第一七三話 宿敵
□【聖騎士】レイ・スターリング
思い出す。
戦争前のあの時を……託されたあの瞬間を。
◇
「――唯の一つの後悔もなく命を託せる。そんな相手はアナタだけだから」
あの日、アズライトは<トライ・フラッグス>の要……<命>を俺に託すと告げた。
俺より強い人も、俺より死に難い人も数多いる。
その中で、俺を信じるという一事によって、アズライトは俺を<命>に任じた。
比喩でなく王国の人々と……そしてアズライトの命を左右する役割に。
「…………」
俺は、そんなアズライトに……『任せろ』の一言を返すことができなかった。
臆している、恐れている。
けれどそれはきっと、<命>を託されることに対してではない。
それは……。
「そして……そんなアナタだからこそ言うわ」
答えぬ俺に、アズライトは言葉を重ねる。
「私達の命をアナタに託す」
「…………」
「――それでも、アナタはアナタ自身で道を選んで」
――俺の内心を読み取った言葉を、重ねる。
「……!」
「<命>を担えばアナタも、私達のためだとか、リスクだとか、色々考えてしまうでしょうけど……それでも本当に大事なときはアナタ自身で決断して」
そう、俺が悩んでいたのは<命>を担うことじゃない。
<命>を担うことで……選べないことが増えることを恐れていた。
俺がそう考えることが、アズライトには分かっていたようだ。
◇
実際、戦争一日目に<墓標迷宮>に篭っていたときの俺はそうだった。
きっと、まだ<命>として恐れがあったんだろう。
けれど……。
◇
「アナタがすべきと思ったことができたなら、<命>のことなんて忘れていいわ」
「…………いいのかよ?」
彼女自身も含めて王国の全てが掛かった役目なのに、いざとなれば放り出してもいいとアズライトは言っている。
「ええ。いずれにしても<命>はアナタ以外に考えられない。そしてアナタがアナタとして道を選んできたからこそ、今の私達は此処にいる。元々ないものが此処にあるのだもの……文句なんてつけないわ」
「…………」
<命>を託した上で、俺が何を選ぶのかも全てを委ねる。
破格の信頼。
あるいは、その信頼こそが恐れ多いと思うこともあるだろう。
けれど、俺は……。
「……ありがとう」
その信頼をこそ、ありがたいと思った。
「……御礼を言うのはこちらの方よ。今までも、そしてきっとこれからも」
アズライトは苦笑しながらそう言って……。
「後悔だけは……後味の悪い選択だけはしないようにね、レイ」
「ああ、約束する。そんな時が来たら、俺は……『俺』をやるよ、アズライト」
この日、約束を交わして……俺は王国の<命>になった。
◇
そして今……俺は選択の前に立っている。
◇◆◇
□■<ジャンド草原>
『――戦争に勝つために……この『敵』を倒してみせなよ』
巨大な怪物から、フランクリンの声がする。
腹部装甲を開き、内臓に収めたティアンを晒し、悪辣な二択を宿敵に提示する。
レイとフランクリンの対峙に、口を挟む者はいない。
都市外壁の遠距離攻撃部隊は指示がないために状況を見守り、戦場にいた王国勢は《蹂躙砲》の被害からの立て直しに動いている。
空中にいたために被害が軽微だったジュリエットも困惑しながら状況を注視している。
(やらしい手を使ってきたね)
その中で、既に動く準備を整えたランカー……チェルシーは思考する。
あれらのティアンは人質ではなく敵であるものの、実質人質作戦と同じだろうと冷めた目で見る。
レイやジュリエット、この戦場の王国勢の中核にいる者達は『いい子』だからだ。
ティアンを殺すとなれば躊躇うだろうし、殺せてしまえば心に傷を負う。
であるならば……。
(……あたしがやるか)
手持ちの【ジェム】の残数を確かめながら、チェルシーは視えている皇国のティアン達を数える。四二人だ。数は足りるだろう。
(装甲を開けている今なら、直接攻撃で全損できる)
相手がティアンだからと言って、チェルシーは手を緩めない。
躊躇いはするが、それでレイやジュリエットに負担を掛けるくらいならば自分がする。
古巣の友人達……ゼタや醤油抗菌でも同じ選択をするだろうと彼女は確信している。
遊戯派だからか、あるいは取捨選択に慣れているのか。
いずれにしろ彼女はそう動く心算であったし、同様の考えを持つ者は他にもいた。
だが……。
「――――」
「!」
静かに振り返ったレイが、その視線で彼女や動こうとしていた者を制した。
チェルシーや動こうとしていた者達がそれを止める。
理由は視られたから……ではない。
彼女達がティアンの殺害を止めたのは、レイの表情ゆえ。
振り返ったレイの顔は、憤怒や懊悩に満ちたものではなかったからだ。
そう、迷いなどない。
――真っ直ぐな視線と閉じた口は、既に何かを決断した男のものだった。
◇◆
『さぁて、どうするか決めたのかねぇ? レイくぅん?』
仲間達へと振り向いたレイの表情を見て、フランクリンは一つのことを確信する。
「……ああ、決めたさ」
レイの返答に、フランクリンは笑みを深めた。
フランクリンは、レイが『王国の未来のために、守りたい人々のために、敵を殺す』という決断をしたのだと読んだ。
メイズの時のような義憤ではなく、目的のために他人を殺せる人間になったのだと。
レイが自分と同じところに堕ちてきたと、フランクリンは昏く嗤う。
『フフフフフ、どうするんだい?』
フランクリンはレイを誰よりも羨み憎む自分は、誰よりもレイの理解者であると考えている。
ゆえにレイが自らの選択によって悪ならざるティアンを殺めれば、それは大きな心の傷となるだろうと確信している。
実際にその道を選んだならば、レイの心は途方もない傷を負うだろう。
その理解は正しい。
「こうするんだよ」
しかしそれは……一面的な理解に過ぎない。
レイ・スターリングを、“不屈”を、椋鳥玲二という人間を評するならば。
心が傷つく優しさと同様に。
「――《風と歩む魂》」
――心を貫く強さを見ろ。
レイの姿が、騎乗していたシルバーごと消える。
まるでデスペナルティになったかの如く、光の塵を遺しての消滅。
その光景に一瞬、<自害>を選択したのかと思った者もいただろう。
しかし、違う。
一瞬後には、レイの姿は再び現れている。
――開かれている【MGD】の腹の中に。
『え?』
「探求開始」
困惑するフランクリンに構わず、レイは怪物の腹の中で第五形態・黒業神剣を振るう。
その一振りで、ティアンを収めた容器二つを破壊した。
砕けた穴から、内容液とティアンが放出される。
うち一人はレイが抱え、もう一人は空中に放り出されるが……。
「ジュリエット!!」
「……うん!」
彼が呼び掛ければ、彼女はその意図を察して落下するティアンを拾い上げた。
レイもまた、腹部装甲が閉ざされる前に離脱。
空中でジュリエットに自分の抱えていた一人も預ける。
「!」
そして二人を抱えたジュリエットは頷くと、外壁へと飛翔していった。
その一連の動きを、ジュリエット以外の誰も意図を理解できぬまま見ていた。
『…………』
「まさか……」
否、フランクリンとチェルシーはレイの考えていること、やろうとしていることを察した。
『まさかそんなバカなことを』という言葉が、異なるニュアンスで二人の脳裏を過る。
フランクリンは理解を拒み、チェルシーは……冷汗と共に笑っていた。
『……何の心算だい?』
言葉にして問いかけたのは、フランクリン。
宿敵の行動を、彼が何をしようとしているのかを、信じたくないからこそ問いかける。
その問いかけに、レイは宿敵のホログラムではなく、宿敵を内包した怪物の顔を見上げながら答える。
「俺のやることを決めただけだ」
『やること……?』
「――中の人達を全員出してからそいつを倒す」
――至極単純で、フランクリンがそうであってほしくなかった言葉を述べた。
『…………何を言っているのか……理解しているのかねぇ?』
フランクリンは拒絶感を覚えながら、なおも問いかける。
『ティアン達はこの【MGD】のエネルギーを担っている。彼らは君の敵、倒すことで弱体化に繋がる』
「それは中から出しても同じことだろ」
結果は同じだ。しかし過程が違いすぎる。
『殺すことと助けることの難しさの違いくらい分かっているだろう?』
「ああ」
不意討ちで二人助けたが、続く者達はそうはいかないだろう。
腹の装甲も閉じてしまった。
それでも、レイの視線は揺れていない。
『今しがた二人ぽっち助けたけれど、何人助ければいいか分かるのかい?』
「四二人だろ。そいつが腹を開けてから数えてたさ」
彼はフランクリンの外道に憤りながら、しかし可能性を掴むために情報を探り、ハッキリと視てもいた。
『全員、助け出せるとでも?』
「人数は多いが、やるだけだ」
あと四〇人。
至難だが、彼方にゴールは視えている。
『助けたところで、彼らは感謝などしないよ。だって、家族のために命懸けで力を尽くすのが彼らの役割なのだもの。君はそれを邪魔しようとしている。恨まれるよ』
「ああ。別に感謝されたくてやる訳じゃない」
だからレイは『助ける』などと口にせず、『出す』とだけ言っていた。
批判される未来が待とうと、挫けない。
『じゃあ、何のために一番難しい道を選ぶのさ? 君は<命>だろう? 王国の未来がその双肩に掛かっている。だと言うのに、何を思って態々そんなことを?』
「…………」
フランクリンの言葉に、「何を今さら」と言いたげにレイが息を吐く。
彼がこの困難を選ぶ理由など、フランクリンにだって考えれば分かること。
なぜなら、この世界で最初にそれを見た者の一人は……フランクリンなのだから。
即ち……。
「――このまま死なせたら後味が悪いだろうが」
――それこそが、彼の理由。
自分が最も困難な道を選んだのはただそれだけなのだと、彼は言う。
ずっと変わらぬ彼の行動原理。
狂気的難易度に挑む理由。
この思いこそが原動力となって、これまで数多の悲劇の前で……彼の歩みを進めてきた。
それは何の力も持たぬまま、少女を助けに駆け出したあの時から変わらない。
自らの望む未来を諦めない強い意志。
『…………』
「俺が選びたいのは楽に勝つ道じゃない。後味が悪くない未来だ。これで良い、これが良いと俺自身が認められるゴールだ」
言葉を失う宿敵を前に、レイは言葉を重ねる。
「その未来に繋がる可能性があるなら、俺はそこに全てを賭ける」
怨念動力のティアン達を全員死なせないまま【MGD】を撃破し、<宝>を砕き、戦争に勝つ。
それが最も困難で……最高の結末。
『……戦争敗北のリスクを高めても、それを選ぶのかい? 国の代表で<命>になっている君が、酷いエゴを出すじゃないか?』
<命>だからこそ、本来は選べない。
国の為に、大切なティアンのために、敵を殺して勝つのが最良だろう。
フランクリンに勝たせる気はなかったが、きっとそれを選ぶと思っていた。
あるいは選べずに敗死すると思っていた。
ここまで我儘な選択を選んでくるとは、思わなかった。
「だろうな。我ながら無茶だとは思ってるぜ」
レイは苦笑しながら、「けどな……」と続ける。
「俺はもう、その人達を殺さずにお前を倒すと決めた」
『そんな都合の良い選択ができるとでも?』
「できるかどうかじゃない。決めたんだ」
真っ直ぐに、視線を宿敵から逸らさない。
「それがどれほどに小さな……小数点の彼方の可能性だとしても」
その目の中には、怯えも虚勢もない。
ただ、己の言葉を貫く意思がある。
「俺は、全てを掛けると決めた」
なぜならば――。
「――背中はもう押されてる。だったら、俺は『俺』をやってみせるさ」
――彼に彼のままであれと、信じて託した人がいるから。
『――――』
これが、答え。
フランクリンの想定の外より叩きつけられた回答。
しかしそもそも……フランクリンの想定通りに動くような人間であれば、レイは宿敵になどなっていない。
ゆえに、これが、これこそが……
――『レイ・スターリング』という人間なのだ。
『…………』
フランクリンは、黙して彼を見下ろす。
瞳に浮かぶのは困惑ではなく、納得だ。
フランクリンの想定していた彼よりも少し強い……否、変わらぬ彼がそこにいる。
普段のままの彼ならば、『そうするだろう』とフランクリンも思っていた。
違ったのは、<命>という大役を担いながらもその選択をしたこと。
責任が、後悔が、大きいゆえに選べない。
より勝率の高い道を選ぶ。そう考えていた。
しかし、彼はこの役目と状況でも、小数点の彼方のハッピーエンドを目指している。
折れない、曲がらない、ゆえに……“不屈”。
『ああ……』
フランクリンの心が、吐息と共に漏れていく。
これなのだ、と。
――これだ。これだ。これなのだ。
――これこそが我が宿敵、我が愛憎、自分と違う眩しさゆえに堕としたくなる。
――折らねばならない、曲げねばならない、堕とさねばならない。
――たとえ相手が、“不屈”だろうと。
喜びと怒りでフランクリンの表情が歪み、どちらにしても笑みへと変わる。
「ッ……!」
周囲の者をゾッとさせる気配が、【MGD】とホログラムを介してすら戦場に伝わった。
その気配を漂わせたまま、フランクリンはレイではなく……王国の<マスター>に呼びかける。
『……で、王国の皆さんもこの無謀なゲームプランに乗っかるおつもりで? 彼が勝手に増やしたハードルで負け一直線ですよ? バカな旗振りに従うよりも、より勝率の高いやり方があるのでは?』
もうレイは曲がらない。
ならば王国の分断でも図るかと毒の言葉を吐いてみる。
だが……。
「私は、レイと同じゴールでいい……!」
そんな言葉を跳ね除けたのは、真っ先に彼の動きに連動し、そしてティアンを外壁の者達に預けて戻ってきたジュリエットだ。
人前で常に発する言葉ではなく、心と同じ言葉でフランクリンに言い返している。
「それに……勝つもん!」
「……ま、友達と今回の旗振りが同意見だからね。あたしもそれで♪」
ジュリエットの言葉に続くように、チェルシーも意思を表明する。
勝率は低くなっても……そちらでいいと納得する。
「マックスちゃん達はー?」
「あの性格悪い白衣の掌の上で転がりたくねえからレイのやり方でいい!」
彼女達の言葉に、同感の意を示す<マスター>達が動き出す。
「マジそれな」
「ああ……つうかアイツならティアン殺したらもっとダメとかあるだろこれ」
「前回の戦争とギデオンでの手口忘れてねえからなクソ白衣!!」
意志の波は、言葉と共に王国勢の中で広まっていく。
その意志と士気は、既にフランクリンの言葉に毒される余地すらない。
『…………どいつもこいつも』
「まぁ、俺も同意見だよ」
『……何がだい、レイ君?』
睨んでくるフランクリンのホログラムを見返しながら、レイはあっさりと答える。
「お前は自分の勝ちを捨てられる奴じゃないだろ」
『――――』
「あのギデオンがそうで、もっと言えば最初の<果樹園>もそうだ」
ギデオンでは幾重にもプランを重ねていた。
<果樹園>でもシュウが倒したものの、地下にはもっと多くのワームがいた。
本来はそれが襲ってくる手筈だったのだろうと、レイも理解している。
「こちらが乗り越えたらその先でもっともっとと地獄を作る。自分が勝つか、これ以上なく負けるまでやめない。それがお前だろ」
『……だからどうしたって?』
「そんなお前が、『ティアンを殺せたら君の勝ちです』なんて話を出すかよ」
性格は悪いが、だとしても『勝利』まで譲るのはフランクリンじゃない。
相手の心を折るのが目的だとしても、自分が勝つ前提だ。
「何より、お前自身が言ってたんだぜ。『次は私達が勝つ』ってよ」
『……! そう……覚えていたの』
「ああ」
かつての決戦での末期の言葉。
宿敵の遺した宣言を、レイは忘れてなどいない。
「だから、俺を追い詰めた上で……今も勝とうとしてるだろ?」
『随分と……私を分かったような台詞を吐くじゃない』
「お互い様だろ」
レイとフランクリンは宿敵だ。
憎み合ってすらいる遺恨の塊。
だからこそ、敵として見る相手のことが誰よりもよく分かる。
『ふふ、フフフフ……』
心を折り、堕とそうとした。
しかし、その策謀を超えて、ここに相対している。
フランクリンはまたも覆された。
だが、その表情には彼女自身にも分からぬまま……『それでこそ』と笑みが浮かんでいる。
『レイ君と王国の皆さんの意思は分かったとも。けれど、勝手に超高難易度にして、私の【MGD】に勝てる気かねぇ? 正面からでも攻略法すら分からないんじゃないかい?』
フランクリンの言葉は真実。
【MGD】はフランクリン最強の改造モンスター。
それを、ティアンを救うという縛りを課した上で打倒するなど、もはや不可能に近い。
だが、レイの瞳に臆する色はない。
「【RSK】のときも、勝ち方なんて分からないままぶつかった。なら、今回もやってみせるさ」
『【RSK】と【MGD】を同じだと思わないことね』
「お前こそ、俺達をあのときと同じだと思うな」
『うむ!』
見下ろすフランクリンと、見上げるレイとネメシスの視線がすれ違う。
それはかつての対峙のリフレイン。
重ねた時間が、積み上げた力が、過去との違い。
ゆえに再び、二人は言葉を交わすのだ。
「――首を洗えよ、“最弱最悪”!」
『――やってみろ、“不屈”!』
格下と格上。
なれど対等の宿敵として――二人の決戦の火蓋は切られた。
To be continued




