第八話 前準備
■“監獄”
その日の“監獄”には死が蔓延していた。
西部劇に出てくるような“監獄”内の都市……囚人達の生活スペースに動く者の姿はない。
自動でアイテムを提供する販売機が、光と音を垂れ流すだけ。あるいはそれすらも、金銭を投入された後の操作画面だけを表示した……あたかも操作の途中で人が消えたかのような有様。
それほど唐突に、容赦なく、街一つが死に絶えている。
「…………こわいわー」
そんな“監獄”の様子を、囚人にして<超級>であるガーベラは喫茶店<ダイス>の店内からガラス越しに眺めていた。
頬杖をつき、やる気のなさそうなダウナー寄りの声音だったが、抱えた心情は偽ることなく『怖い』という言葉のままである。
その言葉は、外の光景と……彼女の隣の席でキャラメル・マキアートを啜る人物に向けられていた。
「ふっふーん。GODは今日もマジで満足なのネ♪ ここまで完璧なキャラメル・マキアートを“監獄”で飲めるのは素晴らしいのネ。グッジョブ! ゼッちゃん♪」
「それは良かった」
至極頭の悪そうな言葉遣いでそう言う女装の少年――【疫病王】キャンディ・カーネイジに対し、店主である【犯罪王】ゼクス・ヴュルフェルは微笑みなどを浮かべながらそう答えた。
そんなキャンディの傍らには彼と同じほどのサイズのハンマー……の如きメスフラスコが置かれている。
あるいはそれはメスフラスコですらないのかもしれない。
透明な球体部分の中身は複数の層になっている。それらの層の一つ一つが培地を収めたシャーレに似ており、球体の内側でそれらのシャーレはゆっくりと回転している。
そして球体表面の数ヶ所、等間隔に空いた穴から聞こえる微かな空気の噴出音は、目に見えないサイズの何かが放出していることを窺わせる。
そしてそれこそが……“監獄”の街が死に絶えた理由だとガーベラは知っている。
この奇妙なメスフラスコこそ、【疫病王】の<超級エンブリオ>。
世にも珍しき三重複合型にして同種複合型、TYPE:レギオン・ウェポン・カリキュレーター。
銘を――【悪性神威 レシェフ】。
エジプト神話と聖書に名を残す獰猛な疫病神をモチーフとし、<超級エンブリオ>でも最大規模の殲滅能力を有するモノ。
「…………」
レシェフの能力を、ガーベラは幾らか知っている。
その能力特性こそは、悪性変異と感染拡大。
レシェフの内部に生物の細胞や素材を入れ込み、その生物に効果を発揮する細菌を自動的に研究し、開発し、増殖させ、周囲にばら撒くというもの。
この<エンブリオ>の最も恐ろしい問題は……研究して開発して増殖させてばら撒いても、コントロールできないということ。
精々で増殖回数を制限して死滅までのタイムリミットを設定するか、今行っているように……キャンディ自身やゼクス、ガーベラの体細胞(加えてアルハザードの一部)を読み込んでおき、細菌感染の『対象外』にするくらいのもの。
制御できるのはその程度で、ばら撒いたものがどれほど感染拡大するかは未知数だ。
外界の細菌も、彼が“監獄”に収容された後に管理AIが手を打っていなければ、まだ広まっていたかもしれない。
(……これ、この店も含めてバイキンだらけってことよね。それも憂鬱だわー……。不衛生でコーヒー飲めないじゃない……)
お気に入りのイルカのカップに入ったコーヒーを、飲みもせずに液面を揺らしながらガーベラは溜息を吐いた。
放出後のコントロールを省いたがゆえに、レシェフの細菌改造の効果は規格外の領域にまで向上している。
今現在、レシェフが放出している細菌は三種類。
重度の病毒系・拘束系状態異常を併発させる《土に溶ける未来》。
肉食系の細菌が生物の体内から食い荒らす《崩れゆく現在》。
既に罹患している病の働きを活性化させる《穴だらけの過去》。
三種の細菌によるバイオハザードにより、囚人達は抗うこともできずに“監獄”は壊滅した。
並大抵の状態異常対策では《過去》によって促進される《未来》に抗しえず。
《快癒万能霊薬》を飲もうと、純粋な肉食細菌である《現在》が体内を食い荒らすことは妨げられない。
そも、全てが病術師系統超級職【疫病王】のパッシブスキル《アンダーグラウンド・プロスペリティー》によって、感染力や生命力が強化されている。
細菌は拡大を続け、いずれは“監獄”を埋め尽くすかもしれない。
放出した後の細菌はキャンディにもコントロールできないため、彼には止められない。
そもそも、彼自身にはバイオハザードを起こしても、終息させる気がない。
こんな<エンブリオ>になった精神性も含め、キャンディは<超級>の中でも捻子が外れている。
その結果が“国絶やし”という二つ名であり、滅んだ都市国家の廃墟と住人達の墓標である。
(ていうか、私やオーナーの髪の毛を<エンブリオ>に放り込んで解析したから、バイキンの対象外に設定できたっていうけど……。それって逆に言えば私達だけを対象にしたバイキンも作れるってことよねー。……首根っこ掴まれてるじゃない)
今更ながらに自身の生命線をキャンディに握られたことに気づき、ガーベラは慄くが……。
(……あ、違うわ。どっちにしてもコイツがやる気なら私死ぬわ)
狙ってやろうが、狙わずに周囲一帯ごとやろうが、どちらにしてもキャンディの殲滅からは逃げられない。
(なんだ。じゃあ気にするだけ無駄じゃない……。もう……)
不貞腐れながらガーベラはテーブルに突っ伏した。『最近突っ伏すことが増えたわー……』などと自覚もしている。
(ていうか、私はともかくオーナーはよくそんな……あ、違うわ)
そして自分ではなく、自分同様にキャンディに髪の毛を渡したゼクスに関して、気づく。
(オーナーはその気になれば体細胞なんていくらでも変えられるじゃない。そもそも、スライムにどの程度バイキンが効くの……?)
以前、ゼクスとハンニャの二人でキャンディを倒したことがあるとはガーベラも聞いている。
恐らくゼクスはその特性ゆえに疫病の効きが弱かったのだろう。
(……あれ? それだとハンニャさんは……。あ、そっちはそういうことね……)
そしてハンニャに関しても、ガーベラは気づく。
ハンニャのサンダルフォンの能力特性の一つは、ランダムな空間の配置変更。
通常ならば疫病の中心地であるキャンディに辿り着くまでにその体は感染し、相対することなく死に至る。
しかしサンダルフォンならば、配置次第では一歩踏み出すだけでキャンディ本人に辿り着ける。
あるいは、ハンニャ本人が一〇〇〇メテルの高みにいることも影響しているかもしれない。
(<エンブリオ>の相性差って奴よねー……。私は相性悪いけどー……)
存在を認識されなくとも、生物である限りは充満した細菌に感染せずにはいられない。
ガーベラのアルハザードでは、キャンディのレシェフを攻略できない。
(……今みたいに最初から近くにいれば別だけれど)
しかし近くにいられるのは、一応は味方同士だからだ。
敵対するならば、【疫病王】が蔓延させた疫病の国土を越えなければならない。
数多のティアンや<マスター>が彼を倒さんとして、死病によって死に絶えた。
そして【勇者】でさえも、その剣を【疫病王】の命に届かせることはなかった。
彼が最多ティアン殺傷者であるのはそうした行いの果てであり、彼が得た【疫病王】の一六八〇ものジョブレベルもまた同様である。
(まぁ、今はアルハザードが散歩中だからやれないし、そもそも味方になってるからやらないけど)
『流石にここで手を出したら恨まれるわよねー……』とガーベラはまた溜息を吐いた。
自分も一回キャンディに殺されてはいるが、そもそもあれはキャンディの戦闘中に紛れ込んだ自分も悪かったと……昔のガーベラならしなかった理性的な判断もしている。
(……ていうか、本当にどうやって<超級殺し>はコイツを倒したのよ?)
弾丸生物を打ち出すだけの<エンブリオ>で、何をどうすればこの生物の天敵を殺せたというのか。
ガーベラには不思議で仕方がなかった。
ガーベラがキャンディに関することをつらつらと考えていると……。
「じゃ♪ キャンディちゃんは一旦ログアウトなのネ♪ ぐっすり眠らないとお肌が荒れちゃうのネ」
キャンディはそう言って、椅子から立った。
「はい。お疲れさまでした」
「一回放出した細菌は勝手に増殖するから安心してほしいのネ。これからしばらく“監獄”はログイン=死亡のGOD天国なのネ♪」
(……嫌な天国)
キャンディの発言に、ガーベラは心底そう思った。
「それじゃあ二人とも、また後でなのネー♪」
キャンディはそう言ってウィンクを飛ばしながらログアウトした。
「……やっといなくなったわね」
キャンディのログアウトでようやく人心地ついたのか、ガーベラが疲れた声でそう漏らした。
しかしキャンディとは今後も顔を合わせることになる。
彼は、期間限定とはいえ<IF>に加入してしまったのだから。
「憂鬱だわー……」
『あれと同じクランはやっぱりきついわー……』と、ガーベラはまた突っ伏した。
(ていうか、キャンディもキャンディだけど、オーナーも大概アレよね)
あのキャンディを自身のクランに迎え入れ、平然と会話していたゼクスもまた捻子が外れているのだろうとガーベラは思った。
(……ラスカルとかゼタとかエミリーとか、比較的まともだったってこと? えー……? 全身ミイラとか、自動殺人幼女の方がマシってひどくない? ……そういえばラスカルはロボメイド連れてるHENTAIだけど、まとも具合ではどんな位置になるの……?)
本人が聞けば怒られそうなことだが、心の声に突っ込む者はいない。
(やっぱり私が一番まともなのよねー……)
突っ込む者はいない。
「ていうかオーナー。私は何で街を壊滅させてるのか分からないのだけど……」
「おや、言ってませんでしたか?」
「引っ越し準備をしておいてください、としか聞いてないわよ……」
「ええ。ですから、引っ越し準備です」
「?」
<Infinite Dendrogram>にエモーション表示機能があれば、頭の上に大きな『?』が浮かびそうなくらいガーベラは首を傾げた。
「私達はあと数日もすれば脱獄します」
「……前から思ってたけど、それ口に出して言っていいものなの?」
“監獄”の看守……ここで言えば担当管理AIのレドキングにバレるのではないか、とガーベラは心配した。
なお、“監獄”に来た当初は自分も「脱獄する!」と宣言したことは完全に忘れている。
そんな彼女に対し、ゼクスは笑みを浮かべたままだ。
「そもそも、アバターの見聞きした情報は管理AIには筒抜けですよ」
「え!? そうなの!? 私はお風呂とか入っちゃったけど!?」
胸(ない)を両手で隠しながらガーベラは椅子から立ち上がった。
<ダイス>には広めの浴場があったため、度々アプリルと一緒に入浴していたのである。
なお、煌玉人は完全防水、どころかボディ内部に浸水してもそうそう壊れない仕様である。
だが、入浴させる際のガーベラは機械をお湯に入れることについて特に何も考えていなかった。フラグマンが防水対策していなければアプリルはロストしていたかもしれない。
「お気になさらず。管理AIは人間に欲情はしないでしょうから」
「でも、管理AIの集めたデータを運営会社の男性社員とかが閲覧したりするんじゃないの?」
「……運営会社?」
ゼクスはまるで『不思議な言葉』を聞いたように顎に手をやって考え、何かを思い出して頷いた。
「ああ。その心配は要りませんよ。きっとね」
「……そうなの?」
「はい。それと、脱獄のことは口にしても大丈夫ですよ。話はついています」
「話?」
「ええ、レドキングと」
その言葉にガーベラは驚いて席を立った。
驚いて当然の発言だ。
「え!? それって脱獄OKってこと!?」
看守が脱獄を容認していることが、ガーベラには理解不能だった。
「OKと言えば、OKですね」
「?」
「彼曰く、こういうことです」
ゼクスは笑いながら……その黒い瞳を彼方へと向けて、こう言った。
「――出られるものならば出てみるがいい、だそうです。ですから、そうしましょう」
その言葉でガーベラも察した。
この“監獄”は脱獄を許してはいない。
脱獄は阻止する仕組みがあり、それに関して看守は絶対の自信を持っている。
その上で、真正面から脱獄してやると……ゼクスは言っているのだ。
「はぁ……どんな方法で脱獄するのか分からないけど、どっちもすごい自信ねー……」
「ええ。ただ、手順の詳細だけは外部のメールでお伝えしたいのですが……」
「んー、分かった。じゃあ捨てアドレス取得してオーナーに伝えるわ」
「ええ。そのように。ああ。先ほど聞かれたなぜキャンディさんに細菌の放出をお願いしたのかだけは、今お答えしましょう」
ゼクスは視線をガラスの向こう……“監獄”の街並へと向けて、理由を述べる。
「いざ脱獄になった時に、邪魔が入らないようにするためです」
「邪魔?」
「妨害する人がいるかもしれませんし、あるいは便乗して脱出しようとする人もいるかもしれない。そうした人達の中には、もしかしたらこの私やガーベラさん、キャンディさんの天敵になりえる<エンブリオ>もあるかもしれない」
その可能性は、十二分にある。
十人十色、千差万別。それこそが<エンブリオ>である。
格下の<エンブリオ>であろうと、<超級エンブリオ>の天敵のようなものが存在するかもしれない。
そうでなくとも、この脱獄直前のタイミングで新たな<超級>や準<超級>が収監される恐れもある。
「そうした不確定要素を、キャンディさんの細菌で最初から省いた形です。一度死ねば三日はログインできないので、脱獄の決行は三日以内ですね。ああ。これから街を見回って、細菌で死んでいない人がいたら殺しておかなければいけませんが」
ゼクスの言葉に、ガーベラは納得した。
確かに邪魔は入らない方が良い。キャンディを仲間に引き込んだのは、継続的に殺傷が可能な細菌使いであることも理由だったのだろう。
そしてこうも思う。
『やっぱりそうしておいて良かったのね』、と。
「ですのでガーベラさん。今からこの私と一緒に生存者の方々の介錯を」
「あー……それもういいわ」
ゼクスの提案をガーベラは手首から先をパタパタ振って否定する。
「?」
「あのね。何のためにやってるかは今知ったけど、致死性のバイキンばら撒いた時点で『あ、これ全滅狙いだな』とは分かったから……」
ガーベラはガラスの向こうを……否、ガラスの内側に帰ってきた見えない刺客を指差して……。
「――まだ生きてた奴らはアルハザードで殺しといたわ、全部」
――至極あっさりとそう言った。
ガーベラは「レベルも上がったのはちょっと嬉しいわー……」と低いテンションながらも、少しだけ胸(ない)を張った。
「やっといて良かったのよね?」
「ええ。ありがとうございます。手間が省けました」
「私もアルハザードに指示しただけよー……」
“監獄”に蔓延した細菌によって多くの者が死に、僅かに生き延びた者は知覚できない刺客に殺傷されていく。
今の“監獄”は地獄に近い有様だったかもしれない。
あるいは、ガーベラの二つ名の如く“悪夢”と言うべきか。
「あ。でもねー、一人だけ殺せてないわー……。ていうか無理よアレー……」
「ああ。彼のことですね。彼は放置していて大丈夫ですよ。まだ彼の領域から出てこないでしょうから」
ガーベラが殺せていない一人、そしてキャンディの細菌でも死んでいない者。
それは“監獄”の人里から離れた領域に陣取る最後の<超級>に他ならない。
ゼクスの誘いも、キャンディの細菌も、ガーベラの刺客も、全てをはねのけて……彼は今も不動でそこにいるのだろう。
「彼はいずれ自力で出てくるでしょう。私達は彼より一足先にこの“監獄”を出ます」
「……まぁ、いいけど。本当に出られるの?」
「ご安心を。この私とキャンディさんだけでは不確実でしたが、ガーベラさんがいればまず確実に全員の脱獄が成功します」
「…………うーん」
『私が全員の脱獄にどう役立てるのかしら?』とガーベラはまた首を傾げた。
(けど、オーナーがそう言うならばこの短くも長かった“監獄”での生活もそろそろ終わるってことよね? “監獄”にはスイーツを出すお店がここしかなかったから、シャバに出るのはちょっと楽しみかも)
よく分からないながらも脱獄を楽しみにしながら、ガーベラはそれから少ししてログアウトした。
◆
数時間後、伝えたアドレスに届いた脱獄手段の概要に、ガーベラは「え? そんなことでいいの?」と三度首を傾げたのだった。
To be continued




