第七話 獅子面
(=ↀωↀ=)<四月一日にいよいよ十八巻発売です
(=ↀωↀ=)<また、明日は漫画版が更新予定です
(=ↀωↀ=)<どちらもお楽しみに
□■<北端都市 ウィンターオーブ>
他の<マスター>は既にラピュータに帰還したが、珠を受け取る役目を負った迅羽はまだウィンターオーブにいた。
今は案内役の衛兵に先導されながら市内の診療所に向かっている。
(しかし、上から見るより複雑な街だな)
ウィンターオーブは希少鉱石採掘の副産物として石材が豊富であり、建造物も石造りが多い。
高く作られていて視界が遮られるため、慣れない内は迷いやすい街とも言われている。
とはいえ、迅羽なら手足を伸ばして高速移動すれば目的地まですぐに辿り着ける。
しかし今は案内されるまま普通に歩いていた。ギデオンや王都ならともかく、迅羽に慣れていない街でそれをやると混乱が起きる。街の空気がどこか張り詰めているので尚更だ。
今は手足の長さもいつもより控えめ。TPOを理解できる迅羽である。
「あちらが珠を保管している診療所になります」
「へェ」
案内役が指し示したのは、『第一診療所』と看板を掛けられた施設だった。
入り口のガラス扉には、『本日、午後より休診日。急患の方は第二診療所まで』と書かれた貼り紙がある。珠の授受に関して人払いもしてくれていたらしい。
(まぁ、自分達の医療器具を他国に渡すなんて反発も出そうだしな)
そんな便利な珠を、ウィンターオーブは今から手放そうとしている。
しかし少なくとも市長やこの案内役はそれに納得しているようだ。
(もしかすると、ここの珠が狙われてるって情報でも入ったのかね?)
将来的な懸念ではなく、差し迫ったリスクになってしまったからこそ黄河に返還する。そういう話なのではないかと迅羽も察し始めた。
実際、昨日一日嗅ぎ回っていた議長直下の<マスター>……ユーゴー・レセップスの存在も市長の決断理由の一つではある。
「人払いしてるみてーだが入院患者ハ?」
「第一診療所には元々おりません。珠を使った治療では怪我もすぐに治りますから。病気の場合は第二診療所の方に」
「なるほどナ。…………あン?」
そんな会話を交わしながら診療所に近づこうとして……迅羽は違和感に気づいた。
「……おや?」
隣で案内役が訝しむような気配もあった。
しかしそれも迅羽に対してではなく、診療所に向けられている。
ローグ市長の話では、診療所は厳重に警備されているという話だった。
しかし……。
「――どうして表に警備が立っていないんだ?」
――診療所の周囲に衛兵の姿はない。
案内役の発言からして、それが普通ではないということも分かった。
それ以前に……。
(中にも……人がいないんじゃねえか?)
診療所は衛兵だけではない。医者などの医療スタッフがいて然るべき場所だ。
それらは気配を隠す意味もない者達だというのに……診療所の中に気配を感じない。
迅羽の直感は、この時点で警鐘を鳴らしていた。
「……ハッ」
「迅羽殿?」
迅羽は手足を戦闘形態の長さに戻し、袖の内側に仕込んだ【符】を励起させる。
この場は既に、迅羽にとって戦場だった。
そして腕を――十メテル程――伸ばし、診療所の扉を開ける。
扉を開けた際に作動するタイプの罠や奇襲を狙う敵の反応を見るために伸ばした腕だが、何も起きない。
これで何事もなく迅羽の勘違いであれば、さぞ奇怪な光景に見えているだろう。
しかし、それはないと迅羽は察している。
腕の長さを戻しながら、迅羽は自らも診療所の中へと入る。
ガラス戸であったため、入り口付近は外からでも見ることができた。
だから――外から死角になる場所にソレはあった。
「…………」
迅羽は無言のまま、しかし顔を覆う【符】の裏側で眉根を寄せる。
年齢離れした精神力を持つ迅羽ではあるが、そこにあるものに対しては強い不快感と僅かばかりの戦慄を覚えた。
「迅羽殿! いったい何を……ッ!?」
迅羽に遅れて診療所に入った案内役が、その表情を歪ませる。
しかしそれも、無理はない。
そこにあったのは――死体の山だった。
文字通りに、死体が積み上げられて山になっている。
入口から見えないように、衛兵や医者、看護師の死体が重なっている。
誰も彼も、喉を鋭い刃物で裂かれているようだった。
恐ろしい惨状。決闘や対人戦で<マスター>相手の惨殺死体は慣れている迅羽でも、ティアンのこれは流石に気が滅入る光景だ。
だが、この死体の山には視覚的な問題以上に奇妙な点がある。
(血の臭いがしねーな……)
死体は傷口から夥しい血を流れ出し、診療所の床に血溜まり……もはや血のプールとさえ言えるものを作っている。
だというのに臭いがない。
血の臭いも、死体の臭いも、弛緩した肉体から漏れた内容物の臭いも、何も無い。
デフォルトではオフになっている痛覚を除けば完璧なリアリティを発揮する<Infinite Dendrogram>だというのに、これらは完全な無臭である。そうでなければ迅羽達が訪れる前に、漏れ出た臭いで誰かがこの異常に気付いたであろうが。
(珠を狙った襲撃なんだろうが……やったのはいつだ?)
流石の迅羽といえど、死体を見て犯行時間が分かるような技術はない。
それでも、既に得ている情報から分かることはある。
(服装を見るに白衣……ここの関係者や衛兵の死体だけだな。患者はいない)
ならば犯行時刻は人払いがされた午後からの公算が高い。
まだ然程の時間も経ってはいないということだ。
(既に逃走したのか? いや、この街はいま上空からグレイの奴が監視している。珠を持って逃げるような奴がいれば、グレイも見逃さない。ありえるのはグレイも気づかない隠蔽能力持ちか、あるいは……まだここにいるのか?)
「まさか……既に議長の手の者が……! っ!」
(議長?)
思考の最中、案内役の漏らした言葉を迅羽の耳が拾った。
しかし、迅羽がそれに言及する前に、案内役は腰に提げていた通信機を手に取って呼びかける。
「こ、こちら第一診療所……!」
第一診療所での襲撃事件発生。
場所を考えれば珠を狙った犯行と見るべきで、最悪この街の中で<UBM>が暴れ狂う。
警備や避難のための連絡は必須。
迅羽はまだここにいるかもしれない犯人から案内役の彼を護るため、周囲を警戒。近づく者や攻撃があれば、即座に迎撃する。
「…………」
「?」
だが、迅羽の背に護られている案内役は、通信機に呼び掛け始めてすぐに沈黙した。
何か見えたのかと周囲を探っても、何も無い。
「おイ」
そうして迅羽は案内役を振り向く。
彼は通信機を手にしたまま、呆然と立っていた。
その口から吐かれる言葉はなく、目も虚ろだ。
それから間もなく、
――案内役の首がゴトリと落ちた。
首の断面から噴水のように噴き出した血が、鉄と死の臭いを振りまく。
「!?」
突然の斬首。
周囲では一切、物はおろか空気が動く気配さえもなかった。
カシミヤのような超高速斬撃ではない。本当に、何の予兆もなかったのだ。
それを為したモノの可能性として挙げられるのは、かつてギデオンでシュウとルークが交戦した手合いのような感知されないほどの隠密特化。
あるいは――迅羽自身がよく知る手口である。
<エンブリオ>か、ジョブスキルか、特典武具か。
種類こそは不明だが最大限の警戒に値する攻撃に対し、迅羽は屋内で手足を伸縮させながらの超音速移動を開始する。
相手に狙いをつけさせないために。
(不意打ち、だがどうしてオレじゃなくて案内役を狙った? 見えていなかったのか?)
あれを迅羽自身に使われていれば、【ブローチ】の破損まではやられていただろう。
それをしなかった理由として考えられることはいくつかある。
まず、相手がターゲットを音で識別している可能性。
この診療所に入ってから、声を出していたのは案内役だけで迅羽は沈黙していた。
それゆえターゲッティングできなかったというパターン。
次に、ターゲットを選べないタイプのスキルであった可能性。
制御能力を外した代わりに効果を強めるものであれば、<超級>の迅羽ではなく案内役に先に当たってしまうパターンはありえる。
あるいは逆にターゲットが限られるスキル……ティアンしか攻撃できないスキルというパターンもありえる。
そして迅羽にとって最悪の可能性は……。
(あえて、オレを初手で狙わなかったパターン……)
迅羽が<超級>と知りながら、知らずとも衛兵とは比較にならない戦力であると理解できていながら、排除を優先しない。
そこから見えてくるのは相手の自負か、何らかの策謀、……あるいはその両方だ。
「チッ」
迅羽は舌打ちしながら、文様の書かれた【符】を構える。
それは空間サーチの魔法の触媒であり、王都の戦いでゼタを発見するのに使ったものだ。気配や姿を消していようと、存在するならば位置を掴むことができる。
迅羽はこの診療所内部を対象に魔法を起動し、把握する。
このエントランスから繋がる廊下の突き当りに見える扉。
奥まったその部屋の中に、何者かが立っている。
逃げもせずに。
「…………」
そこにいることが分かっても、迂闊な攻撃はできない。
なぜならこの診療所には珠がある。
既に奪われているのか、あるいは相手の陣取る奥まった部屋に保管されているのか。
『どちらにもない、このまま部屋ごと攻撃できる』というのは希望的観測だ。迂闊な真似をすれば<UBM>の解放に繋がってしまう。
ゆえに迅羽の採れる選択は部屋に踏み込むか、手を伸ばして攻撃するか。
あるいは……。
「――《彼方伸びし手・踏みし足》」
――初手で切り札を切るかだ。
<超級エンブリオ>、テナガ・アシナガの必殺スキル。
空間跳躍による敵体内への直接攻撃。
既に空間サーチで座標は捉え、迅羽を待ち構える相手は動いてすらいない。
ゆえに、この一撃は確実に敵の心臓を引き千切る――はずだった。
「!」
しかし――空間の穴に通した左の義手に伝わった感触はない。
明白な、空振りだ。正確な座標を得て攻撃したはずが、回避された。
その結果に迅羽が微かな驚愕を抱いた。
その間隙に――空間を超越した義手へと横から衝撃が加えられた。
「ッ!?」
迅羽は、義手を引き戻す。
その黄金の義手は……爪を二本、落としていた。
「……おいおイ」
迅羽にとって、その有り様は空振り以上に驚くべきことだ。
なぜなら迅羽のテナガ・アシナガは<超級エンブリオ>。その強度は折り紙付きである。
どれほどかと言えば、あのフィガロでさえも戦闘時間比例と装備数反比例の二重強化を行わなければ斬れなかったほどだ。
それを容易く、しかも空間超越攻撃を回避した上でやってみせた。
迅羽はこの時点で……相手を<超級>クラスと断定した。
「…………」
狙いをつけられないように動くのは続けながら、迅羽は診療所内に【符】をばら撒く。
万能な戦闘スタイルを持つ迅羽だが、必殺スキルは回避され、武器である爪も断ち切られた。
ならば、物理攻撃ではなく魔法を以て攻める。
最悪の場合、もはや生存者のいないこの診療所ごと敵対者を焼却する。
敵対者の危険度を鑑みて、珠の破損さえも厭わない。
<UBM>が解放されるとしても、この敵よりはマシだ。少なくとも、まともな生物であれば迅羽の必殺スキルで殺せるはずだ。……この敵対者とは違って。
【符】を展開する迅羽と、謎の敵対者。
廊下と扉を挟んだ奇妙な対峙。
その均衡を破ったのは――敵対者の方だった。
「!」
何でもないように、奥の扉が開く。
扉を破壊するわけでも、廊下を疾走して距離を詰めるのでもない。
ごく自然に、ゆっくりと扉が開き、中にいた者が歩み出てくる。
『…………』
その人物は、およそこの世界らしからぬ装いをしていた。
体格は男に見えるが、全身は地肌が見えないよう道着や手袋に覆われている。
右手には歪曲した紅い刃の短剣……カランビットナイフを逆手に握り、左手には迅羽も幾度か目にした宝玉獣の珠を掴んでいる。
そしてその顏は――獅子の如き怪物面に隠されている。
写実的な獅子ではなく、インドネシアの聖獣バロンを模した奇怪にして威圧的な風貌の仮面だ。更には仮面から伸びた白い髪によって本来の頭髪までも覆い隠されている。
この世界にはありえない面であり、左手の紋章が見えずとも相手がティアンではなく<マスター>であろうと迅羽に確信させた。
『…………』
正体不明の怪人としか言いようのない敵対者……仮称『獅子面』。
僵尸の装いの迅羽との対峙は、アジア文化の仮装大会の如き有り様だが……両者共に見た目通りの怪物的実力者。
激突の余波で街一つ崩壊してもおかしくはないレベルである。
『…………』
姿を現した獅子面は無言のまま、仮面の奥からジッと迅羽を見据え……。
『フッ』
一笑と共に右腕を振るい、真横にあった診療所の壁を刃で細断して――外へと逃げた。
これまで診療所で殺戮と共に居座っていたのは何だったのかと思うほどの、鮮やかな逃走である。
あたかも、迅羽に姿を見せてから逃げ出すのが目的だったのか如き動きだ。
「……、クソがッ!」
案内役を含めた衛兵と医者を惨殺し、これ見よがしに珠を持って逃げ去る獅子面。
明確な罠、誘いであるのは迅羽も理解している。
だが、魔法という罠を展開し始めていた診療所内を脱出され、切り札の必殺スキルも通じない以上、『直接追う』以外の選択肢はこのときの迅羽には与えられていなかった。
迅羽は通信でグレイに緊急事態を告げながら、獅子面の追跡を開始する。
To be continued
(=ↀωↀ=)<事件発生




