第一五二話 首狩りVS首狩り 中編
□樫宮について
樫宮流は、樫宮義久がこの時代に編み出した流派である。
現代の剣道ではなく古流に近い剣術。
そんな剣術を編み出した樫宮義久は、日本だけでなく世界の表にも裏にも名が知れた稀代の剣術家であった。
かつて演舞で見せた「火のついた燭台を縦に両断し、燭台を倒しも火を消しもしない」という神業から、かつて在りし名刀と同じく〝燭台切〟とも呼ばれている。
しかしその神業すらも、彼の実力の全てを語るにはまるで足りない。
それほどに現代の剣士として、樫宮義久は超抜していた。
剣士として実力も名誉も世間に認められた人間国宝である彼が起こした樫宮流も、各地に道場と弟子を持つ一大流派となった。
しかし、そんな樫宮流に……正式な後継者はいない。
それは、義久が手塩にかけて育てた後継者……息子を亡くしたことに起因する。
己に届かぬ点はあるが後継者として相応しい域には達していた息子。
だが、その後継者たる息子は開祖の義久よりも早く死んだ。
そして息子の子……義久にとっての孫には才能がなかった。
義久や息子とは比較にもならず、意欲もなく、後継者として不適格。
血縁以外にも、これぞという後継者候補はいなかった。
ゆえに樫宮流という流派は真の後継者を持つことなく、剣術流派の一つとしては本来よりも劣化した形で残るだろう。
そのことに哀しみを覚えながら、樫宮義久は独りで剣術の腕を磨き続けた。
しかし、晩年は独りではなかった。
「おじいちゃん! つぎ、あれがみたいです!」
「おお、そうか」
義久の傍には彼の剣術を見たいとせがむ曾孫の樫宮刃が傍にいた。
キラキラとした目で、義久の剣閃……一流の剣術家も見切れぬ業をその眼で捉えている。
刃は幼かったが、天稟に恵まれていることは既に明らかだ。
「おじいちゃんは、タタミも、ヨロイも、カミもきれてすごいのです! なんでもきれるのですか!?」
「ああ。樫宮に斬れないものはない」
「ぼくも、なんでもきれますか!?」
「……そうだな。刃が……大きくなったらな」
意欲も申し分ない。若い頃の義久よりも剣術に魅せられている。
後継者としての才能は十分……あるいは義久自身の才すら超えているだろう。
ついに現れた後継者に相応しい器。
だが、今度は義久に剣を教える時間がない。
幼い刃が抜刀を可能とする体格になる前に……義久は寿命を迎えるだろう。
こうして剣術を披露できるのもほんの数年。
ゆえに、義久は刃を後継者にはしなかった。
ただ、曾孫との交流として、曾孫が喜ぶ剣術を見せる。
それだけでいいと晩年の義久は思い、満足していた。
そして義久の想像通り、彼は数年の内に没した。
彼の死を悲しむ刃を遺して。
◇
刃は、物心ついた頃から曾祖父の抜刀術に魅せられていた。
幼い彼に曾祖父が見せた剣術の数々、その輝きこそが少年の原始の衝動となった。
曽祖父は自らの天寿ゆえに刃に剣術を教える時間がないと悟って教授しなかった。
だが、刃は曽祖父の魅せた剣術を視ただけで、記憶の中で反芻するだけで術理を理解する天才だった。
しかし、そんな天才であっても肉体はどうしようもない。
幼い身体では、祖父の抜刀術を実践できない。
そうして剣を振るえる年齢になるまでに待ってしまえば、記憶が薄らいでいたかもしれない。そのことだけが、幼い刃には怖かった。
しかし、そうはならなかった。
記憶が薄らぐ前に、刃は出会ったからだ。
彼が彼のままに剣の術理を振るえる舞台と手段に。
<Infinite Dendrogram>と……自らの<エンブリオ>であるイナバに。
そうして、刃は……カシミヤの名を背負ってこの世界に立っている。
◇◆◇
□■<王都アルテア>・王城内部・通路
赤鞘の大太刀、【星刀】を解禁したカシミヤは、ヴォイニッチを斬り続ける。
「ッ!」
ダメージ転嫁によってヴォイニッチの首は繋がっているが、刀の発する威圧感とカシミヤの剣閃の速さと鋭さに肝を冷やす。
その攻撃をヴォイニッチは視認できない。彼が視るのは抜刀の終わりの納刀だけだ。
アザゼルが第六形態のままであれば、《飼の宣告》が発現していなければ既に何十回死んだか分からない。
「……?」
しかし、不意にヴォイニッチは気づく。
今の自分は随分と……殺されるペースが遅い、と。
カシミヤは王国最速の【抜刀神】。
二本の腕、二本の補助腕、そして常時発動型のクールタイム消失必殺スキルによって、如何なる体勢からでも左右の抜刀術を繋げて相手を斬り殺す。
八本の太刀によって放たれる八連抜刀術はあの【猫神】トム・キャットすら屠りさった。
(……そういえば、先ほどからずっと右の抜刀しか見ていない)
我流魔剣でなくとも、本来ならばカシミヤの抜刀術は間断なく敵を殺す。
抜刀斬首納刀のスリーテンポを左右の抜刀術で輪唱の如くズラしているからだ。
しかし先刻から、ヴォイニッチは自分の首が斬られる合間を自覚できている。
斬首と斬首の間に猶予が……振り切った腕と刃を戻す納刀が見える。
右腕と補助腕しか使っていないゆえに、間断ないはずの抜刀術に間隙ができていた。
(私の反撃を警戒して回避用に左の抜刀術を温存している? ……いや)
これはそういう手合いではないと、ヴォイニッチも理解する。
自分の身を護るよりも、相手を斬り殺すことを優先する修羅の類だ。
(ならばなぜ? カシミヤも五体満足でこの場に立って……ああ)
ヴォイニッチは、剣閃を放った後のカシミヤを見て気づく。
見るべきは威圧感を放つ大太刀でも、それを扱う右腕と補助腕でもない。
――ダラリと力なく下がった左腕。
抜刀のための脱力、などではない。
あの腕には……正確には左手首から先には既に意思が通っていないのが見てとれた。
(皇国の準<超級>達も、少しは仕事をしたようですね……)
これまでカシミヤがどんな者達と戦ってきたかを考えれば、原因は明白。
この最速を相手に一矢報いた者がいたという証左が、あの左手。
誰がそれを為したのかは不明だが、彼らも首を狩られ続ける獲物ではなかった。
(……とはいえ、この戦いに関してはあまり関係ありませんが)
カシミヤの抜刀術が左右健在だろうが、右手だけだろうが、どうせヴォイニッチの残機は削り切れないのだから。
ヴォイニッチが確認できる残りの残機は……<マスター>・ティアン合わせて四五六〇。
それが王国・王都で活動し続けたヴォイニッチの積み上げた残機の総数。
戦争ルールに抵触しない<マスター>のみでも二〇〇〇を優に超える。
如何にカシミヤでも、これは削り切れるものではない。
(さて、連続抜刀ができないと分かっていれば間隙に殺すことができますかね?)
再び、左手の袖に視線を送る。
袖の内側に装着した腕時計型の特典武具……逸話級特典武具【二乗時縛 ステイシステイシス】。
この特典武具と【鎌王】の奥義を組み合わせた対人確殺コンボがヴォイニッチにはある。
ただし、重大なリスクと引き換えだ。
(これを今のこの城の状況で使うにはリスクが大きい。使わずに済むなら……)
判明した相手の隙を突けるならばリスクを冒す必要はない。
ヴォイニッチがそう考えたとき……。
「――視えた」
ボソリと、カシミヤが呟いた。
そして呟いたきり、手を止めている。
そうして、イナバが保持する【星刀】の柄に右手を添えたまま……ただ一点を見ている。
それはヴォイニッチではない……アザゼルの傍の何もない空中の一点だ。
「……? 視えたとは、何が?」
「流れです」
ヴォイニッチが問えば、カシミヤは視線も体勢も微動だにせぬまま、口だけを動かす。
「流れ?」
「天地で達人と呼ばれるティアンの中には、生物を殺傷した際の経験値の動きを把握し、流れる先を掴む人達がいます」
「……え? 与太話の類か?」
「…………」
横で聞いていたダムダムが否定の言葉を挟むも、ヴォイニッチはその現象について思考する。
リソース……この世界に、そして他の世界にもある無形情報エネルギー。
この世界の代表的な使用法はリソースをジョブの器に満たすことで起きるレベルアップ。他にも<エンブリオ>の成長を含め、使い道は無数にある。
つまりは、それ自体は実際に存在するエネルギーの流れと言えるが……それを察知するジョブスキルはない。
(しかし、スキルだけで成立しない事象も世にはある)
この世界の生物がリソースの授受を前提として存在する以上、何らかの要領で感知することも不可能ではない。ヴォイニッチはそう判断する。
「……それで?」
「僕も天地にいた頃にそれを掴もうとしました。ですが結局、視ることは叶いませんでした」
「そりゃそーだろ」
ダムダムだけでなく、ヴォイニッチも心中で『それはそうでしょう』と突っ込んだ。
何十年と殺生の中で己を研いだ天地の修羅達に許された芸当を、この子供が出来てしまえば道理がおかしい。
「けれど……見えなくても、聞こえなくても、触れなくても――在るものは在る」
だが――天才の前では道理の方が捻じ曲がる。
「アナタの首を斬り続けて、アナタからどこかに流れていく力の流れは視えてきました」
「…………!」
カシミヤの言葉の意味を、ヴォイニッチは理解する。
カシミヤはこう言っているのだ。
『《飼の宣告》で転嫁されるダメージの流れを感知している』、と。
「それは経験値じゃない。けれど今、力の流れを感じます」
(まさか……)
経験値の感知とは訳が違う。
そんなもの、ヴォイニッチ自身ですら残機という数値でしか把握していない。
まだ妄言や苦し紛れの嘘と言われた方が納得できる。
だが……カシミヤの目は、ヴォイニッチにも見えていない何かを視ている。
「あなたの首を斬って、斬って、斬って……肉を切る手応えとは別に、抜けていく感触。あなたを介して別のどこかへと流れる何か」
カシミヤの視線は、真っ直ぐで純粋だ。
一片の狂気も見えないその目が――何よりの狂気。
「そうか、『糸』なんだ。何百何千もの糸が伸びている。それを伝う。伝えば切れる。それぞれの糸が一度限り。だからあんなに沢山伸びている」
見ている。視えている。
ただ膨大な残機を削るだけの無為の作業に過ぎなかったはずの斬首。
不自由な左手を抱えたまま途方もない数字を相手に足掻くだけの行為に視えたそれは、カシミヤには違う意味があった。
繰り返した首斬りの中、緩むことなく、弛むことなく、相手の首を落とすことだけ考え続けた修羅の目に……たしかにそれは視えている。
幻覚か、妄想か。いずれであっても構わない。
何であろうと、カシミヤに視えるものは変わらない。
繰り返し、繰り返し、繰り返し……斬り続けて、彼の感覚は確信に変わった。
それはそこに在る、と。
「…………」
カシミヤの言うような『糸』など、ヴォイニッチ自身ですら見えていない。
だが、『伝達』を特性とする自らの<エンブリオ>ならば、そうした要素もあるかもしれないと納得はする。
転移門を介した際の有効射程の推移も、その推論を補強する。
あるいは見かけの距離でスキルが有効化されるだけで、今も各地の憑依天使にはアザゼルから『糸』が伸びているのか。
(議長から霞君のタイキョクズに気をつけろとは言われていましたが……あくまで私自身だけで取り憑かせた天使達は留意するようには言われていませんね。なるほど、本体から天使が有線で繋がっていたなら、感知されるのは私が持つアザゼル本体だけということですか)
自分でも気づかなかった<エンブリオ>の性質を教えられたことで、素直に感心する。
自分の隠したかった手の内を暴かれるのは嫌いだが、自分も知らなかったことを聞かされるのは好む。
あるいは、相手が自分を倒せない状況だから……四〇〇〇の残機こそが余裕を生むのか。
しかし、その余裕は……もう長くない。
「見えなくても、聞こえなくても、触れなくても……在るものは在る」
カシミヤは、先刻の言葉を繰り返す。
「それが本来干渉できないものだとしても、其処に在るのなら……」
それは相手にではなく、自分自身に向けた言葉。
「何であろうと……」
そして……。
「――――樫宮は斬れる」
――――赤い鞘から刃を抜いた。
その刃は、ヴォイニッチの頸を通らない。
アザゼルの傍の、何もない空間を振り抜いた。
それだけならば、ただの素振り、空振りにも見えよう。
しかし、音がした。
肉でもない、木でもない、金属でもない、空気でもない。
何を斬ったのかも分からないが、何かを斬った未知の音。
しかし、その理解できぬ音と共に、一つの変化が生まれる。
「……………………?」
先だって述べたように、ヴォイニッチの視界にはカシミヤの言う『糸』など見えていない。
だが、見えているものはあった。
それは、憑依中の天使の数を示すカウンター……彼の命と首を繋ぐ残機。
カシミヤが振るい、謎の音がする直前までは<マスター>とティアン合わせて四〇〇〇を超えていた残機。
それが今は――『0』。
今の一振りで……残機の全てが消し飛んだ。
「――――!?」
ヴォイニッチがその表情を崩し、全身に冷や汗を流す。
何が起きたのか、理解しようとする。
目に視えているのはカシミヤが振るったまま、納刀もしていない大太刀。
【試製滅丸星刀】。斬れぬものを斬る……虚ろすら斬る《防虚殺し》。
その刃は、カシミヤがそこに在ると確信して捉えた虚ろな存在を両断した。
即ち――アザゼル本体と天使の間の『糸』を。
ヴォイニッチ本人ですら見えず、システム的な数値でしか把握していなかった存在。
しかし、存在すら定かでなかったそれは……断たれた。
ヴォイニッチの視界の端で『0』を示す残機がその証明。
もはや、ヴォイニッチの頸は彼にしか繋がっていない。
<超級エンブリオ>の理さえも断ち切る剣の理。
「――《我流魔剣・糸切り》」
――この日、新たな魔剣がこの世に生まれた。
To be continued
〇樫宮義久
(=ↀωↀ=)<カシミヤ(樫宮刃)の曽祖父で凄い剣術家
( ꒪|勅|꒪)<どのくらいだヨ?
(=ↀωↀ=)<能力バトル物に出て無能力剣士なのに無双するくらい
( ꒪|勅|꒪)<バケモノじゃねーカ
(=ↀωↀ=)<うん
〇カシミヤの左手は誰がやったのか
(=ↀωↀ=)<差し込めなかったけど書いてはいたのでいずれお出ししますが
(=ↀωↀ=)<相手は皇国討伐四位
( ꒪|勅|꒪)(最近討伐四位の情報がサクッと出るな)
〇《我流魔剣・糸切り》
(=ↀωↀ=)<次話でも触れるけど
(=ↀωↀ=)<ヤバいのは【星刀】よりむしろカシミヤだよ




