に、たったの三人で挑み続けていたから。
彼らの姿が、絶望に抗う希望そのものだった。
やがて、一人の【聖騎士】にして唯一の<マスター>である青年が怪物と共に炎に包まれる。
彼の放つ炎は怪物だけでなく彼自身も焼いている。
さらに怪物の巨大な触腕が何度も何度も彼を叩く。
それでも彼は諦めてはいなかった。
止めることはなかった。
そうして成す者にとっても、見る者にとっても、長く、短い時間は過ぎて。
一つの――“巨大な”影が崩れ落ちた。
十の触腕は崩れ落ち、球体の如き肉塊は黒く燃え尽きた内側を晒し……やがて全てが光の塵となって消えていく。
そうして風に流れて消える光の中に、一人の青年の姿があった。
彼の左腕は、彼自身の放った炎で炭化していた。
触腕によって幾多の打擲を受けた全身はボロボロで、身に纏った装備品も原形を残してはいない。
されど、その目には力が残っている。
その右手には、彼の体を支えるように黒い大剣が握られている。
彼は、残る力を振り絞って右手を振り上げた。
恐怖の只中にあるギデオンの人々に、恐怖は去ったと示すように。
あるいは己の勝利を示すように。
この決闘都市に住む者達が幾度となく見た闘技場の英雄達のように、彼は勝利者の右腕を掲げている。
そうして次の瞬間……ギデオンは歓声に包まれていた。
To be continued
次回の更新は明日の21:00です。
(=ↀωↀ=)<第三章裏ハードル
(=ↀωↀ=)<第二章終了時からレイやネメシスに新しいスキルくっつけない(応用は除く)
(=ↀωↀ=)<《風蹄》は持っていたけどスキル説明は第三章だから達成は50%くらいかもしれません




