第五十九話 冷たい方程式
□国教教会
ビースリーは消耗したHPやMPをアイテムで徐々に回復させながら、未だ昏睡状態にあるレイを見守っていた。
危険域は脱して安定したのだが、その頃から呻くようにもなっている。
苦悶の顏で「素振りで即死……」、「待て……それ兄貴の最終……」、「心臓突いたのにノータイムで再生する肉に押し戻される……」など具体的な寝言を口にするのはビースリーも気になったが、特に傷の悪化はないらしい。
「……ボスラッシュの悪夢でも見ているのでしょうか?」
それがまさか正解とは思わないまま呟いたビースリーだったが、ともあれもう命の心配はなさそうだと判断して一旦治療施設を出た。
聖堂に移動すると、夕刻になったためか参拝者の姿は格段に減っていた。
だが、長椅子の一つには依然として夜空模様のコートを着た男――ルークからそうだと伝えられた【光王】エフが座っている。
彼は両眼を閉じながら、手元の紙に何事かを書き込んでいる。
遠目には書き込んでいる内容までは読めなかったが、紙はこの教会周辺の簡易地図らしかった。
(あれが【光王】……実際に見たのは初めてですね)
王国でそれなりに長期間PKとして活躍していたビースリーだが、同じくPK……PKを含む悪名高い活動の下手人として有名だった【光王】のことは詳しくない。
また、王国のPKの強弱を語る場合にも、彼は外して語られる場合が多かった。
理由は二つ。
彼のPK活動範囲が主に皇国やレジェンダリアであり、王国内ではなかったため。
そして、彼が他のPKと接点を持たなかったためだ。
ビースリーを筆頭に、王国で名が知れたPKはクランなどで他者と関わっていた者が多い。あの【犯罪王】すら、投獄前から後にクランのサブオーナーとなる【器神】らとの交流があった。
だが、【光王】は違う。
誰とも【光王】として関わらず、正体を隠した謎の存在。
「…………」
<デス・ピリオド>はとある事件でレイとエフが関わりを持ち、交戦、そして撃破している。
結果としてクラン結成前からのレイのパーティ、及びアルティミアら王国上層部には正体が周知されている。
が、正体が分かったからといってどう話しかければいいかは悩みのタネだった。
敵でも味方でもない上に信用するのも難しい相手である。
ルークは何か納得して任せたらしいが、ビースリーからすれば「レイにリベンジするつもりでは?」という懸念が消えない。
なにせ、ビースリー自身も時々自分を倒したフィガロへの、リベンジ欲求とでも言うべきものが燃え上がりそうになることはあったからだ。
もっとも件のフィガロはハンニャの事件で長期離脱していた上、同じクランのメンバーになったのでリベンジする対象でもなくなってしまったのだが。
ともあれビースリーはエフを警戒し続けている。
レイのいる治療施設を出る際も遠隔レーザーで彼が撃ち殺されないため、眠る彼に【黒纏套】を巻いて出てきている。端的に言って死体袋のようになっているが、仕方ない。
「……ふぅ」
しかしこのまま距離を置いていては掴める真意もないと考え、ビースリーはエフへのコンタクトを試みることにした。
両目を閉じているエフ……<エンブリオ>であるゾディアックに視点を移して索敵中の彼に近づき、話しかける。
「何か見つかりましたか?」
「ええ。それなりに」
「「…………」」
……が、素っ気ない返事の後は互いに続く言葉がない。
ビースリーは相手の出方を窺っているし、エフは索敵に集中している。
これではいけないと、ビースリーは会話を重ねる。
「開戦前に皇国の物資集積地を潰したそうですね」
「取れるタイミングでしたので」
「三日間の長期戦、相手の補給物資を削れたことは王国としてもありがたいですね」
「それは良かった」
エフは会話にはすぐに応えるが、口数は露骨に少ない。
会話の最中に彼が手元の地図に書き足している文字数の方が、よほどに多いだろう。
(……レイからは、むしろ必要以上に言葉を重ねてくるタイプと聞いていたのですが)
生来の彼がそちらなのであれば、現状は塩対応ということだろう。
塩対応の理由がどちらにあるかは分からない。
(あるいは私のこれまでの……PK活動を含めたどこかで何か不利益を被らせたことでもあったのでしょうか?)
そうしてエフは両眼を閉じたまま、当然のようにビースリーの方を向かないまま、手元の地図に情報を書き込んでいる。
時折、トントンとペン先で地図を叩きながらも、絶えずペンを走らせていた。
(一体何をそんなに書くことがあるというのでしょう?)
ビースリーは若干の不快感と疑問を抱きながら、地図をチラリと覗き見て……。
「…………」
無言のまま踵を返し、少し離れた長椅子に着席した。
ビースリーは自身の盾を取り出し、簡易補修用アイテムでメンテナンスを始める。
エフの方は離れる彼女に構わず、地図に情報を書き足している。
同じく聖堂にいた<AETL連合>の<マスター>は何とも言えない居心地の悪い空気に戸惑っているが、二人とも構う様子はない。
互いに無言のまま、数分が過ぎた。
西日が聖堂の窓から壁に光を当てる頃、聖堂の外から新しい参拝者が一人入ってくる。
参拝者は帽子を被った老齢のティアン男性であり、杖をついて聖堂の中を歩いている。
足の治療に訪れたのか、そのまま老人は聖堂の奥にある治療施設へと向かい、
「――《グリント・パイル》」
――エフの右掌から放たれたレーザーに後頭部を撃ち抜かれた。
被っていた帽子が灼き貫かれ、男はうつぶせに聖堂の床に倒れる。
突然の凶行に、まだ聖堂内に残っていた参拝者からは悲鳴があがり、<AETL連合>の<マスター>も慌てて立ち上がる。
だがその混乱に追い打ちをかけるように、
「――《ストロングホールド・プレッシャー》」
――ビースリーの盾が男の身体を圧し潰した。
メンテナンスのために取り出していた盾が、赤く染まる。
大理石の床に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、老人だった肉片と大量の血液が聖堂にばら撒かれた。
戦争に怯える人々の祈りの場は、まるでB級スプラッター映画のような殺人現場と化した。
「あ、あんたら何を……!?」
一連の凶行を目撃した<AETL連合>の<マスター>は、信じられないという顔をしていた。
エフはともかく、<墓標迷宮>で共闘もしたビースリーがいきなりティアンを殺傷したことに動揺し、震える声で問いかけている。
「落ち着いてください」
だが、当のビースリーは涼しい顔をしている。
ビースリーは盾をどかし、厚みが薄くなった老人の死体を冷めた目で見ていた。
「これがティアンなら、私は既にデスペナルティになっています」
「……え? あ……」
それは、戦争参加のルール。戦争参加者が都市内で正当な理由なくティアンを殺傷する行為は、契約違反で即デスペナルティとなる。
しかし今、そのルールが適用された様子はない。
「<マスター>です。他にも潜んでいるかもしれないので、警戒を」
「!?」
唐突なエフの凶行からの、連携。
こうなった経緯は、どうということはない。
エフが手元の地図にそのまま情報を書いていただけだ。
『ティアンに化けた<マスター>が教会に接近中。敵勢力と判断して撃ちます。二重ブラフの可能性もありますが、私が攻撃して問題なければ追撃をお願いします』、と。
「どうやって気づいたのですか?」
問いかけに、未だ両目を閉じたままのエフが瞼の上から右目に触れつつ答える。
「こちらの目は教会上空に配したゾディアックに繋げています。ですので……路地に入る前と後で人相が変わるうっかり者がいれば気づきます」
エフは右の瞼を開き、床に散らばる肉片を見る。
「彼のいる治療施設に入るには、そうするに足る理由がある人物像にすべきと考えたのでしょう。しかし、それをするなら私の監視範囲外から化けるべきでした」
「…………」
あっさりと言ってのけるエフだが、ビースリーは彼の言葉の意味を理解していた。
要するにエフは左右それぞれで別の視界を監視し、なおかつ俯瞰した風景の中で一人の人間の変化に気づき、把握していたことになる。
ビースリーをしてゾッとする情報処理能力であり、エフを王国最強の準<超級>候補たらしめている要因の一つであった。
「ところで……」
エフは自身の周囲に数十の黒い球体……ゾディアックを展開。
そして、死体に質問する。
「――化ける能力は<エンブリオ>ではなく特典武具でしたか?」
「――ノ。腕の良い知り合いが作ってくれたオーダーメイドさ!」
エフのレーザーが老人の死体に放たれるが、老人は照射の直前に飛び退いて回避した。
明らかに即死のダメージを受けた……それどころか老人とも思えない動きだ。
「まぁさっき潰された拍子に壊れちゃったけどね! また作ってもらうから気にしないで!」
老人の死体――老人を装っていた男の死体が内側から膨れるように補肉し、人の形に再構成される。
砕けた骨は整合され、年老いしわがれた肌は過剰な生命力を感じさせる色艶に変わる。
やがて再生が成ると同時に、男は《着衣交換》のアクセサリーで裸体を隠した。
さほど装備性能の高くなさそうな胸のはだけたシャツとズボンを身に着けている。
顔も整っており、好む女性もいるだろう陽気なスマイルを浮かべている。
だが、その程度の情報で男の不気味さは些かも減じない。
「というわけで、ボナ・セーラ。<命>を獲りに来た皇国の<超級>だよ!」
男は非常に軽いノリで、しかし決して無視できない言葉を二つ含んだ挨拶をした。《真偽判定》を持つ者は、それが紛れもない事実だと確認する。
そしてその男が誰かを、この場にいる<マスター>達は知っていた。
「……“常緑樹”のスプレンディダ」
「ジュースト! やっぱり顔でバレバレさ! だから変装してたんだけどネ!」
男――<トライ・フラッグス>に参加した<超級>の一角であるスプレンディダは笑ってそう言うが、ビースリー達にとっては笑い事ではない。
<墓標迷宮>と、同様。皇国の<超級>が……王都内に襲撃を仕掛けてきたのである。
居合わせた<AETL連合>の<マスター>は、『え? また<超級>が来たの? 皇国って奇襲好き過ぎない?』と思わずにはいられなかった。
「…………ふむ」
逆に皇国を奇襲した一人であるエフは、内心で『やはりこちらも面白くなったか』と考えていた。
ハッキリ言って、レイがいる時点で何も起きないとは思ってなかった。トラブル誘因体質であることはとっくに分かっていたのだから。
「……正気ですか?」
エフの横で盾を構えながら、ビースリーは警戒を最大限に引き上げて相手のありえない行動の真意を問う。
「ティアンに危害を及ぼせば、不死身と言われるあなたでもシステム的にデスペナですよ……?」
ティアンに危害を及ぼせば、どれほど強い<マスター>でもデスペナルティ。
だからこそ、ティアンの集まるこの教会にレイを置いていたのである。
来るとしても死亡と引き換えの鉄砲玉だろう、と。
それがまさか<超級>が追い打ちをかけてくる状況になるなど、予想も理解もできなかった。
自ら大駒を捨てに来たようなものである。
「んんんん、ご安心したまえバンビーナ。君が憂うような事態にはならないとも!」
だが、スプレンディダは陽気な笑みを絶やさないまま、ビースリーにそう告げた。
「それと、君。ミーがうっかり教会の近くで化けたと言う君。それは違うとも」
次いでエフに視線を向けながら、ニッコリとしたスマイルと共に言葉を続け……
「ミーがそんな真似をしたのは……君みたいに目端が利く人間の注意をミーに集めるためだからネ!」
「!」
「さあ! ノイのフェスタ・ダ・バロを始めよう、ジュバ嬢!」
その言葉と聖堂入り口の新たな気配に聖堂内の<マスター>達が身構え、
「……違う!」
ビースリーがその発言こそが更なるブラフであると察し、エフがスプレンディダに更なるレーザーを照射した瞬間。
「――《冷たい方程式》」
スプレンディダの晒した胸板が内から発光し――体内に埋め込まれた特典武具が起動した。
陽炎のような空間の歪みが入り口から聖堂、そして壁を透過して教会全体に浸透する。
光速よりも遥かに遅く数秒の時をかけて教会を満たした陽炎は、そのまま霧散していった。
だが陽炎が通り過ぎたとき、聖堂にいた教会の若い【司祭】は自らの目を疑った。
「え? あれ? <マスター>の皆さんは……」
教会内にいた全ての<マスター>が……一人残らず消えていたからだ。
あたかも、陽炎が彼らを連れ去ってしまったかのように。
To be continued




