死出の箱舟・■■の■ その四
□【装甲操縦士】ユーゴー・レセップス
朝食から少しして船は次の停泊地である都市に到着し、マニゴルドさんの商談相手が乗船した。
「それで条件はドラグノマド市民としての受け入れと、商売を始める開業資金一〇〇〇万リルでいいんだな?」
「はい……。よろしくお願いいたします」
商談相手は、小さな娘さんを連れた男性だった。
最初に見たときに一瞬だけ、エミリーと彼女を連れた男性……親子連れに変装していた二人のことを連想した。
けれどすぐに、マニゴルドさんの持っていたアイテムで身分証明して別人であると分かった。
「商談成立だ。この船での当面の生活費を預けておこう。船室も取ってある。開業資金や向こうで住む家は、この書面にサインしてドラグノマドの役所窓口に行ってくれればいい」
マニゴルドさんは金貨が入っていると思われる巾着と鍵、それと既にマニゴルドさんのサインが入った一枚の【契約書】を差し出した。
「何から何まで……ありがとうございます」
「こちらこそ。スムーズな取引で助かった」
そうして二人は握手を交わして、商談は完了した。
あっさりとした展開だった。
ただ、一つ気にかかったこともあったけれど……。
◇
「一段落だな」
商談が終わった後、マニゴルドさんの客室には私とキューコ、マニゴルドさんだけが残った。イサラさんは男性と娘さんを別ブロックにある二等客室まで案内している。
マニゴルドさんは男性から買い取った珠を片手に、葉巻を吹かしている。
「…………」
「何か聞きたそうだな?」
私の表情から察したのか、マニゴルドさんはそう尋ねた。
「はい。商談の……珠の対価について」
「ドラグノマドでの開業。その資金として一〇〇〇万リルは必要十分な金額だ。市民として住む家も用意した。だが、君が言いたいことは分かる。『もっと出せたんじゃないか?』、だろう?」
「…………はい」
「答えよう。俺はその十倍、あるいは百倍だろうと出せる。そも、用意した金に限度などない。あちらが金額の吊り上げを目論んだならば、それに応える準備はできていた」
マニゴルドさんが懐から財布型のアイテムボックスを取り出し、ひっくり返して中身を卓上にばら撒いた。
アイテムボックスからは金貨……だけでなくめったに使われないような超高額貨幣までもジャラジャラと溢れ出した。
……少し見ただけでも、何十億あるか分からない。
「だが恐縮し、遠慮して吊り上げなかったのは向こうの選択だ。商談において、こちらから買い取り値の吊り上げを持ちかけるほど馬鹿な話もあるまい」
……たしかに、マニゴルドさんの言うとおりかもしれない。
「だったら、どうしてあのひとはつりあげなかったの?」
「世の中、俗物になれない人間もいるのさ」
キューコの問いに、マニゴルドさんは葉巻の煙を燻らせながら答える。
「ぞくぶつになれないニンゲン?」
「慎ましく……と言うよりも普通に生きることが当然であり、人生最大のチャンスを前にしても欲望のアクセルを掛けられない人間だ」
その言葉はまるで欲を出せなかった先ほどの男性をバカにしているようだったが、しかしマニゴルドさんの声音と表情はそんな雰囲気ではなかった。
「だが、それは馬鹿にする類のことではなく、美徳の一種だ。総合的には、その方が幸せを感じていられる」
「?」
キューコの不思議そうな顔を見て少し笑ってから、マニゴルドさんは言葉の意図を説明してくれた。
「幸せという奴は、豪勢に味わうほどにハードルが上がる。もっと美味く、もっと楽しく、もっと気持ちよく、もっと素晴らしく……。人の欲望に限りはない。だが、その分だけコストはかかる。特に金で買える欲望のハードルが上がれば、それに伴って満たすための出費も増える」
『金で買えるものは金で買う』と豪語した人物は、卓上の超高額貨幣の一枚を手に取り、指で弾く。
「大金持ちになって贅沢をしているうちに欲望がエスカレート。収入以上に贅沢して身を持ち崩す。そんな話は五万とあるだろう?」
なぜかキューコではなく私の方を見ながら、マニゴルドさんはそう言った。
「……そうですね」
「だから、俺も贅沢は全てこっちで済ませることにしている。リアルじゃさっきも新聞配達してきたところだ」
「…………」
俗物にして贅沢の権化のようなマニゴルドさんと、『新聞配達』という言葉が結びつかず、言葉が出ない。
「こっちの俺は極めつきの俗物で、欲望のブレーキは壊れっぱなしだ。そういう意味じゃ、ちゃんとブレーキをかけて生きられるさっきの彼の方が正しい人間だな」
どこか愉快そうに、マニゴルドさんは笑った。
それがこちらで誰よりも贅沢に、リアルでは赤貧に生きているらしいマニゴルドさんの本心だったのかもしれない。
◇
ただ、マニゴルドさんの話を聞いていて、思い出したこともある。
私の……わたしの父のことだ。
父も、昔は財で欲望を叶えた人だった。
そして、マニゴルドさんの言う『欲望のブレーキが壊れた人』だった。
一代で財を築き、舞台女優だった母を娶り、私生活では豪奢に暮らした。
必要以上に金銭を使い、その様を他者に誇り、そんな自分に満足していた。
成金で俗物と、第三者からすればそうとしか見えない人だと……いや、母から見てもそうだったと、母の口から聞いている。
子に悪口を吹き込む程度に、母は父を嫌っていたのだろう。
それでも、わたしには常に優しい父だった。
それに姉さんが蒸発して、母とわたしが家を出てからは……そうした暮らしもしなくなったらしい。
その理由が寂しさか、違う理由か……私には分からない。連絡を取っていた父からも聞いていない。
けれど、時折わたしと電話で話す父の声が……嬉しそうだったことを覚えてる。
そんな父の声を聴けたのも、去年のクリスマスの前まで。
父は……。
◇
「話は変わるが、商談相手の彼に対して俺も疑問がある」
過去の記憶に流されそうになった私の意識を、マニゴルドさんの言葉が引き戻す。
先刻までの欲や自分自身について語っていたときよりも、真剣な声音だ。
「……それは?」
「普通過ぎる。珠の存在と脅威、欲望と怨恨込みで狙われるだろう状態から逃げおおせ、娘を連れて無事にこの【エルトラーム号】まで辿りつけるとも思えん。今のカルディナが、表も裏もどれだけあの珠に過敏になっているかは君も知っているだろう?」
「…………」
コルタナの惨劇の裏に、黄河から流れてきた珠の存在があることをカルディナ国民は知っている。
そして、それがまだ幾つもカルディナにあるということも。
師匠の話では、【ジュエル】を加工して作った偽物さえも出回り始めたと聞いた。
「マニゴルドさんは、あの親子が怪しいと……?」
「彼ら自身に問題はない。それは確実だ。だが……」
マニゴルドさんは部屋の外の景色を……船の後方に遠ざかっていく街を見ながら、呟いた。
「――蔭ながら彼らをここまで守り、誘導してきた存在がいるのかもしれん」
◆◆◆
■【エルトラーム号】船尾デッキ
マニゴルドが懸念を口にしたのと同じ頃。
流れゆく景色を見送りながら、一人の男が通信機を耳に当てていた。
その男は場に馴染む姿をしていたが、よく見れば右腕は長袖と包帯で地肌が見えない。
「商談は無事に完了したようです、ラスカルさん」
男――【大霊道士】張葬奇は通信先の相手にそう告げた。
『ああ。無事に送り届けられたらしいな』
「はい」
ラスカルの言葉を、張は肯定する。
珠を狙う者達から商人男性とその娘を気づかれないように守り、船まで送り届けたのは<IF>のサポートメンバーである張である。
コルタナでの仕事の直後に、こちらの仕事に回された形だ。
『珠の情報は既に流してある。じきに珠目当ての連中がその客船、あるいはドラグノマドに辿り着くはずだ。アンタは引き続き張り付いてデータの蒐集をしてくれ』
「はい」
ここからやることはコルタナのときと同じだ。
珠を中心として騒動を引き起こし、集まってきた猛者の戦闘データをはじめとした有益な情報を取ることになる。
『恐らく、そう遠くないうちに<IF>の活動も本格化する。今の内に脅威になりかねない相手や、サポートメンバーに勧誘できそうな相手のリストは完成させておきたい』
「承知しています」
自身も珠を中心とした騒動でスカウトされた口である張は、それをよく分かっていた。
『それと……今回は俺とマキナもそこに行く』
「ラスカルさんご自身が……!?」
通信なので声は抑えていたが、張も驚愕までは消せなかった。
コルタナのときや誘導までは出てくることもなかったラスカルが出てくる。
その理由を尋ねるべきかを張は悩んだ。
「何故……」
『大した理由じゃない。確実にぶっ壊すか奪うかしないと後々マズい代物がそこにあるってだけだ』
「でしたら俺が……」
『アンタだと選択肢が『壊す』オンリーになる。できれば回収したいんだ。貴重品だからな』
『えー? きっと私でも作れますよー? モノとしては天竜型の動力炉でしょうしー』
『……「コストがアホみたいにかかる」と言ったのはお前だろうが。おまけにコストダウンしたとかいう地竜型も、お前が三基も作り終わってから寄越したレシピ見て俺がどれだけ胃を痛めたと思っている。<遺跡>の希少物資を幾つか枯渇させやがって……』
『いひゃいいひゃい!? ちっちゃい子供がされそうなぐりぐりやめてー! あ、やっぱやめないたたたたた……!?』
『挙句に、「あ。機体バランス的に二基で良かったですね。一基余分でした。テヘペロ♪」……だと? ふざけているのか?』
『にゃああああ……!』
通信機の向こうから聞こえてくるコントのようなやりとりに、張は言葉を挟むべきか真剣な表情で悩んでいた。
『ともかく、だ。俺が出向くのは決定事項だ。予定では明日の未明、あまりドラグノマドに近づきすぎても面倒だからな』
「ドラグノマドへの到着は……予定では明日の正午です」
『未明のタイミングなら、向こうの救援も間に合わん。短時間で長距離を移動できる連中も出払っている。残っているのは【戯王】グランドマスターと【闘神】RAN、それと連中の頭だけだ』
「出払っている?」
ラスカルの言葉を、張は訝しむ。
ドラグノマドはカルディナ議会のある最重要都市であり、<セフィロト>のホーム。
そこに、たった三人しかいないというのはどういうことか。
『他のメンバーのうち、【放蕩王】マニゴルドはお前も知っての通りその船にいる』
「はい」
陰ながら珠を持つ男性を護衛していた張は、商談相手がマニゴルドであることも当然知っている。
「それと、西方に移動している奴が三人。【殲滅王】アルベルト・シュバルツカイザー、【神刀医】イリョウ夢路、【神獣狩】カルル・ルールルーの三人だ。ただし道中でレジェンダリア連中に遭遇したらしい』
どうやってそこまで詳細な情報を掴んでいるのかと張は疑問を覚えたが、自分と同じサポートメンバーがカルディナの各所にいるのだろうと理解した。
『そして【地神】ファトゥム、【砲神】イヴ・セレーネ、【撃墜王】AR・I・CAの三人は南の湖上都市ヴェンセールにいる』
「なぜ、そんな場所に……?」
『戦争の前振りだよ。<戦争結界>は展開しないだろうがな』
カルディナは戦力の殆どが<マスター>中心の国であり、クランも大小数多ある。
それゆえ、他所よりも長く事前の準備期間を用意しなければ、急な<戦争結界>の展開ではじき出される<マスター>が多数を占める。
戦力的にはともかく、経済的にその影響は避けるべきことだった。
「戦争とはどの国と……いえ、南ということは……」
齎された情報に混乱した張だったが、すぐに答えに気づいた。
『ああ。珠の情報を掴んだグランバロアの連中がついに上陸した。それも陸で動ける連中が全員だ』
その言葉に、グランバロアが四人もの<超級>を投入したと張は衝撃を受ける。
『今は交渉中だが、成立はまずありえない。じきに南は広域殲滅型の暴れ回る地獄になる』
「…………」
想像し、張の背筋に冷や汗が流れる。
なぜなら、それは恐るべき面々だからだ。
未来予知の<超級エンブリオ>を駆使し、飛翔する<マジンギア>に乗るAR・I・CA。
射程距離において最長を誇る<超級エンブリオ>を有するイヴ・セレーネ。
そして、決して枯渇しない比類なき魔力を誇る男。
大陸全土に名を馳せる“魔法最強”のファトゥム。
いずれもカルディナの内外に名を轟かせる猛者ばかり。
だが、グランバロアも劣ってはいない。
水陸両用巨大戦闘兵器の<超級エンブリオ>を操るミロスラーヴァ・スワンプマン。
超々音速飛翔の<超級エンブリオ>を駆るスカラ・エドワーズ。
絶対追尾能力の<超級エンブリオ>を放つモード・エドワーズ。
そしてあらゆる液体を爆薬に変え、海域さえも消滅させる男。
“人間爆弾”……“四海最強”とも謳われる男、醤油抗菌。
戦いの勝敗は、歴戦のティアンである張でも読めない。
だが、その戦いが、人の領域にない大破壊の嵐になることだけは間違いがなかった。
「……そちらのデータ蒐集に赴いた方が、いいのではないでしょうか?」
だが、張は覚悟と共に、義務感を持ってそう進言した。
戦闘データの蒐集と言うならば、交渉破綻後のヴェンセール以上に最適な環境はない。
無論、<超級>の広域殲滅戦に命の保証など皆無だろうが。
『命を粗末にするなよ。前にも言っただろう。命の危険を感じた場合は、任務を放棄してもいい。自然、こっちもそんな博打以下の環境には送らない。南には替えの利く改人を回すことにする』
「……ありがとうございます」
張の生命に配慮したラスカルの言に、張が謝辞を述べた。
『いいさ。ああ、それとティアンの集団もその船を狙って襲撃を掛けるかもしれん。狙いが俺と被りそうだからな。場合によっては迎撃を頼む』
「承知しました」
『まぁ、そんな事態になればエミリーが勝手に動くかもしれないがな。ああ、届けさせたアクセサリーをエミリーは装備しているか?』
アクセサリーとはラスカルからの連絡員(改人)がエミリー用に持ってきた新たな装備である。
「はい」
『あのアクセサリーはマキナが製作した対策アイテムだ。コルタナのときと同じ展開にならないための、な』
その言葉に、張は苦い顔をする。
コルタナでは自分は何の働きもできず、窮地に陥ったエミリーを助けることもできなかった。
今度はそのような体たらくにはなるまいと、決意を新たにする。
『安心しろ。あのアクセサリーで二つしかないエミリーの弱点を一つ潰した』
エミリーに弱点はほとんどない。
純粋な戦闘力では“最強”クラスの<超級>には及ばないが、それでもエミリーには無制限の蘇生能力がある。
エミリーの残機がなくなるまで倒し続けるのは、“最強”であろうと難度が高い。
それゆえ、エミリーの倒し方は二種類しかない。
その一つが、コルタナでされたような長時間拘束。身動きもログアウトもできない状態で、強制的なログアウト……<自害>を選択せざるを得なくなるまで待つことだ。
だが、エミリーに渡されたアクセサリーでその欠点を克服された。
そして、もう一つの手段が実践可能な者はあまりにも少ない。
現時点で判明している使い手は黄河の【武神】名捨くらいのものだ。
ゆえに、もはや弱点はないとさえ言い切れる。
『途中でアクシデントが起きなければ、明朝に俺が到着次第動く。……それまでエミリーが暴走しないように注意も払ってくれ』
「はい」
そうして、ラスカルとの通信は終わった。
するとすぐに、誰かが張の袖を引く感触があった。
「……ちゃんおじしゃん。おでんわおわった?」
それはエミリーだった。
張の傍で、電話が終わるのを待っていたらしい。
どこか眠そうな目をしょぼしょぼとさせながら、張の袖を掴んでいる。
「…………」
指名手配されているエミリーであるが、後部デッキに注意を払う者はいない。
今回もマキナ手製の誤認用アクセサリーを装備している。
加えて、乗船時も正規の入場ゲートは通っていないため、誰にも見咎められてはいない。
「ああ。明日にはラスカルさんもお越しになるらしい。それまで部屋で待っていよう」
「うん。……おねむだから、むこうでおひるねするね……」
そうして張とエミリーの二人は、予めラスカルが手配した船室へと移動する。
その姿は、周囲の者の目にはありふれた親子連れとしか映らなかった.
To be continued
(=ↀωↀ=)<最強クラン<セフィロト>の<超級>達
(=ↀωↀ=)<今回で全員のジョブと名前公開




