第五話 ネメシス
□<旧レーヴ果樹園> レイ・スターリング
さっきまで兄がガトリング砲を掃射しながら来た道にはモンスターの影はない。
今なら一気に入り口までの五○○メテルの距離を駆け抜けることが出来る。
しかし、きつい。
今、初めて全力疾走して分かったことだが、このゲームには疲労の概念もある。
それだけでなく今の状況が応えているのか、足が震える。
ご丁寧にもステータスには状態異常【恐怖】なんて表示されている。
それでも、ミリアーヌの手だけは離さないように走る。
「っ、ッ……!」
ミリアーヌも大変そうだが、懸命に走っている。
ただ、その顔は恐怖に怯えている。
お互いに怯えながら、走っている。
「ところで」
俺は少しでも気を紛らわせようと、ミリアーヌに声をかけた。
はたしてそれがどちらの気を紛らわせるためだったのかは、自分でも分からなかったけれど。
「ミリアーヌ……ミリアちゃんは何でこんなところまで【レムの実】を採りに来たんだ?」
単純な疑問半分、気を紛らわせるため半分で問いかける。
「きょ、今日は、おねえちゃんのおたんじょうびだから……、おねえちゃん、レムのみのケーキがだいすきだから、つくってあげようとおもったの……」
「そっか」
「でも、おみせにひとつもうってなかったから、こまってたの。そしたらメガネのおにいさんが、『このおこうがあればおそとの<かじゅえん>にとりにいけるよ』って……」
そのメガネのせいか。
何を考えてそんなことを教えたのか知らないが、子供をこんな危険なところに放り込んだ奴はブン殴ってやりたい。
「レムのみをとって、そしたらおねえちゃんがむかえにきてくれたんだけど、おこうのききめがなくなっちゃって……」
話している内にも半分は踏破した、残るは半分。
このまま駆け抜けてしまえる。
『……uluuuu』
直後、唸り声と大地の震動が背後から伝わってきた。
「!」
咄嗟の判断だった。
俺はミリアーヌを抱えて横に跳んだ。
次の瞬間には俺達の走っていた空間を、地中から飛び出した【デミドラグワーム】が大顎を噛み鳴らしながら通り過ぎていった。
「まさか……!」
俺は背後を振り返るが、そちらからはまだ戦闘音が聞こえる。
リリアーナはまだ戦闘中。
こいつは二体の内の一体が戦闘から脱出して俺達を追いかけてきたのか?
それとも、兄を地中に連れ去った内の一体?
……もっと沢山いるという可能性もあるがあまり考えたくない。
だがここで問題なのは、例えどのパターンであったとしても俺には対抗する手立てがない。
祈るようにステータス画面を見たが俺のステータスはまだレベル0のままだし、左手の<エンブリオ>もまだ孵化していない。
仮に孵化したとしても、兄のガトリング砲の<エンブリオ>も通じなかった相手に孵化したばかりの<エンブリオ>で敵うとも思えない。
恐怖と焦燥に心臓が脈打ち、額と背中に冷たい汗が流れる。
リアルすぎる感覚に死にそうだ。
『GYULUUUUUUUUUEAAAAA!!』
地中から長い胴体を晒し、咆哮する【デミドラグワーム】。
それは敵対者に対する威嚇ではなく、勝ち誇る強者の哄笑だ。
「……詰んだか」
『初心者殺し』の<旧レーヴ果樹園>。俺もまたここであえなく最初の『死』を迎えることになりそうだ。
だが……。
「う、うぇぇん……」
今、俺に抱えられたまま泣いているミリアーヌ。
彼女はNPC……ティアンだ。
プレイヤーの俺と違い、死んだら戻って来れない。
兄の話じゃ王様という重要人物も死んだままだったのだから、彼女だけ特別ということはないだろう。
彼女は、<Infinite Dendrogram>では当たり前のように死んでしまう。
「……だから、それは後味悪いんだよ」
俺は装備欄から【救命のブローチ】を外し、ミリアーヌに着ける。
「ミリアちゃん。ここから入り口まで、一人で走って戻ってくれるか?」
「……え?」
ミリアーヌは不安げに、俺を見上げる。
「俺はちょっと、この糞ムカデぶん殴らなきゃいけないからさ」
その言葉の直後、【デミドラグワーム】がその巨体で突撃してきた。
俺はミリアーヌを突き飛ばし――まるでトラックに撥ね飛ばされるように宙を舞った。
「ガッ、ハッ……」
凄まじい衝撃。街でリリアーナとぶつかった時よりなおひどい。
だが、まだ生きている。
今のダメージは93、残りHPは5。
開いたままの装備欄では四枚あった【身代わり竜鱗】の内一枚が砕けて消えている。
【竜鱗】の効果で突撃のダメージが九割減算されているから生き延びた。
俺は痺れる体を無理やり動かしてアイテム欄の【ヒールポーションLv2】を飲んだ。
HP全快。体はまた動く。
視線を動かすと、ミリアーヌはまだそこにいた。
「行け! こいつは俺が何とかする!」
大嘘だ。
何とかできるわけもない。
でも、時間は稼げる。その間に逃げてくれればいい。
俺の言葉にミリアーヌは立ち上がり、入り口へと駆けていった。
入り口を出てフィールドに戻れば、他のプレイヤーやNPCがいるはずだ。
これでいい、そう思った直後にまた撥ね飛ばされる。
二度目の瀕死、砕け散る【竜鱗】、【ポーション】による回復、復帰。
「ハッ! デスペナも入れりゃあと三回は食らえるぞ糞ムカデ!」
三度襲い来る突撃を、今度は避ける。
初期値のステータスでもちゃんと動けば避けられないことはない。
だが、
「!?」
巻き込むように動いた尾に蹴散らされる。
ほとんど変わらぬダメージでHPが再びデッドゾーンに達し、【竜鱗】が砕けた。
「ち、っくしょう」
残りは一枚、か。
まだミリアーヌは入り口に到達していない。せめて、そのときまでは時間を稼がないと。
俺がそう考えていると、
『GYUUUUEAAAA!!』
【デミドラグワーム】が矛先を変えた。
その巨体をグルリと捻らせ、ミリアーヌの方を視界に捉える。
「おい、何を見てる、てめえ……」
奴はしぶとい俺を無視して――そのままミリアーヌへ突撃する。
「待ちやがれぇぁああああああああッ!!」
俺は駆けるが、俺の速度では追いつけず、【デミドラグワーム】の巨体はミリアーヌを撥ねた。
――小さい体が、木の葉のように浮き上がる。
少女が大切に持っていた籠も、彼女の手を離れて地面に落ちた。
「ああああああ!!」
俺は落下するその体を、頭から飛び込んで受け止めた。
受け止めると同時に大きな衝撃が走り、最後の【竜鱗】が砕ける。
だが、今はそんな問題じゃない。
俺は確認するのを恐れながら、ミリアーヌの顔を見る。
心臓が、肉体の痛みとは別の痛みを訴えていた。
「…………」
気を失っている、けれど、無傷だった。
代わりにさっき俺が着けた【救命のブローチ】は砕けている。
どうやら、ミリアーヌが装備しても無事に機能はしてくれたらしい。
ただ、既に壊れている。
俺の最後の【竜鱗】も、なくなった。
もう俺達には【デミドラグワーム】の攻撃を耐える術がない。
リリアーナはまだ戦闘中だ。
打つ手はない。
『GYUUUUAAAAAAAA!!』
眼前の言葉通じぬモンスターは、しぶとい獲物に業を煮やしながら、遂に仕留められる喜びに震えているように見えた。
俺はせめてもの抵抗に初期装備していたナイフを構えようとした。
だが、鞘から出したところで、ナイフの刀身は折れていた。度重なる激突で使わない内に壊れてしまっていたらしい。
俺とミリアーヌが生存する可能性はもはや、0だ。
「…………」
腕の中で気絶している少女を見る。
その重みも、体温も、息づかいも、俺に見せた感情も、現実のそれと変わらない。
命として、あまりにもリアルな命として彼女はここにいる。
そして現実の死と同様に、その命は喪われようとしている。
「……クソッ」
諦めきれない。
俺にとってこの世界はゲームだ。死んでも問題ない。
けれど、この世界がゲームだと分かっていても、この世界からこの少女が永遠に失われてしまうのは、後味が悪い。
悔しさに拳を握り締める。
その手の甲に、未だ第0形態のままの、卵の如き<エンブリオ>が埋まっている。
「おい……」
俺は、
「<エンブリオ>がプレイヤーに、お前が、俺に……無限の可能性を渡すと言うなら」
願う。
「可能性を、寄越せ」
今まさにトドメを刺さんと鎌首をもたげる化物の前で、願う。
「俺に、ハッピーエンドの可能性を、この子を救える可能性を、寄越せ……!」
自分の左手に、<無限の系統樹>と呼ばれた可能性世界の化身に、心から願った。
「とっとと目を覚まして、俺に1%でも可能性を寄越しやがれええええッ!!」
【デミドラグワーム】が最後の突撃を仕掛け、
『存外、暑苦しいマスターだの。だが、私はそんな貴方から生まれるモノ。嫌いじゃあない』
瞬間、致死の突撃は何者かに阻まれた。
「……あ?」
兄貴が地中に消えたときと同じように、俺は目の前のことを理解できていなかった。
目の前に起こるはずだった悲劇はなく、起こりえぬ奇跡があると理解できなかった。
左手の甲からは<エンブリオ>が消失し、代わりに紋章が残っている。
俺達を殺すはずだった【デミドラグワーム】は、光の壁に弾かれて仰け反っている。
そして、【デミドラグワーム】と俺達の間には、見知らぬ少女が立っていた。
漆黒の髪を風になびかせながら、その肌は白磁のように煌めいている。
黒い布地に白いフリルをあしらったゴシックのスカートを舞い揺らしながら少女は俺を振り返り、少女の瞳が俺を見る。
その瞳は、夜闇に似た黒と、星空を思い出す白。
「おはよう」
彼女は開口一番にそう言った。
「…………」
「ふん、呆けているな。やれやれ呆れたものだのぅ。私は御主が起きろと言うから無理矢理に起きたのだがのぅ」
先刻までの神秘性が失われそうな口調だった。
しかし、その言葉に俺はある可能性を察した。
「お前、俺の……」
<エンブリオ>なのか……?
「無論。さて、マスター? あの糞ムカデはまだ健在だ。誕生祝いの景気づけ。派手にトドメを刺すとしようか」
「どうやって、ッ!?」
尋ねる言葉が終わらぬ内に、少女は解けた。
人型を失い黒く輝く光の群れとなった少女は、俺の右腕に纏わりつき、その姿を変貌させる。
それは黒い大剣。有機的で禍々しく、それでいてどこか美しい。
『タイミングは任せる。糞ムカデが突撃してきたら振り下ろせ。しくじれば全員死ぬぞ?』
『可能性はくれてやった。あとはお前次第だ』……そう言われた気がした。
「……わかった」
問うよりも先に成すべきことを自覚した。
【デミドラグワーム】は、俺達に憤慨したのか今までにない速度で突撃してくる。
それは直線的であり見ることは出来るが、避けることは叶わない速度。
だが、剣を振る時間はある。
『マスターが三度死に掛け、私が一度吸った、貴様の四度の全霊攻撃……』
【デミドラグワーム】の大顎が触れる寸前に、
『――“倍にして返すぞ”』
俺は黒い大剣を振り下ろした。
『――――《復讐するは我にあり》』
大剣が触れた瞬間の、衝撃。
一瞬の、静寂。
直後、【デミドラグワーム】はあたかも数倍巨大な怪物に叩き潰されたかの如く、頭部から木っ端微塵に粉砕された。
今日は何度、自分の見たものの理解に苦労するのだろう。そんなことを思いながら、俺は眼前にあるものを見ていた。
目の前には圧壊し、その巨体を少しずつ光に変え、ドロップだけを残して消えていく【デミドラグワーム】。
背後には気絶したままのミリアーヌ。
そして俺の横には、黒い大剣からその姿を戻した少女がいた。
「成功成功。よかったなマスター。御主は望んだ可能性を掴み取ったぞ」
「お前、やっぱり俺の<エンブリオ>なのか?」
俺が問いかけると、少女はフリルのついたスカートをふわりと浮かせながら、わざとらしく恭しく、礼をした。
「私はネメシス。<エンブリオ>、TYPE:メイデンwithアームズのネメシス。貴方の心と肉と魂から生まれたモノ」
そう自己紹介をして、少女――ネメシスはニヤリと笑った。
「今後ともよろしく、マスター?」
To be continued
6/9です。