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<Infinite Dendrogram>-インフィニット・デンドログラム-  作者: 海道 左近
Episode Ⅵ-Ⅶ King of Crime

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第十六話 雫

 □アルター王国・<ノヴェスト峡谷>


 シュウがゼクスの手紙をドーマウス達に見せた日から三日後。

 地平線の先に幽かな光の気配を感じる刻限に、シュウは<ノヴェスト峡谷>に独り立っていた。

 この地はかつて<アルター王国三巨頭>と【三極竜 グローリア】が雌雄を決した地。

 戦闘によって地形は破壊され、【グローリア】の《絶死結界》で生態系までも完全に失われ、人もモンスターも寄り付かなくなった土地。

 だからこそ、シュウはゼクスとの果し合いにこの地を選んだ。

 また、王都から西方に位置しており、決着後にさらに西方にある旧ルニングス領へ急行することも踏まえてのロケーションだ。

 開戦は正午と予想されている。

 しかしそれまでにゼクスを倒し、自分も生き延びて戦場に向かうことは……彼が今まで相対したあらゆる困難よりも至難であるように思えた。


「…………」


 そしてまた時が僅かに過ぎ、太陽がゆっくりと昇り始め、夜明けの六時を迎えたとき。


「お待たせしました」


 時間通りに、ゼクスは現れた。

 その黒髪黒目の容姿も、眼鏡をはじめとした平凡な風体も、変わりない。表情もいつも浮かべている微笑のままだ。

 だが、その姿に擬態したゼクス自身は……どこか感情の昂ぶりを覚えているようにシュウには感じられた。


 二人が一対一で相対した今、果たし状に書かれていたケースで選ばれたのは山奥での果し合いだ。

 だが、お互いにこうなるだろうとは確信していた。

 ゼクスはシュウがそうするだろうと思っていた。

 シュウはゼクスが自分を呼び出して別の悪事をすることはないと思っていた。

 まるで無二の親友のように、二人は互いを信じていた。


 これから殺し合う間柄であっても。


『……来てたならさっさと出て来いよ。時間が惜しいだろうが』


 呆れたように言いながらも、シュウは隙を窺う。

 それこそ、致命の一撃を打ち込んで早期に決着させる瞬間を待っている。

 だが、今日この日、ゼクスには一片の隙もなかった。


「時間……。この私を倒して、<戦争>に駆けつけるためにですね?」

『ああ』

「余力は残りますか?」

『さあな。だが、駆けつけてどうにかできる可能性もゼロじゃねえだろ?』

「そうですね。ああ、もしもシュウがこの私に負けたときは、王国を襲撃します。だから本気で戦ってくださいね」

『……そういうことは付け足すと思ったよ』


 シュウに本気で戦わせるのが目的なら、それはむしろ当然とも言えた。

 適当にやって『はい。負けました』で納得できるなら、こんな果し合いはしない。

 <戦争>と、何より王国そのものへのリスクは、当然背負わせてくる。


「……もっとも、この私は<戦争>自体がシュウには似合わないと思いますが」


 ゼクスは微笑を浮かべたままだが、その内で僅かに苛立った。


「人間の行動力は、自らが持つ善悪の価値観で大きく変わります。悪事だと思っていれば、大なり小なり心にブレーキがかかる。何とも思っていなければブレーキはかからない、というものだそうです」

らしいな(・・・・)


 人の心の動きを、まるで伝え聞いたように二人は話す。


「そして、正しいことだと思っていれば……アクセルがかかる」


 人間は正しいことをしようとするとき、止まらなくなる。

 中にはその行動が他者を傷つけ、害するものであっても、自らが正しいと信じていれば止まらない。


「そうするとき、人は大抵は一人ではない。他の大勢と共に、大勢の一人として、正しさゆえに暴走する。周囲を見ながら『自分が正しい。だってこんなに同じことをする人がいる』と再確認して、アクセルをかける」


 そのような群衆の正しさと往く道を踏みつける彼らの足は、恐ろしいものだ。


「旧ルニングス領で対峙する両軍。彼らはどちらも自分達を『正しい』と思っている」


 遥か西方を見やりながらゼクスは……笑みを消して言葉を述べる。


「王国を皇国の侵略から守ろうとする者達は、自分を正しいと信じている。

 皇国を飢餓の窮状から救おうとする者達は、自分を正しいと信じている。

 どちらも自らの正しさを周囲の者達と確認し合いながら、戦争へと向かう。

 あるいは『仕方がない』という見せかけの赦しに縋りながら」


 それが今回の<戦争>であり、ここに限らない戦争の本質だとゼクスは述べる。


「でも、きっと彼らの中に強い正しさは一つもない」

『…………』

「誰に肯定されなくとも、己が正しいと思ったことを貫き続けられる。そんな強い正しさを持っている人はいない」


 そう言ってゼクスはシュウに向き直り、それまでの微笑とは異なる笑みを浮かべる。


「でも、この私の目の前には――揺らがない人がいる」


 それはかつて神と崇められた<UBM>を、村人達に罵倒されてもなお討伐に向かったときに、見た顔と似ていた。


「初めて会った時から思っていました。世界を滅ぼすかもしれない彼女を、それと知っても守り続けた。迷いもせずに、自分の選択を疑わずに、強い正しさを貫いて」


 ゼクスは思う。

 シュウは他者に「正しいか?」と確認しなくても、自らが「正しい」と感じたことを突き進める強い人間だ。

 だからこそ――惹かれる、と。


「正しさも、誤りも、何も持たないこの私……私だからこそ、その強い『正しさ』が眩く見える」

「……そうだな」


 シュウも、ゼクスは彼の言う者達とは違うと考えた。

 自分を正しいと思っていないし、悪事を重ねてもそれを悪いとは思っていない。

 あくまで『世間的に悪事とされる』から、やっているだけだ。

 ゼクス自身の思考には善も悪もない。あるのは社会が定める罪だけだ。

 ゼクスは行動方針に則ってアクセルもブレーキもなく進む……いや、落下していくだけの男だ。


 善も悪も無関係に巻き込んで奈落の暗黒に落ちていく水滴。

 罪を犯すだけの、人型の現象。

 この世で最も空虚な罪の王。

 それがゼクスという男だ。


 だが、なぜゼクスという男はそう(・・)なのか。


 それを、シュウは知らなかった。


「そういえば、あの【螺神盤】という<UBM>を覚えていますか? この私とシュウが、協力して倒した回転の<UBM>です」

『……覚えてるよ』

「【螺神盤】を崇めていた村落の住人は、あの後すぐに王国に属しました。今ではすっかり普通の村になっています」


 ゼクスは世間話のようにそう話を切り出した。

 だが、言葉とは裏腹に……ゼクスの声にはわずかな苛立ちがあった。


「守り神という傘のなくなった村は、今度は王国という傘に入りました。あれだけ守り神を信仰し、子供を贄とし、君を罵倒した。それを『正しい』としておいて、今はその信仰と従属を忘れたように生きている。自分だけの正しさを持たない、強者に阿る弱者の群れです」


 その言葉は、普段のゼクスならば言わないような……ひどくトゲのあるものだった。


『お前、怒ってるのか?』

「怒る? この私が?」


 問われて、初めて気づいたようにゼクスは自分の口に手を当てる。

 そうして少しだけ考え込んで……。


「……そうかもしれません」


 シュウの指摘を肯定した。


()は、贄の側でしたので」

『贄?』


 贄という、【犯罪王】ゼクス・ヴュルフェルには似合わない言葉。

 しかしそれこそが本来の自分であると、ゼクスは言う。

 なぜならば……。



「この私ではない私。リアルの私は――臓器移植用のクローンでしたから」



 ◇◆


 二〇四五年、否、それより二十年以上も前から、クローン技術は確立されていた。

 動物のクローンのみならず、ヒトのクローン生成も成功例がある。

 加えて、かつては技術的難点とされていたクローン体の寿命や身体機能の問題も、既にクリアされている。

 地球人類はクローン技術を既に手に入れている。


 しかし、それは決して公に使われることのない技術だ。

 理由は、『倫理』である。

 ヒトのクローン。それは技術的に可能であっても、倫理的に不可能とされた。


 だが、そうした倫理感の薄い国や、倫理感を持つ人々の目から隠れた世界では、ヒトクローンが生成されることもあると……まことしやかに囁かれていた。

 それらは権力者や富豪が内臓疾患や重傷を負った際に、健康な臓器に取り換えるための……部品置き場(・・・・・)としてのクローン。

 生贄(・・)、である。

 倫理観を持つ先進国ではフィクションの存在のように語られもするが……実在する。


 ゼクスのリアルこそが、その一例だった。


 ◇◆


『クローン……。お前が?』

「はい。製造されてから、もう二〇と……数年は経っています」


 クローンであるという秘密を、ゼクスが誰かに話したことは今まで一度もない。

 ラスカルさえも知らない。

 だが、シュウが相手だから……ゼクスは隠すことなく話したのだ。


「私はとある名家の嫡男が生まれた時に作られました。違法に、ですが」


 莫大な資産を持つ者が、他の国に臓器移植用のクローンを作っておく(・・・・・)ケースは稀にある。

 常に年齢が合うように育て、オリジナルが何らかの病を患った時に、取り寄せて(・・・・・)臓器を移植するのである。


「しかし、私が臓器提供するまでもなく、その嫡男は死にました。事故か何かで即死したそうです」

『…………』

「ただ、彼も社会的には(・・・・・)死んでいないのですけどね」


 そんなゼクスの言葉に、シュウはすぐに意味を察した。


『……お前が代わりになったから(・・・・・・・・・)、か』


 ゼクスは首肯した。


「事故で死なずに生きていたことにして、私を代替とする。臓器だけでなく、存在そのものが予備となった訳です。……あるいは、最初からそれも踏まえていたのかもしれませんね。臓器移植用クローンと最初から明言されていたのに、最低限必要な学習自体は受けさせられましたから」

『…………』

「もちろん本人(・・)の持っていた交友関係などは知りませんが、人と会わなければ問題ありません。今は事故の後遺症で療養中ということになっています」


 世間から隔離されながら、必要な知識や交友関係について学習を受け、死した嫡男の代替として社会に軟着陸するための準備を続けさせられた。

 僅かな関係者以外は今も死んだ本人が生きていると考えている。

 それこそ、ゼクスという存在に気づきもせずに。


「今の私の役目は家系を繋ぐことですよ。容姿と遺伝子は同じですからね。遺伝上の父は高齢でもう子を成せませんでしたし、クローンを作る癖に人工授精での子孫作りは嫌ときている。だから、亡くなった嫡男と同じ遺伝子を持つ私が家系を繋ぐしかない。いずれ適当な名家から婚姻相手を娶り、子を成し、その子に継いでお役御免ですね」

『ゼクス……』


 シュウが感じた思いは憐れみ……ではなかった。

 そんな感情を抱くほど、シュウはゼクスを下に見ていないしバカにもしていない。

 強いてシュウの思いを言葉にすれば……『納得』であっただろう。

 代替臓器になるために生まれ、それができなくなれば家名の維持と子孫を残すための代替とされ。

 だからこそ、ゼクスは……。


「私には、私の人生がない。そもそも人と見做された生まれですらない。……この世界に来て、ヌンという体を得て、自分でも納得しました」


 ゼクスは自らの右手を掲げ、……それをスライムへと変じさせた。

 否、戻した。


「私は、ただの血と遺伝子の雫に過ぎない。器によって形を変える代替品でしかない」


 ゼクスは右手を人の手に、男の手に、女の手に、そして元のゼクスの姿に変じさせながら、言葉を紡ぐ。


「――だから私は、ヌン(この私)なのです」


 <エンブリオ>は、大なり小なり<マスター>に由来する。

 <マスター>の本質か、行動か、あるいは運命そのものか。

 そうであるならば……ゼクスにはヌン以外のカタチはなかったのかもしれない。


「そんな私ですが、せめてこの世界で自分が何になるのかだけは自分で賽を振りました」


 リアルの彼にも自由な時間はあった。

 籠の中ではあったが、本を読み、遊戯する程度の自由は与えられていた。

 ただ、彼はその自由で何をすべきかも分からなかった。

 だからこそ、だろう。

 今すべきことが何もないからこそ他の多くの者と同様に、<Infinite Dendrogram>の謳い文句に惹かれてこの地にやってきた。

 それが彼にとって、彼が真の意味で自由に生きられる世界への扉だった。

 そしてチュートリアルで卓上に賽を見つけたとき、彼は決めたのだ

 何もない、代替でしかない自分。

 選ぼうにも、選べる道すらも自分のものではなかった日々。


 だから、<Infinite Dendrogram>での行き先の賽だけは……自分で振ってやろう、と。


「それが、この私の自由だから」


 そうして運命が指し示した道が、『悪』である。

 大多数の正しさの真逆。

 機械的な罪の実行者。

 しかしそうであっても、ゼクスにとってはそれでいい。

 ゼクスは『悪』を選び、『悪』として、自分を生きられた。

 誰もがゼクスを見ている。

 『悪』を通してゼクスという存在を……彼自身を認識してくれている。

 そして、『悪』であったからこそ、得られたものもある。

 行動指針を得た。

 人との関わりを得た。

 仲間を得た。

 思い出を得た。


 正反対にして鏡写しな、この世で最も惹かれる存在に出会えた。


「シュウ」

『……ゼクス』


 ゼクスはシュウを真っすぐに見据え、


「この私と、最後まで戦ってください」


 ゆっくりと……言葉を続ける。


「この私の姿こそ、私の在り様。器によって有り様を変える、代替品。血肉の雫でしかない私の、本質そのもの」


 ゼクスは人の姿の随所を、赤と黒のスライムに変じさせる。


「そんな私でも、この世界でこの私として生きたお陰で見えてきたものがある。その本質を、もう少しで掴める気がする。知るべきものを、知ることができれば」


 切望する眼差しで、ゼクスはシュウを見続ける。


「だからこそ、私が私を生きるためには……。この私と、私という存在と、正反対のシュウでなければなりません」


 瞼を閉じ、両の手を握りしめる。

 心の中で求めるものを掴もうとする。


 誰の代替でもなく、誰にも左右されず、『自分』を貫くシュウという在り方を。


「理解するために」


 そして、また瞼を開く。


「あなたを理解すれば、あるいはこの世界だけでなく……向こうでも私は自分を生きられるかもしれない」


 <Infinite Dendrogram>が渡すと謳った、自分だけの可能性。

 それは<エンブリオ>であり、この世界での体験そのもの。

 そしてゼクスにとっての可能性は、自分と正反対のシュウを理解した先にしかない。

 少なくとも、ゼクス自身はそう信じていた。


「仮初の命ですが、殺し合いましょう。――最後まで」


 だからこそゼクスは戦いを、お互いの全てを見せ合うような殺し合いを……望んだのだ。


『……お前との腐れ縁も、何年になるかな』


 シュウはゼクスの言葉を聞いて……受け止めて。


『四年か、それ以上か。それだけ掛けてお前の出した答えがそれだってんなら、いいぜ。受けてやる』


 そう言って、殺し合いの提案を了承した。


『けどな……一つだけ言っておくぞ』


 シュウは言葉を切り、……着ぐるみを脱いだ。

 《着衣交換》による装備変更。一機能特化・変則スキル型の着ぐるみから、オーダーメイド生産による純戦闘装備への置換。

 それはこの時点のシュウにとって最も戦闘に適した装備であり……顔を隠すつもりもない一〇〇%の戦意の表れ。

 そしてシュウは……。



「――殺し合った程度(・・)で俺を理解できると思うなよ?」



 ゼクスに笑みを返して、動き出した。


 そうして、<戦争>という大事件の影で戦いは始まる。

 【破壊王】と【犯罪王】、王国最高峰の二人による殺し合いが……始まった。


 To be continued

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