第十八話 【絶影】VS【奏楽王】
■???
一人の男の話をしよう。
男は作曲家だった。
そして、彼の世代の中では指折りの天才であった。
音楽に興味のない人々であっても映画やゲームのスタッフロールに彼の名を見ることも多い。
そんな彼には一つの夢があった。
彼は歌劇を描きたかった。
かつて、少年時代に歌劇を見てからずっと……その夢を抱いていた。
彼が描こうとしたのは一人の英雄の生涯。
既存の伝説にない架空の英雄であり、彼が描こうとしたのは英雄の人生全てを描く物語。
人の歓喜を、憤怒を、悲壮を、生きる意味を、一連の歌と物語で描く。
それこそが彼の理想だった。
けれどそれは叶わない。
彼の築き上げた実績ならば、歌劇の作曲と脚本、演出を手がけることは可能だった。
けれどそれは叶わない。
彼が歌劇を作りたいと意向を伝えたならば、スポンサーにつく者も数多いただろう。
けれどそれは叶わない。
他ならぬ彼自身が、自身の夢を、理想を、形に出来なかったから。
理想は己の中にある。
けれどそれはひどくあやふやで、確かな形に直そうとすると夢のように掻き消えてしまう。
文机の前で彼は懊悩する。
――なぜだ。
――なぜ私は、作ることが出来ない
これまで無数の名曲を書き上げてきたのに、自らの夢を叶える段になって、彼は停滞した。
そうして二年もの歳月を悩む中で、彼は自身の理由を知った。
――そうか
――私の中に『ない』から、描けないのだ
その理想の物語が形にならないのは、彼自身が英雄も戦いも知らないからだ。
だからどんなに理想を描こうとしても、形にした瞬間に偽物へと変わってしまい、消える。
少なくとも、彼はそう結論付けた。
――ああ、けれど、どうすればいいのだろう
――どうすれば英雄と戦いを知れるのだろう
戦地に赴くには彼自身が老いていた。
それに赴いた先で死ねば意味がない。
さらに言えば、今の世界に彼が求める英雄の物語は存在しない。
――なぜ私は騎士の時代にいなかったのだ
――なぜ私は神話の時代にいなかったのだ
もはやこの世界では決して実感することが叶わない、得られることがない体験。
絶望と共に、叶わぬ願いを諦めて、妥協によって作品を遺すべきかを考えていた。
そんなときだ。
――<Infinite Dendrogram>は新世界とあなただけの可能性を提供いたします
そんな言葉が、彼の耳に届いた。
新世界とは何か。
よくよく調べてみるとそれはゲームの謳い文句であった。
彼はゲーム音楽の作曲をしたこともあったが、プレイすることはあまりなかった。
けれど、<Infinite Dendrogram>には不思議と心惹かれた。
そうして彼は、自身の伝手で当時入手困難だった<Infinite Dendrogram>を入手し、<Infinite Dendrogram>の世界に入った。
そして彼は出会う。
彼の理想に極めて近い、彼の求める実感が得られる世界に。
◇◆
□■決闘都市ギデオン九番街
ギデオン九番街。
比較的尋常の品を扱う三番街と異なり、多くのブラックマーケットを構える街区。
女衒ギルドや盗賊ギルドの本部を構える八番街に次いで猥雑なのがこの街区の常であったが、今宵はいくらかスッキリとしていた。
それは人の少なさと……数量的に建築物が減少しているためだ。
無数の爆裂、そして粉砕。
目まぐるしく動く二組の影を中心に、九番街の建築物が次々に崩壊していく。
影の一方は【絶影】マリー・アドラー。<超級殺し>とも呼ばれるPK。
もう一方は【奏楽王】ベルドルベルと彼の指揮する三体の<エンブリオ>。
ベルドルベルは今宵の闘いではフランクリンの用意した刺客として、王国側の有力な<マスター>を数多葬っている。
超級職にして、第六形態の<上級エンブリオ>。
<超級>という百に満たぬ圧倒的強者を除けば、彼らは<Infinite Dendrogram>においてトップクラスの戦力である。
ゆえに、彼らの戦闘の後はまるで災害の如く、周辺に甚大な被害をもたらしている。
もっとも……よくよく見れば、被害の原因は両者のうちの一方のみであると判るのだが。
そう、家屋の倒壊などの被害は全て……ベルドルベルによってもたらされていた。
しかしそれは、マリーが周辺被害に考慮しているからではない。
「ッ……」
マリーは僅かに舌打ちながら全弾倉を“爆裂の赤”に設定した、純正爆裂弾丸生物をアルカンシェルから撃ち放ち続ける。
それらは一撃で下級を容易に絶命させ、並みの上級でも軽視できないだけのダメージを与えるもの。
命中すればベルドルベルごと周囲の家屋の一軒二軒は吹っ飛ぶだろう。
しかし、それが叶わない。
爆裂弾丸生物は全て、ベルドルベルの手前百数十メテルで砕け散り、空中に爆炎の華を咲かせるに留まっている。
(ああ、もう……さっきから何発撃っても届かない)
それはベルドルベルの<エンブリオ>の能力。
周辺数百メテルの物体を粉砕し、塵へと還す攻防一体の全周範囲攻撃。
その正体が何であるかは、最初の交錯と数度の攻撃、さらに昨日得ていた情報からマリーは既に確信している。
(音……)
ベルドルベルの攻撃の正体は空気を伝わる振動波――音であることは間違いない。
もっとも、周囲の物体を砕くその様は、ただ音と言うには剣呑過ぎる。
(私の隠密系統が忍者の派生であるのと同様に、音楽家も歌や楽器の演奏などいくつかの派生をもつ。その中でもあの【奏楽王】は恐らく……指揮者系統)
指揮者系統とはオーケストラの指揮者に相当するジョブであり、“パーティメンバーの音楽系スキルの効果を増す”ことに特化したジョブ系統。
音楽家自体が非戦闘職で、戦闘に参加する場合もパーティ強化や相手のデバフがほとんど。
ゆえに、そこから派生した指揮者系統は言うなれば支援職を支援するジョブだったが……。
(戦闘では一度も見たことがない型でしたけど)
現在相対しているベルドルベルの破壊能力は、マリーが今まで戦ってきた者の中でも上位。
<超級>を除けばトップクラスと言っていい。
とても支援職を支援する、などという生易しいものではない。
(<エンブリオ>が、攻撃に使用できる音楽系スキルを保有していたんでしょうね。その威力を【奏楽王】のスキルで数倍に高めているから、この惨状)
加えて、消費MPを軽減するスキルもあるのだろうとマリーは踏んでいた。
そうでもなければ、必殺スキルにも相当する攻撃を戦闘開始からこれまで途切れることなく放ち続けることなど出来ない。
(あの音の攻撃は恐らく固有振動を合わせて崩壊させるタイプじゃなくて、純粋に大出力の振動波……衝撃波で砕くタイプ)
ゆえに、弾丸生物も攻撃範囲に入って少しは保つが、結局はベルドルベルに届かずに破壊されている。
「言いたくないけど、相性悪いです……」
マリーの発言は真実であった。
マリーのアルカンシェルが放つ弾丸生物は、万能に弾種を変更出来るものの全て生物。
あの振動の結界の中に飛び込めば甚大なダメージを受ける。
それはマリーも同じで、彼女のもう一つの主戦法である“気配を消してからの近接奇襲”が使えない。
ベルドルベルは、マリーを確実に葬るまであの振動結界を止めないだろう。
(さて、どう対処しますかね)
マリーは<超級殺し>とさえ呼ばれる強豪。
これまで数多の<マスター>を血の海に沈めてきた。
その中には、今回のように自分と相性の悪い相手や力量差が上回る相手も当然いた。
それらに勝ってきたからこそ、彼女は<超級殺し>なのだ。
(エリちゃんのこともありますし……一か八か、“デイジー”か“白姫”を使いますか?)
マリーにも切り札はある。
それは一定の段階を超えた全ての<マスター>が持ちえるもの。
必殺スキル。
アルカンシェルの必殺スキルのいずれかを使用すればこの状況を打破できる可能性はある。
(問題はデメリット。ここで使うとなると、フランクリン戦は手札が欠けた状態でやることになる)
アルカンシェルの必殺スキルは強力だが、使用時のリスクは高い。
使えば間違いなくマリーの戦力は減じるだろう。
<超級>を相手に全力未満で挑んでは勝てない。
まして、あのフランクリンは現状で戦力の底は愚か……一割さえも出していないだろう。
初手の奇襲で仕留め切れなかった以上、あとは凄絶な潰し合いしかない。
(それに……)
底を見せていないのは、相対するベルドルベルも同じこと。
ベルドルベルの<エンブリオ>の力はあの振動結界だけではない。
少なくとも他に“二通り”、攻撃が混ざっている。
(さっきから精神系状態異常防御のパッシブが反応していますし……音波による催眠ですかね)
元々精神系状態異常への耐性は高いのが隠密系統。
それの超級職であり、尚且つ昼のルークとのスパーリングに合わせて耐性を上昇させるアクセサリーを装備したままだ。
だから無効化しているが……あの振動結界よりも射程の長い精神系状態異常攻撃をベルドルベルが放っているのは間違いない。
(もう一つ)
《危険感知》の脳内警報に合わせ、直感で右に跳ぶ。
すると、寸前までマリーがいた場所を“見えない何か”が通過した。
再度《危険感知》が発動し、今度は足元の瓦礫を蹴り上げてから避ける。
すると、宙を舞う瓦礫が一瞬で両断された。
断面は異常に滑らかで、鋭い。
(“音”で“切断”となると……超音波メスですかね)
手術器具としてではなく、ある古い映画の怪獣が使う“超音波で遠くの物体を切断する”攻撃方法をマリーは思い浮かべた。
無論、物理現象でそんな芸当は普通なら出来ないが……ここは地球ではない。魔法の存在する<Infinite Dendrogram>なのだ。
(魔法寄りのスキルですかね。……けれどまぁ、音に絞っている割にバリエーション豊富ですね)
超振動波。
催眠音波。
超音波メス。
ベルドルベルに侍る三体のレギオンそれぞれが、別々にスキルを行使しているのだろうとマリーは推測した。
(レギオンのパターンは概ね二通り。トコトンまで数を増やすか、個体ごとに別種のスキルパターンを使うか。ベルドルベルのレギオンは典型的な後者)
能力を分散すれば一体あたりの能力は低下するものだが、そこは【奏楽王】であるベルドルベルの支援スキルが効果を発揮しているのだろう。
恐らくは分散して減じた以上に強化されている。
歴戦の猛者であるマリーはその経験ゆえに、第六形態に到達したガードナーが三体並んでいるのと同等かそれ以上のプレッシャーを感じていた。
「厄介ですねぇ、本当に……」
マリー自身がそうであったからわかる。
超級職と第六形態の<エンブリオ>の組み合わせは、<超級>の域に片足を踏み入れる。
ましてや<エンブリオ>とジョブがシナジー効果を発揮しているならば尚更だ。
ゆえに、ベルドルベルは紛れもない難敵。
「本当に厄介……なのに」
だと言うのに。
「随分……良い演奏聞かせてくれますねー」
振動結界の内側は全てが砕け散る地獄だというのに。
その外側に流れ出る音の波は、感動さえ覚えるほどの名演奏だった。
マリーも……マリーをアバターとする一宮渚も、取材で有名な楽団のクラシックコンサートを聴きに行ったことはある。
そのときも彼女は感嘆したが……、この戦場に反響するベルドルベルの楽団の演奏はそれとすら比較にならない。
それはマリーだけの感想ではないらしく、戦闘中だというのに時折その調べに惹かれた住民が寄ってきて、繰り広げられる激戦に気づいて逃げ出すというケースが幾度かあった。
「【奏楽王】のスキル効果で名演奏に聞こえるんですかねー」
『さてな。少なくとも楽譜は私が書いたものだが』
マリーの呟きに、演奏の波に乗せて言葉の如き音が届く。
ベルドルベルのいる中心点は破壊と天上の演奏でこれ以上ないほど混沌と化した音響だろうに、それでもベルドルベルにはマリーの言葉が聞こえているらしい。
両者は数百メテルと離れ、本来ならば振動結界がなくても言葉を交わすことなど出来ない。
しかし、ベルドルベルの音を届けるスキルと音を聞き取るスキルによってこの会話は成立していた。
「ご自分で……それは大したものですね。けど、ますますわかりません。芸術クランか戦闘クランならまだしも、何で貴方みたいな人がロボット生産主体のクランにいるんですか?」
『私も彼らの創作活動に寄与していないわけではない。先日も、グランマーシャルの新主題歌作成に協力していた』
「ぐらん?」
そんな冗談――のような実話――を音の波に乗せて、ベルドルベルはなおも続ける。
『私が属している理由は簡単だ。フランクリンが先の戦争で勝ち、これからも多くの闘いで主軸となるであろうからだ。あいつが英雄になりえるかもしれんからだ。あるいは、英雄に倒される側かもしれんが……どちらでもいい』
「英雄?」
『ああ、私は英雄が起つ瞬間が見たいのだよ。この目で、本物を見たいのだ』
それは、肉声ではなく演奏による擬似的な音声だと言うのに。
当人のこれ以上ない熱情が込められているようにマリーには思えた。
「それなら、組む相手は【獣王】や【魔将軍】でも良かったのでは?」
『連中は趣味が合わなかった』
「…………」
よりにもよってアレとは趣味が合ったんですか、という軽口をマリーは飲み込んだ。
自重したわけではない。
ただ……言っている場合ではないと感じたからだ。
いつの間にか、演奏の音が弱まっていた。
振動結界の効果範囲も縮んでいく。
(MP切れ……違う!)
マリーの動揺を他所にベルドルベルは指揮棒を回し、止める。
それは、演奏の終了を意味する仕草。
その仕草に従ったのか、ベルドルベルの<エンブリオ>である三体は演奏を停止する。
音楽は止み、周囲に振りまかれていた破壊も、天上の名演奏も完全に止まる。
今が好機、と攻撃を仕掛けることはマリーに出来なかった。
スキルによる感知ではない。
女の勘……あるいは動物的本能が、警鐘を鳴らしている。
「パーカッションのソロ。ストリングスとホーンはチューニング」
それはこの戦いが始まってから初めての、ベルドルベルの肉声。
彼の言葉の直後、コボルドが前に歩みだし、ぶら下げた太鼓を構える。
ケットシーとケンタウロスは、コボルドの後ろに並び――機械の体からケーブルを引き出し、コボルドの体に繋げた。
「……っ!!」
先ほどとは真逆。
動かなければ、阻止しなければまずいという、洞察力がもたらす警告。
だが、
「ごふっ」
距離を詰める直前、マリーは血を吐いた。
それだけではない。眼窩や耳朶からの出血と共に強い眩暈に苛まれ、まともに体を動かすことも出来なくなる。
(ダメージ……何が)
そうして気づく。
演奏は止まったはずなのに……周囲の塵が僅かに振動している。
まるで激しい音の波に揺らされるように。
(これは大音量……それも、人間の可聴域以下の低周波音ッ!)
低周波音。
それは人間の可聴域の下限である20Hzよりも低い波長の音の波。
だが、聞こえないだけで音は存在する。
それこそ可聴域であれば思わず耳を塞いでしまう音量、鼓膜を破り神経を傷つける大音量であっても……聞こえないままに音は存在し、人体を蝕む。
(でも、どこから……上ッ!)
フランクリンを探すときに使用していた《隠蔽看破》のスキルを再度発動し、マリーは上空を仰ぎ見る。
仰ぎ見た夜空には地球の月に似た衛星が浮かび――それを背景に浮遊する一体のシルエットがあった。
――その影はベルトで繋いだ鍵盤楽器をぶらさげ、足の爪で器用に弾き鳴らすハーピーの姿だった。
「四体目……!」
マリーは気づいた。
ベルドルベルの思惑を。
なぜ昨日も今日も……ここ数日の間ずっと中央広場で演奏をしていたのか。
ベルドルベルのレギオンを“三体一組”だと印象付け、誤認させるためだ。
思考からも完全に隠蔽された四体目の攻撃により相手の足を止め、今まさに放たんとする大技で息の根を止める。
それがベルドルベルの楽譜。
それこそがベルドルベルのオーケストラ。
マリーは上空を飛ぶハーピーを見る。
ずっと移動せずに定点にいたのも、視線を自分と三体に引きつけ、上方のハーピーに気づかせないための策略。
最初から、今夜の戦いが始まる前から、ベルドルベルはこの流れを作るための楽譜を書いていたのだ。
そしてハーピーはベルドルベルの下に降り立ち、ケンタウロスやケットシーと同様にケーブルをコボルドに繋ぐ。
一列に並ぶ、四体の半動物型レギオン。
その光景を見て、マリーは察する。
(ああ、なるほど)
彼女は気づいた。ベルドルベルの鳥の帽子も誤認させる手法の一つだと。
ハーピー以外の三体を見て<エンブリオ>のモチーフが“何”であるかを予想したときに、“鳥が欠けている”と思わせないための偽装。
ケンタウロスは驢馬。
ケットシーは猫。
コボルドは犬。
ハーピーは鶏。
四体一組の動物音楽隊。
即ち、ベルドルベルの<エンブリオ>の名は……。
「《獣震楽団》――“パーカッション”」
名を告げる響き――必殺スキルの宣言と共に、集束放射された超振動波がマリーごと周囲の空間を蹂躙した。
振動波は音速で過ぎ去り、世界に一瞬の静寂が訪れる。
通過した後には粉砕された成れの果て……形あるものが砕けた塵以外には何も残っていなかった。
マリーの姿も……どこにもなかった。
To be continued
次回の投稿は本日の22:00です。
( ̄(エ) ̄)<二話投稿クマー! ストックなんか知るかー!
(=ↀωↀ=)<わーい、外伝のクライマックスと四章本編早く書かなきゃー(震え声)
※今夜はコメント返しが遅くなると思われます。




