Frag.5 スタート地点 Another
(=ↀωↀ=)<更新できないかなーと思ったけど
(=ↀωↀ=)<二年前に書いて「今は出すのやめとこ」となったエピソードがあったので
(=ↀωↀ=)<後半足してここで投稿
(=ↀωↀ=)<なお
※凄惨な描写がありますので閲覧の際はご注意ください。
□■二〇四四年三月 ???
大学受験を終えた私は、念願だった<Infinite Dendrogram>を開始した。
よりにもよってハイスクールの三年次に発売されたこのゲーム。大学受験を控えた同学年の友人達とは揃って「タイミング最悪すぎる……」と嘆いたものだ。
また、既に受験を捨てている者や個人商店の家業を継ぐ者などは悠々とプレイし、そのことで楽しげに話していたのも悔しかった。
その後、自分の中の誘惑に負けずに勉強に打ち込み、「絶対に合格してプレイしよう」という思いと共に挑んだ受験は無事に成功した。
そうして入荷待ちだったハードを入手して、今日が初めてのログインだ。
「本当にリアルだ……。風が熱い」
私が選んだのはカルディナという国だ。
砂漠にある商業国家。砂漠を通ってきた乾いた風は、肌を細かに刺激する。砂漠になど一度も立ったことのない私でも、それをリアルだと思う程に。
私が降り立った街は商業都市コルタナというらしい。
街の大通りには数多くの露天が立ち並び、様々な商品を熱意と共に売る商人達がいた。
とても大きく、活気に満ちた街だけれど所属国であるカルディナの首都ではないらしい。
何でも、首都は移動しているために周辺のモンスターの強さが変わり、初心者を下ろすには向かない。だから代わりにこのコルタナに降ろすのだと、私のメイキングを担当した猫は言っていた。
たしかにまだレベル1どころかジョブにもついていないレベル0。こんな状態で高レベル地帯に降ろされたら詰んでしまう。
後でジョブも選び、レベルも上げなければならない。
けれど、まだ噂の<エンブリオ>さえも孵化していないのだ。
ジョブを選ぶのは<エンブリオ>が孵化した後にして、今はこの<Infinite Dendrogram>で異国の街を観光することにしよう。
コルタナの街には、子供の頃に絵本やアニメ映画で見たアラビアンナイトのような光景が広がっている。
活気のあるバザールには形も色も様々で、なおかつリアルにはない魔法のアイテムも沢山売っていた。
ただ、資金はアバターのメイキングの際に受付の猫から貰った銀貨五枚……五〇〇〇リルだけなのでそういったアイテムを買うことはできない。
買えたのは、屋台で売っている食べ物くらいだ。
何の肉かも分からない串焼きを買い、デザートに袋入りの揚げ菓子を買う。少し甘さが足りないけれど、歩きながら食べるにはちょうどいい。
こうしていると、ゲームをしていると言うよりは海外の観光地にいるようだ。
……というか、ログインしてから一時間以上経ってもここがゲームだとは信じられない。
五感が伝える環境も、屋台で話した人々も、本物としか思えない。
一体いつの間に、人類の技術はここまで進歩していたのだろう。
◇
「……あれ」
考え事をしながら街を歩いている内に、人気のない地域に入り込んでいた。
どこか寂れていて、先刻まで充満していた活気が欠片も見当たらない。
ただ、古びた建物だけが押し込められるように建てられていた。
一つの街でこんなに雰囲気が違うのかと思いながら、その区画を歩く。
「…………?」
そうして歩いていた私は……私の目はそれを見た。
石造りの建物と建物の間にある、狭い路地。
その入り口から少し入ったところで、女の子が地面に腰を下ろし、壁に背中を預けていた。
その子は、一目見て分かるほどにやせ細っていた。
以前に見た難民のニュースで映っていた子供達よりもやせ細って見える。
そんな彼女の傍には、家族も誰もいない。
ただ独り、そこで壁に背中を預けていた。
「…………」
そんな彼女が少しだけ首を動かして、私を見た。
いや、見ているのは私ではなく……私が持ったままだった揚げ菓子の袋だ。
私が「甘さが足りない」と思っていたそのお菓子は、彼女にはどう見えたのだろう。
枯れ木よりも細い腕を持ち上げて、私に手を伸ばしてくる。
けれど腰は地面から上がることはなく、腕は震え、その動作はあまりにも儚い。
その仕草に、動きに、私の心臓が締め上げられるように強く脈打った。
「あ、ああ! あげる! あげるから!」
咄嗟に口からそんな言葉を吐きながら、私は彼女に近づいた。
頭の中は、今まで見たことがない「悲惨」としかいいようのない少女の姿に、モノを考えようとして、けれど空回りしている。
けれど、言葉と体は既に動いていた。
放っておけなかった。
この少女を見ていられなくて、私は彼女に近づき、お菓子の袋を差し出している。
少女はお菓子の袋に手を伸ばすけれど、その中に手を入れることが出来ず、彼女の手は何度も空を切る。
「今、食べさせてあげるから……」
私はお菓子を一つ摘んで、彼女の口にそっと近づける。
少女はゆっくりと口を開けて、お菓子を頬張ろうとして、
そのまま……口の動きを固めた。
「……え?」
私の指から離れた菓子が、地面に転がる。
どうしたのかと、恐る恐る彼女の頬に触れる。
枯れ木のようだった少女の身体は、それだけでゆっくりと横倒しになった。
動かない。
「…………え?」
倒れた少女は、そのまま動かない。
眠ってしまったと思いたかった。
けれど、彼女の両目は開かれていて。
目には輝きが欠片も見えなくて。
地面には砂埃があるのに、彼女の口や鼻の近くでは一粒の砂も動いていなくて。
いつしか、蟻が少女の顔を這っていた。
「あ、あ……?」
彼女の乾ききった手首に触れると……そこには脈拍が何もなかった。
目の前で、名前も知らない少女は、飢えて、痩せて、
…………死んでいた。
◇
それから数時間の記憶が定かじゃない。
自分の喉が叫んだことは覚えている。
叫んだまま必死にログアウトしたのも覚えている。
その後にベッドに入り、毛布をかぶったまま考えた事は、よく覚えていない。
けれど、「どうしてカルディナにしてしまったのか」、「どうして視点をリアルにしてしまったのか」、「どうしてあの道を歩いてしまったのか」、「どうして……<Infinite Dendrogram>を始めてしまったのか」ということだけは、何度も考えた覚えがある。
<Infinite Dendrogram>はリアルなゲームだ。
ゲームだったはずだ。
けれど、私にとって、あまりにも……リアルに過ぎた。
一度も訪れたことのない砂漠の街をリアルだと感じたように。
一度も見たことがないはずの子供が痩せ衰えて死ぬ光景を……現実だと感じ切ってしまった。
瞼を閉じれば、少女の死ぬ瞬間が何度も浮かぶ。
「何で……何で、あんな……」
その光景を記憶から拭い去ろうとしても、消えてはくれない。
初めて触れた残酷な死の衝撃と……後悔が消させてくれない。
何度も、何度も、少女が死ぬ瞬間と……彼女が最後に求め、結局食べられなかったお菓子を落としたときのあの感触が、リフレインする。
「せめて……せめて……」
せめて、せめて最後に、彼女にあのお菓子を食べさせてあげることが出来たなら……あるいはここまで強い後悔はなかったのかもしれない。
けれど、それはもう叶わない。
終わったことはやり直せない。
死んだ少女は生き返らない。
どうしても……届かなかった最後が記憶からは消えてくれない。
「ゲームの、ゲームのはずなのに……」
ゲームのNPCが死んだ、本来はそれだけのことのはずなのに。
私の心は、それだけで終わらせてはくれない。
それから、何時間もベッドの中で涙を流しながら後悔を続けた。
そうしてふと、思ったのだ。
「……あの子の、葬儀」
あの子は死んでしまった。
けれど埋葬に花を手向けるか、墓前で祈れば、この後悔も少しは薄らぐのではないかと、希望を持った。
「あのお菓子も、供えないと……」
私は震える手で<Infinite Dendrogram>のハードを手に取り、再びログインした。
◇
<Infinite Dendrogram>では、リアルの三倍の時間が経過していた。
既に真夜中であり、灯りはあるもののリアルと比べるとずっと少なく、街は薄暗い。
けれど、ログアウトした場所が近かったため、少女が死んだ路地にはすぐに辿り付けた。
だが……。
「いない……。いや、それは、そうか」
路地にはもう、少女の遺体はなかった。
きっと家族が連れ帰り、埋葬するのだろうと思った。
あるいは身寄りがないのならば、教会が埋葬するのかもしれない。
それならせめて、墓前にこのお菓子を供えて、祈りを捧げないと……。
私は彼女の墓地の場所を知るため、近くを歩いていた警邏の人に話しかけた。
「すみません」
「ん? なんだい、<マスター>さん」
「あの、ここにいた子供が埋葬された場所を知りたいのですが」
「子供? どこの子供だい?」
「今日の昼間、あそこの路地で亡くなった子供なんですが……」
「……ああ。路上で亡くなった孤児なら北のはずれだよ」
「あ、ありがとうございます!」
私は警邏の人にお礼を言って、北のはずれに駆け出した。
「でも行かない方が…………」
後ろからの声は、よく聞こえなかった。
◇
北のはずれに、それはあった。
街の門からも、歩いて十分以上は離れている。
それは砂漠の中にあって、申し訳程度の柵を広い範囲で並べていた。
墓地の境だというように。
けれど、それは墓地ではなかった。
そこには墓石はなかったし、墓穴すらもなかった。
ただ……。
ただ……死体だけが幾つも積み重なっている。
乾燥した砂漠の上、
腐らずに乾いた死体と、
虫に食われて骨になった死体と、
まだ乾いていない肉のついた死体が折り重なっている。
「ッ、ぇ……」
気づけば、嘔吐していた。
なぜこんな光景がここにあるのかと、疑問と恐怖が激流のように脳裏を荒れ狂う。
「……え?」
入り口の近くには、看板だけ立てられていた。
浮浪者遺体廃棄場、と。
その下に書かれていた説明にはこう書かれている。
『税金を納めない浮浪者の遺体を埋めるスペースはコルタナにはなく、また火葬による燃料費も捻出できないため、浮浪者は砂漠による風葬。あるいはモンスターによる鳥葬又は蟲葬とする』
◇
セーブポイントとオアシスによって、この砂漠の中でもコルタナは栄えている。
しかしそれは限られた範囲であり、他の国土のように拡張できるものでもない。
墓地の場所すら有限であり……そして金銭こそが重要なカルディナの性質を、最も顕著に表したこのコルタナでは……墓地に入る権利すら金銭で決まる。
そして、払う金銭等あるはずもない浮浪児の死体は、全て街の外に打ち捨てられる。
それこそ、砂に埋める経費すらも惜しいと言わんばかりに。
後になって知ったけれど、それは今のコルタナの市長の方針だった。
◇
墓地……廃棄場の説明書きを、私は読めた。
自動で翻訳された文字は、簡単に読める。
だけど、理解はできない。
頭では理解できても、心が理解できなかった。
理屈は分かるが、それを実践していることが理解できなかった。
自分がこれまで現実で生きてきた社会は、仮に浮浪者であっても墓に入るくらいはできたはずだから。
私は、この<Infinite Dendrogram>に来てから……最も非現実的な感覚を覚えた。
「…………あ」
そうして見つけてしまった。
積み重なった死体の一番上に、既に骨になりかけているいくつもの死体の上に、まだ皮と髪がある少女の死体を見つけてしまった。
私の目の前で死んだ、少女の遺体を。
「…………」
祈るために来たはずだった。
供えるために来たはずだった。
けれど、それをすることすら、今の自分にはできない。
どうすることもできないまま膝を着いて、視線だけを彼女の視界から逸らした。
「……?」
逸らした先にはもう一枚、看板があった。
そこには、こう書かれている。
『遺体の持ち出しは自由。ただし、街の中での《死霊術》の行使による死者の蘇生は禁止とする』
遺体の持ち出しが自由という文言は、ショックだった。
けれど、「遺体がなくなればこの廃棄場のスペースがその分だけ空く」と考えると、この人間味を排して合理的に過ぎる場所には似合いなのかもしれない。
だが……。
「《死霊……術》? 死者の、蘇生?」
それではまるで、死んだ者を生き返らせることが出来るかのような文言だ。
いや、ありえるのか。
魔法があるならば、死者を生き返らせる魔法も。
「あ、あああ……」
だが、死んでいる者を人の手で生き返らせる。
それは、倫理が崩れる。
少なくとも、私が今まで信仰してきた宗教ではあってはならないものだ。
けれど、もしも、もしもそれが出来るのならば……。
その可能性があるのならば……。
「この、後悔を……なくすことが出来るのならば……」
――そんな倫理など崩れてしまってもいいと……強く心に思った。
その瞬間、私の左手の甲が紫色の光を発し、
「――承った。ならば、それが妾の在り方になるだろう」
――見知らぬ少女が傍らに立っていた。
「……え?」
その少女を、一言で言い表せば『紫』だった。
紫色の髪を編み、紫色の古代ギリシャ風ドレスを着ている。
けれど、その瞳だけが呑み込まれそうな漆黒だった。
「君、は?」
「妾の名はペルセポネ。其方の肉と魂、そして心の慟哭より生まれたモノ。其方の<エンブリオ>であり、TYPE:メイデンwithキャッスル・テリトリー」
「ペル、セポネ?」
「以後お見知りおきを、マイマスター」
冥界の妃の名を冠した少女……私の<エンブリオ>は、そう言って淑女らしい礼をした。
「では、早速だが妾の力を使うか?」
「ち、から?」
「うむ。妾ならば、この少女を生き返らせることができる」
「……本当に!?」
その言葉に、気づけば私はペルセポネの両肩を掴んでいた。
「だが、妾はまだ生まれたばかりの第一形態。生き返らせるにも本人の綺麗な死体が必要であるし、黄泉返る時間も短い」
「それは、どういう……」
「妾はあの少女を――三分だけ黄泉返らせることができる」
ペルセポネの発した言葉を、飲み込むのには時間が掛かった。
「三、分……」
それは本当に短い時間だ。
モチーフとなったペルセポネの逸話……オルフェウスの妻を蘇らせようとした時よりもなお、比べられないほどに短い。
あるいは、生き返らせて二度死なせるくらいならば、生き返らせないほうが良いのではないかというほどに短い時間。
けれど、三分。
三分、あれば……。
「…………」
手の中に持ち続けていたお菓子の袋が……カサリと音を立てた。
◆
私の目の前には少女の死体が横たわっていた。
違いは、どこか穏やかな顔になっていることだけ。
少女は生き返った。
死んだことを覚えていないようで、死ぬ寸前のリフレインのように私へと手を伸ばしていた。
そんな彼女に、私は……今度こそお菓子をあげた。
彼女は、美味しそうにお菓子を食べた。
ペルセポネは「最後に未練だったことをしているのだろう」と言っていた。
彼女は、泣きながらお菓子を頬張って……三分の後に死体に戻った。
「…………」
私は自分がしたことが正しいか分からなかった。
彼女の遺した未練を、彼女に残した私の未練と恐怖を拭うためだけに彼女を生き返らせて……再び死なせた。
最期の言葉は、
「こんなにおいしいものがたべられて、うまれてきてよかった」
まるで、今お菓子をたべるために生まれてきたかのような言葉を。
これ以上に嬉しいことが、一度もなかったのだという証言を。
彼女は遺して、また死んだのだ。
「そんな人生が、あっていいわけないだろう……!!」
涙にぬれる少女の嬉しそうな顔。
けれど……それが本当に救いだったのだろうか。
「……どちらだとしても」
どちらだとしても、私は今日の出来事を忘れない。
そしてきっと……二度と<Infinite Dendrogram>にはログインしないだろう。
「…………あ」
ログアウト処理しようとする私に、ペルセポネが何かを言いかけた。
彼女を振り返るが、彼女は所在なさげに手を伸ばしかけたまま、それ以上は何も言わない。
その心中は分からない。
私は、彼女のことはほとんど知らない。
私の<エンブリオ>であることと、三分だけ少女を生き返らせてくれたことしか分からない。
ただ、彼女のお陰で……一つの未練は果たせたのかもしれない。
それは……感謝すべきなのだろう。
そう思って私はログアウトしようとして、
「……?」
ふと……思いだす。
<エンブリオ>とは、進化するモノだと。
今のペルセポネは……生まれたばかりの彼女は三分間しか蘇生できない。
けれど、もしも……。
「マイマスター?」
「……ペルセポネ、一つ……聞きたいのだけれど」
私はペルセポネの漆黒の瞳を見ながら、問う。
「君が進化すれば、蘇生の制限は消えるのか?」
「…………!」
<エンブリオ>は、進化する。
ならばペルセポネが進化していけば……彼女の制限もなくなるのではないかと。
「……可能性は……ある」
「そうか……」
その言葉を聞いたとき、私の顔を見ていたペルセポネがなぜか表情を歪めた。
私はどんな顔をしたのだろう。
笑っているのか、泣いているのか、聞いたことを悔やんでいたのか。
だが、どれでも、同じだ。
可能性は示された。
「きっと、この世界には……あんな風に死んでいく子供が沢山いる……」
私の口は自然に、<Infinite Dendrogram>を世界と呼んでいた。
「この街だけでも、あの子と同じ末路になった子供は過去にも未来にも大勢いる……。不幸なまま、救われるということすら知らないまま……死んでしまった子供達が。お菓子を食べるささやかな幸福すら知らないままに生きて……死ぬだけの子供が……」
それは私の知らなかった世界だ。
こんなにも、不幸な世界があると私は知らなかった。
この世界の不条理さに、私は納得できなかった。
「けれど、あの子は……嬉しそうだった。きっと最後に救われた……私はそう思いたい」
「うむ。だから、其方は胸を張って元の世界に……」
だから、覆したいと思った。
「――不幸な子供の中で、あの子だけは」
――今は、あの子だけが救われた。
――それでは、足りない。
「……其方、何が言いたい?」
「今は三分間だけだ」
怯えるような表情のペルセポネの肩を掴んで、私は……私達の可能性を話す。
「けれど、君が進化して強くなれば、その力の先に届けば……あんな風に死んでしまった子供達を全て救って、時間制限のない第二の生を与えることもできるかもしれない」
「其方……!」
全ての不幸な死を迎えた子供を救う。
現実的に考えて、そんなことは不可能だ。
けれど、不可能であるはずのことを、彼女は既に一度行っていた。
あるいは全ての子供達を、救えたのなら……この心に刻まれた、頭を砕きたくなるような感覚も、消えてくれるのだろうか……?
いや、――消えてくれるはずだ。
「そんなものは、人の手には遠すぎる奇跡でしかない……! あまりにも、途方もない……! 妾が、<超級エンブリオ>に……その先に到達しても叶うかも分からない!」
「分からないなら……叶うかもしれない」
「目指すこと自体が、其方にとって苦難でしかない! こちらを捨てて、あちらに戻るべきだ!」
「それは、できない……」
もう知ってしまったから。
決して許容できない不幸が、世界があると知ってしまったから。
私自身が納得できるまで、死した子供の魂を救う。
そうでなければ……私の心の傷が癒えることはない。
だから、私は……この道を選ぶ。
「強くなろう。私が強く、君も強く。それを繰り返して、いずれは辿りつく。この世界は、そういうもの……なんだろう……?」
「…………」
ペルセポネは、何かを悩んでいるようだった。
けれど、少しの間……瞑目して……。
「……わかった」
頷いた。
そのことが、嬉しかった。
ああ、これで……諦めずに済むと。
「……続けよう。いつか、私達の願いを叶えるために……」
「……ああ。いつか、其方と妾の願いが叶うように祈りながら」
そうして、私達は誓い合う。
「不幸な死を迎えた子供達を全て生き返らせて……幸せな人生を送らせるために」
これ以上ない願いを、ベネトナシュとペルセポネで……叶えるために。
◆◆◆
■二〇四五年四月・都市メルカバ
「…………」
カルディナの都市の一つ、メルカバの片隅で……ペルセポネは目を覚ます。
仰向けになって午睡していた彼女は今、雲一つない空を見上げていた。
「……また、あの夢か」
彼女が見ていたのは、彼女が生まれた日の夢だ。
ベネトナシュの心の慟哭と、それゆえに生まれた彼女。
途方もない願いを抱き、向こう側を捨てたかのようにこちらで生きるベネトナシュ。
あるいは、他の者であれば……同じ出来事に直面してもこうはなっていないかもしれない。
だが、ペルセポネを生み出す心の土壌を持つ彼だからこそ、この結果になったのだ。
「……悔やんでも、悔やみきれぬな」
あの日、<Infinite Dendrogram>で不可能に近い願いを抱き、そのためにリアルを捧げたベネトナシュと、彼に寄りそうペルセポネの旅路が始まった。
その日からずっと、ペルセポネは彼が見ていないところで……悔やんでいる。
彼をこの世界と……自らの囚人にしてしまった……と。
あのとき、ログアウトする彼を引き留めたのは、ペルセポネの声だった。
ベネトナシュの心が、ペルセポネには分かっている。
あのとき、二度と戻らないログアウトをするつもりだったことも、分かっていた。
けれど、生まれてすぐに<マスター>と離れ離れになるのが耐えられなかった。
だから、その未練が言葉になって口から漏れて、ベネトナシュがペルセポネを振り向き、可能性に気づいたがために……彼をこの世界に引き留めた。
そのことが原因で、二つの世界での彼の人生をどれほど損なってしまったか。
彼は抱えきれない重石を抱えたまま、溺れ続けている。棄ててしまえば助かるのに、それができないから延々と苦しんでいる。
あれから、何度も後悔をした。
心身ともにすり減っていくベネトナシュの姿に、最初に引き留めてしまった彼女こそが後悔した。
だから、帰ってもいいと。諦めてもいいと。<超級エンブリオ>になっても駄目だったのだからと。かつて自分が言ってしまった可能性を搔き消すように言葉を口にした。
しかしもう、彼女の言葉ではどうにもならぬほどに……ベネトナシュの心はこちら側だった。
もはや目的を達成する以外に、彼を向こう側に戻すことはできない。
だから今はもう、諫めながら……逆に彼の手を引きもする。
せめてベネトナシュの心がこれ以上は壊れないように、彼の前では強く振舞い、自分達の進む先に願う未来があるのだという幽かな可能性を示す。
けれど、その行為も彼女に罪悪感を募らせる。
だからいつも……ペルセポネは後悔と共に目を覚ます。
「…………」
ペルセポネは目を閉じて、そっと胸に手を当てる。
彼女の体内霊安室には各地で拾い集めた不幸な死を遂げた子供の霊魂が眠っている。
心の時が止まったかのように……あるいは冷凍睡眠のように。
目覚める時が来るのかは、彼女にも分からない。
<超級エンブリオ>を超えた存在……<無限エンブリオ>が存在することを、彼女は察している。
だが、その力がベネトナシュの望む力を持てるのかまでは……彼女にも分からない。
「ああ……。起きていたんだね、ペルセポネ」
瞑目していた彼女の耳に、ベネトナシュの声が聞こえた。
目を開けると、そこにはいつもと同じ痩せた顔と細い体のベネトナシュがいた。
「戻ったか、旦那様」
努めて表情を平静に戻し、ペルセポネは答える。
「ヴィナとトリムは?」
「まだ買い物中だよ」
ペルセポネが名を挙げたヴィナとトリムは、ベネトナシュのパーティメンバーだ。
ティアンで、子供で、……死人である。
ペルセポネが進化の過程で得た力……『適性のあるティアンの死者を、【大死霊】として蘇らせる』スキルによって蘇った子供達だ。
適性を持つ者は稀であり、多くの子供の魂を拾い上げても二人だけだった。
しかし、アンデッド化という弊害はあるにしても……ジョブを持ち、人間と見做される者として継続的に蘇生できたとも言える。
……それもまた、ベネトナシュが希望を捨てていない一因だ。
「それで情報収集の首尾はどうだったのだ、旦那様? 先日は空振りだったからな」
先日、コルタナでの契約に則り、<セフィロト>経由でベネトナシュが欲する情報が流れてきた。
それは王国で開かれる“トーナメント”において、怨念で強化される<UBM>の珠が賞品になっているというもの。
怨念の処理は、ベネトナシュの願いにとって重要だ。
子供を蘇らせるにしても、怨念に溶けてしまえばそれも叶わなくなるのだから。
しかし、その件に関しては王国に向かう前にペルセポネが止めた。
ペルセポネが持つ情報源……『誰よりも珠について知っている人物』がそれを否定したからだ。「あれはそういうものではない」、と。
しかし、止めたのは空振りだと分かっていたからではない。
同じく情報を持っていた【デ・ウェルミス】では止めず、今回止めた理由は別にある。
今、王国と皇国で戦争が開かれる寸前であると言われている。
そんな地に……無辜の子供の死が増大しかねない地域に赴けば、彼の重石が増えると考えたからこそ、ペルセポネは止めたのだ。
そうして今日、別の情報を求めてベネトナシュは街を歩いていた。
「……この街も、<DIN>以外の情報ネットワークがあまり発達していなかったよ」
<Infinite Dendrogram>で最大の情報源は<DIN>であるが、ベネトナシュは使わない。
なぜなら、【冥王】であるベネトナシュは死者と対話できる。
二〇〇〇年前に起きたことも、それからの歴史の成り立ちも、知っている。
管理AIと呼ばれる者達が、この地で何をしてきたのかも。
だからこそ、敵対とまでは言わないが……不信感は持っている。
アバターでログインしている時点で掌の上かもしれないが、それでも近づきたいとは思っておらず、管理AIがバックにいると思われる<DIN>にも近づかない。
「けれど……私宛てのメッセージを受け取った」
「メッセージ?」
<セフィロト>からの情報は先日受け取ったばかりだが、再度新情報を寄越してきたのだろうかとペルセポネが考えていると。
「差出人は、スター・チューンという人だ。【記者】、と書いてあるね」
「聞かぬ名だな。内容は……」
「先々期文明のアイテムで、私が必要とするモノの手がかりを掴んでいる……らしい」
「……何だそれは?」
聞き覚えのない名前に、まるで詐欺の当選メールのような内容。
ペルセポネは強く訝しんだが……。
「それと……【琥珀之深淵】隊についても話したいそうだ。全員の名前が書いてあったよ」
「……ほう?」
【琥珀之深淵】隊は、コルタナでペルセポネが呼び出した死者……先々期文明の兵器を駆る者達だ。
だが、兵器の名称はともかく、搭乗員の情報までも知っているのは……普通ではない。
先々期文明に深く関わる人物であることの証左であり、そんな人物が提示する『ベネトナシュが必要とするアイテム』には興味があった。
あるいは……彼の願いの助けになるものかもしれない、と。
「……どうする?」
ペルセポネの問いに、ベネトナシュは微笑みを……浮かべようとして頬が動いていなかった。
「……とっくに決まっているよ。私の目指すべき道はね……」
笑顔を作れない作り笑顔で、ベネトナシュはそう言った。
◆
結論を言えば、彼らは彼女の誘いに乗ることにした。
スター・チューン――【水晶之調律者】の誘いに。
かくして、また一人の<超級>の運命が……動いた。
To be Continued
○ベネトナシュ
(=ↀωↀ=)<レイ君と似てるようで根本的に異なる<超級>
(=ↀωↀ=)<レイ君が眼前の悲劇を前に、可能性を掴む者ならば
(=ↀωↀ=)<ベネトナシュは悲劇の後に、可能性を拾い直す者
(=ↀωↀ=)<どっちも諦めないし折れないけど、大きく違う
(=ↀωↀ=)<あと、某TRPGで言えばSAN値が低くなっている
○ペルセポネ
(=ↀωↀ=)<出会いの後、内部時間で三年ほど経つ間に「旦那様」と呼ぶようになる
(=ↀωↀ=)<けど、今でも「もう止めて向こうに戻ればいい」とは言い続けてる
○【水晶之調律者】
(=ↀωↀ=)<これで勧誘した<超級>は三人目(他はスプレンディダ、フォルテスラ)
(=ↀωↀ=)<ちなみにコンタクトの際はダッチェスのスキルを部分模倣した装置を使ってるので
(=ↀωↀ=)<僕らも観測できぬ
 




