第九十八話 参戦
□■アルター王国・東部交易路・森林地帯
「ふぅ」
ペネロペ・ボロゼルのクエストが発生してから約一時間。
森の中を切り拓かれた交易路の上で、スプレンディダの分身は一仕事終えて息を吐いた。
本来ならば木製の身体に哺乳類のような生体反応はないが、スプレンディダの分身は偽物と分からないよう通常時は本人の身体機能を模倣している。
「土木作業とかこの身体でも重機がなきゃやってられませんね」
そんな分身の前には今――毒の沼があった。
そう、アジャニ伯爵領やカルディナとも繋がる整地された交易路を塞ぐように、巨大毒沼が作られているのだ。
毒沼からは紫色の煙が空に立ち上り、周囲の木々の葉は徐々に枯死している。
無論、これを作ったのは【猛毒王】であることを隠さなくなったスプレンディダだ。
クリス・フラグメントから報酬として得た重機で穴を掘り、手持ちの素材から毒を合成して満たす。
そのような手順により、極めて迷惑で撤去困難な通行止めが完成した。
地を進む竜車では道の両脇の森林を通過するのは困難だろう。
回避策としては一度竜車をアイテムボックスに仕舞い、森林を通って毒沼を迂回し、また竜車を出せばいいが、速度低下は免れない。
それに、毒沼の傍で待ち受けるスプレンディダが見逃すはずもない。
(まぁこの道を通るの止めるか、飛べばいいんですけどね)
この森を通る交易路は東への最短ルートだが、他の道もないではない。
加えて、地上の通行止めなど空の住人には関係ない。
イゴーロナクの強襲でレイ・スターリングの煌玉馬は破損したとは彼も聞いているが、それでも飛行手段の代替くらいはあるだろう。【セカンドモデル】もある。
ここを通らなくていい手段はいくらでもある。
あえてスプレンディダが、バルバロイ達の予想進路上に毒煙が狼煙となって立ち昇る毒沼を作成して待ち構えているのは……示すためだ。
露骨な、ほぼ挑発と言っていい行動。
『ここにスプレンディダが待ち構えてますよ』と大声で叫ぶに等しい行為である。
本当に安全な移動が目的であれば回避するだろう。
また、ビースリーの竜車が罠であってもスプレンディダに抗する手段がなければ、昨日同様に【ディバイダー】で封じ込められた後に不死身のスプレンディダに殺される。
それが分かった上でここに来るのならば……それは『スプレンディダを倒す算段』を携えているからに他ならない。
昨日の戦いと【光王】の遺した暗号から、スプレンディダの安全圏を崩す攻略法を見つけたということなのだと。
スプレンディダはそれが知りたい。
彼らの目論見が合っているのか、間違っているのか。
合っているならば、如何なる手段で破るのか。
彼のギミックが露見した今は彼にとっても良い機会ではある。
「さてさて……」
はたして、スプレンディダは交易路の先に竜車を見た。
逸れるでもなく、飛ぶでもなく、交易路を走り続けるその姿。
スプレンディダを倒す術を持つのだろうと予感させた。
「やあ! 昨日ぶりですね、バルバロイ嬢!」
竜車の御者を務めるビースリーに、スプレンディダは毒沼の手前で右手を大きく振りながら呼び掛ける。
竜車はいま【セカンドモデル】の二頭立て(恐らく<AETL連合>から借りたもの)で曳いているので大別すれば『馬車』になるだろうが、些細な話だ。
まだ一〇〇メテル以上先だが、竜車は爆走している。
「……あー、これ見えてたら止まってくれますか? そのメガネ飾りじゃないでしょう?」
そのまま進むと大して強度がないスプレンディダは木製の轢殺死体になるだろう。
なお、スプレンディダの左腕にはあるモノが抱えらている。
先刻拾ったペネロペ・ボロゼルである。
防毒のアクセサリーを装備され、眠ったまま抱えられている。
お人好し(又は悪魔食い)として知られるレイ・スターリングのクランだ。
『まさかティアンの子供を抱えた人間を諸共に轢き殺したりはしないだろう』という算段である。
……が。
「…………えぇ?」
ところが、竜車は中々ブレーキを掛けない。
その有り様と迫る竜車の迫力。
影の中のスプレンディダ本体は「彼女、このまま轢く気じゃなかろうか」と冷や汗を流した。
「待って!? この子はティアンですヨ! ほら! 左手左手!?」
もしや少女込みで罠だと思われてるのかと、眠るペネロペの左手の甲を見せる。
「そのスピードだと毒沼に突っ込みません!? 高そうな竜車だけど大丈夫!? これ装備破壊系の毒もセットですよ!?」
「……チッ」
多少の葛藤があったらしいビースリーは、露骨に不機嫌そうな顔で竜車のブレーキを掛ける。
流石の【セカンドモデル】と高級竜車、横転することもなくスプレンディダの十メテルほど手前で停止した。
もっとも、ビースリーの顏には『そのまま轢きたかった』と書いてあるようだったが。
(と、止まった。セーフ! ……あれ? 今、どっちの言葉で止まったんですかネ?)
まさか名前に反して正義の味方ムーブしてるクランが竜車惜しさに止まった訳ではあるまいと思いつつも、さっきまでのペネロペを無視したような動きに一抹の不安があった。
「改めて、昨日ぶりですねバルバロイ嬢」
「……どこかで皇国勢が襲撃してくるとは思いましたが、まさかこんなにも露骨な待ち伏せとは思いませんでした」
「ンンン、これ待ち伏せっていうかもうほとんど待ち合わせじゃないですかネ? ミーの作った毒沼もだけど」
ビースリーは眼鏡の奥の目を細めてスプレンディダを睨むが、スプレンディダは軽薄な笑顔を崩さないまま軽口で応じる。
「通信とか隠す気のない出発とか、最初からミーを誘い出す罠でしょ?」
「…………」
ビースリーはその言葉に応えないが、その無言は肯定でもあった。
「露骨に怪しい動き。危険なカウンター手段……それこそ【獣王】クラスも仕留められる隠し玉があるかもしれないところに重要戦力は送り込みにくい」
それこそフィガロが攻略した皇国の<砦>に滞在していたカイン使いのファウンテンのような人材が、竜車の中に隠れているとも限らない。
「その点、ミーなら安心。不死身ぶりには定評ありますし、もしも消えても皇国にとってはそこまで惜しい人材じゃない。まぁ炭鉱のカナリアですよネ」
『実際は皇王から追加の指示もなく、半ば独断で動いたんですけどね』と内心で付け加えた。
「それにミーとしても昨日は中途半端なところで帰っちゃいましたから。続きをしようかと……」
そうして挑発も交えながらスプレンディダは会話を続けるが……。
(……はて?)
相手の対応が遅いことに疑問を持った。
スプレンディダが【猛毒王】であることは既に察しているだろうし、昨日の【ディバイダー】の例もある。
スプレンディダの分身が少女を抱えているので問答無用の重力攻撃はできないにしても、今もまだ御者台から降りもしないで会話を続けているのはおかしい。
しかも、ペネロペにはまるで言及しない。無視しているようにすら見える。
「あのー。何か言うことありません? ほら、この子とか」
「…………」
ビースリーは無言でスプレンディダを見るだけだ。
これがレイ・スターリングならば『その子を離せ!』くらいは普通に言うだろう。
(じゃあやっぱりこの場にはいないんですかね?)
もしもスプレンディダが思うに『良心の塊だが良識派とは言えない』レイならば、スプレンディダが持つ『人質』を放置はできないはずだ。
(んー、行動に迷っている感じじゃないな。狙いは何だろう? 何かを待っていて、時間を稼いでいるとか?)
竜車そのものが罠ではなく、竜車は囮で掛かった相手を仕留める役は後から来る可能性を考えた。
それに今はノーリアクションだが、実際に戦闘をするならば足止め役と考えればタンクにして重力使いのバルバロイ・バッド・バーンは適役だろう。
(じゃあこのまま続けますかね)
スプレンディダとしては何が来ようと問題はない。むしろ望むところだ。
何をされるかを把握するための、スプレンディダである。
それは皇国の<超級>と【水晶】の協力者両面での目的。
さらに言えば『他者の手管を知っておきたい』という本人の欲求でもある。
(それ込みで読まれてそうな気もしますが)
昨日長時間接したことで、『基本的には受け身で相手の対応を待つ』という普段のスプレンディダの傾向を読まれている可能性もある。
それに<デス・ピリオド>には人の洞察に特化した美少年がいるという。
(何でもその美少年は無言の人の台詞さえ数分に渡って代弁するとか何とか。……いやちょっと怖くない? それちゃんと合ってます? 妄想じゃなくて?)
本体が「デスピリは変人しかいない?」などと呟いていると、竜車側面の乗車用扉が開かれた。
竜車の中から現れたのは、満身創痍の一人の<マスター>。
つい先ほど、スプレンディダが『いない』と判断した男。
――王国の<命>であるレイ・スターリングだった。
(は? 罠なのにフラッグ連れてきたんですか?)
乗り込んだという情報はあったが、それは流石に何かの欺瞞だろうと考えていた。
しかし、眼前にいる相手は間違いなく昨日見たレイと同じ姿。
一瞬、その真意がつかめず、スプレンディダは思考が空白化しかけたが……。
「――君は誰だ?」
――人質を見ても涼しい表情のままの男を、『レイ・スターリングではない』と察した。
「――《てまねくカゲとシ》」
――レイの姿をした人物の影が動き出したのは気づきと同時だった。
満身創痍であったはずのレイの姿で、しかし本人よりも遥かに速く動く。
超音速機動で距離を詰め、スプレンディダの分身が猛毒を放つよりも先に――スプレンディダの影に触れる。
「……!」
直後、男は何かに気づいて飛び退く。
一秒後、寸前まで彼のいた空間をスプレンディダの放出した毒霧が覆う。
さらに彼とビースリーに向けて毒弾を放つが、それを阻んだのもまた――影。
地面から立ち上った影が、撃ち出した毒弾を防いだ。
「……なぁるほど」
一連の動きとその能力で、スプレンディダはレイの姿をした者が何者か理解した。
「【暗殺王】のミスター月影ですネ?」
「ええ」
スプレンディダの言葉にもはや姿を偽る必要なしと判断したのか、レイだった人物の容姿が切り替わる。
黒衣の執事然とした男……扶桑月夜の側近である月影永仕郎の姿に。
変貌の要因は【獣王】との戦いでも使っていた特典武具。
月影は今再び、あの特典武具でレイに化けて奇襲を行ったのだ。
「ミーの能力が影に関するものだと昨日の暗号で察して、潜り込むために影のスペシャリストを呼んでいたというわけですネ」
スプレンディダにはどうやって月影が王都でビースリーと合流したのかは不明だ。
しかし、影に潜れる暗殺者の動向など把握しようがないので仕方がないとも考えた。
実際はカルチェラタンに赴いたレイと入れ替わりに、ビフロストの門から派遣されてきた形だ。
ビースリーがレイに持たせた月夜宛ての手紙はこのための物である。
「しかし、生憎でしたね」
スプレンディダは分身に「チッチッチ」と指を振る挑発モーションをさせながら、今の攻防で決定的となった事実を口にする。
「影を操る能力では――ミーの安全圏に立ち入ることはできないようで」
レイに化けてスプレンディダの驚きを誘い、速度差によって肉薄する。
その目的は、暗号によってスプレンディダが隠れていると思われる影に侵入すること。
しかし、月影は分身の足元にある影に入ることはできなかった。
「そのようですね。貴方の影は操作もできないようです」
今、周囲の木々や竜車、月影自身の影が攻性能力を宿して蠢いている。
月影のエルルケーニッヒは自らのテリトリーで影を侵食し、性質変化させる<エンブリオ>。
だからこそ、影を動かしての攻撃や影の中への潜伏が可能になる。
しかし、スプレンディダの影はその影響を受けていない。
入ることもできず、変質させることもできない。
然り。ティル・ナ・ノーグ本体の植わった影の中は、従来の影とは違う異空間。
エルルケーニッヒとは別の法則で支配された影ならぬ影。海水と淡水程度の違いはある。
ゆえに淡水魚が海水に潜れないように、エルルケーニッヒでは潜ることは叶わない。
さらに言えば、光や聖属性の攻撃でも貫くこともできない。
できるならば、【光王】のレーザーの連射が影の中にまで突き刺さっていたはずである。
スプレンディダが知る限り、安全圏を崩すには二つある条件のどちらかを満たさなければならない。
「それで、打つ手はこれでお終いですかね?」
影には影をぶつける。
納得の手ではあるし、スプレンディダにもこれまで試せなかった手だった。
もしかすると突破されるかもしれないと考えていた相手の一人であったが、結果は御覧の通りだ。
月影では、スプレンディダを破れない。王国の期待したスプレンディダ破りは失敗だ。
スプレンディダとしては、不安点が一つ潰れた安堵もある。
そしてこれで終わりならばビースリーと月影の二人を破り、王国の戦力を削ぐだけだ。
(竜車の中にはもう誰も乗っていないようですね。しかし、人質がいるのに構わず攻撃してくるとかカルトの人怖いですね……)
そんなことを考えていた彼に、ビースリーが答える。
「私と副……彼ではあなたに決定打を与えることはできそうもないようです」
「おやおや。潔いですね」
「だから、事前のプラン通り他の人に任せます」
「?」
「あなたがここにいると分かった時点で、本命も呼んでありますから」
ビースリーがそう口にしたとき、スプレンディダは分身とリンクした聴覚で奇妙な、しかしありふれた音を聞いた。
機体の噴出音と硬質な物体が空気を割く音。
リアルでは珍しくもないがこのゲームではあまり聞かない……航空機の飛行音だ。
見上げた空の彼方……東の空から高速で飛行する物体がこちらへと向かっていた。
それは航空機だ。
ペリカンのように膨らんだ、不格好な機械の鳥だ。
「あれは……?」
航空技術が未発達の<Infinite Dendrogram>において、それはただの航空機ではなく……<エンブリオ>の一種であると察せられた。
(<ウェルキン・アライアンス>に援軍を頼んだ? いや、あちらは特別攻撃隊と交戦中の筈。それなら……いや、見覚えがあるな、あれ)
その航空機を知る者は《カーゴ・ペリカン》という名の輸送機であると知っている。
スプレンディダはその名前こそ知らなかったが、見覚えはあった。
しかしスプレンディダがいつの記憶かを掘り起こす前に輸送機は後部ハッチを開き、
――そこから一人の人物を投下する。
それはパラシュートの類もない自由落下。
いまだ地上は百メテル近く下。
常人であれば砕けた血溜りと化して死に至り、前衛であっても重傷を負うだろう。
だが、その人物は心得たもののようにくるりと身を翻し、両の足で地に降り立つ。
爪先、膝、拳、順々に衝撃を移しながらの大地への到達。
地に着いた人物の身体は砕けず、血は飛ばず、涼しげな顔をしている。
「あの船で見かけて以来か」
その人物……男性は立ち上がると、スプレンディダの方を見ながらそう口にした。
彼は赤い髪の青年だった。
そして獅子の鬣に似たファーがついた、血に染めたようなジャケットを着こんでいる。
「君は……」
彼の姿に、スプレンディダは見覚えがあった。
しかしスプレンディダが彼の名前を口にするよりも先に、彼が口上を述べる。
「――<ゴブリン・ストリート>オーナー、エルドリッジ」
彼の率いる組織と、自身の名。
「バルバロイに誘われてな」
そして……。
「――今日は、<超級>を倒しに来た」
――目的を告げた。
To be continued
(=ↀωↀ=)<参戦
(=ↀωↀ=)<どうして参戦できてるのかは次回




