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第二十一話 ユーリ・ゴーティエ

 □■ユーリ・ゴーティエ


 それはわたし、ユーリ・ゴーティエの過去と現在の話。


 わたしはフランス南部の、所謂上流に分類される家庭に生まれた。

 父は一代で莫大な富を築いた資産家。

 母は元舞台女優であり、子であるわたしから見ても優しく美しかった。

 そして才色兼備であり、年の離れたわたしにも暖かく接してくれた自慢の姉。

 それがわたしの家族であり、それは外側の大多数から見て恵まれた環境ではあっただろう。

 しかしながら、内側から見たわたしには別のものが見えていた。

 父には商才こそあったが欲深く、傲慢であり、母に辛く当たっていた。

 母はそんな夫に耐えながら、子供には努めて辛い素振りを見せないでいた。

 姉も私の前ではいつも優しかったが、何かを悩んでいる様子だった。


 わたしは覚えている。

 時折、母に連れられて結婚前に母が活躍していたという劇場で舞台を見に行ったことを。

 舞台上の演劇を見る母の目が楽しむ、昔を懐かしむと言うよりは……何かを悔やんでいるようであったことを。


 わたしは覚えている。

 姉が自室で将来に悩んでいたことを。


 わたしには、生活に何の不都合もなかった。

 母と姉はもちろん、父もわたしには優しかった。

 わたしにとって世界は優しかった。

 けれどわたし以外の……母と姉を取り巻く世界は次第に悪くなっているようだった。


 物心ついてからそんな生活が数年と続き……両親は離婚した。

 その理由は姉の蒸発だった。

 直筆の置き手紙に訥々と別れの言葉が書いてあったらしい。

 わたしはその手紙を読んでいないけれど、事件ではなく姉自らの意思で家を去ったらしいことは明白だった。

 わたしは理由を知っていたから、悲しいとは感じても不思議とは思わなかった。


 数年前まで、姉は母方の祖父から美術を教わっていた。

 きっかけは姉が飼っていたディラン……ペットのイグアナが死んだときのこと。

 悲しんでいた私達に祖父がディランそっくりの石膏像を作ってくれたのがきっかけだった。

 祖父は世間的に芸術家と呼べるほど優れてはいなかったけれど、石膏で作った動物の像を姉はとても気に入っていた。

 そうして、祖父に教わりながら、姉は自分でも石膏像を作っていた。

 祖父が亡くなってからも、姉は石膏像で動物を作り続けていた。


 姉が蒸発する前日のこと。

 姉の作った石膏像が全て砕かれていた。

 それどころか、祖父の遺したものもすべて壊されていた。

 やったのは父だ。

 姉の作った石膏像を砕きながら、「お前はいつまでこんなことを続けている」、「お前はもう嫁に送る先が決まっているんだ」、「石膏臭かったら相手が気に入らないだろう」、そんな罵倒を父は繰り返した。

 砕かれた像を前に、姉はひどく冷めた目で父を見ていた。


 そうして、置き手紙一つで姉は出て行った。


 父は激怒し、母もずっと溜め込んでいた鬱憤を露わにし、お互いのせいで姉が蒸発したのだと言い合った。

 父に言わせれば、「爺の道楽につき合わせておかしな趣味を覚えさせたからだ」、と。

 母に言わせれば、「あなたがあの子の気持ちを全く省みなかったからだ」、と。

 そうして、当たり前のように二人は離婚した。

 わたしは母に引き取られ、以降は別の地方で暮らすこととなった。

 この幼少期からの一連の生活の中、わたしは一つのことを思った。


 ――わたしが守れたらよかったのに


 母を、そして姉を。

 わたしが彼女達を苛むものから守れていれば、こんな結末には至らなかったのではないかと幼いままに考えた。

 それこそ、母に連れられて観た演劇に登場する貴公子のように、騎士のように、彼女達を守れる男であったならばと、強く願った。

 しかし、それは決して叶わない願い(・・・・・・・・・)であると……わたし自身がその時点で理解し、ゆえに燻っていた。


 ◆


 両親の離婚から数年後……わたしの願いはあるものによって叶うことになった。

 それはゲーム。

 <Infinite Dendrogram>という名のゲーム。

 新世界と自分だけの可能性を提供すると謳うゲームの中でわたしは……“私”になった。


 そう、私は<Infinite Dendrogram>の世界でドライフ皇国の【高位操縦士ハイ・ドライバー】ユーゴー・レセップスになった。


 ユーゴーは背が高く、立ち居振る舞いも貴公子然としている。

 そう見えるように演劇などから学習したので、雰囲気については努力の賜物だろうか。

 あるいは舞台女優であった母から少しだけ才能を継げていたのだろうか。

 わたしがユーゴーに求めたのは、幼き頃に抱いたわたしの願いの実現。

 女性を守る騎士となること。

 そして、か弱き女性を苛む悲劇を打ち倒すこと。

 美しき花の棘となる者……わたしがユーゴーに求め、演じているのはそうした人物像だ。

 女性の悲劇を救う騎士がいないから、私自身が騎士になる。

 それはある意味では歪んだ願いだったのかもしれない。

 それでもわたしは<Infinite Dendrogram>に入って一ヶ月間……<Infinite Dendrogram>の時間では三ヶ月の間、己にそれを課して……演じ続けてきた。


 ◆


 今回の計画に際して私は、わたしがユーゴーに課した役割を初めて放棄せざるを得なかった。


 ユーゴーの属するクラン<叡智の三角>と、ドライフ皇国の宰相派が共謀して起こしたのが今回の計画だ。

 計画はギデオンという都市一つを巻き込む大規模なものであり、無辜の民に悲劇を振りまくものだ。

 計画には王女の誘拐も含まれてもいた。

 本来であれば……わたしの理念を形にしたユーゴーならば、クランを辞してでもこの計画には参加しなかっただろう。

 けれど、私には計画に参加する理由が二つあった。


 一つ目は、この計画を実行した方が長期的には遥かに被害が少ないからだ。

 この計画によって王国を屈服させれば、それ以上に血を流すことなく皇国と王国の戦争は終わる。

 逆に言えば、この計画で終わらなければ次は血で血を洗う戦争が再開する。

 特に、皇国の半分はそちらをこそ望んでいるのだから。

 皇国には二つ……正確には三つの派閥がある。

 それは宰相派と元帥派、そして皇王派である。


 内政を司るヴィゴマ宰相率いる宰相派は、先の戦争での出費による国力の低下に頭を悩ませていた。

 前回は皇国の財貨を<マスター>に大盤振る舞いし、多勢を味方として圧勝した。

 だが、皇国の財政にとって極めて大きな傷となった。

 前回の戦いで結局は王国を陥落させられなかったこともあり、収支で言えば完全にマイナスだった。

 そして一度上げてしまった報酬のハードルは下げられない。

 下げれば前回戦争時の王国同様に<マスター>の反感を買い、参戦者が大幅に減るだろうことが予想されるからだ。

 だからと言って同じだけの報酬を用意できるのはあと一回が限度。その一回で勝ったとしても皇国の財政に穴が空く。

 ゆえに、宰相派は戦争再開前に決着をつけるために今回の計画を立てた。

 <叡智の三角>としてもスポンサーである皇国の財政破綻を避けるため、むしろ中心となって計画に協力している。


 対して軍部を司るバルバロス元帥率いる元帥派の見解は異なる。

 戦争は王国一国を落として終わりではなく、今後レジェンダリアやカルディナといった国との連戦も十分考えられる。

 ならばこそ、ここで皇国の強大さと軍事力、そして<マスター>への手厚い褒賞をもってアピールする。

 そして以後の戦争のための<マスター>の誘致と戦力拡大、そして他の国への畏怖拡大をこそ目論むべきというのが元帥派の考えだ。

 掛かるコストは攻め落とした王国の国庫から賄えばいいという、山賊か何かのような戦略でもある。

 それに同調するのは悪魔軍団の長である【魔将軍】ローガン・ゴッドハルト。

 より自分の力を魅せる戦いをこそ望む人物であり、目的よりも手段を好んで元帥に同調している。


 この二つの考えが、現在皇国を二つに割っている。

 なお、第三の派閥にして皇国最大の権力者が率いる皇王派が、ドライフの行く末を決める政治方針については、何の意見も(・・・・・)持っていない(・・・・・・)ことも両陣営の派閥争いの表面化と二極化を加速させている。

 それも致し方ない。皇王派……ドライフの現皇王は国益も政治も斟酌していないのだから。

 皇王はただ、個人的な目的のために王国を攻めることを決定しただけなのだから。


 兎にも角にも、方針の異なる両派閥による交渉の結果、ある決定が下された。

 宰相派が行う計画によって王国を併合できればそれでお終い。

 計画失敗により戦争状態が継続した場合は元帥派が全権を持って侵攻を再開する。

 元帥派の侵攻案になった場合、間違いなく両国の被害は大規模なものとなる。

 皇国が勝ったとしても王国の軍や<マスター>を蹴散らすだけで終わらない可能性が高い。

 むしろ“見せしめ”として過大な犠牲が王国に生じる可能性すらあった。

 だからこそ、私は選択をせざるを得なかった。

 今の悲劇と後の大悲劇、どちらを選ぶか。

 どの道、私が参加せずとも計画は実行される。

 ならば自分が参加することで少しでも計画の成功率を上げ、この一回で終結することをこそ望んだ。

 それが計画に参加した第一の理由。


 第二の理由は、非常に個人的なものだ。

 第一の理由がユーゴーの役割ゆえの理由だとすれば、第二の理由はわたしの理由。

 それは計画の立案者にして実行者であるあの人……この<Infinite Dendrogram>においてはMr.フランクリンを名乗るあの人を、わたしが強く慕っているからだ。

 わたしを<Infinite Dendrogram>に誘ったのはあの人で、すぐ自分のクランに迎え入れて様々な手助けをしてくれたのもあの人だ。

 何より、それ以前の理由があった。

 あの人を手助けしたい。

 まだあの人と一緒にいたい。

 そのわたし自身の思いが、計画の遂行者としてあの人と共にこの地に立っている理由の半分だ。


 けれど、それはつまり半分の義務感と半分のエゴによってこの悲劇を引き起こそうとしているに他ならない。

 そのことにわたし自身、大きく悩んだ。

 そんなとき、あの人は今回の計画にあたり私にあることを約束してくれた。


 ――PKやモンスターが狙うのはあくまで<マスター>だけ。


 それはプランAが失敗し、プランBで街中に配置したモンスター解放装置を起動させることになっても同じ。

 モンスター自体は元々<マスター>しか狙わないようにあの人がつくったものだ。

 PKだって指名手配を避けるためにティアンは狙わないだろう、とあの人は言った。

 そう、計画においてティアンの人命が脅かされる事態は極力抑えると、あの人は私に約束してくれた。

 あの人にしてみれば、ティアンの被害はどうでもいいものだ。それでもわたしの心境を慮り、約束してくれた。

 だから、私はそれを信じ、自身も計画を達成するために力を尽くすことに決めた。


 大悲劇を回避するため。

 あの人と共にあるため。

 そして信頼のために。


 私は――“氷と薔薇の機士”ユーゴー・レセップスは悲劇を起こす側に回った。


 ◆


 計画実行当日。

 中央闘技場での【超闘士】フィガロと【尸解仙】迅羽の戦いが決着し、計画は実行に移された。

 ギデオンの街中でPKが<マスター>を狩り、解放された一部のモンスターも<マスター>を襲い、街を壊す。

 その喧騒から意識を逸らすように、私は計画の実行前にあの人から新たに提供された【マーシャルⅡ改】のシートに座りながら瞑目していた。

 計画の発動から十分ほどが経って、私の耳に幾多の馬が石畳を駆ける音が聞こえてきた。


「あれは、皇国の<マジンギア>!」

「殿下救出を阻むためのフランクリンの手勢か!」


 彼らとはまだ距離があるが、何を話しているかは【マーシャルⅡ改】の装備スキルである《集音》で把握できる。

 モニターカメラ越しに見てみれば、それは近衛騎士団の【聖騎士】達の姿だった。

 近衛騎士団に属するのは全員<マスター>ではないこの世界の人間。

 ゆえに私の相手ではない。

 私は【マーシャルⅡ改】の腕を動かし、自ら計画の開始直後に立てた看板を指差した。


「『この先、<マスター>通ること叶わず』……ならば我々は通っても構いませんね?」


 看板を読み、そう問うてきたのは一際目に映える純白の鎧を身に着けた女性。

 私があの人から受け取った事前の資料によれば、その女性の名は近衛騎士団の副団長を務めるリリアーナ・グランドリアだった。

 そして昨日、ゴゥズメイズ山賊団から救出した子供達を乗せた馬車でギデオンに駆け込んだ際に、事情を説明した相手でもある。


『…………』


 彼女の問いに【マーシャルⅡ改】を首肯させ、門の前から横に退くことで示した。


「わかりました。ならば我々はこのまま門を通り、<ジャンド草原>でフランクリンを迎え撃ちます」

「グランドリア卿! この<マジンギア>を放置してよいのですか!」

「ここで戦えば、我々にとって不利な地形で眼前の<マジンギア>とフランクリンの挟み撃ちを受ける形になります。それに、この<マジンギア>はあのフランクリンが、単独でギデオンの<マスター>の相手を命じるほどの猛者。そのような相手と戦えば、勝ったとしてもフランクリンから殿下を救出する余力が残りません」

「……承知しました」


 そうしたやりとりの後、近衛騎士団の面々が順に西門をくぐっていく。

 【マーシャルⅡ改】の横を通る際に、不意討ちを警戒するもの、緊張するもの、あるいは憎々しげな視線を向けるものは大勢いた。

 当然のことだと思った。

 自分がしていることはそういうことなのだと、理解……承知した上でここにいる。

 やがて殿として近衛騎士団を率いるリリアーナ自身が西門を通る。

 彼女は【マーシャルⅡ改】の横を通る際、私に言葉を投げかけた。


「貴方は、レイさんと一緒にゴゥズメイズ山賊団から子供達を助けてくれた人ですね」

『…………』


 私は一言も声を発していなかったが、彼女には気づかれていた。

 気配か、<マジンギア>越しの所作か。

 なぜ気づかれたのかは私にはわからなかったが、辛うじて驚きを露わにすることはなかった。


「その節は、ありがとうございました。……それとこれは近衛騎士団副団長としてではなく私個人の言葉ですが」


 そこで言葉を切り、リリアーナはジッと【マーシャルⅡ改】のカメラアイを……モニター越しにいる私へと視線を向けた。


「レイさんを悲しませないでください」

『…………』


 私はそれに答えることはできず……ただ一礼で返した。

 そうして近衛騎士団は西門を通り、<ジャンド草原>であの人を迎え撃つべく陣形を組み始めた。

 私はあの人と戦う彼女たちがどうなるのかについて、考えることも無視することもできず、ただ背を向けるしかなかった。


 ◆


 近衛騎士団から遅れること十分弱。

 今度は<マスター>と思われる二十人前後の集団が西門へとやってきた。


「<マジンギア>……ってことはここでビンゴだな!」

「ああ、やっぱりフランクリンは西門を抜けて脱出する手筈みたいだ!」


 ジョブか、あるいは<エンブリオ>のスキルであの人の移動先を予想し、待ち伏せするために先回りしたのだろう。

 その判断は正しく、あと五分もすればあの人は西門に到着するはずだ。


「あれはドライフの<マジンギア>だが、ドライフ軍の正式採用やカルディナに流出した奴とは少し型が違うな。恐らくは<叡智の三角>の子飼い。街中で暴れているPKとは別口だろう」

「なるほど、こいつはフランクリンの退路を確保する役目ってことか」

「一般的な【マーシャルⅡ】よりもステータスが高い。だが、それでも亜竜の二倍強」

「なら、俺達で十分にやれるな」


 《看破》や《鑑定眼》によって、私の《操縦》スキルによる補正を乗せた【マーシャルⅡ改】のステータスを見破られたことを察知する。

 けれど問題はない。

 <マジンギア>の利点。内側にいるパイロットのステータスやスキル構成は見えず、外界から遮られているため状態異常の大半を無力化する。

 それが重要だった。

 キューコを纏わずコクピットに入れているうちは、誰もこちらの手札を探る術がないということだから。


「<エンブリオ>を使ってくるとしても、こっちも<マスター>が二十人強いる。負けんさ」

「ハッハー! 脱出口で待ち伏せしてフランクリンを涙目にしてやるぜー!」

「『この先、<マスター>通ること叶わず』……フッ、通らせてもらうぞ!」

 

 そして二十人前後の<マスター>のほぼ全員が“目安”である立て看板を通り越し、【マーシャルⅡ改】に対して攻撃を仕掛けてくる。

 私はそれを待っていた。


「キューコ――《地獄門》」

『しょうち』

 

 キューコはすぐさま【マーシャルⅡ改】と融合。


 そして固有スキル《地獄門》の即時発動。


 半径200メートル、立て看板よりこちらの空間がスキルの効果範囲内になり――<マスター>達は瞬時に凍りついた。


『《地獄門》、あいてはしぬ』


 キューコはそんなよくわからないことを言っていたが、別にデスペナルティにはなっていない。

 ただ、余さず【凍結】しているだけだ。

 いや。


「え? ちょ、全滅、え?」

「……<エンブリオ>のスキルか!」


 二人残っていた。


「“100未満”だったか。しかし」


 問題はない。じきに十三秒経過して、次の“判定時間”になる。

 そうして私の予想通り、残ったうちの一人は《地獄門》の範囲から脱出しようとして……その途中で発生した判定で下半身が【凍結】した。

 けれどもう一人はまだ凍っていない。


『かずがすくない。たぶん、しえんしょく』

「【司教】か何かか。なら……仕方ない」


 私は左手に把握した銃器――【LRW03ヒュージグレネーダー】を構え、その二人に向けて連続で撃ち放つ。

 衝撃が轟き、爆炎が着弾地点の周囲を舐める。

 爆煙が晴れると、【司祭】の姿はそこにはなかった。

 また、巻き込まれた周囲の氷像が砕けて光の塵へと還っている。

 今のでレベルが上がったが、どうでもいい。

 また、私が破壊した氷像以外にも塵になっているものもある。

 恐らくは自害――強制デスペナルティを実行したのだろう。

 私の経験値になることや、【凍結】した状態での連続《窃盗》でアイテムを奪われることを警戒した、といったところか。

 別に私としては、進んで壊す気もアイテムを奪う気もなかったが……どうでもいい。


「ふぅ……」


 溜息の一つもつきたくなる。

 終わってみれば一方的な蹂躙だった。

 相手に速度特化の超級職でもいれば発動前に潰されていた可能性はあるが、結果はこれだ。

 十中八九、こうなることはわかっていた。

 こうなるからこそ、あの人は私をここに配置したのだと理解している。

 この街を拠点とする<マスター>にとって、私が天敵だからだ。

 なぜなら……。


「相当強力な冷気だな。――だが、俺には通じんぞ」


 私が物思いに耽っていると、立て看板の向こうに誰かがいた。

 それは全身に炎を纏った、一見すると人かどうかも不明瞭なシルエット。

 ただその逆立った赤い髪と能力は、あの人から渡されていた資料で見覚えがあった。

 彼はこのアルター王国の決闘ランキング第七位。名前は……。


「恐らくは複雑な条件をクリアすることで威力を高める類の<エンブリオ>だろう。だが! 俺のスルトは王国において炎属性最強の<エンブリオ>! どのような冷気だろうと凍ることはない」


 名前は……何だったか。


「俺の名は“炎怒”のビシュマル! 俺とスルトの炎、凍らせられるものならば凍らせてみろ!」


 ああ、そんな名前だった。

 

 全身から物質化した炎を、火山の噴火の如く迸らせビシュマルと名乗った男は突撃してくる。

 一目で分かる。あれは驚異的な威力を誇る<エンブリオ>だ。

 あの炎なら一撃で氷結装甲も、【マーシャルⅡ改】も、内部にいる私も焼き溶かせる。

 けれどそもそも……。


『――あなたでは通れない』


 王国最強の炎を纏った男は――炎を纏ったまま《地獄門》によって【凍結】していた。

 自身の勝利を疑わない顔のまま、凍っている。


『すまないが、《地獄門》に相手の熱量は関係ない(・・・・)んだ』


 だから、炎を纏おうと無意味。

 “100を超えてしまっているなら”……私の知る限り《地獄門》に逃れる術はない。


『ギデオンの<マスター>は強い。私よりもずっと強くて、対人戦の経験も豊富で、ベテランなのでしょう』


 ここで氷像になっている<マスター>の多くがそうだろう。

 だから……。


だからこそ(・・・・・)……あなた達では私には勝てないんだ。絶対に』


 ◆


 <マスター>を一掃してからすぐにあの人がやってきた。

 そして私にあることを告げた。


「レイ・スターリングも素通しでいい」


 聞けば、レイを自らの手で葬るためらしい。

 私は、私がレイと戦うことになると考えていた。

 レイには予め「西が本命だ」と伝えてある。

 彼が私の所属するクランを覚えているならば、計画が始まったときに何かを勘付いてくれるだろうと考えて、だ。

 私が彼に伝えた理由は、私の中の迷いからだ。

 昨日一日行動を共にして分かっていた。

 彼はきっと私と近い人間……悲劇を見過ごせない人間だ。

 そして、私と同じくこの世界の人々の命を地球の命と同様に感じている。

 私は今回、自分で選んで悲劇を起こす側に回った。

 彼はきっとそれを止めようとするだろう。

 だから私は彼に伝えた。

 悲劇の一端を担いながら、罪悪感を覚えるから悲劇を止める手助けもする。

 私の中の悲劇を止めようとする思い、迷いを彼に預けたのだ。

 そして彼を私の迷いの代役として、ここで戦って“どちらになるか”を定めようとしたのだ。

 自分でも分かる。

 それは彼をコイントスの代わりにしただけだ。

 歪んでいる。あまりにも自分勝手で醜悪だ。

 それでも、そんな選択をせざるを得なかった。


 あの人は会話の後、西門を出て外へと向かった。

 間もなく、近衛騎士団との戦闘が始まるだろう。

 起きるであろう結果から、今は目を逸らしていた。


 ◆


 それから間もなく――彼は私の前に現れた。


 To be continued


次回の投稿は明日の21:00です。


余談

“炎怒”のビシュマル。

力士系統上級職【強力士パワー・レスラー】。

決闘ランキング七位。

<超級激突>は「フッ、観なくても分かる。迅羽の勝ちだ。賭けてもいいぞ」と言って観に行かなかった。

計画発動直後、「黒幕は……東だな!」と言って東門まで突っ走って空振り、「ならば南だ!」と南門へと移動してもう一度空振り、ようやく西門へとやってきた。

その途中で一応PKやモンスターを合わせて二十は倒しているから一応猛者。


必殺スキルは炎と化した体で相手にしがみつき、大爆発する。

ただし、炎になっているだけでも消耗が激しく、三分もするとMPとSPがなくなって隙だらけになる。

正直、必殺スキルを使い始めたら勝負に乗らずに逃げているだけで勝てる。

まともに勝負しようとするのは八位のチェルシーと六位のライザー、一位のフィガロだけである。

ギャンブル弱いし読みも下手なのに賭けに出すぎる男。


なお、“炎怒”とは必殺スキルを使えば相手かビシュマルのどちらかが“エンド”になるという意味の通り名。

命名したのは四位のジュリエット(中身は日本人)。

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[気になる点] 悲劇を見過ごせないって言いつつ侵略を止めるんじゃなくて王国を屈服させようとする当たりね...
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